Date: 11月 7th, 2025
Cate: ショウ雑感
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2025年ショウ雑感(その17)

インターナショナルオーディオショウで聴けたdCSのVarèse
の音は、いろんなことを考えさせるし、
これまで読んできた文章もいくつかが頭に浮かんでくる。

瀬川先生はステレオサウンド 45号のスピーカー特集で、タンノイのArdenについて書かれている。
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たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればKEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる。いわゆる誇張のない自然さでなく、作られた自然さ、とでもいうべきなのだろうが、その完成度の高さゆえに音に説得力が生じる。
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Varèseの音は、おそらく誰が聴いても誇張のない自然と感じるだろう。作られた自然さと感じる人は、いるだろうか。

この瀬川先生のArdenの試聴記を読んで、作られた自然さなんて、そもそもおかしいだろう、と思う人はいると断言してもいい。

でも、私は高校生だった時、すんなり受け入れて読んでいた。
そして、Varèseの音を聴いた後思うのは、美しいのはどちらか、なのか。

そんなの誇張のない自然さに決まっている──。本当にそうだろうか。
Varèseは、完璧に、はっきりと近づきつつある。でも、その音は美しいのか。
完璧に近づいているという意味で、綺麗な音とは思う。それでも、美しい音なのか、という疑問は残る。

インターナショナルオーディオショウという環境で、たった一曲だけしか聴いていないので、ここまでしか書けないが、同時に五味先生の文章も思い出していた。
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今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
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美しい音と綺麗な音。
五味先生は、《タンノイのほんとうの音を聴き出すまで》と書かれている。

このことは別項で書いていく。

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