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Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その10)

ヤマハのNS1000Mは、私がオーディオに興味を持ち始めた時にはすでに定評のあるスピーカーシステムであった。
スウェーデンの国営放送局に正式モニターとして納入された、ということは広告で知っていた。

NS1000Mの登場は1974年だから、
おそらくこのときはスコーカー、トゥイーターにベリリウムを振動板として採用した、
高性能なブックシェルフ型というイメージがあったと思う。

けれど私がNS1000Mを実際に聴いた時には、
ロングセラーの、いいスピーカーシステムであっても、
高性能というイメージを、私は受けることはなかった。

その点、ダイヤトーンのDS1000の登場は、
はっきりと高性能スピーカーが登場した、という印象がとにかく強かった。
しかもフロアー型ではなく、ブックシェルフ型で、価格も109000円(1本)だった。

ダイヤトーンのスピーカーシステムは、DS505から、それまでのスピーカーシステムとは変った。
DS505の次にDS503が出て、フロアー型のDS5000が登場した。
DS5000が登場した時には、ステレオサウンドにいた。
このDS50000がステレオサウンドに搬入されたときのことは割と憶えている。
それだけ、搬入前から話題になっていた。

DS5000を、井上先生が鳴らしたときの音は格別なものを感じた。
とはいえ、DS5000には感じなかった「高性能」ということを、
その後に登場したDS1000には強く感じとっていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その9)

10代、20代のときは、私もスピーカーの擬人化をよくやっていた。
とくに20(ハタチ)前後の時は、そうだった。

そういうときはおもしろいもので、
擬人化がうまくできないスピーカーシステムには対してはあまり、というか、ほとんど関心がなかった。
それに擬人化も、女性に譬えられるスピーカーシステムに関心があったし、
惚れ込むスピーカーシステムも、そうだった。

それがいつしか薄れていった。
擬人化という捉え方をしなくなっていった。
当時は、擬人化をしなくなっていた自分に気づいていなかった。

この時期は、ふり返ってみると、
スピーカーシステムにできるだけ忠実な変換器としての性能を、
それまでよりも強く求めるようになっていたことに気づく。

それはちょうどダイヤトーンのDS1000が出たころ、
井上先生の使いこなしによる音の変化・整えられ方に強く影響を受けていたころと重なっていく。

ダイヤトーンのDS1000は型番からもわかるように、
ヤマハのロングセラー・モデルであるNS1000Mをターゲットにしている。
どちらも3ウェイのブックシェルフ型、しかし開発年代は違う。

DS1000はダイヤトーンがダイヤトーンなりにスピーカーの動作を解析していった結果の、
あの時期の集大成ともいえる面ももっていた。

それだけにDS1000は、鳴らし方の難しいスピーカーシステムでもあった。

Date: 7月 13th, 2013
Cate: 神通力

オーディオにおける神通力(その1)

「終のスピーカー」のところで、神通力ということばを使った。
そんなものオーディオにはない、関係ない、という人もいよう。
神通力、説明できるのか、という人もいよう。

私もまだ神通力の正体がすべてわかっているわけではない。
それでも、あると確信できる体験をいくつもしてきている。

そのことから、いまはっきりといえることは、
神通力のひとつとしてあげられるのは、フォーカスする力、フォーカスしていくことである。
そのために絶対に必要なことは、審美眼であるはずだ。

私は、いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書くものをほとんど信用していない。
ステレオサウンドはもう買ってはいないし、これから先も買うことはないけれど、
手もとには揃っているし、読んではいる。

どうして、この人なのか? と思うことはある。よくある。
この記事(この機種)について、またこの人なのか? となることが多い。
別のひとだったら、もう少し音が伝わってくるかもしれないのに……、と思ってしまう。

なぜかといえば、その人が何にフォーカスしていこうとしているのかが、書いているものから感じとりにくい、
もしくはまったくといっていいほど感じられないからである。

フォーカスしていくのと正反対のところで、
オーディオをしているようにも見受けられる人が少なくないように感じるようになってきた。
以前も、もしかするとそうだったのかもしれない。
昔はインターネットがなかった。
いまはインターネットがこれだけ普及しているから、目につくようになっただけ、かもしれない。

でも、それだけではなさそうである。

Date: 7月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その2)

