Archive for category テーマ

Date: 2月 9th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その7)

マークレビンソンのLNP2は、JC2(後のML1)の価格の約二倍していた。
日本ではJC2よりもLNP2の方が売れているような印象すらある。

日本におけるマークレビンソンの名声はLNP2によって築かれたともいえる。
けれど、LNP2が同時代の日本のコントロールアンプにどれだけの影響を与えただろうか。

アメリカでは比較広告が認められているため、
マークレビンソンのアンプと比較して……、と自社のアンプのスペックの優秀性を誇る広告が、
けっこうあったときいている。

マークレビンソンの成功は、多くの人を刺戟していた。
それでもLNP2をマネたようなコントロールアンプは登場していない。

それが日本になると少し事情が違ってくる。
日本では当時は比較広告は認められていなかった。
だから、日本の各オーディオメーカーがどの程度マークレビンソンを意識していたのかは、
広告からはわからない。

けれどJC2の登場以降、日本では薄型コントロールアンプがいくつも登場してきた。
つまり影響の大きさでいえば、JC2の方がはるかに大きい。

ラックスでさえ、CL32という真空管アンプながら厚さ7.7cmの薄型を出してきた。
そして機能を省略したアンプも増えてきた。

この流れは、はっきりとJC2の影響だといえる。
ならばJBLの4343、SMEの3012と同じ意味で、JC2も「原器」といえるのかというと、
私はそうは思えない。
なぜそう思えないのか。ここに「原器」とは何かをさぐる鍵があるような気がする。

Date: 2月 8th, 2015
Cate: 正しいもの

正しいもの(あったもの、なくなったもの)

二年ほど前、別項「あったもの、なくなったもの」で、
昔のステレオサウンドにはあって、いまのステレオサウンド(編集部)にはなくなったものがあると書いた。

何がなくなったのかについては、あえて書かなかった。

それは「理想」である。
なぜその「理想」がなくなったのかについては書かない。

Date: 2月 8th, 2015
Cate: 正しいもの

正しいもの(その16)

その15)の最後に、理想の有無だと書いた。
私にとってオーディオ評論家と呼べる人、仕事としているけれどそう呼べない人との根本的な違いとして、
理想の有無だとした。

私にとってオーディオ評論家と呼べる人には理想があった、と思う。
オーディオ評論を仕事としているようだけど、とうていオーディオ評論家と呼べない人には理想がない、
少なくとも私にはそう感じられる。

ここでの理想は、いい音を追求していくことではない。
こういう音を求めている、という意味での理想とは違う意味での「理想」である。

もしかすると、私がないと感じている人にも実のところあるのかもしれない。
けれど、その人が書いている文章からは、そのことが感じられない。
だから、理想がない、と書いた。

このことは、オーディオ評論家だけに限ったことではない。
オーディオ雑誌の編集者にもいえることである。

Date: 2月 8th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その6)

4343を「原器」とするならば、
トーンアームの「原器」は、やはりSMEの3012ということになる。
少なくとも日本では、そうだといえる。

オルトフォンのSPUを使うために開発されたSMEの3012に採用されたのが、
その後日本では標準規格といえるほど普及してしまったプラグインコネクターである。

このコネクターの採用だけでも、SMEの日本のトーンアームにおける影響の大きさがわかる。
このコネクターの採用があったからこそ、
日本ではカートリッジの交換を、多くの人があたりまえのように行えるようになった。

アナログプレーヤー関連のアクセサリーがあれだけ充実したのも、
プラグインコネクターの普及のおかげもある。
ヘッドシェル、リード線、取付けネジなどのアクセサリーは、
プラグインコネクターの採用があったからこそのモノともいえる。

SMEの3012の影響はそれだけではない。
ある時期の日本のトーンアームは、3012のコピー(部分的なコピーを含めて)といえるモノがいくつもあった。

SMEの3012も、4343と同じ意味で「原器」であったといえよう。

では同じようにマークレビンソンのLNP2も「原器」といえるだろうか。
「LNP2と同時代のコントロールアンプ」とテーマで書け、といわれれば、いくらでも書いていける。
けれど、冷静にみればわかることなのだが、LNP2は4343、3012のような影響を、
同ジャンルの日本のオーディオ機器に与えただろうか。

影響の大きさだけでみれば、LNP2よりもJC2の方が大きい。

Date: 2月 8th, 2015
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その6)

スピーカーの変換効率は、相当に低い。
93dB/W/mで1%の変換効率である。
30数年前は93dB/W/mは高能率ではなかった。
標準的もしくはフロアー型で、この値ならばやや低めの値という認識だった。

