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Date: 8月 20th, 2013
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・続×七 番外)

今回考えた組合せの、音の中心となるのはウエスギのU·BROS2011Pではないかと想像している。
実際のところ、組合せをつくり音をまとめていく過程で、スピーカーシステムのGX250MGが中心になるのか、
それとも私の想像しているようにU·BROS2011Pになるのかが、はっきりする。

それでもU·BROS2011Pを音の中心に据えて音をまとめていくというのも、ひとつの手法としてある。

では今回の組合せのデザインの中心となるのは、どれなのか。
全体のデザインの統一感はなくとも、どれかひとつ秀でたデザインのモノがあれば、
組合せ全体のイメージがずいぶん変ってくるのだが、
ここでは中心となるモノはない──、そんな気がする。

たとえばデザイン面の統一感を重視してコントロールアンプもCDプレーヤーもアキュフェーズに変更したとする。
システムの半分以上がアキュフェーズになれば、見た目の統一感は増す。
増すけれど、それでアキュフェーズのコントロールアンプなりCDプレーヤーが、
パワーアンプでもいいのだが、これらのひとつがデザインの中心になってくれるとは考えにくい。

アキュフェーズのデザインに関して、高く評価する人は割と多い。
私は、正直、いまのアキュフェーズの一連のデザインに関しては、どこか薄さを感じてしまう。
そのことが、それまで私のなかで積み重なってきたアキュフェーズの印象と少しずつ離れていくところがあり、
このままアキュフェーズのデザインは、この方向で展開していくのだとすれば、
いろいろとおもうところがある。

デザインに関しては、フォステクスのGX250MGもそうだ。
あえて、こういう外観にしているのだろうが、あまりにも魅力に欠ける。

今回の組合せはデザインの中心となるモノがないから、よけいにそれぞれの機器のデザインが気になってくる。

Date: 8月 20th, 2013
Cate: 音の毒

「はだしのゲン」(その2)

私が長崎原爆資料館に行ったのは、もう40年ほど前のこと。
そのときの建物は新しくはなかった。
どちらかといえば暗い感じのする建物だった記憶がある。
少なくとも近代的な明るい印象の建物ではなかった。

そんな資料館の中に展示されているものをひとつずつ見てまわった。
できれば見たくない、と思っていたような気もする。
でも、すべてをきちんと見なければ、と小学生ながらに思ってもいた。

いくつかはひどく記憶に残って、
しばらくはそのイメージが頭から消し去ることができなかった。

修学旅行は小学五年のときだった。
ぺちゃくちゃしゃべりながら行動をしがちの年ごろだったけれど、皆無口だった。
妙に静かだった。

心の中では、どういう言葉を発していたのかはわからない。
でも皆黙っていた。
湿気がまとわりつくような感じも記憶に残っている。

長崎原爆資料館の外に出たら、
自転車で小さな屋台をひいて、アイスを売っている人がいた。
長崎名物の氷のつぶがはいったアイスだ。

このアイスを食べて、ほっとした、というか、やっとほっとできた。

Date: 8月 20th, 2013
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」(虎の威を借る狐)

「虎の威を借る狐ですね」と誰かにいわれたら、たいていの人はむっとする。
「虎の威を借る狐」は他人の権勢をかさに着て威張る小人(しょうじん)のたとえと辞書にはある。

侮辱されているのだから、むっとしたり怒ったりしたり当然なのだが、
この数年、感じているのは、「虎を威を借る狐」はまだましなほうなのだと思うことである。

すくなくとも、この狐は、虎が強いことを知っている。
自分で虎が強いということを判断した上で、「虎の威を借る」わけだ。
この狐は、ある意味賢いし、狡い。
それでも、的確な判断を下している。

私が「虎の威を借る狐」がまだましと感じているか、というと、
「虎の威を借る狐」、この狐の威を借るなにものかがあらわれて増えてきたように感じるからだ。

「虎の威を借る狐」、この狐の威を借るなにものかは、
もうすでに誰が、何が強いのかを判断できなくなっている、そのことがわからなくなっている。
だから、そんな狐の威を借ることになる。