オーディオにも神通力といえるものはある。

瀬川先生にとって「終のスピーカー」となったJBL・4345を譲られた方、
その人の話をある人を通じてきいたことがある。
瀬川先生が亡くなられて半年間は、ほんとうにいい音で鳴っていたそうである。
ところがパタッと精彩を欠いた音に変ってしまったそうで、
そうなるともうどうやっても、それまでの音は戻ってこなかった、と。
(この人はオーディオマニアではない人だからこそ、その話は信じられる)

同じような話は別の人からもきいたことがある。
譲ってもらったスピーカーは、半年ぐらいはいい音で鳴っていたけれど、
それ以降は前の所有者の神通力といえるものが消えてしまうのか、
それまで鳴っていた、いい音はもう聴けなくなってしまう。

だからこそ、半年過ぎた時から、自分の音にしていく過程が始まる、ともいえる。

オーディオとは、特にスピーカーとはそういうものだと私は思っている。
これから先もずっとそう思っていくことだろう。

岩崎先生が亡くなられてすでに36年が経っている。
半年どころの話ではない。
半年の72倍もの年月がたっているわけで、
岩崎先生にとってJBL・D130がどれほど特別なユニットであっても、
神通力は、もうまったく残っていない──、実は私はそう思っていた。

でも、それは私の間違いだったのかもしれない。
そのくらいSaxophone Colossusの鳴り方は違っていた。

Date: 7月 12th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その21)

映画館を、私がホームシアターにおける現場(げんばではなく、げんじょう)と考えるのは、
なにも映画館が劇場(げきじょう)と呼ぶからではない。

なぜ映画館は劇場と書いて、げきば、とは読まず、げきじょう、と呼ぶのか。

「現場」をどう読む(呼ぶ)か。
そういえばある映画のコマーシャルで「事件は現場で起っている」というのがあった。
このセリフでは、げんばだった。

だが事件が起っている、つまり現在進行形の場合、げんば、ではなく、げんじょう、と呼ぶときいている。
現場(げんば)は過去形となったときである。

火事でも、火災が発生しているのであれば現場(げんじょう)であり、
火事がおさまった後は現場(げんば)である。

となると録音が行われている場は、録音現場(ろくおんげんじょう)であり、
録音が済んでしまえば、そこは録音現場(ろくおんげんば)となる。

Date: 7月 12th, 2013
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その1)

「Harkness」が来て明日(7月13日)で二週間。
この二週間で、Saxophone Colossusを三回鳴らした。

一回目のときに、他のディスク(録音)とは明らかに鳴り方が違う! と感じた。
二回目のときも、やはりそう感じた。
三回目の昨晩は、さらに強く感じていた。

これから何度となく鳴らしていくことになるであろうSaxophone Colossus。

いまは私のもとにある、このD130は、どれだけSaxophone Colossusを鳴らしてきたのだろうか。

岩崎先生のところにC40が届いたのは1967年の4月ごろである。
10年間、岩崎先生は鳴らされていたことになる。

その10年間、つねにメインスピーカーであったわけではない。
その後、あれだけの数のスピーカーを手に入れ、鳴らされていた。
それでもD130ソロで聴いていると、Saxophone Colossusの鳴り方は、どこか特別なものを感じる。

それは先入観とか思い入れとか、そういったことではなく、
このD130に、あえていえば、染みついている、とでもいいたくなるほどだ。

Date: 7月 11th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その3)

もしステレオサウンドから離れることなく仕事を続けていたら、
ボディソニックの存在を思い出すこともなかったかもしれない。

25でステレオサウンドを辞め、27のときに左膝を骨折した。
八ヵ月後の28のときに、左膝に入っていたプレートを取り除く手術のため、もう一度入院した。

いまだったらiPhoneをもって入院するだろうが、
当時(1990年ごろ)はそんなものはなかった。
入院のあいだの時間つぶしは、本を読むか、テレビを見るかだった。

本は家でも読める。
いまもだが、テレビはもうずっと所有していない。
だからテレビばかり見て、時間をつぶしていた。

9時消灯とはいえ、10時くらいまではイヤフォンをつけてテレビをみていることは黙認されていた。
骨折した時の入院は一ヵ月半くらいだったが、プレートを取り除くだけの入院だから、短い。
続きが気になるドラマはあまり見なかった。