それがいまでは90dB/W/mでも能率が高いようにいわれるくらいに、
スピーカーの変換効率は低くなっている。

低くなっている、ということは、悪くなっている、ということである。
確実に悪くなっている。

けれど、そのことを問題とする人はあまりいないように見受けられる。
パワーアンプの出力が十分にあるのだから、
スピーカーの変換効率は低くてもかまわない、ということのようだ。

だがスピーカーに入力された信号の多くは、音にならずにどこへ行くのか。
93dB/W/mで1%なのだから、99%の信号はどうなるのか。
93dBより低いスピーカーならば、99%以上の信号が熱になってしまう。

その熱を発するのはボイスコイルであり、
ボイスコイルはエンクロージュアによって隠されているし、
さらに磁気回路によって覆われているから、直接見ることはないしさわることもない。

ゆえにボイスコイルの熱を使い手が認識することはほとんどない。
けれど低能率のスピーカーてあればあるほど、ボイスコイルが発する熱量は多くなる。
ボイスコイルの温度が上昇する。

Date: 2月 7th, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その1)

思いつくまま挙げていけば……、
EMTのTSD15、オルトフォンのSPU-A/E、デッカMark V/ee、エンパイアの4000D/III、エラックのSTS455E、
テクニクスのEPC100C、スタントン881S、ピカリング、XUV/4500Q、サテンのM18BX、デンオンDL103D、
AKGのP8ESなど。

これらのカートリッジを高校生だったころ、欲しいと思い眺めていた。
最初に、この中から手にしたのはエラックのSTS455Eだ。29900円だった。

いまの時代に、そのころの私がいたとしたら、同じように欲しいと思い眺めるのは、
カートリッジではなくヘッドフォンとイヤフォンかもしれない。

1970年代の終りからの数年間、カートリッジのヴァリエーションは実に豊富だった。
手軽に購入できる価格のモノから、そうとうに高価(20万円近い)モノまであった。
価格だけではない、発電方式もそうだし、針圧に関しても軽針圧から重針圧のモノまで揃っていた。
カンチレバーの素材に関しても、金属だけでなくサファイアやダイアモンドといったモノもあった。

もう、そういう時代はやってこないことだけは確かだ。
それだけにヘッドフォン、イヤフォンのヴァリエーションの豊富さは、
そのころのカートリッジとダブってみえる(みてしまう)。

あのころのオーディオマニアは、カートリッジは平均何本所有していたのか。
10本以上所有している人も珍しくなかったはずだ。

そのころのそういう人たちは、きっと奥さまから、
一度に聴けるレコードは一枚なのに、なぜこんなにカートリッジが必要なの?
とイヤミをいわれていたことと思う。

ヘッドフォン、イヤフォンも、そのころのカートリッジのように何本も持つ人も珍しくない。
きっと、耳は左右にひとつずつしかないのに……、といわれてしまうかもしれない。

ウラディミール・ホロヴィッツは、
「頭はコントロールしなければならないが、人には心が必要である。感情に自由を与えなさい」
といっている。

スピーカーに比べてヘッドフォン、イヤフォンは手軽に購入できるし、
置き場所に苦労することもない。
ならば、まわりからなんといわれようと、あれこれ買ってしまうのは、
自分自身の感情に自由を与えているんだ、と思えばいいではないか。

カートリッジは音の入口、ヘッドフォン、イヤフォンは音の出口という違いはあるが、
どちらも変換器(トランスデューサー)である。

このことが、アンプをいくつも所有するのとは意味合いが少し違ってくるところでもある。

Date: 2月 7th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その5)

ブログを始めたばかりのころ「4343と国産4ウェイ・スピーカー」というタイトルで書いていた。

4343の登場が1976年。
このころ国産スピーカーに4ウェイのモノはほとんどなかった。
それが数年後、各社から4ウェイのシステムが登場してきた。

4343と同じフロアー型もあればブックシェルフ型の4ウェイもあった。
これは明らかにJBLの4343の成功(爆発的な売行き)があったからこその現象といえる。

ダイヤトーンのDS5000は4343と同サイズである。
このことが何を物語っているのか。

国産メーカーだけでなくアルテックからも6041という4ウェイ・システムが登場した。
6041は後で知るのだが、輸入元による日本発の企画であったらしい。
それにしても、と思う。

