Archive for category テーマ

Date: 1月 12th, 2023
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その15)

瀬川先生がステレオサウンド 56号のリファレンスの記事の最後に、
こう書かれている。
     *
であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。
     *
56号は1980年秋号である。もう四十年以上前のことではあるけれど、
オーディオ機器ひとつの価格が3,580,000円というととんでもない価格であり、
「おそろしいことになった」と私も感じながらも、
それでもいつの日か、リファレンスを買える日が来るのではないか、とも思っていたのは、
単に高校生で、アルバイトはやっていたものの、
社会人としてお金を稼ぐことがなかったためだろうか。

トーレンスのリファレンスは買えなかったけれど、
EMTの927Dst(すでに製造中止になっていたので中古だったが)は買える日が来た。

このころは3,580,000円がオーディオ機器の最高価格といえた。
いまならいくらぐらいに相当するのか。

2021年夏に、四十年のうちに、
同クラスといえる製品の価格帯は二倍から三倍あたりに移行している──、
大雑把に、そう捉えてもいいであろう、と書いた。

だいたいそのくらいだと感覚的にもそう判断している。
だとすると、リファレンスはいまでは8,000,000円前後となる。

いまでも、この価格はそうとうに高価だ。
けれど、実際には、もっと高価なアナログプレーヤーがあるし、
アンプにしても、スピーカーシステムにしても、
その数倍、もしくは十倍以上の価格のモノがある。

しかも、その非常に高価な製品が、いくつも登場してきているのは、どうしてなのだろうか。
売れるから、なのだろう。

けれど、あのころのトーレンスのリファレンスやスレッショルドのSTASIS 1と、
いまの非常に高価な製品の違いは──、と考えると、
リファレンスもSTASIS 1も、限定生産ではなかったことだ。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その41)

オーディオ評論家も、そうだ、といっていい。
スピーカーの音を好きなオーディオ評論家がいれば、
スピーカーの音を嫌いなオーディオ評論家もいる。

スピーカーの音を嫌いな、とするのが言い過ぎなら、
スピーカーの音を好きじゃない、といいかえてもよいが、
とにかく、そういうオーディオ評論家がいることは確かだ。

スピーカーの音が好きなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が好きなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が好きなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が嫌いなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が嫌いなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が好きなオーディオマニアが読む、
スピーカーの音が嫌いなオーディオ評論家の書くものを、
スピーカーの音が嫌いなオーディオマニアが読む、
こんな組合せが、現実にはある。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄(その2)

「回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄」がさきほど届いた。
届いたばかりだから、ほとんど読んでいない。

読みはじめたとはいえないのだが、とりあえずひらいてみた。
パッとひらいて、オーディオについてなにか書かれているところに当ったら──、
そんなふうにしてみてみたら、ちょうどそうだった。
     *
 先生が亡くなる年の正月のこと……。
 夜、一人の見知らぬ男の人が訪ねて来た。
「スピーカーを買ってくれないか」ということだった。
 全く不思議なのは、そのスピーカーこそ、ウェスタン・エレクトリック594と、ランシングの先代が作ったという戦前のもの──先生が長い長い間、欲しくて手に入らなかったものだった。
「これで欲しいものが全部揃った。もう何も欲しいものがない」
 そういって、先生は微笑(みしょう)した。
 それは三十年間共に暮らして、一度も見たことのない微笑だった。
     *
野口晴哉氏が、どういう人だったのか。
これ以上ないくらいに伝わってくる。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その4)