そのときはNHKのニュースを見ていた。
水俣病の女性が登場していた。

消灯時間を過ぎていたから、部屋の電気は消されている。
ベッドに横になって、イヤフォンをつけて見ていた。

こんなにも涙はながれるものか、とおもっていた。
そして、このNHKのニュースを見るために、骨折したのかもしれない──、
そんなふうにも思っていた。

Date: 7月 10th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その2)

ボディソニックは、私がオーディオに関心をもち始めた時と同じころに登場したように記憶している。
パイオニアから、当時は出ていた。

いま思うと不思議なのだが、なぜかボディソニックはアメリカ生れの製品で、
パイオニアが取り扱っているだけ──、そんなふうに思い込んでいた。

おもしろそうな製品とは思いながらも、
まずそんなふうに誤解から始まっていたわけで、
あくまでもヘッドフォンで音楽を聴くときの補助的な製品と決めつけていた。

1970年代はオーディオ雑誌にボディソニックの広告が載っていた。
1980年代にはいると見かけなくなったように記憶している。
さほど関心があったわけではないので、載っていたとしても私の記憶に残っていないだけ、ということもありうる。

実はボディソニックを体感したことはない。
何かの試聴が終った後に、低音再生の話になった時に、
井上先生が「ボディソニックはおもしろいぞ」と言われたことは憶えている。

井上先生は学生のとき、ウーファーを取り付けた箱を椅子にして音楽を聴いていて、
それもなかなかおもしろかった、と話してくれた。

音の振動が直に体に伝わってくる。
これがうまくいったときの快感は「おもしろく」、
井上先生の話をきいていると、楽しそうだったものの、自分でそれを試そうとまでは思わなかった。

1980年代に、一度はボディソニックのことが話題にのぼったものの、
結局そのときかぎりになってしまった。

Date: 7月 10th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その7)

ライントランスがある。
ライントランスにはレベルには応じてラインナップが用意されている。

ラインレベルといっても、どこに使われるかによって信号レベルに違いがある。
そのため高めのラインレベルでつかわれるトランスもあれば、
低めのラインレベル用のトランスもある。

高めのラインレベル用につくられているトランスは、総じてナロウレンジである。
周波数特性をみても20〜20000Hzとなっているものは少ない。
けれど、この手のトランスもラインレベルの低いところで使えば、
決してナロウレンジではなく、可聴周波数帯域の20〜20000Hzをカバーしていたりする。

つまり測定時に入力する信号レベルによって周波数特性に差がでるわけである。
真空管式のパワーアンプも出力トランスをしょっているものは、
1Wの出力時の周波数特性と最大出力時の周波数特性は違ってくるアンプが大半である。
最大出力時には大なり小なりナロウレンジとなる。

とはいってもトランスとスピーカーユニットは違う。

でもトランスはtransformerであり、スピーカー(トランスデューサー)はtransducerであり、
transということでは共通している、とこじつけることもできる。

Date: 7月 9th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その6)

スピーカーの測定の条件として、アンプの出力は1Wが基準となっている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4の実測の周波数特性も1W入力時のものである。
このときD130の音圧レベルは100dBをこえる。

100dBの音圧といえば、かなりの音量である。
いまのところD130を、このレベルでは鳴らしていない。

ふだん聴く音量は、100dBよりもずっと低い音圧である。
そういう音圧時のD130の特性はいったいどうなるのか。

D130をソロで鳴らして、そのことに強い興味をもっている。

いまどきのワイドレンジのスピーカーシステムは総じて能率が低い。
いまや90dBあると能率が高い方に分類されるくらいで、
当然だが入力1Wでは80dBとか85dBとか、D130の100dB越えの音圧からすると、
20dB前後の差のある、低い音圧である。

同じ条件(入力:1W)で測定しているとはいえ、
これは別の見方をすると同じ条件とはいえない面ももつ。
条件を同じするということは、入力を1Wにするだけでなく、
たとえば同じ音圧での周波数特性を測定してみることでもあるはずだ。

つまり現代の、決して能率の高くないスピーカーシステムを、
D130の1W入力時で得られる音圧と同じレベルまであげてみての測定、
それからD130への入力をぐっと小さくして、
現代の低能率スピーカーシステムの1W時の音圧レベルと同じになるまで入力を絞っての測定。
すくなとも、これらの測定を行ってほしい、と思う。

