Archive for category テーマ

Date: 12月 14th, 2015
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(調整なのか調教なのか・その1)

オーディオは使いこなしが大事だ、と誰もがいう。
私もいう。

使いこなしについては、これまで書いてきている。
これからも書いていくのだが、
使いこなしは調整とは、必ずしも同じ意味をもつわけではない。
だからこそ、「使いこなし」と「調整」というカテゴリーをわけて書いている。

もちろん同じ意味で使うこともあるし、使いこなしと調整は切り離せるわけでもない。
それでも使いこなしと調整は、微妙に違う。

使いこなしと調整の違いを、もっと端的に言い表せないのか。
そう思っている。

調整に似た言葉として、調教がある。
辞書には、馬、犬、猛獣などを訓練すること、とある。

オーディオ機器は、馬、犬、猛獣の類だろうか。
オーディオ機器はあくまでも工業製品である。
馬、犬、猛獣といった動物とは大きく違う。

それでも、「このスピーカーはじゃじゃ馬だから」という表現が昔からある。
長島先生はジェンセンのG610Bをはじめて鳴らした時の音を「怪鳥の叫び」みたいだ、
とステレオサウンド 61号で語られている。

さらに38号では、
「たとえばスピーカーでいえば、ムチをふるい蹴とばしながらつかっているわけですから」
ともいわれている。

長島先生のG610Bに対する使いこなしは、
調整よりも、調教という言葉のほうがぴったりとくる。

Date: 12月 14th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(飢餓感)

私は13の時からオーディオに興味をもった。
もっと早くから、という人もいるだろうし、少し遅くからという人もいるけれど、
多くのオーディオマニアは10代のころにオーディオに関心・興味を持ち始めた、と思う。

私が10代だったころ、オーディオ雑誌はいまよりも多く出版されていた。
けれどインターネットはなかった。
しかも住んでいたのは、東京ではなく熊本の田舎町である。

そういう環境だったから、東京に出てくるまでは、
オーディオに関しては飢餓感といえるものがあった。

飢餓感があったからこそ、何度もくり返し読んできた。
モノクロの小さな写真もくいいるように見てきた。

いまはインターネットのおかげで、オーディオに関する情報の量は、
私が10代だったころとは比較にならないほど増えている。
写真ひとつにしても、カラーが標準といえる。

粒子の粗いモノクロ写真が大半だったから、
いまのような状況は、写真ひとつにしても情報量が増えている、といえる。

その意味では、いまの10代は飢餓感を感じることはあまりないのかもしれない。
むしろ満腹感があるのではないのか。
そんなことを考えもする。

Date: 12月 14th, 2015
Cate: ジャーナリズム

附録について(その5)

ひさしぶりにステレオサウンドを購入しようと思っていた。
附録のカレンダーにつられて、である。

でも、ステレオサウンド 197号の目次をインターネットで確認すると、
「付録カレンダーの組み立て方」とある。
組み立てるカレンダーなのか、少しいやな予感がしていた。

書店に行き197号を手にした。
49号についていた卓上カレンダーのイメージで、197号を手にしたわけだが、
えっ、と思った。パラパラとページをめくっていくと、最後にカレンダーがついていた。

こういうことだったのか、とがっかりした。

49号の卓上カレンダーがどういうモノだったのかは、こまかなことは憶えていないが、
今回のようなモノではなかったことだけは確かだ。

安っぽさは、49号の附録であった卓上カレンダーにはなかった(はずだ)。
197号のカレンダーは附録なのだろうか、
おまけにしか思えなかった私は、買わずに書店を出た。

言葉の意味としては、附録もおまけも同じとしても、
言葉のニュアンスとして、微妙に違うところを感じる。

一年後の201号にも、卓上カレンダーの附録をつけてくるのだろうか。
それとも創刊50周年にむけての今回だけの附録(おまけ)だったのか。

もし201号にもつくのであれば、附録としての卓上カレンダーをつけてほしい。

Date: 12月 13th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その23)

つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手とともに目的地をつくっていく──。

Date: 12月 13th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その22)

つきあいの長い音は、音の目的地を聴き手にわからせるものなのか。

Date: 12月 13th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その21)

つきあいの長い音──、裸形の音と向き合っていくことなのかもしれない。

Date: 12月 13th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(コネクターのこと)

1977年にマークレビンソンのコントロールアンプLNP2とJC2は、
入出力端子にCAMAC規格のLEMOコネクターを採用した。

それまではスイッチクラフト製のRCAコネクターだった。
LEMOコネクターの採用により、変換アダプターかLEMOコネクターを使った専用ケーブル、
そのどちらかが必要となる。
面倒であり制約のあるコネクターなのは、これを選んだマーク・レヴィンソン自身がよくわかっていたはずだ。
それでも、信頼性ということで、レヴィンソンはLEMOを選んでいる。

LEMOコネクターは抜き差しの際、ホット側が先に外れるし、アースが先に触れる構造である。
つまりアンプのボリュウムを上げたまま、入力ケーブルの抜き差しをやっても、
スピーカーからショック音は出てこない。

オーディオマニアならば、一度は、ケーブルを何かの拍子に抜いてしまって、
ものすごい音をスピーカーから出してしまった経験があると思う。

これはRCAコネクターの構造上、抜く場合にはアース側が先に外れ、
差す場合にはホット側に先に接触してしまうからである。

アース側が接触していれば、ホット側の抜き差しでの音は発生しない。
だからステレオアンプの場合、たとえばCDプレーヤーとの接続をケーブルを交換する際、
左右チャンネルのどちらかのケーブルを抜く際には、音は発生しない。

なぜならば、アンプの内部で左右チャンネルのアースは接続されているから、
片側のケーブルを抜いても、もう片方のケーブルが接続されているからアースは接続されていることになる。
これで安心してしまって、残りのケーブルを抜いてしまうと、ショック音は出る。

LEMOコネクターでは、そんな心配は関係なくなる。
バランス接続に使われるXLRコネクター(いわゆるキャノンコネクター)も問題はない。

いちばん普及しているRCAコネクターだけが、構造上の欠陥をいまも抱えたままである。

この問題点はずっと以前から指摘されていた。
マークレビンソンのLEMO採用以前からの指摘である。
にも関わらず、いまもそのままになっている。

使い手が気をつけていれば問題ない、とはいえる。
けれど時として不注意で……、ということはある。
しかもいまは大出力のアンプが当り前のようにある。

ケーブルの値段の上限は、まるでないかのようである。
コネクターも高価なものがいくつもある。
それでもRCAコネクターのままである。

いったいいつまでRCAコネクターのままなのだろうか。

Date: 12月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(アニメソングとオーディオ・その1)

アニソンオーディオというムックが、音元出版から出ている。
不定期で、いまのところ二冊のみのようだが、売行きはどうなのだろうか。

いまのヘッドフォン・イヤフォンブームをささえているのは、
アニソンオーディオの人たちだという人もいる。

アニソンとは、アニメソングのことである。

ずっとずっと以前、ジャズがクラシックより低級の音楽としてみられていたころ、
ジャズオーディオという言葉が生れた。
アニソン(アニメソング)も、クラシック、ジャズしか聴かないような人からすれば、
当時のジャズと同じような位置づけの音楽ということになるのかもしれない。

とすれば、いつの日か、アニソンオーディオも、
現在のジャズオーディオと同じような位置づけになる可能性もあるだろう。

今日ラジオを聴いていたら、アニソンジャズという言葉をきいた。
はじめて聞く言葉だった。
アニメソングジャズの略だとすぐにはわかったし、
アニメソングをジャズにアレンジしてのものだということは想像がついたけれど、
実際にはどんな感じに仕上っているのかは、想像できなかった。