ステレオサウンド 51号掲載の「オーディオ巡礼」で、
五味先生はH(原田勲)氏のリスニングルームを訪問されている。
     *
 H氏は、じつはまだ音が不満で、何故なら古い録音のレコードなら良いのだが、多チャンネルで収録した最新録音盤では、高域の輝きに欠けるし、測定データをとってみてもクリプッシュホーンは340ヘルツあたりで10デシベルちかく落ちこんでいる。このためチェロが玲瓏たる音をきかせてくれないので、高域にはリボン・トゥイーターを加え、340ヘルツあたりも何とか工夫したいと言う。このオーディオの道ばかりは際限のない、どうかするとドロ沼におち込む世界だ、それは私も知っているが、特性を追いすぎるとシンセサイザーになるのを危惧して、夫人に「いじらせないように」と言ったわけである。もっとも、私を送ってくれる車中で彼はこう言った。「どれほど優秀なシステムでも、今は、オリジナルにどこかユーザーが手を加えねば、マルチ・チャンネル方式で録音される現在のオーディオサウンドを十全には再生できない。どこにどう手を加えるかがリスナーの勝負どころだろうと思うんです。オリジナルをいじるというのは邪道かもしれないし、本当はたいへんむつかしいことでしょう、しかしうまくそれがなし得たとき、はじめて、その装置は自分のものになったといえるんじゃないですか」そうかも知れない、私もそれは感じていることだが、まあそういうものが完成したら又きかせてもらいましょう、と言った。内心では、家庭で音楽を鑑賞するためのオーディオなら、今の音で十分ではないか、とやっぱり思っていた。
     *
《高域にはリボン・トゥイーターを加え》とある。
どこのリボン・トゥイーターなのかは書かれていないが、
私は、ピラミッドのT1だと思っている。

このころのリボン型トゥイーターは、パイオニア、デッカ、ピラミッドぐらいしかなかった。
だとしたら、ピラミッドのはずだ。

H氏の、このころのスピーカーはヴァイタヴォックスのCN191である。
ヴァイタヴォックスのスピーカーは、終のスピーカーを手に入れたいまでも、
いつかは自分の手で鳴らしてみたい、と思い続けている。

現実には置き場所もないし、復刻されたヴァイタヴォックスはそうとうに高価だし、
導入できるだけの経済的余裕はないけれど、
それでもいつかは、一度は──、というおもいは持ち続けている。

もしヴァイタヴォックスを鳴らせる日がおとずれたら、
私もやっぱりトゥイーターを加えたい。

そうなると過去の製品を含めても、エラックの4PI PLUS.2を選ぶ。
私にとって4PI PLUS.2は、そういう存在のトゥイーターだ。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その4・余談)

(その4)で、ゴトウユニットと表記した。
私がオーディオに興味を持ち始めた頃は、後藤ユニットだったような記憶がある。

それがいつのころからか、ゴトーユニットになっていた。
そしてゴトウユニットである。

おぼろげだが、GOTOユニットという表記もあったはずだ。
時代によって違ってきたのか、
いまはゴトウユニットのようである。

友人の倉庫で預ってもらっているSG505TTの木箱には、ゴトウユニットとある。
なのでゴトウユニットと表記している。

Date: 1月 12th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その40)

スピーカーの音が好きな人のスピーカーの鳴らし方、
スピーカーの音が嫌いな人のスピーカーの鳴らし方、
この二つが同じということは、まずありえない。

スピーカーの音が好きな人もスピーカーの音が嫌いな人も、
求めるのはいい音であって、そのための鳴らし方であっても、
同じになることはないはずだ。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その39)

オーディオとは、結局のところ、スピーカーの音の魅力といえる。
スピーカーというメカニズムが発する音の魅力である。

だからこそ、あるスピーカーの音を好きになるし、
そのスピーカーも好きになるのではないのか。

もちろん、そればかりではない。
それでも「スピーカーの存在感がなくなる」というフレーズを、
このことを目標する人もいるし、
そんなスピーカーを求める人もいる。

この人たちは、スピーカーの音が嫌いなのだろう。
オーディオマニアには、スピーカーの音を嫌う人がいる、
惚れ込む人もいる。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: High Resolution

MQAのこと、映画のこと

これまでサウンドトラック盤はあまり熱心に聴いてこなかったけれど、
TIDALを使うようになってからは、わりと聴くようになってきている。
MQAで聴けるサウンドトラック盤も多い、といえる。

