瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50・その8)
エラックのCL310とヴィソニックのDavid 50とに、いくつかの共通点を挙げることができるからといって、
CL310をDavid 50の系譜に置くのは間違っている、もしくはこじつけ、強引なこと──、
私はそうは思っていない。
CL310は奥行きこそ長いが、ミニスピーカーといえるサイズで、
驚く音を聴かせる。
知人宅でCL310のAudio Editonを聴いて、心底驚いたことをいまもはっきりと思い出せる。
ミニサイズなのに音量が出せる──、低音が出る──、
そういったレベルではなく、そこでのエネルギーの再現性に驚いた。
CL310以前にも小型スピーカーで驚く製品はいくつもあった。
セレッションのSL6(SL600)、アコースティックエナジーのAE2などがあった。
それぞれに驚かされる面をもっていたけれど、
CL310ほどエネルギーの再現性に優れていたとは思えない。
AE2の方がCL310よりも最大出力音圧レベルはとれるかもしれないが、
ホーン型に一脈通ずるようなエネルギーの再現性は、AE2には感じず、CL310にだけ感じたものだった。
そういうCL310だけに、セカンドスピーカー、サブスピーカーという捉え方からは完全に脱している。
David 50はセカンドスピーカー、と書いているではないか。
そう思われるであろう。
でもヴィソニックがDavidシリーズで目指していたのは、良質のセカンドスピーカーではないはず。
David(ダヴィッド)の名は、巨人ゴリアテを見事に倒したダヴィデから名づけられているからだ。
ヴィソニックのエンジニアが目指していたCL310の領域にあった、と私は思っているし、
瀬川先生がCL310を聴かれていたら、どう書かれるかを想像するに、
ヴィソニックの系譜に沿って書かれた可能性があった、と思う。