私には、「虎の威を借る狐」にみえるものが、別の人には虎に見えているのかもしれない。
人それぞれといってしまえばそれまでのことなのだが、
オーディオ機器について書かれているものをインターネットで読むときに、
あるときはある販売店のある店員に、
(むしろオーディオ以外のことで感じることが多いのだが)
「虎の威を借る狐」、その狐を威を借るなにものか的な要素を感じてしまうと、
「虎の威を借る狐」はまだストレートだったんだなぁ……、と思い、
これも複雑な幼稚性なのかとも思ってしまう。

Date: 8月 20th, 2013
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・続×六 番外)

ラックスのアナログプレーヤーといえば、PD121がある。
PD121を知る者、憧れた者には、 現行のPD171のデザインにはついあれこれいいたくなってしまう。
でも、国産のアナログプレーヤーとして、決して高価すぎない、
しかも大きすぎない、大袈裟すぎない製品を、他に見つけることは難しいのだから、黙っておこう。

それでも書いておきたいのは、何も知らずはPD171を見せられたら、
ラックスのアナログプレーヤーとは思えない、ということだ。

価格的なバランスをくずして、もう少し安いところまでみれば、
デノンのDP1300MKIIがある。
そのくらいだろうか。

私の中では、テクニクス、デンオン、ビクターはダイレクトドライヴ御三家だった。
この中でいまもアナログプレーヤーを製造しているのはデノン(デンオン)だけなのは、
時代の流れなのだから、そういうものだと受けとめるしかないのだが、
それにしても、ラックスのPD171、デノンのDP1300MKIIにしても、
せっかく、こういう時代にアナログプレーヤーをつくっているのだから、
いつの時代のアナログプレーヤーなのか、と見る者が判断を迷うようなデザインではなく、
これまでのキャリアがあるのだから、それに見合うだけの洗練したモノが欲しいところである。

アナログプレーヤーと比較すると、CDプレーヤーの選択肢は多い。
国産のCDプレーヤーという制約をつけても、マランツ、デノン、アキュフェーズ、ラックス、エソテリックがある。

これらのモデルであれば、どれを選んでも間違いはない。

こうやって組合せができたわけだが、
組合せをあれこれ考えているときから感じていたことがある。
音のことではなく、組合せ全体のデザインのことである。

Date: 8月 20th, 2013
Cate: 音の毒
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「はだしのゲン」(その1)

私が生れ育った田舎町にも昔は映画館があった。
中学生になったころにはもうなくなっていた。

古い、ボロい映画館だった。
いわゆる名画座で、二本立て、三本立てで上映されていた。
話題の映画はバスに一時間ちょっと揺られたところにある映画館に行く。

地元の、そんな映画館で観ていたのは、学校推薦の映画であったりした。
何本か観ているのだが、ほとんど記憶には残っていない。
でも、一本だけ強烈に記憶に残っている映画がある。

タイトルはもう憶えていない。
ストーリーもうろ覚えだ。
なのにいまも憶えているのは、観ていて気持悪くなった映画だったからだ。

第二次大戦の、どこかの島での話だった。
終戦近いころの話だったはず。
極限状態に追い込まれた日本兵が描かれていた。

そんな映画を、小学校低学年の時に観ている。
吐きそうになる寸前の、気持悪くなるシーンもあった。
いま思うと、よくこういう映画が学校推薦になったな、と思わなくもない。

映画が終り、外に出た時にほっとしたことも、強烈に憶えている。
昼間の太陽の光が、こんなにも人の気持を一瞬にして変えてくれるものだと感じたのは、
その数年後、小学校の修学旅行で行った長崎原爆資料館を見終り、館の外に出た時も同じだった。

Date: 8月 20th, 2013
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・続×五 番外)