MQAでサウンドトラック盤を聴いていて思うことがある。
映画館の音もMQAになってほしい、ということだ。

映画館の音といえばドルビーである。
そのドルビーとどう折り合いをつけていくのか(いけるのか)。
そのことは大変なことなのだろうが、
MQAとドルビーの融合は、技術的に難しいことがあるのだろうか。

映画館の音が、より生々しく臨場感溢れることを期待してしまう。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: ディスク/ブック

回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄(その1)

五味先生の「五味オーディオ巡礼」の一回目(ステレオサウンド 15号)、
野口晴哉氏と岡鹿之介氏が登場されている。
     *
 野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると、玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。
 リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然、ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ、まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。
 装置は、ジョボのプレヤーにマランツ#7に接続し、ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で、ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに、もう一つ、ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを、見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレヤーはこの三月渡欧のおりに、私も一台購めてみたが、すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は、プレヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB、RIAAカーブへの偏差、ともにゼロという驚嘆すべきものである。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を、ついでルビンシュタインのショパンを、ブリッテンのカルュー・リバー(?)を聴いた。
 ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの、低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の、強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽に鳴っている。この十七年、われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と、尨大な出費をついやしてけっきょく、ただ一つの音色しか鳴らされないというこれは、考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は、どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを、一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
     *
野口晴哉氏がオーディオマニアだったこと、
それもほんとうにすごいオーディオマニアだったことを知っている人は、
いまではどのくらいいるのだろうか。

ちくま文庫から「回想の野口晴哉 ─朴歯の下駄」が出ている。

この本のことを、今日初めて会った人から教えてもらった。
野口整体のことだけではなく、オーディオのことも出てくる、と聞いた。
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーを手に入れられた時のことも描写されている、とのこと。

さっそく注文した。
明日、届く。

Date: 1月 11th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その18)

その17)で書いたことは、
別項『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』と、
私のなかでは深く関係していることだ。

Date: 1月 10th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その4)

(その2)に、facebookでコメントがあった。
そこには、アキュフェーズのエンジニアが、以前、
A級動作にはメリットがないが、あえてラインナップしている──、
そんな趣旨の発言を何かで読んだことがある、と書かれていた。

私は、その記事を読んでいないけれど、
アキュフェーズのエンジニアがそういう発言をしていたとしても不思議ではない。

なのに、なぜA級動作のパワーアンプを開発したのか。
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプはA50だと記憶しているが、
このアンプの評価は、きくところによると、
ゴトウユニットで聴いている人のあいだで特に高かった、らしい。

私の周りにゴトウユニットを鳴らしている人は、いない。
けれど、友人の知りあいはゴトウユニットのシステムで、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプについては、絶賛しているとのこと。

ここまで書けば気づかれる人もいるだろう。
アキュフェーズの春日二郎氏もゴトウユニットだった。

私はアキュフェーズのA級動作のパワーアンプで鳴らすゴトウユニットの音を聴いてはいない。
それでも、なんとなくわかるような気はしている。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その3)

私の世代ゆえなのか、
それとも個人的なことにすぎないのか、
どちらなのかは自分でもはっきりとしないが、A級動作のパワーアンプというものに、
ある種の憧れがある。

パイオニアのExclusive M4が当時、A級アンプの代名詞的存在だった。
そして1977年にマークレビンソンのML2が登場する。

ML2の登場は、私にとって(すこし大袈裟にいえば)A級神話につながっていく。
けれど、アンプのことを勉強していくと、
A級動作は、すべての点で理想的なのかという疑問ももつようになった。

特に振動面を考慮すると、A級動作は常時大電流が、
出力段のトランジスターに流れているわけで、当然不利である。

それに発熱量の問題もある。
このあたりのことは以前別項で書いているので省略するが、
だからといってA級動作は不利なのかというと、必ずしもそうではない。

三年前に別項「muscle audio Boot Camp」で書いているように、
パワーアンプの出力インピーダンスは、おそらく音楽信号によって変動しているはずである。

