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Date: 8月 23rd, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その2)

ヴィソニックの小型スピーカーというよりも、
ミニスピーカーといった方がぴったりくるサイズのモデルは、
David 30、David 50、David 60、David 80、David 100があった。
ウーファー口径は30と50が10cm、60は13cm、80は17cm、100は20cm。
トゥイーター口径は30と50が1.9cm、60が2.5cm、80と100が3.7cm(スコーカー)と1.9cmで、ドーム型。

エンクロージュアはアルミ製だったはずだ(残念なことに現物を見たことがない)。
ネットもアルミ製だった。

Davidシリーズは30が302に、50が502、60が602、80が803に型番が変更になった。
まずオーバーロードインジケーターが付いた。
おそらくいい音がするものだから、
ついパワーをいれすぎてユニットを飛ばす人が少なかったのだろう。

David 50が502になり、トゥイーターがカタログ上では2.0cmになっている。
クロスオーバー周波数は1.8kHzから1.4kHzに下がっている。

David 50は1976年、David 502は1978年、
1979年にはDavid 5000になり、エンクロージュアの形状も変更になっている。
トゥイーターは2.5cmになり、クロスオーバー周波数は2.5kHzになっている。

このころにはDavidシリーズの他に、Expulsシリーズ(フロアー型)も展開するようになった。

David 50の系譜は聴いてみたかった。
けれど私がステレオサウンドで働くようになったころはまだ現行製品だったが、
セレッションのSL6が登場し、小型スピーカーが大きく変ろうとしていた時期と重なったためか、
どのモデルも聴く機会はなかった。

ステレオサウンド編集部にいると、次から次と新製品に触れる機会がある。
そうこうしているうちにDavid 50のことはすっかり忘れていた。

思い出させてくれたのは、B&OのCX100の登場だった。

Date: 8月 22nd, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その1)

1970年代後半、ミニスピーカーのちょっとしたブームがあった。
アメリカのADC、西ドイツのブラウン、ヴィソニックなどが積極的に製品を出していた。

瀬川先生はヴィソニックのDavid 50を高く評価されていた。
ステレオサウンド別冊「続コンポーネントステレオのすすめ」で、こんなふうに書かれている。
     *
 たとえば書斎の片すみ、机の端や本棚のひと隅に、またダイニングルームや寝室に、あまり場所をとらずに置けるような、できるだけ小さなスピーカーが欲しい。しかし小型だからといって妥協せずにほどほどに良い音で聴きたい……。そんな欲求は、音楽の好きな人なら誰でも持っている。
 スピーカーをおそろしく小さく作った、という実績ではテクニクスのSB30(約18×10×13cm)が最も早い。けれど、音質や耐入力まで含めて、かなり音質にうるさい人をも納得させたのは、西独ヴィソニック社の〝ダヴィッド50〟の出現だった。その後、型番が502と改められ細部が改良され、また最近では5000になって外観も変ったが、約W17×H11×D10センチという小さな外寸からは想像していたよりも、はるかに堂々としてバランスの良い音が鳴り出すのを実際に耳にしたら、誰だってびっくりする。24畳あまりの広いリスニングルームに大型のスピーカーを置いて楽しんでいる私の友人は、その上にダヴィッド50(502)を置いて、知らん顔でこのチビのほうを鳴らして聴かせる。たいていの人が、しばらくのあいだそのことに気がつかないくらいの音がする。
     *
「私の友人」と書かれている。
実際に友人で、そういう人がいたのだろう。
でも、瀬川先生自身もまったく同じことをやられていた、とつい先日ある方から聞いた。

世田谷に建てられたリスニングルームに移られる前のこと。
瀬川先生のリスニングルームをうかがったら、何も言わずに音を聴かせてくれた。
4343とは思えぬ、いい感じで弦の音が鳴ってきた。
帰り際に、種明かしをしてくれたそうだ。