今日たまたま耳にしたのは、ラスマス・フェイバーのアルバムだった。
アニソンジャズも初めてなら、ラスマス・フェイバーも初めて知る人だった。

「ラスマス・フェイバー・プレゼンツ・プラチナ・ジャズ ~アニメ・スタンダード」はすでに五枚出ている。
日本だけの発売かと思っていたら、そうではない。

古いアニメから新しいアニメまで、かなり広くカバーしている。
短い時間ではあるもの、試聴もできる。
子供のころ、よく口ずさんでいたアニメの主題歌が、確かにジャズになっていた。
もとのアニメソングを知らない人が聴いたら、どう感じるのだろうか。
そのへんも知りたいと思わせるような出来で、
「どろろ」の主題歌をぜひ録音してほしい、とも思っていた。

1963年生れの私にとって、アニメソングの歌い手は、
佐々木功(現在ではささきいさお)と子門真人のふたりが代表的な存在だった。

ささきいさおはオーディオマニアとしても知られている。
ステレオサウンドの弟誌であるサウンドボーイの創刊号に登場されている。

そこでこんなことを語られている。
     *
ヤマトに限らず、アニメーションの主題歌ってのは、画面に負けないエネルギーを全部ぶつけるようなパワーがないとだめなんです。〝たいやきくん〟の子門真人にしてもロック調でしょう。歌謡曲の人がやると、メロディーに流れてダメになっちゃうんです。
     *
たしかにそうだった。アニメソングには、歌謡曲にはないパワーがあった。
そんなアニメソングも、いつしか変っていった。
《画面に負けないエネルギーを全部ぶつけるようなパワー》はいつしか影をひそめていった。
テレビのない生活をしているから、アニメをずっと見てきているわけではない。
見ていない時期の方が圧倒的に長い。

それでも最近のいくつかのアニメを見ていると、主題歌がずいぶんと変ってしまったことを感じる。
歌謡曲がいつしかJ-POPと呼ばれるようになった(分れていった)のと同じようなものなのか。

Date: 12月 11th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(リザイエとノア)

少し驚いたことがある。
カウンターポイント、スレッショルド、ボウ・テクノロジーズ、マイケルソン&オースチン、VTLの修理を、
12月25日が最終受けつけとなることを、11月にノアが発表している

VTL以外のメーカーはすでに活動を停止している。
マイケルソン&オースチンといえばTVA1がその代表機種だが、TVA1は1979年に登場している。
かなり長いこと製造されてきたとはいえ、1990年ごろには製造をやめていたと記憶している。
この記憶が正しければ、最後に製造されたモノでも25年、初期のモノであれば35年以上が経過している。

ノアがカウンターポイントの修理を受けつけていたことは知っていたが、
マイケルソン&オースチンの修理をいままで受けつけていたことに、少々驚いた。
とっくに修理はやめていたものだと、勝手に思っていたからだ。

だから今回の修理をやめてしまうことを聞いても、いままでよくやってくれたな、とは思っているし、
仕方ないことだとも思っている。

けれど、昨日書いたリザイエのサイトには、
カウンターポイント、スレッショルド、ボウ・テクノロジーズ、マイケルソン&オースチン、VTLの修理を受けつけるとある。

おやっ、と思った。
なんとタイミングがいいんだろうか、と。
考えた。

これはあくまでも私の勝手な推測でしかないのだが、
リザイエの設立にはノアの協力があったのではないだろうか。
そう思えてならない。

VTL以外の会社はすでにないわけだから、修理に必要な技術資料はどこかから入手しなければならない。
それに回路図があれば、満足のいく修理ができるとは限らない。

修理には高い技術力とノウハウも必要となる。
にも関わらず、ハーマンインターナショナル、山水電気、シュリロ貿易、ヘビームーンが扱ってきたことのないブランドの修理を手がける。
ということはJBLやマークレビンソンなどと同じレベルで修理できるということのはずだ。

満足のいく修理ができないのであれば、修理を受けつけるブランドに、
カウンターポイント、スレッショルド、ボウ・テクノロジーズ、マイケルソン&オースチン、VTLは加えないはずだ。
それをあえて加えている。

