ヘッドフォン考(その1)
思いつくまま挙げていけば……、
EMTのTSD15、オルトフォンのSPU-A/E、デッカMark V/ee、エンパイアの4000D/III、エラックのSTS455E、
テクニクスのEPC100C、スタントン881S、ピカリング、XUV/4500Q、サテンのM18BX、デンオンDL103D、
AKGのP8ESなど。
これらのカートリッジを高校生だったころ、欲しいと思い眺めていた。
最初に、この中から手にしたのはエラックのSTS455Eだ。29900円だった。
いまの時代に、そのころの私がいたとしたら、同じように欲しいと思い眺めるのは、
カートリッジではなくヘッドフォンとイヤフォンかもしれない。
1970年代の終りからの数年間、カートリッジのヴァリエーションは実に豊富だった。
手軽に購入できる価格のモノから、そうとうに高価(20万円近い)モノまであった。
価格だけではない、発電方式もそうだし、針圧に関しても軽針圧から重針圧のモノまで揃っていた。
カンチレバーの素材に関しても、金属だけでなくサファイアやダイアモンドといったモノもあった。
もう、そういう時代はやってこないことだけは確かだ。
それだけにヘッドフォン、イヤフォンのヴァリエーションの豊富さは、
そのころのカートリッジとダブってみえる(みてしまう)。
あのころのオーディオマニアは、カートリッジは平均何本所有していたのか。
10本以上所有している人も珍しくなかったはずだ。
そのころのそういう人たちは、きっと奥さまから、
一度に聴けるレコードは一枚なのに、なぜこんなにカートリッジが必要なの?
とイヤミをいわれていたことと思う。
ヘッドフォン、イヤフォンも、そのころのカートリッジのように何本も持つ人も珍しくない。
きっと、耳は左右にひとつずつしかないのに……、といわれてしまうかもしれない。
ウラディミール・ホロヴィッツは、
「頭はコントロールしなければならないが、人には心が必要である。感情に自由を与えなさい」
といっている。
スピーカーに比べてヘッドフォン、イヤフォンは手軽に購入できるし、
置き場所に苦労することもない。
ならば、まわりからなんといわれようと、あれこれ買ってしまうのは、
自分自身の感情に自由を与えているんだ、と思えばいいではないか。
カートリッジは音の入口、ヘッドフォン、イヤフォンは音の出口という違いはあるが、
どちらも変換器(トランスデューサー)である。
このことが、アンプをいくつも所有するのとは意味合いが少し違ってくるところでもある。