実は鳴っていたのは4343の上に置いているヴィソニックだった、と。
この話をしてくれた人も、ヴィソニックを買ってしまった、とのこと。

ヴィソニック(Visonik)は、2000年代までは小型スピーカー(Davidシリーズ)を出していたが、
いまはヴィソニックというブランドでは作っていないようだ。

www.visonik.deとURLをブラウザーに直接入力してみると、
AUDIUMというスピーカーメーカーのサイトに行くようなっている。
Davidシリーズは、既にない。

Date: 7月 26th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その5)

あと一ヵ月とちょっとでステレオサウンド 200号が出る。
瀬川先生が登場しているのは60号までである。
1/3にも満たない。

いまのステレオサウンドの中心読者層にとって、
瀬川先生はどうでもいい存在であっても不思議ではない。
ということはステレオサウンド編集部もそうであっても不思議ではないし、
いまの誌面をみるかぎり、そうであろうと思う。

しつこいぐらいに書くが、
瀬川冬樹について誰よりも解っていなければならないのは、
ステレオサウンドの編集に関わっている人たちだ。
編集部であり、筆者である。
だから解るべきであり、解るために瀬川冬樹賞が必要だと考えるわけだ。
本来ならば解らせる立場にいるべき人たちなのに……だ。

ステレオサウンド編集部、筆者のために瀬川冬樹賞は必要になっている。
もちろん名ばかりの瀬川冬樹賞ではあっては、そうはならないことは自明だ。

編集部も筆者も新陳代謝していくと書いた。
だから、何年後か、何十年後かに編集部、筆者が瀬川冬樹賞の必要性に気づく日がくるかもしれない。
その日を俟っていたら……、とどうしても思う。

それに創刊50周年の今年こそ、瀬川冬樹賞をはじめるあたって絶好の年ではないか。

Date: 7月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その4)

昨夏、瀬川冬樹賞があるべきではないか、と書いた。
ステレオサウンドに、これだけは期待したい。

創刊50周年を迎えるということは、つぎの50年のために……を考えることでもある。
だからこそ瀬川冬樹賞を本気で考えてほしい。

ステレオサウンドがオーディオ評論を真剣に考えているのであれば、
瀬川冬樹賞がどうあるべきかもわかるはずである。

昨夏までは、そう考えていた。
いまは少し違ってきた。

この項の(その1)にも書いた。
菅野先生の書かれたものをもう一度じっくり読み返してほしい。

《彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。》

瀬川冬樹という《どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様》を解るためにも、
瀬川冬樹賞は必要だと考えるようになった。

瀬川冬樹賞によって、瀬川先生を解っていくことが、オーディオ界をよくしていくことのはずだからだ。

いまのステレオサウンドにそれを期待するのは無理だろう、と思う人の方が多いはず。
私もその一人だが、そう思っているからこそ、瀬川冬樹賞をやるべきだと考えている。

Date: 7月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その3)

ステレオサウンドの論文募集には、ほぼ間違いなく新しい筆者を探す意図があったと見ていい。
菅野先生によるベストオーディオファイル訪問にも、そういう意図はあった。
事実、ベストオーディオファイル訪問に登場した人の何人かは、
筆者としてステレオサウンドの誌面に登場している。

おそらくどのオーディオ雑誌の訪問記事も、新しい筆者探しの意図があるとみていい。
書き手としての寿命より、雑誌の寿命が長いことがある。
ステレオサウンドもそうである。

9月に発売になる号で200号。創刊50周年。
創刊号をもっている人は、めくってみてほしい。
いまステレオサウンドに書いている人で、創刊号に書いていた人はいない。

筆者も編集者も、そして読者も新陳代謝していくのだから。

ならばなぜステレオサウンドは、59号以降、読者の論文募集をやらなくなったのか。
応募がほとんどない、というのが現実的な理由であろうが、
それだけが理由だろうか……、といまは思っている。