これが意味することを考えると、ノアのなんらかの協力があったと。私は勝手にそう思っている。
そして技術資料、修理のノウハウ、補修部品もノアから提供があったのではないのか。

修理をただやめてしまうのではない。
ここに、ノアのオーディオの輸入商社としての義があるように感じている。

Date: 12月 10th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(リザイエのこと)

さきほどfacebookで得たばかりの情報である。
リザイエという会社がある。
新しい会社のようだ。

デンマークのスピーカーユニットメーカー、スキャンスピークの輸入元である。
そのリザイエをここで紹介しているのは、輸入業務だけではなく、
オーディオ機器の修理も行っているからだ。

リザイエの匠たち》というページでは、
五人の写真とプロフィールがある。
シュリロ貿易、ハーマンインターナショナル、ヘビームーン、山水電気で、
長年仕事をやってこられたベテランの方々である。

山水電気、ハーマンインターナショナルの名前があることからわかるように、
JBLのスピーカーの修理をやってくれる。

それだけでなく、マークレビンソン、スレッショルド、カウンターポイントといったアンプの修理
SME、ワディアの製品の修理も行ってくる。

もちろんすべての機種の修理ができるわけではない。
製造中止になってかなりの年月が経っているモノもあるし、
すでにメーカーがなくなっているところもいくつかある。
事前に連絡して確認する必要はあるだろうが、これは仕方ないことである。

まだ実績はないに等しい会社ではあるが、
期待できる会社であり、信頼できる会社だと私は思う。

高い技術でオーディオ機器を修理してくれる会社が、こうやって増えていくのはいいことだ。
いいかげんな修理しかできないのに、
完全オーバーホール、オリジナル通りの修理を謳うオーディオ店が少なくないからだ。

なぜ、そんな店がやっていけるのか。
だまされて買う人がいるからだ。
だまされていても、買った人がシアワセならば、第三者の私がとやかくいうことではない。
だが、一人だまされる。だまされた人は、その店を信じきっている。
そうなると、だまされた人を信じている人が、その店にだまされることだってある。

そうやってあくどい商売、いいかげんな商売が成り立ってしまう。
成り立たせてしまう、ともいえる。

Date: 12月 9th, 2015
Cate: アナログディスク再生

2065年のアナログプレーヤー

マイノリティ・リポートは、フィリップ・K・ディックの短編小説「少数報告(The Minority Report)を、
スティーブン・スピルバーグが監督した作品で、2002年に公開されている。
トム・クルーズが主演だったから、観た人もけっこういると思う。

映画で描かれていたのは2054年の世界だった。
車は自動運転がすでに実用化されているし、道路も立体的になっていた。
広告も紙に印刷されたものから、
ディスプレイに、それもいまそこを歩いている人を対象としたものを表示するようになっていた。

広告の技術でも駅の改札でも、網膜スキャンが常に行われていた。
映画の公開から10年以上が経ち、自動運転が話題になっているし、
スマートフォンの普及、インターネットの広告など、映画で描かれていた世界に近づいている。

今年から映画「マイノリティ・リポート」のテレビドラマがアメリカで放映されている。
日本でもHuluが配信しているので、いまのところ一話と二話が見れる。

舞台は映画の11年後の2065年、いまから50年後である。
この「マイノリティ・リポート」の制作にはMITの研究所が強力しているということだ。

そこで描かれる社会は、MITによる予測といっていいのかもしれない。
ここにアナログプレーヤーが登場する。
50年後のアナログプレーヤーである。

主人公のダッシュ・パーカーと組む刑事のララ・ヴェガの自宅に、アナログプレーヤーはある。
これもおそらくMITが予測したモノなのだろう。

レコードはターンテーブルプラッターに置くスタイルではない。
プラッターはないようだ。
レーベル部分をクランプして、ディスクは垂直状態で回転している。

クランパーは底部から垂直に立っていて、ピックアップも兼ねているようだ。
このアナログプレーヤーが登場するのはわずかなシーンで、
特に技術的な説明はされていない。

なので推測になるが、現在のような機械式のピックアップではなく、
レーザーによるピックアップを採用しているようだ。
クランパーから紅い光がもれているから、おそらくそうであろう。

