Date: 7月 13th, 2013
Cate: 終のスピーカー
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終のスピーカー(Saxophone Colossus・その2)

オーディオにも神通力といえるものはある。

瀬川先生にとって「終のスピーカー」となったJBL・4345を譲られた方、
その人の話をある人を通じてきいたことがある。
瀬川先生が亡くなられて半年間は、ほんとうにいい音で鳴っていたそうである。
ところがパタッと精彩を欠いた音に変ってしまったそうで、
そうなるともうどうやっても、それまでの音は戻ってこなかった、と。
(この人はオーディオマニアではない人だからこそ、その話は信じられる)

同じような話は別の人からもきいたことがある。
譲ってもらったスピーカーは、半年ぐらいはいい音で鳴っていたけれど、
それ以降は前の所有者の神通力といえるものが消えてしまうのか、
それまで鳴っていた、いい音はもう聴けなくなってしまう。

だからこそ、半年過ぎた時から、自分の音にしていく過程が始まる、ともいえる。

オーディオとは、特にスピーカーとはそういうものだと私は思っている。
これから先もずっとそう思っていくことだろう。

岩崎先生が亡くなられてすでに36年が経っている。
半年どころの話ではない。
半年の72倍もの年月がたっているわけで、
岩崎先生にとってJBL・D130がどれほど特別なユニットであっても、
神通力は、もうまったく残っていない──、実は私はそう思っていた。

でも、それは私の間違いだったのかもしれない。
そのくらいSaxophone Colossusの鳴り方は違っていた。

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