ステレオサウンド 185号のベストバイにて、
黛さんがウエスギのU·BROS2011Pのフォノイコライザーについて書かれている。
     *
特にフォノイコライザーは秀逸。鋭すぎず、柔らかすぎることもない中庸を得た音で、空間感もよく表現されている。音には勢いがあり、活き活きとしていて、棚の奥に仕舞い込んであるアナログLPレコードのコレクションをあらためて聴き直したくなるほど蠱惑的な音だ。ヴォーカルの潤いが出色!
     *
U·BROS2011Pを購入対象と考える人は、ある年齢以上の人が多いと思う。
560000円のコントロールアンプを購入できる経済力のある人でも、
20代の若い世代の人が欲しくなるアンプとは思えない。

いくつものコントロールアンプを自分のモノとして使ってきた人こそが、
購入対象として考えるのが、U·BROS2011Pではないだろうか。

そういう人ならばアナログディスクもコレクションも充実していよう。
U·BROS2011Pはフォノイコライザーの音がいいことは、わかった。

だが50万円前後のアナログプレーヤー、
それも日本のモノとなると、これもいつのまにかこんな状況になっていたのかと驚く。

ステレオサウンド 185号のベストバイに選ばれている国産プレーヤーは、
テクダスのAir Force One、
オーディオノートのGINGA 2012、
ラックスのPD171だけである。
Air Force OneとGINGA 2012は600万円をこえる。

PD171だけが条件に合う、ただひとつの国産プレーヤーとなる。

あくまでもステレオサウンド 185号を参考にしているから、
こうなってしまうが、あれこれ調べても結果は大きくは違わないはず。

Date: 8月 19th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その7)

これもまたずっと以前の話になるが、
黒田先生は、試聴テストに参加する自分のことを、モルモットと表現されていた。

黒田先生の職業は音楽評論家である。
レコードで音楽を聴くことも大好きな黒田先生は、オーディオ、音ということにも強い興味をもち、
ステレオサウンドの試聴テストにも参加されていた。

オーディオに強い興味・関心はあっても、
当時のステレオサウンドで活躍されていたオーディオ評論家を基準とすれば、
オーディオに関しての知識はないに等しいわけだからこそ、
オーディオの技術的なこと、ブランドの歴史や知名度のことなどはいっさい考慮せずに、
ただひたすらスピーカーから出てくる音に素直に反応する、という意味でのモルモットである。

音楽への理解が深く、耳のいい人、
つまり黒田先生、
それから黒田先生の教え子であり、一時期ステレオサウンドの試聴テストに参加されていた草野次郎氏、
こういう人がいてくれる(いてくれた)ことは、編集者にとっても企画をたてていくうえで、
刺戟でもありありがたい存在でもある。

だが黒田先生、草野氏が、だからといって、
ステレオサウンド・グランプリやベストバイの選考に加わるということは絶対にない。
選考委員になるということは、はっきりとオーディオ評論家であるべきなのだから。

こういう賞は、それだからこそ本来の意味があるのだから……。

Date: 8月 19th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その6)

ずっと以前の記事である。
だから、いまのステレオサウンドの編集者が、あの号が出た時に読んでいないことだって考えられる。
けれど、ステレオサウンドの編集者は会社にいけば、過去のステレオサウンドはすべて揃っているわけだから、
いままで読むことができなかった過去の号もじっくりと読むことができる。

その号を、いまの編集部の人たちが、誰かひとりでもいいから、きちんと読んで理解していれば、
今回のことは編集部で防ぐことができた。
これは、なんら難しいことでも、特別なことでもない。

編集者ならば、当り前のことである。
その当り前のことをやらなかったのか、やれなかったのか、は部外者の私にはわからないが、
とにかく活字として世の中に出てしまった。

もしかすると、編集者は小さな記事のちいさなミス程度に思っているのかもしれない。
これも部外者の私にはわからないことだが、
すくなくとも、今回のことは、これまでステレオサウンドを積み上げてきたものをこわすことにつながっていく。
そして、ベテラン筆者のキャリアをも傷つけていくことになる。

さらには、その筆者はベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員でもある。
結局、この人はオーディオの技術のことはなにもわかっていなんじゃないか、
そう思われてしまったら、そういう人が選考委員をしている賞とは、いったい何なのか……、
ということにもなっていくと思う。