それから垂直状態のディスクの左右の縁を挟むかのように、アクリル製と思われる板が立っている。
これがどういう役割なのかははっきりとしない。
ディスクをホールドしているのかもしれない、
回転しているディスクのスタビライザー的なものかもしれない。

それとも単なる飾りかもしれない。

今後、このアナログプレーヤーが登場するのかはわからない。
ただいえるのは、MIT、マイノリティ・リポートの制作陣は、
50年後もアナログディスクは聴かれ続けていると予測していることは、はっきりといえる。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(スピーカーの変換効率とは)

今月のaudio sharing例会のテーマは、スピーカーの変換効率についてだった。
世の中には高能率スピーカーと呼ばれるモノがある。

私が高能率スピーカーとして思い浮べるのは、ここで書いているトーキー用スピーカーのことである。
具体的にいえばウェスターン・エレクトリックのスピーカー、シーメンスのスピーカーであり、
これに続いてアルテックやジェンセン、ヴァイタヴォックスなどを思い浮べるわけだ。

なので、つい多くの人もそういうものだと思ってしまっていたことに気づかされた。
高能率スピーカーときいてPA用、楽器用のスピーカーを思い浮べる人もいる。

どちらが多いのかは知らないが、
世代によって、どちらを思い浮べるかは違ってきても不思議はない。
同じ世代であってもトーキー用スピーカーに関心をもつ人とそうでない人とでも違ってくる。
そのことに気づかされた。

それでも私にとって高能率スピーカーとは、やはりトーキー用スピーカーであり、
トーキー用スピーカーを源流とするスピーカーのことである。

優れたトーキー用スピーカーに共通する良さとして挙げられるのは、
音が静かなことだ。

意外に感じられる方もいよう。
このことについては、この項でこれから書いていく。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その2)

カルロ・マリア・ジュリーニの「展覧会の絵」は、
シカゴ交響楽団といれたドイツ・グラモフォン盤と、
ベルリン・フィルハーモニーとのソニー・クラシカル盤とがある。

ソニー・クラシカル盤は1990年の新譜である。
岡先生がステレオサウンドに連載されていたクラシック・ベストレコードに書かれていたことを思い出す。
     *
 映画館の看板みたいな「展覧会の絵」ばかりきかされる昨今、ジュリーニがBPOから「古城」のようなノスタルジックな抒情をひきだしたのはさすがとおもった。
     *
ブラームスの第二交響曲は、
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏もウィーン・フィルハーモニーとの演奏も聴いている。
「展覧会の絵」はベルリン・フィルハーモニーとの演奏しか聴いていない。
シカゴ交響楽団との演奏はどうだったのだろうか。

ブラームスの第二交響曲における違いと同じ違いを感じるのだろうか。
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとシカゴ交響楽団、どちらもアメリカのオーケストラとはいえ、
同じには括れない違いがあるから、ブラームスの第二交響曲のような違い、
というかロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏に感じた「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」、
そんなおもいはないか少ないことだろう。

それでも「古城」のようなノスタルジックな抒情は、
シカゴ交響楽団との「展覧会の絵」には感じられただろうか。
聴いてもいない演奏についてこれ以上語ることはやめておくが、
「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」とか「ベルリン・フィルハーモニーだったから」というのは、
ウィーン・フィルハーモニーもベルリン・フィルハーモニーも、
アメリカのオーケストラではなくヨーロッパのオーケストラであることに関係している。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その5)

CDが登場したばかりのころ、CDにはものたりなさを感じるという声が少なからずあった。
アナログディスクでは、ジャケットからディスクを取り出し、さらに内袋からもていねいに、
ディスクの両面に指紋をつけないように縁とレーベルに指をあてながら取り出す。