これは私が勝手にそう思っているだけで、確たる根拠はなにもない。
それでもそう思えることがある。

論文募集に積極的であったのは瀬川先生だったのでは……、ということだ。
ステレオサウンド 61号から瀬川先生は不在になった。
同時に論文募集も終ってしまった。

Date: 6月 14th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その2)

ステレオサウンド 42号と43号には、
「ステレオサウンド創刊10周年記念オーディオ論文入選発表」という記事がある。

ステレオサウンドが創刊10周年を記念して、オーディオをテーマとした論文を募集したもので、
締切日までに57篇の応募があった、とある。

優秀論文として3篇、佳作として5篇が選ばれていて、
42号と43号に優秀論文が掲載されている。
最優秀論文は該当作品がなかった、ともある。

審査には第一次がステレオサウンド編集部、
第二次が井上卓也、岡俊雄、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、坂清也、山中敬三、
ステレオサウンド編集長の八氏によって行われている。

ステレオサウンド 59号の158ページには、
創刊15周年を記念しての論文を募集している。
ここではテーマが四つ挙げられている。
 ①筆者への手紙
 ②わが愛するコンポーネント
 ③MY SOUND GRAPHITY
 ④五味康祐論

締切りは1981年の9月1日、12月1日、1982年の3月1日、6月1日の四回で、
それぞれの応募作の中から入選作と佳作を選び、一年間を通しての入賞作の中から、
検出したものには特選賞が与えられる、というものだった。
賞金もついていた。
入選作に10万円、佳作に3万円で、特選賞には30万円だった。

読者の論文募集は、59号が最後だった(と記憶している)。
創刊20周年での募集はなかった。それ以降もなかった。
次号でステレオサウンドは創刊50周年を迎えるが、読者の論文募集はない。

このことをどう捉えるか。
このことだけで考えるのか、他のことと関連付けて考えるのかによっても変ってくる。
ステレオサウンドをどう捉えているかによってもそうだし、
それ以上に、創刊20周年時には瀬川先生はもうおられなかったことが強く関係している。
私は、いまそう考えている。

Date: 6月 13th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その1)

昨日の「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)」。
こういうことを書くと、どうしても瀬川先生のことを書きたくなる。
一種の反動のようなものかもしれない。

思いついたことを、だから書いておく。
ステレオサウンド 61号。
この号は「特別」な号になってしまった。

248ページから252ページまでの五ページ。
この五ページを、何度読み返したことか。

61号から瀬川先生は、もうステレオサウンドに登場しなくなった。
もう瀬川先生の文章が読めなくなったことを、
61号でもう一度知らされた。

菅野先生が書かれている。
     *
 彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。彼の中に、自分との共通性を見出すことが出来ない人間なら、彼の死も、その孤独さも、もっと単純な寂しさと悲しさ、そして残念さとして受けきめることが出来るのだろうけれど、僕の気持はもう少し複雑なのである。彼は、ほんとうに、ずば抜けて素晴らしく、また駄目な人間でもあった。彼のような人間は、まず多くの理解者に恵まれることはなかろう。
     *
できれば何度も読み返してほしい。

瀬川先生の生き様は《多くの人達には解るまい》と書かれている。
《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。》とも書かれている。

結局、そうなのだ、と思う。
1981年の冬よりも、いまのほうがより強く、そう思ってしまう。
だから悲しいのだ。

《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはず》ではなかったから、
ああいうことが起っている。
何も、ああいうことは、あの一例だけではない。

そして、ああいう人が、いまでは「先生」なのだ。
世の中(オーディオの世界)が、よくなっていくはずがない……のかもしれない。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(本のこと)

先日、facebookで教えてもらったのが、佐貫亦男氏の「発想のモザイク」である。
すでに絶版だが、検索すればいまでも入手は容易だ。

教えてくださったA氏(元ステレオサウンド編集者)は、瀬川先生に「読んでみろ」と奨められた、とのこと。

この項の(その18)にも書いているが、菅野先生から、以前教えてもらった本がある。
「オーム(瀬川先生のこと)は、佐藤(信夫)さんのレトリックの本を読んでいたし、影響を受けていたはず」と。