オーディオ評論家は、耳がよければそれでいいじゃないか、
技術のことは素人でもいいのではないか、
そう考える人もいるかもしれないが、
そういう人は、いわばオーディオのテスターであり、いわばモルモットである。
(これは決して否定的な意味でのモルモットということではない)

Date: 8月 19th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その5)

1976年に、スレッショルドのデビュー作、そしてネルソン・パスの最初のアンプ、800Aが日本に入ってきた。
ファンによる空冷方式をとっていたけれど、A級動作で200W+200Wの出力をもつというふれこみだった。

そのころパイオニアのExclusive M4がやはりA級動作で、
しかもM4もファンによる空冷方式をとりながらも、出力は50W+50Wだから、
800Aの200W+200Wは驚異的な値だった。

詳しい技術内容が伝わってこなかったから、
最初はA級アンプということだったが、のちに可変バイアス方式のアンプであることが判明、
そしてこの回路技術は日本のアンプメーカーに大きな刺戟となっていった。

いくつものA級動作を謳う回路方式が誕生した。
高能率A級というえる回路もあったし、ノンスイッチングという意味でのA級という呼称をとっているものもあった。

この時期、ステレオサウンドでも、各社のバイアス回路を中心に、これらの回路技術の解説の記事をつくっている。
このときの筆者が、実は今回A級動作のアンプの発熱量に関しては、まったくのでたらめを書いた人だった。

ずっと以前のことだから、いまのステレオサウンドの読者の中には読んでいない人もいても不思議ではない。
だが、この記事を読んでいて、記憶のいい人ならば、
いったい、あの記事はなんだったのか……、という思っていることだろう。

結局、あの記事は本人が理解して書いていたのか、
そうだとしたら、なぜ今回のような間違いを犯してしまうのか、と思う。

あの記事は、当時、私はいい記事だと思っていた。
各メーカーの技術者に、他社の回路をどう見ているのか、まで取材してあり、
いま読み返しても、良心的な記事と呼べる。

だからいっそう、今回のことが不思議でならない。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・続々続々番外)

妄想組合せといって、目的はあり、そして制約をもうけている。
今回の、この組合せでの制約は国産のオーディオ機器で組合せをまとめるということが、ひとつある。

だからパワーアンプも50万円前後の国産のモノということになるわけだが、
いまどんな製品があるのかと参考までにステレオサウンド 185号のベストバイの記事を見ていたら、
ラックスのソリッドステートのアンプがセパレートアンプでは登場していないことに気づいた。

コントロールアンプはCL38u、パワーアンプはMQ88uと、どちらも真空管アンプである。
現行製品でソリッドステートのセパレートアンプがないわけではない。
にも関わらずベストバイには登場していない、ということは、
ラックスのソリッドステートのアンプは、どれも数年前に登場したモノだから、
いわゆる古い製品ということになってしまっているのだろうか。

185号のベストバイの記事を元に、50万円前後の国産のソリッドステートのパワーアンプとなると、
アキュフェーズのみとなってしまう。
ベストバイの記事はほとんど読んでいない(見ていない)ので、
こうやって久しぶりに見ると、ずいぶん様変りしてしまった印象を受けてしまう。

アキュフェーズのパワーアンプきなると、470000円のP4100と600000円のA46がある。
アキュフェーズのアンプだから、こまかな説明は不要だろう。
どちらも選んでも、いい結果が得られると思う。
それでもあえて私が自分で使うアンプとして選ぶならば、A46にする。

A級動作ゆえに出力は45W+45W(8Ω負荷)と大きくはないが、
GX250MGのインピーダンスは4Ωなので、出力は倍の90W+90Wとなる。

この組合せの目的である、音楽を聴くのを億劫がっているときに、音楽を聴きたくなるシステムでは、
出力に不足を感じることは、ほとんどないだろう。

これで組合せのめどが立った。
コントロールアンプはウエスギのU·BROS2011P、
パワーアンプはアキュフェーズのA46、
スピーカーシステムはフォステクスのGX250MG。

実際に、その音を聴いていないとはいえ、この組合せから変な音がするようなことはないはずだ。
もしかすると期待よりもいくぶん落ちるところがあったとしても、
チューニングをしっかりやれば、それは充分にカバーできる範囲に収まるだろう。