ターンテーブルにセットするさいにも、スピンドルでレーベルにヒゲを描かないように、
すっと一発で決める。

それからディスクのクリーニング、人によってはカートリッジの針先のクリーニング、
スタビライザーをディスクにのせる人もいるだろう。

ここまでやって、やっとディスクにカートリッジを降ろすわけだ。

こういった一連の儀式が、CDにはない。
ケースからディスクを取り出すにしても、アナログディスクほど神経を使うわけでもないし、
片手でディスクをもてる。

アナログディスクのクリーニングに神経質であった人もCDに対してはそうではない。
トレイにディスクをセットして、プレイボタンを押せば、音は出てくる。

しかもCDはアナログディスク特有のノイズがないため、
いきなり音が鳴ってくる感じも、とっつきにくいという意見もあった。

DEDHAMで音楽を聴くためには、他のスピーカーにはない儀式がある。
DEDHAMのところまで行き、扉を開けなければならない。
あたりまえすぎることだが、左右二本のDEDHAMの扉を開けなければならない。

ただ開けておけばいいものではない。
扉は開いた状態でサブバッフルとなっているわけだから、
いいかげんな開き方ではいいかげんな音になってしまう。
きちんと開き、音を聴く──、
これはアナログディスクにおける儀式と同じ、もしくは近いものである。

CDを聴くにしてもDEDHAMであれば、扉を開ける(それも二本分)という儀式をやらなければならない。
ましてDEDHAMが登場したころはCDはなかった。

つまりDEDHAMで音楽を聴くことは、アナログディスクを再生することである。
アナログディスクの儀式も加わるわけだ。

そういえばアナログプレーヤーにはダストカバーがついている。
これを開けなければディスクはかけられない。

普及型アナログプレーヤーではアクリル製の軽いダストカバーも、
例えばパイオニアのExclusive P3のダストカバーとなると、重くしっかりした造りで、
これもある種の扉をあける感覚に近い。

そうやって聴く音楽が、イージーリスニングであるのだろうか、BGMであるのだろうか。

Date: 12月 6th, 2015
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その8)

TDKのメタルテープMA-Rのデザインをじっくり見ていると、
オープンリールテープを反転したようにも思えてくる。

オープンリールテープは、アルミ製のリールに巻かれている。
リールには、テープの残量が視覚的に捉えられるようにスリットがいくつか開けられている。
カセットテープにも中央に小窓があって、テープの残量がある程度は視覚的につかめるようになっている。

けれどMA-Rはテープ全体が見えている。
小窓やスリットはない、透明なプラスチックがハーフになっているからだ。

テープを囲うように亜鉛ダイキャストのフレームはデザインされている。
ちょうどオープンリールのハーフを反転させたようなデザインの中で、
精巧なオープンリールテープのミニチュアがまわっているような印象がある。

ミニチュアなのに、
というよりも、ミニチュアだからこそオープンリールテープよりも精巧につくられているような気がする。
だからこそ、MA-Rを手にすると、どこかナグラSNNを思わせる。
少なくとも私は、MA-Rを当時手にしたときにそう感じていた。

SNNは外形寸法W14.7×H2.6×D10.0cm、重量0.574kg(テープ、電池込みの重量である)の、
手のひらにのる超小型のオープンリールデッキである。
1970年代後半SNNは69万円していた。

録音時間は9.5cm/secで27分、4.75cm/secで1時間48分である。
4.75cmといえば、カセットテープのテープ速度(4.8cm/secもしくは4.76cm/sec)と同じである。

当時SNNに憧れていたオーディオマニアは少なからずいたはずだ。
私もそのひとりだった。

69万円も出して、何を録音するのか。
そんなことを冷静に考えると、バカらしい買物ということになるのはわかっていても、
憧れとはそんな冷静に考えることとは無関係のところにあるものだ。

TDKのMA-Rを開発・デザインした東芝のスタッフの人の中に、
ナグラのSNNに憧れていた人がいたのではないのか──、そんなことも思ったりする。