こういう本はまだ、きっとあるはず。

Date: 5月 29th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(何度書かれたのか)

瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写されたことは、これまで何度か書いている。
私も一度やってみたことがある。

原稿用紙を買ってきて、一字一字書き写した。
これはしんどいな、と思った。

いまから30年ちかく前のことだ。
ステレオサウンドを辞めて無職。
何かの目的のために書き写したわけではなかったが、とにかくやってみた。

この時は考えなかったことがある。
瀬川先生は何度書き写されたのか。
一度ではないような気がしている。

映画評論家の淀川長治氏は「同じ映画を十回観れば映画監督になれる」といわれている、ときいた。
優れた映画監督になれるかどうかの保証はないはずだが、
十本の映画を一回ずつ観るよりも、優れた映画一本を十回観た方が、
映画監督を志す人ならば得られるものがある(多い)ということなのだろう。

瀬川先生は「モオツァルト」を何度書かれたのだろうか。

Date: 5月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(エリカ・ケートのこと)

エリカ・ケートの名を知ったのは、瀬川先生の書かれたものであった。
     *
エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     *
聴いてみたくなった。
できればオイロディスク原盤のドイツ・リート集を聴きたい、と思った。
この瀬川先生の文章にふれた人の多くは、私と同じだったのでは……、と思う。

けれど廃盤で入手できなかった。
一時期中古盤もずいぶん探したけれど、縁がなかった。

瀬川先生は、またこうも書かれている。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
モーツァルトの歌曲 K.523 Abendempfindung

Abend ist’s, die Sonne ist verschwunden,
Und der Mond strahlt Silberglanz;
So entfliehn des Lebens schönste Stunden,
Fliehn vorüber wie im Tanz.

Bald entflieht des Lebens bunte Szene,
Und der Vorhang rollt herab;
Aus ist unser Spiel, des Freundes Träne
Fließet schon auf unser Grab.

Bald vielleicht -mir weht, wie Westwind leise,
Eine stille Ahnung zu-
Schließ ich dieses Lebens Pilgerreise,
Fliege in das Land der Ruh.

Werdet ihr dann an meinem Grabe weinen,
Trauernd meine Asche sehn,
Dann, o Freunde, will ich euch erscheinen
Und will himmelauf euch wehn.

Schenk auch du ein Tränchen mir
Und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab,
Und mit deinem seelenvollen Bli cke
Sieh dann sanft auf mich herab.

Weih mir eine Träne, und ach! schäme
dich nur nicht, sie mir zu weihn;
Oh, sie wird in meinem Diademe
Dann die schönste Perle sein!

夕暮だ、太陽は沈み、
円が銀の輝きを放っている、
こうして人生の最もすばらしい時が消えてゆく、
輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ。

やがて人生の華やかな情景は消えてゆき、
幕が次第に下りてくる。
僕たちの芝居は終り、友の涙が
もう僕たちの墓の上に流れ落ちる。

おそらくもうすぐに──そよかな西風のように、
ひそかな予感が吹き寄せてくる──
僕はこの人生の巡礼の旅を終え、
安息の国へと飛んでゆくのだ。

そして君たちが僕の墓で涙を流し、
灰になった僕を見て悲しむ時には、
おお友たちよ、僕は君たちの前に現われ、
天国の風を君たちに送ろう。

君も僕にひと粒の涙を贈り物にし、
すみれを摘んで僕の墓の上に置いておくれ、
そして心のこもった目で
やさしく僕を見下しておくれ。

涙を僕に捧げておくれ、そしてああ! それを
恥ずかしがらずにやっておくれ。
おお、その涙は僕を飾るものの中で
一番美しい真珠になるだろう!
(対訳:石井不二雄氏)