その変動の仕方、変動幅も、A級動作かどうかで違ってくるものと推測できる。
実際のところどうなのかは、そこまでの知識がないので実際に測定したわけではないが、
変動していないと考えるほうが無理がある。

そして、これも推測にすぎないのだが、
A級動作のほうが、出力インピーダンスの変動の幅も小さいはずだ。

だからといって、音がいい、ということに直接結びついていくのかどうかは、
いまのところなんともいえないのだが、
動的な出力インピーダンスは安定しているはずである。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その2)

近々やって来るアキュフェーズの製品で、
個人的に興味津々なのは、パワーアンプのA20Vである。

私がステレオサウンドにいたころのアキュフェーズは、
A級動作のパワーアンプを製品化していなかった。

それ以前は、P400がAB級とA級の切替え動作ができていたが、それっきりだった。
A級動作にメリットを感じない設計思想だったのだろうか。

それがA級動作のパワーアンプを製品化してきた。
P400のように動作切替えではなく、A級動作のみのパワーアンプである。

しかも筐体設計も変更になった。
それまでのアキュフェーズのパワーアンプは、ヒートシンクが筐体内部におさめられていた。
それが発熱量の多さのためなのだろうが、
筐体両側にヒートシンクが露出するかっこうになった。

私は、A級動作による、それまでのアキュフェーズのパワーアンプの音からの変化よりも、
ヒートシンクが露出することによる音の変化のほうに興味があったくらいだ。

すこし残念なことにA20Vは出力も小さめだから、発熱量もそれほどではないということなのか、
ヒートシンクは露出していない。

A20Vのくらいの規模で、ヒートシンクが露出する筐体設計ならば──、
そんなこともついおもってしまうのだが、
とにかくアキュフェーズのA級動作の音を、今回ようやくじっくり聴く機会を得る。

これまでわずかな時間での、いわゆるちょい聴きぐらいでは、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプは聴いているけれど、
そのぐらいでとやかくいえるわけではないことは承知しているから、
今回のA20Vは、いまとなって古い製品とはいえ、かなり楽しみである。

Date: 1月 9th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その17)

オーディオ雑誌の読者相談コーナーが、
インターネット(ソーシャルメディア)に移っただけ、と書いたのは、
相談内容だけが当時とあまり変らないと感じたからであるし、
その回答についておもうことがあるからだ。

昔のオーディオ雑誌にあった読者相談コーナーは、
ステレオサウンドの編集という仕事柄、目は通していた。

すべてに目を通していたとはいえないけれど、
編集部に届く雑誌の、そのコーナーは眺めていた。

けれど、感心するような質問があったという記憶はない。
質問内容がそうなのだから、回答も推して知るべしだった。

ソーシャルメディアでの相談も、そうだ。
なぜ、こんな質問をするのか──、とつい思ってしまう。
まわりに、誰もオーディオのことを話せる相手がいないのか。

そういえば、以前、菅野先生からきいたことを思い出す。
地方の若い世代の人は、友人知人にオーディオに関心がある、といえないとのことだった。
カミングアウトにも近いものを感じて、のことなのだそうだ。

いまはそうなのかもしれない。
そうだとしたら、ソーシャルメディアで、そんな質問をする人も、
友人知人にオーディオに関心があるといえないのかもしれない。

関心があると周りにいえる人でも、周りにオーディオに関心がある人先輩はいない可能性は、
いまの時代、ないとはいえない。

だからソーシャルメディアを利用するのか。
ただ感じるのは、回答のレベルの低さというか、
なんとなげやりな回答なのか、と思うこともある。

そんな回答をするぐらいならば黙っておけ、といいたくなる。
そんななげやりな回答をした本人は、明快な答を返したとでも自惚れているのか。

こんなレベルだったら、まだ昔のオーディオ雑誌の相談コーナーのほうがましだ。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その86)

オーディオの想像力の欠如した耳は、正確な音、精確な音は聴きとれても、
もうひとつの(せいかく)な音、誠確な音は聴きとれない。