あと決めるのはCDプレーヤーとアナログプレーヤーである。
U·BROS2011Pにはフォノイコライザーがついている。
これを活かしたいのだが……。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その4)

2011年からステレオサウンドの編集長は新しい人になっている。
新編集長になり、すでに10冊のステレオサウンドが出ている。
二週間たらずで、新編集長による11冊目のステレオサウンドが出る。

新編集長が誌面を変えよう、としているのは誰の目にも明らかなことだ。

「最近のステレオサウンド、変ってきてますよね、良くなってますよね?」という声をきいた。
変ってはきている。
だが、良くなっているかどうかは、人によって判断が分れる。
私は、ここでも厳しいことを書いてしまうが、
変ってはいるけれど良くなっているとはいえない、と受けとめている。

それは、前編集長の時から気になっていたことだが、
いいかげんなところ、だらしないところが、以前本づくりに携わってきた者としては気になる点があった。
それは誤植といったことではなく、今回のことのような問題が、
それは多くの人は気がつかずに通りすぎてしまうようなことなのだが、
細部を疎かにしていることが気になっていた。

編集長が変ってのステレオサウンドに、私がまず期待していたのは、その点だった。
それは地味なことである。
気がつかない人の多いともいえることを、きちんとプロの編集者として、
そのプロの編集者の集合体としての編集部として仕上げていってほしい──、
そう思い、期待していたわけである。

無理に誌面を変えようとしなくてもいい、
そういう点を見逃さずにきちんとしていくようになれば、誌面は変るのではなく、自然と良くなっていく。

本を良くしていく、とは、そういうことである。
だが実際のステレオサウンドは違った。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: audio wednesday

公開対談について(その11)

とにかくインターネットから離れたところで、なにかをやらなければ、と思い始めていた。
それは、この項の(その1)ですこし触れていることがきっかけだった。

三年以上前の夢に長島先生が出てこられた。
そのとき「こんなところにいていいのか!」といわれた。
それで目が覚めた。

「こんなところ」とはどこかを長島先生ははっきりといわれたわけではなかった。
けれど、「こんなところ」がインターネットだけにとどまっていることだ、ということはすぐにわかった。

とにかくインターネットから離れて、つまり外に出てなにかをやろう。
サンスイがショールームでやっていことをいまやれればいいな、と思いはしたが、
そういう時代ではなくなっている。

それにサンスイは、オーディオ御三家と呼ばれていた会社であり、
1970年代は岩崎先生、瀬川先生も健在だった。あのころとは何もかも違いすぎる。

個人が、インターネットを離れてオーディオに関することをやろうとしたら、
まず場所の問題がある。
これは私の場合、問題なかった。
四谷三丁目にあるジャズ喫茶・喫茶茶会記の店主、福地さんが協力してくださるからだ。

ではなにをやるのか。
オーディオ機器を集めて、試聴会ができれば、楽しい。
だが最初からそんなことができるとは思っていない。
とにかくできることは何かと考えた。

対談がある、と思った。
そこで、ある人に、こういう場所で、毎月一度、オーディオと音楽をテーマに対談しませんか、と話した。
相手は乗る気になってくれた。

しばらくして、具体的に話を進めようとしたら、もう面倒臭くなった、という返事だった。
実は、この人がこういう返事をしてくるのはある程度予想していた。
毎度のことである。

彼の性格からして、自分から言い出したことも、私から言い出したことも、
最初のうちはすごい乗る気なのだが、ほんのわずかの間に、まったく正反対のことを言う人なのは、
長いつき合いでわかっていた。

わかっていたことだから、落胆もない。
他の人を探すだけである。

そうして、とにかく毎月第一水曜日の夜七時から、
四谷三丁目・喫茶茶会記での、公開対談を始めることになった。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その49・続々続番外)

上杉先生は、とにかく刺激的な音を嫌われていた。
そういうところも含めて、フォステクスのGX250MGとウエスギのU·BROS2011Pには、
まったく同じとはいえないまでも、共通した良さはある、と私は見ている。