これは日本のオーディオだけに限定された現象なのかもしれない。
けれど、そのころの日本はオーディオ大国であった。
非常に大きなマーケットであった。

そこに4343は、ひとつのはっきりとした流れをつくった、といえる。
だからこそ、4343と同時代のスピーカーというテーマが成り立つ。

これだけの影響を与えたオーディオ機器となると、他にどんなモノがあるだろうか。
話題になったオーディオ機器は他にもいくつかある。

どれだけ話題になっても、ひとつの趨勢となるのかは別のことである。
4343の影響は大きくはっきりとしていただけに、
4343はある一時代における「原器」であったはずだ。

Date: 2月 6th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その4)

オーディオ機器の中で、まだ30年ちょっという歴史しかもたないCDプレーヤーは、
簡単に原器といえる候補を挙げられそうに思える。

私が最初に聴いたCDプレーヤーは、マランツのCD63だった。
試作品のCD63だったこともあり、後に市販されたCD63とは比較にならない音の良さを持っていた。

以前書いているように、
ステレオサウンドにそのころリファレンスプレーヤーとしてあったパイオニアのExclusive P3との比較で、
小沢征爾指揮の「ツァラトゥストラ」を聴いた。

Exclusive P3からみればちっぽけな筐体のCDプレーヤーが、抜群の安定感をもって、
冒頭の、あの有名なフレーズを試聴室に響き渡らせた。

すべての点でCDが優れていたわけではなかったけれど、
すごい可能性をもったメディアが登場したことを、試聴室にいたすべての者に強く印象づけた。

CDのオリジネーターでもあるフィリップスによるCD63だから、これがCDプレーヤーの原器といってもいい──、
そう思いつつも、フィリップスのLHH2000の初期モデルの音こそが原器と呼べるかもしれない、と思ってしまう。

CDのオリジネーターはフィリップスだけではない。ソニーもである。
だからソニーのCDP101も原器といえるのか。
トレイ式のCDプレーヤーとしては原器といえる。
だが肝心の音に関しては、次のモデルのCDP701ESのほうが印象に残っている。

ここで少し考えを変えてみたい。

実は別のテーマで書こうと考えていたことに、
LNP2と同時代のコントロールアンプ、4343と同時代のスピーカーシステム、というのがある。
この「○○と同時代の……」における○○も、原器のようなモノなのかもしれない、と思えてきたのだ。

Date: 2月 6th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その3)

それぞれのジャンルの原器について考えてみる。
パワーアンプの原器といえるモノには何があるのか。

まずいえるのは真空管アンプだということ。
けれど、そこから先のこととなると、意外に難しい。
マッキントッシュ、マランツの真空管パワーアンプを挙げるのに、なぜか抵抗を感じる。

そしてメーカーの特定の機種ということよりも、
オルソン型アンプなのかウィリアムソン型アンプなのか。
どちらが原器といえるのかについて考えている。

トランジスターのパワーアンプとなると、さらに悩む。
真空管アンプの回路をトランジスターに置き換えたQUADの50Eというアンプがある。
これを原器といえるのか。
トランジスターアンプならではの回路を採用したアンプが、原器となるのか。
そうなるとJBLのトランジスターアンプなのか。

スピーカーの原器とは、といえば、フルレンジということになるのか。
ライス&ケロッグによるユニットが文字通り世界初のコーン型フルレンジユニットなのだから、
原器といえばそういえる。
だが、ここで挙げている原器とはニュアンスが違う。

そうなるとウェスターン・エレクトリックのスピーカーユニットということになるのか。
技術的にはそういえのはわかっていても、
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーといえば、どうしてもスピーカーユニットの印象が強すぎる。
スピーカーシステムとしてのウェスターン・エレクトリックが、
家庭用スピーカーシステムの原器とは到底いえない。

スピーカーもまた難しい。
スピーカーユニットとしての原器、スピーカーシステムとしての原器があるからだ。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(持っているものをとにかく楽しむ)

ここ数年、CD登場初期の国産CDが再評価されてきている。
おもにCBSソニーの初期のCDがそうであるようだ。
中古店でもけっこうな値段がついているのを見たことがある。

その後、さまざまなリマスター盤が登場するようになる。
CBSソニーはジャズではマイルス・デイヴィス、クラシックではグレン・グールドという、
熱心なファンを抱えている演奏家がいる。