そうしたときにD130の周波数特性は、
現代のスピーカーシステムの周波数特性は、
それぞれどういう変化をみせるのか、
それともまったく変化しないのだろうか……。

すくなくともD130の小音量時の周波数特性は、
1W入力(100dBの音圧)時の特性とは違うカーヴを描いているような気がしてならない。

つまりアルミ製ドームの共振は、1W入力時のように明確に発生しているとは考えにくいのだ。
すくなくとも、いま私の目の前にあるD130を聴いているかぎりでは。

Date: 7月 9th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その5)

「Harkness」についているD130は、フィクスドエッジのD130である。

D130の長い歴史をもつユニットだけに型番は同じでも、
仕様に変更がいくつかある。
エッジの変更は目に見える変更である。

私がD130を強く意識し出してそんなに長くないから、
D130がどういう変遷をたどってきたのか、それほど詳しいわけではない。

D130に詳しく、いくつものD130をもつ人を知っている友人によれば、
アルミ製のドームの厚みが、初期と後期では違ってきている、とのこと。
初期の方が薄いらしい。

仮にそうだったとしても、それほど高域のレンジの延びが大きく変るとは考えにくい。
エッジの違いも音には影響するものの、
今回の音に大きく影響しているとは考えられない。

ちなみにHIGH-TECHNIC SERIES 4で取り上げられているD130は、もうフィクスドエッジではなくなっている。

他に理由があるはずだ。
だとするといったいなんなのか。
音量ではないのか。

Date: 7月 9th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その4)

D130をソロで鳴らすことは、ネットワークを介在させないことであり、
パワーアンプとのあいだにはスピーカーケーブルとコネクターだけということになる。

ウーファーのハイカットフィルターにはコイルが直列で挿入される。
6dB/oct.の減衰カーヴでも、最低でもこのコイルがひとつ介在する。
12dB/oct.では並列のコンデンサーがあり、
N1200の場合、直列のコイルと並列のコンデンサーがD130に接がっているわけで、
これらはなくなる。

それでもD130の実測の周波数特性、
それにHIGH-TECHNIC SERIES 4における、菅野先生、岡先生、瀬川先生による鼎談の試聴記も読んでいる。
もう先入観たっぷりで、D130のソロの音を聴いた。

拍子抜けとは、こういうことをいうのかもしれない。
たしかに175DLHがなくなっているから、高域のレンジはさらに狭くなっている。
けれどどう聴いても、アルミ製ドームの共振を利用してもせいぜい5kHzどまりの鳴り方とは思えない。

ネットワークがなくなったことによる音のメリットも大きいことはわかる。
それで表面的な鮮度の良さではなく、ほんものの鮮度の良さが感じられるがゆえに、
高域も延びているように感じた──、そういうのともあきらかに違う。

実測したわけではないから、あくまでも聴感上でいえば10kHzは無理でも、
7kとか8kHzまでは出ているような気がする。

どう聴いても、HIGH-TECHNIC SERIES 4の実測の周波数特性からイメージできる音ではない。

Date: 7月 8th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その3)

D130を「ソロで鳴らす」──、
こんな言い方をせずに、わかりやすくD130だけで鳴らす、とか、D130をフルレンジとして鳴らす、
D130一発で鳴らす、とか、そんな書き方をせずにあえて「ソロで鳴らす」としたのは、
岩崎先生が、この表現を使われているのを読んで、そのときの印象が強かったから、
とにかく「ソロで鳴らす」と書きたかったし、書くだけでなく、実際にD130をソロで鳴らしてみたかった。

D130はフルレンジユニットということに一応はなっている。
口径は15インチ(38cm)、センターキャップをアルミ製のドームにしているとはいえ、
一般的な認知としてはトゥイーターを必要とするフルレンジということになろう。

私もそんなふうに思ってきていた。

これも岩崎先生が書かれていることなのだが、
岩崎先生のリスニングルームに試聴用にオーディオ機器を持ち込むメーカーの人たちに、
だまってD130のソロを聴かせる。
トーンコントロールで高域をブーストしているとはいえ、
トゥイーターはない、D130は高域もそれほど延びているわけでもない。
にも関わらず誰ひとりとして、D130がソロで鳴っていることに気づいた者はいない、とのことだった。