エリカ・ケートの歌曲集はCDになった。
1990年ごろだったろうか。もちろんすぐに買った。

瀬川先生の文章を読んだ日から30数年、
CDを聴いてから20数年経つ。

エリカ・ケートのことは、何度か書いている。
今日また書いているのは、タワーレコードがオイロディスク音源のSACDを出すからだ。

6月24日に第一弾の三枚が出る。
エリカ・ケートは含まれていない。

《エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、
滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声》を、SACDで聴いてみたい。

Date: 1月 14th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その8)

アルテックの604-8Gのクロスオーバー周波数は1.5kHzとなっている。
軽量のストレートコーンと強力な磁気回路によるウーファーであっても、
15インチという口径を考えると、ここまで受け持たせるのはかなり苦しい。

604-8Gのトゥイーターのホーンはマルチセルラホーン。
このホーンのサイズは、それほど大きくはない。
むしろクロスオーバー周波数を考慮すると小さいか、ぎりぎりのサイズでしかない。

この点に関しては、
ウーファーの振動板をホーンの延長としてみなしているタンノイのほうが有利といえる。

だからといって604-8Gのホーンを大きくしてしまうと、別の問題が発生してくる。
あのサイズは、ぎりぎりの選択によって決ったものといえよう。

ウーファーの口径もホーンのサイズも、どうにかできることではない。
そういう同軸型ユニットである604-8Gの欠点をうまく補い、
同軸型ユニットならではの長所を活かすにはどうするのか。

その答のひとつとして、UREIのネットワークが挙げられる。
813のネットワークは、ウーファー側に対して、
奥に位置するトゥイーターとの時間差を補正するためにベッセル型のハイカットフィルターを採用している。

このことは813のカタログに載っている応答波形をみても、ベッセル型であることははっきりとわかる。
ベッセル型にすることで、ウーファーに対して群遅延(Group Delay)をかけている。

ベッセル型ネットワークの次数によって、ディレイ時間を設定できる。
けれど、このベッセル型ネットワークをトゥイーター側にも採用してしまっては、
意味がなくなる。
ベッセル型にしてしまうと、次数の分だけのディレイ時間が発生してしまい、
その状態でウーファーとトゥイーターのタイムアライメントをとるには、
より次数の高いハイカットフィルターをウーファー側につけなくてはならない。

このことが、(その6)で書いた813のウーファーの周波数特性と関係してくる。

813のトゥイーター側のネットワークにはコイルが使われていない。
その後の改良モデルではコイルも使われているが、オリジナルのModel 813や811にはコイルはない。
コンデンサーと抵抗とアッテネーターだけで構成されている。

Date: 12月 14th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その7)

HIGH-TECHNIC SERIES-1に、
井上先生が既製のスピーカーシステムにユニットを加えるマルチアンプについて書かれている。
そこにアルテックの604-8Gが出てくる。
     *
 かつて、JBLのシステムにあったL88PAには、中音用のコーン型ユニットとLCネットワークが、M12ステップアップキットとして用意され、これを追加して88+12とすれば、現在も発売されている上級モデルのL100センチュリーにグレイドアップできる。実用的でユーモアのある方法が採用されていたことがある。
 ブックシェルフ型をベースとして、スコーカーを加えるプランには、JBLの例のように、むしろLCネットワークを使いたい。マルチアンプ方式を採用するためには、もう少し基本性能が高い2ウェイシステムが必要である。例えば、同軸2ウェイシステムとして定評が高いアルテック620Aモニターや、専用ユニットを使う2ウェイシステムであるエレクトロボイス セントリーVなどが、マルチアンプ方式で3ウェイ化したい既製スピーカーシステムである。この2機種は、前者には中音用として802−8Dドライバーユニットと511B、811Bの2種類のホーンがあり、後者には1823Mドライバーユニットと8HDホーンがあり、このプランには好適である。
 また、アルテックの場合には、511BホーンならN501−8A、811BならN801−8AというLCネットワークが低音と中音の間に使用可能であり、中音と高音の間も他社のLC型ネットワークを使用できる可能性がある。エレクトロボイスの場合には、X36とX8、2種類のネットワークとAT38アッテネーターで使えそうだ。
     *
これを読んだ時、私は高校生だった。
だから井上先生が、なぜ同軸型ユニットの604-8Gに中音用のユニットを追加されるのか、
その意図をわかりかねていた。