私もそうだが、グールドのリマスター盤が出たとなると、
またか……、と思いつつも、手を伸ばす。
マイルスのファンの知人も同じことをいっていた(やっている)。

決定盤となるようなことをせずに、小出しにしながら、
何度も同じファンに売りつける商売をやり続けている。

ほかのレコード会社も、ここまでひどくはないが、同じようなことはやっている。
だからどうしても手元に同じタイトルのディスクが複数ある。

同じであれば一枚にしぼれるが、音は違う。
同時期の輸入盤とは国内盤でも音は違う。
ここで、喧噪せるマニアの群れあり、となる。

初期CDがいい、
いや、何回目のリマスターCDこそいい、とか。
とにかく白黒つけたがる人が多いように感じる。

私も20代のころは、そんなことにやっていた。
ケイト・ブッシュのイギリス盤のCDはプレス工場が、私が購入したモノでは三ヵ所あった。
同じ音がするとはいえなかった。
だから、どれがいちばんいいのか、聴き較べていた。

これはこれで楽しい行為でもある。

でも40が目前となったころから、どれがいちばんいいのかを判断するのもいいけれど、
同じ音がするモノはこの世にはふたつとない、
だからそれぞれの音を楽しもう、というほうにスライドしていった。

アナログディスク再生には柔軟性がある、と書いた。
けれど、これだけ豊富なリマスター盤が入手できるのだし、
二、三枚のリマスター盤を持っている人は多いはず。

ならばその時々の自分の感覚に応じて、
どのリマスター盤を選ぶのか(鳴らすのか)を決めるのもいように思う。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その13)

ワディアのPower DACはシンプルなのかミニマルなのか、について考える前に、
もう一度CHORDのHUGOについて考えてみたい。

HUGOというD/Aコンバーター/ヘッドフォンアンプをどう捉えるのか。
ヘッドフォンアンプとしてのみ使用している人にとっては、
D/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプであり、
このジャンルの機器として見れば、とくにシンプルとかミニマルという印象は受けないだろう。

私がこの項を書こうと思ったのは、HUGOでスピーカーを鳴らしているのを聴いたからだ。
こうなるとHUGOへの印象はまるで違ってくる。

なんとミニマルなモノだろう、と思うし、
これでスピーカーのあれこれを鳴らしてみたい、とも思った。

一月のCESではHUGO TTという、
同コンセプトながら筐体がふたまわりほど大きくなったモデルが発表になった。
価格はHUGOの二倍ほどするようだ。

HUGO TTでスピーカーを鳴らすシステムも、私にはミニマルなシステムということになる。

HUGOがスピーカーを鳴らせるといっても、私はできればフルレンジを鳴らしたい。
マルチウェイのスピーカーシステムであっても、複雑なネットワークを使わずに、
簡素なネットワークで構成されたスピーカーシステムならば鳴らしてみたい。

ダイヤトーンの2S305はどんな感じで鳴ってくれるのか、
JBLの4311はどうだろう、とか、想像している。

間違ってもネットワークの構成素子数の多さを誇っているスピーカーシステムを鳴らしたいとは思わない。
その手のスピーカーを鳴らすには、きちんとアンプを用意する。

そうなればD/AコンバーターとしてHUGOを使ったとしても、もうミニマルなシステムではなくなる。

ということは、ミニマルという印象はHUGO単体が醸し出しているのではなく、
それをどう使ってみようか、という使い手側に潜んでいるということになるのか。

Date: 2月 4th, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その4)

別項「アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その15)」で、
アナログディス再生の、デジタルディスク再生に対しての強みは、
聴き手の感覚に合せられることのできる柔軟性にある、と書いた。
このことは聴き手の感覚を調整していくこと、とも書いた。

つまりデジタルディスク再生の弱みは、この柔軟性に欠ける点ともいえる。

そんな柔軟性は必要ない、という聴き手にとっては、
私が書いていこうとしているコントロールアンプの必要性はどうでもいいことだろう。

だが日本には四季があり、毎日の天候もまったく同じなわけではない。
乾いた日もあればじっとりした日もある。
気持ちいいと思える日もあれば、どんよりした日もある。

エアコンで空調が完全にコントロールされた部屋から一歩も外に出ずにすむ人ならば、
季節の変化に影響されることはないのかもしれない。
けれど、そんなわけにはいかない。
さまざまな事情で外に出ていく。そして実感している。

そういう暮しの中で、一年中同じ感覚を保つということは、終生変らぬ感覚のままということでもある。
そんなことがあるだろうか。

だから私はデジタルディスク再生における柔軟性を、コントロールアンプに求める。
別項「ミキサーはコントロールアンプたり得るのか」で、そのことについて書いていく。
これも、いま私が考えているコントロールアンプ像であり、
ここで書いていくことも、別のコントロールアンプ像である。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その2)