D130の実測の周波数特性はステレオサウンド別冊 HIGH-TECHNIC SERIES 4に載っている。
低域は80Hzから下はダラ下り。高域は30度の周波数特性をフラットにするためだろう、
正面(0度)の周波数特性は1kHz以上はアルミ製ドームの存在によるのだろうが、レベルが数dB以上上っている。

3kHzをこえてしはらくしたらディップがあり、
5kHzの少し下のところにピークができ、それ以上は急激にレスポンスが低下する。
5kHzのピークはアルミ製ドームの共振を利用しており、だからそれ以上の帯域は再生限界といえる。

D130の高域が、低域のようにダラ下りであればトーンコントロールでブーストすることである程度は補えようが、
D130の周波数特性を見る限り、トーンコントロールで簡単に補整できるとは思えない。

だから、ずっとD130がソロで鳴っていることに誰も気がつかないは、
にわかには信じられなかった。

このことを検証するためにも、ソロで鳴らしてみた。

Date: 7月 8th, 2013
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その2)

「Harkness」で、いまは聴いている。
岩崎先生の「Harkness」にはD130と175DLHがはいっていて、
ネットワークはN1200(クロスオーバー周波数は型番が示すように1200Hz)。

このシステムの周波数特性がどのくらいなのか実測データは見たことはない。
けれどエンクロージュアのC40はバックロードホーン型。
音道は6フィート(約1.8m)だから、計算上では190Hzあたりにディップが生じる。
そのオクターヴ下のところが少し持ち上がり、それより下の帯域となると、
ホーンの開口部の大きさも含めて考えると、
これだけのサイズのスピーカーと38cm口径のウーファー(フルレンジ)の組合せにしては、
お世辞にも下まで延びている、とはいえない。

高域についても175DLHだから13kHzあたりまでだろうか。

いまの基準からみればはっきりとナロウレンジなスピーカーシステムである。
私自身はワイドレンジ志向である。
なのに聴いていて「狭い!」と思うことは、そんなに多くはない。

録音された年代にも関係してくるのだが、過不足ない帯域幅とも感じるし、
高域も低域も、やはり延びが足りない、と感じることがないわけではない。

とはいえボリュウムをぐっと絞って聴いていると、
ナロウレンジ感は薄まっていくようにも感じられる。

とはいえナロウレンジなスピーカーであるのだから、いっそのことと思い、
D130をソロで鳴らしてみた。

Date: 7月 7th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その1)

ほんとうに「いい音」というのは、身体にとってもいいはずだ、というおもいはずっと持ってきていた。

菅野先生が、ジャーマン・フィジックスを導入されてしばらくして音を聴かせていただいた時のことを思い出す。
その日は、例年ならば半袖を着ることはないのだが、なぜか暑い日だった。
だから半袖だった。

音が鳴り出した。
その瞬間に、ただ単に音がいい、というレベルを超えていることが体感できた。
文字通りの体感だった。
オーケストラによる響きに露出している腕の皮膚を撫でられている、
まさにそんな感じを受けていた。

大音量を体で受けとめる、というのとはまったく違う、
それまで体験(体感)したことのない感覚であった。

音は耳だけで「きく」ものではないことを実感できた、いわば最初の日だった。

その日の帰り道、肌触りのいい生地の服を着て音楽を聴くことは、
よりよい音を聴く上でも重要なことなのかもしれない、
そんなことも考えていたし、究極的には裸で聴くのがいいのかもしれない、とまで考えていた。

ジャーマン・フィジックスは、その後も、いくつかのところで聴く機会があった。
けれど、あの日の菅野先生のところで体感できたことを、もう一度、ということはかなわなかった。

いまは、まだ「その音」を自分でも出せないでいる。
でも、いつかは出せる、と思っている。

出せた、としても、その恩恵を受けられるのは、私ひとり、ということになってしまう。
それがオーディオというもだ、といってしまうえば、そうである。

けれど、あの日の体感を、少しでも多くの人が自分のものとすることができるようになれば……、
そのことも、あの日以来、考えてはいた。

耳だけでなく皮膚(肌)で音・音楽を感じる、ということになれば、
古くからのオーディオマニアならば、まずボディソニックの存在を思い出す。