802-8D+511Bを604-8Gに追加するということは、
いうまでもなく同軸型のメリットを殺すことにつながる。
そんなことは井上先生は百も承知のはず、なのに、こういう案を出されている。

604-8Gは15インチ口径のコーン型ウーファーとホーン型トゥイーターの2ウェイ構成である。
クロスオーバー周波数は1.5kHz。

アルテックのストレートコーンのウーファーは、416は1.6kHz、515Bは1kHz、515-8LFは1.5kHzと、
カタログ上ではそうなっている。
以前、ごく初期の515(蝶ダンパー)に、
ポータブルラジオのイヤフォン端子から出力を取り出して接いで鳴らしたことがある。

1kHzといようりも、もう少し上まで、3kHzくらいまではなだらかに減衰しながらもクリアーに聴きとれた。
このことはトーキー用スピーカーとして源流をもつからであり、
映画館でもしドライバーが故障して鳴らなくなっても、
ウーファーだけでセリフがはっきりと聞き取れる必要があるからだ。

とはいえ、振幅特性だけでない、
位相特性、指向特性をふくめた周波数特性でいえば、
15インチ口径のコーン型にそこまで受け持たせるのは無理がある。

同じことは604シリーズのトゥイーターにもいえる。

Date: 12月 12th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その6)

UREIの813はアルテックの604-8Gにサブウーファーを足した、
いわば変則3ウェイといえる構成をとっている。

クロスオーバー周波数はUREIのカタログには載っていないが、
ステレオサウンド 47号の測定結果をみると、おおよそ250Hz以下で使われていることがわかる。
このサブウーファーのハイカットは12db/octであることもわかる。

813にはレベルコントロールのツマミが3つある。
MID RANDGE、HF DRIVE、HF TRIMである。

これらが一般的なレベルコントロールと違う点は、
マキシマムの位置で周波数特性がフラットになっていることである。
つまり絞ることはできても、レベルを上昇させることはできない。
さらに絞りきることもできない。
あくまでも微妙な調整を行うためのレベルコントロールといえる。

回路図をみればわかることだが、
813のMID RANGEは604-8Gの中高域を調整しているわけではない。
HF DRIVE、HF TRIMはトゥイーター側のローカットフィルターで行っているが、
MID RANGEはウーファーのハイカットフィルターで行っている。

これも47号の測定結果をみれば、どういうことをUREIが行っているかは、
回路図を見なくともある程度推測がつく。

47号の測定結果のなかには、近接周波数特性という項目がある。
これはウーファー、バスレフポートなどにマイクロフォンを非常に近づけての周波数特性であり、
ウーファーのネットワーク込みの周波数特性がわかる。

813のウーファーの特性は800Hzあたりから急激に減衰している。
けれど一度減衰した周波数特性は1kHz以上の帯域でレベルが上昇している。
そして2.5kHz以上で、ふたたび急激に減衰するというものだ。

813のMID RANGEは、この1kHzから2.5kHzまでの帯域のレベルをコントロールしている。
813のカタログに載っている周波数特性でもMID RANGEを絞ると、この帯域が減衰するのがわかる。

アルテックの604-8Gのクロスオーバー周波数は1.5kHzと発表されている。
ウーファーのハイカットは12dB/oct、トゥイーターのローカットは18db/octのスロープ特性。

UREIの813のネットワークは、アルテックのオリジナルとは大きく違っているとはいえ、
MID RANGEのレベルコントロールはウーファー側なのか。
これは、UREIの特許ともなっているTIME ALIGN NETWORKと関係してくる。