原器としての候補を思いつくまま挙げてみる。

音の入口からいけば、カートリッジではまずオルトフォンのSPUが、候補として真っ先に浮ぶ。
と同時に、カッターヘッドをそのままカートリッジに置き換えたものがひとつの理想とすれば、
ウェストレックスの10Aも原器といえる。

トーンアームは、やはりSMEの3012、3009が原器ということになるのか。
とはいえ現行製品に多く見受けられるワンポイントアーム。
これこそがトーンアームの原器とすれば、SMEではなく、他のトーンアームが候補として浮ぶ。
たとえはグレイ(マイクロトラック)の206Sといった、プリミティヴなトーンアームが原器となるのか。

ターンテーブルはどうか。
まずダイレクトドライヴ型の原器としてはテクニクスのSP10が存在する。
これは誰も否定することのできない原器である。
だがターンテーブルの原器となると、ずっと溯ることになる。

ガラードの301、トーレンスのTD124あたりを原器とするのには、やや抵抗がある。
けれど他にどんなモノがあったろうか。

コントロールアンプはどうか。
ここでもマランツのModel 7は外せない。
だがModel 7の原器としてModel 1があり、
Model 1はモノーラルだが、
これを二台使い、Model 6とともにウッドケースにおさめたモノがModel 7の原器といえばそういえる。

Model 7を挙げるのならば、マッキントッシュのC22はどうか、となる。

C22もModel 7も真空管アンプである。
トランジスターアンプとしての原器はないのか。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その3)

CDプレーヤーの出力は2Vrmsで、それまでのチューナーやテープデッキよりも出力電圧が高い。
ラインアンプのゲインが、CD登場以前のままではボリュウムをかなり絞り気味になる。
コントロールアンプのライン入力の感度も従来と同じというわけにはいかなくなってきた。

2Vあれば、ゲイン的にラインアンプは必要としない。
パワーアンプに直接接続すればいい。
レベルコントロールがパワーアンプ側にあれば、多少使いにくさはあるが、
パッシヴのフェーダーすらいらない。

デジタル信号処理が進歩したことでデジタルボリュウムも進歩している。
そうなってくるとパワーアンプ側のレベルコントロールもいらなくなる。
リモコンでレベルコントロールができる。使いにくさはなくなる。

しかもCD登場直前のコントロールアンプは、音質向上を謳い機能を省いたモノが多かった。
入力セレクターとレベルコントロールくらいの機能しかないモノもあった。
ならばいっそのことラインアンプは、もういらないんじゃないか、という発想が起るのが自然ともいえる。

そんなときに、いいタイミングでゼネラル通称がP&Gのフェーダーを使ったフェーダーボックスを製品化した。
けっこうヒットしたように思う。
しばらくしてより筐体をしっかりとつくったモデルも登場した。
こちらはしばらくステレオサウンド試聴室でもよく使っていた。

コントロールアンプの必要性を再考すべき時期が来ていた。
ステレオサウンドにいたとき、しっかりとこのことを再考していた、とはいえない。
反省がある。

離れてずいぶん経ち、こうやってブログを書くようになって考えている。
むしろCD(デジタル)だからこそ、コントロールアンプが必要だと、いまはいえる。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その2)

コントロールアンプは不要と考える人が出て来た(もしくは増えてきた)のは、
やはりCD登場以降である。

長島先生。
ステレオサウンド 61号を読まれた方ならば、
長島先生もまたコントロールアンプ不要の人ではないか、ということになる。

マランツのModel 7を長島先生は使われていた。
Model 7は管球式コントロールアンプを代表するモデルでもあり、
コントロールアンプとしての機能は過不足なく備えている。

けれど長島先生はModel 7のフォノイコライザーのみを使われていた。
トーンコントロールやフィルター機能をもつラインアンプは使われていない。

そしてレベルコントロールはDAVENのアッテネーターで行なわれていた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」。
ここでの瀬川先生の120万円の組合せ。
スピーカーはロジャースのLS3/5A、パワーアンプはルボックスのA740、
アナログプレーヤーはEMTの928。
コントロールアンプはない。

928にはイコライザーアンプが内蔵されている。
A740にはレベルコントロールがフロントパネルについている。
コントロールアンプがなくても最低限の機能は備えている。

もちろん予算が120万円と制約されていなければ、なんらかのコントロールアンプを選択されていたはず。
けれど制約の中とはいえ、ここで瀬川先生はコントロールアンプなしの組合せをつくられている。

とはいえ、CD登場以前はコントロールアンプを省こうとする人はそうはいなかったと思う。
それがCDの登場後、オーディオ雑誌でも取り上げられるし、実際の製品も登場するほど、
コントロールアンプの存在が稀薄になっていった。