となると、共通した良さをもつコントロールアンプとスピーカーシステムの間に位置するパワーアンプは、
何を、どういう基準で選ぶのかとなる。

U·BROS2011Pは560000円。
GX250MGも一本あたり476000円。
そうなると、パワーアンプも50万円前後のモノから選びたい。

U·BROS2011PとペアとなるU·BROS2011Mはモノーラル使用で、640000円(ペア)。
コントロールアンプもウエスギなのだから、同じウエスギ同士の組合せは、
いわゆる筋が通るようなところがあり、これは他のメーカーでも、
良くできたセパレートアンプであれば、共通する良さともいえる。

けれどあえてウエスギ以外を選びたい。
とくに、これという理由はないのだけれど、
わたしのこれまでの経験から、
良くできた真空管のコントロールアンプと優秀なソリッドステートのパワーアンプとの組合せは、
なかなかに魅力的な音を聴かせてくれることがある。

例えば聴感上のS/N比。
真空管のコントロールアンプとソリッドステートのパワーアンプの場合、
しなやかな聴感上のS/N比の良さがあるように感じている。
とぎすまされた、洗練さたと表現できる聴感上のS/N比も良さよりも、
ここではしなやかな聴感上のS/N比の良さが合うような気がするからこそ、
純正のペアではなく、他社製のソリッドステートのパワーアンプをもってくる。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その3)

今回のことは、間違いを書いてしまった筆者に全責任があるんじゃないか、
そのことで編集部を責めるのはおかしいんじゃないか、と思われるかもしれない。

編集者、その集合体である編集部はなぜ必要なのか。
いまの時代、電子書籍による出版が、やろうと思えば個人でもできるようになってきている。
そういう時代になってきたからこそ、
編集者、その集合体である編集部の役割がクローズアップされてくる、ともいえる。

たとえば今回のことがポッと出の新人筆者によることだとしたら、
次号から、その筆者を切ってしまえば、それで済むといえば済む。
だが今回のことは、そんな新人筆者によることではなく、少なくともベテラン筆者と呼べる人によることである。

だから、今回のことが起った、ともいえるだろう。
この人が書いていることだから、ずっとステレオサウンドに書いている人だから、
そんなことを理由にして、編集者は「読む」ことを放棄してしまったのではないのか。

とにかく今回のことが活字になり世の中に出廻った。
私が問題としている箇所を読んだ人、
それらの人の中でメーカーの技術者、読者の中でも基礎知識をきちんと持っている人ならば、
すぐに、そこにはでたらめが書かれていることに気づいている。

気づいた人は、どう思い、どう考えるだろうか。
そのことを編集者、その集合体である編集部は、どう受けとめるのか。

Date: 8月 18th, 2013
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(編集部とは・その2)

オーディオに関心のある人で、ステレオサウンドを読んでいない、買っていない人はいても、
ステレオサウンドの存在を知らない人はまずいない。

そういう存在のステレオサウンドで、
A級動作のパワーアンプの発熱量は、
数Wの出力時には皆無に等しい、というまったくのでたらめを載せてしまうということは、
それをそのまま信じてしまう人が出てくる、ということでもあり、
このでたらめが、ステレオサウンドに書いてあった、ということで、
事実として広まっていくことだってないわけではない。

最新技術や特殊な技術について、ときに誤りを書いてしまうことはないわけではない。
でも、A級動作のパワーアンプの発熱に関してはずっと古くからの、
いわば一般常識といえる類のことである。

なぜ、こういう初歩的なこと誤りが誌面に出てしまうのか。
理由は、ひとつではないはずだ。

それでもあえてひとつだけ、大きな理由として考えられることを挙げれば、
それは編集部が筆者の原稿を「読んでいない」からだろう。

校正作業はやっている。
でもそのとき、本来の意味での「読む」ことをやっているとは思えない。
ただ文字を見ているにすぎないのだと感じてしまう。

正しく読んでいれば、今回私が取り上げていることは、
すくなくともオーディオ雑誌の編集者ならすぐに気がつくことである。
それが、できていない。できなくなってしまったのか。