Date: 6月 29th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その5)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」での瀬川先生の提案が印象につよく残っている理由は、
ひとつではない。

四畳半という狭い空間でも、広い空間で味わえるスケール感のある堂々とした響きを、
なんとか再現したい、という瀬川先生の意図、
押入れを利用した平面バッフル、
それに取りつけられるアルテックの604-8Gと515B。

このふたつだけでも非常に興味深い記事である。

けれど、瀬川先生の提案はそれで終っているわけではない。
組合せも提示されている。

アルテック604-8Gを平面バッフルに取りつけ、
それを鳴らすアンプはコントロールアンプがアキュフェーズのC240、
パワーアンプはルボックスのA740である。

アナログプレーヤーはリンのLP12にSMRのトーンアーム3009 SeriesIIIにオルトフォンのMC30。

このアンプとアナログプレーヤーの選択は、ジャズを604-8G+平面バッフルで聴くためのモノではなく、
明らかにクラシックを聴くための選択である。

記事中では音楽についてはまったく触れられていない。
それでも、瀬川先生の組合せをつぶさにみてきた者には、
書かれてなくともクラシックを、四畳半でスケール感のある堂々とした響きで聴くためのモノであることは、
すぐにわかる。

そうか、クラシックを聴くための組合せなのか……、とおもう。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記では、こう語られている。
     *
このような大きなプレーンバッフルに付けて抑え込まないで鳴らしてみると、明るさがいい意味で生きてきて朗々と鳴り響き、大変に心地よいサウンドとして聴けるわけですね。ただ、クラシックに関しては、ぼくにはどうしてもスペクタクルサウンド風に聴こえてしまって、一種の気持ちよさはあるんだけれども、自己主張が強すぎるという感じもします。
     *
同じことはUREIのModel 813についても書かれている。
にも関わらず、ここでのこの組合せである。

Date: 6月 28th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その4)

「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」という別冊が、
1979年秋、ステレオサウンドから出ている。

夢のような住空間の提案もあれば、現実に即した提案もあった。
編集経験を経て読み返せば、この本をつくる労力がどのくらいであったのかがわかる。

ブームにのっただけの、体裁をととのえただけのムックを何冊も出すよりも、
これだけの内容のムックを、数年に一冊でいいから出してほしい、と思うわけだが、
同時にもう無理なことであることも承知している。

52の提案の中に、瀬川先生による提案がいくつもある。
その中のひとつに、
「空間拡大のアイデア〝マッシュルーム・サウンド〟」がある。

見かけは四畳半という狭い空間でも、屋根裏の、いわばデッドスペースとなっている空間を利用することで、
小空間でも堂々とした響きを得たいとテーマに対しての瀬川先生の提案である。

その本文には、こうある。
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 そもそも、スケール感のある堂々とした響きというのは、どういう音のことなのでしょうか。それは第一に、その音楽が演奏された空間のスケールを感じさせる、豊かな残響感の美しさにあります。そして次に、その音楽を下からしっかりと支える中低域から低域にかけての充実した響きが大切です。この目的を実現するための再生側の条件として、瀬川氏は空間ボリュウムのスケールと大型の再生装置(特にスピーカー)が必要だとされます。
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スケール感のある堂々とした響きを得るための大型の再生装置──。、
この提案で瀬川先生が選ばれたスピーカーはJBLの4343、4350、
他社の大型フロアー型スピーカーシステムではなく、
アルテックの604-8Gを平面バッフルにとりつけたモノだった。

つまり四畳半に平面バッフルを、いわば押し込む。
四畳半だから2.1m×2.1mのサイズでは、物理的に入らない。
ここでの提案では、幅1.3m・高さ1.75mの平面バッフルである。

2.1m×2.1mのサイズの約半分とはいえ、かなり大型の平面バッフルに604-8G、
さらに低域の量感を充実をはかるために515Bウーファーをパラレルにドライヴすることも提案されている。