Archive for category テーマ

Date: 6月 9th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その6)

美空ひばりのあとには、松田聖子の「ボン・ボヤージュ」。
今年、この歌を聴くのは何度目だろうか。

「ボン・ボヤージュ」を聴き終ったあとで、小休止。
ここで喫茶茶会記の店主、福地さんから頼まれていたことをやる。

ラックスのCDプレーヤーD38uは、アナログ出力の真空管によるバッファーを、
スイッチで挿入することができる。
12AU7(ECC82)のカソードフォロワーだと思われる。

この真空管を、別ブランドの12AU7に交換してほしい、ということだった。
木製キャビネットからD38u本体を取り出して、
真空管周囲のカバーも外して交換。
そのまま木製キャビネットに戻そうか、と思ったけれど、
せっかく中身を取り出したのだから、ちょっと細工した。

といっても数分程度で終ることであるし、すぐに元の状態に戻せる内容である。
これで、また「THE DIALOGUE」を聴く。
真空管バッファーのありなしの音も確かめる。

そんなことをやっていたら、喫茶茶会記のお客さんが四人、
われわれが音を聴いているスペースの方に来られた。

ここでもう一度「THE DIALOGUE」を鳴らす。
ドラムスとベースの対話である。

前半の最後に鳴らした「THE DIALOGUE」よりも、
この時の「THE DIALOGUE」の方がより凄みを増している。
(真空管バッファーは通していない)

この後に福地さんの希望で八代亜紀を聴いて、
またグラシェラ・スサーナをかけた。
「仕方ないわ」をかけた。

「THE DIALOGUE」の鳴り方から予想していたよりも、よく鳴ってくれた。
それは後から入って来て聴いている人の表情からもわかる。

Hさんが、グールドのブラームスを聴きたい、といわれた。
私も、そう思っていたところだった。
けれどいつもは喫茶茶会記にあるグールドのブラームスはなかった。

ゴールドベルグ変奏曲をかけた。
新録のほうである。
アリアが、うまく鳴ってくれた。
こうなると途中でストップボタンを押すのが惜しくなる。
結局、最後のアリアまで聴いていた。

これで6月7日のaudio wednesdayは終った。
19時少し前から始めて、約4時間半、
23時30分ごろに解散した。

Date: 6月 9th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その9)

この項の(その8)にfacebookでコメントがあった。
そこには、ある個人サイトのURLがコピーされていた。

DoromPATIOというサイトの中の「日々雑感2000」の6月6日の記事についてのリンクであった。
タイトルは「合掌:長岡鉄男氏逝去」である。

そこに次のような記述がある。
     *
と言う話とは関係なく、その初めて買った「ステレオサウンド」に、岩崎千明、瀬川冬樹(いずれも故人。当時のカリスマ的オーディオ評論家。以下、敬称略)、菅野沖彦などに混じって、明らかに異色・異質の長岡鉄男も参加した大規模な試聴会の記事が載っていた。何が異色・異質かと言えば、長岡鉄男だけが音をまともに論評しており、他の全員は音の前にブランドと国別の文化論を語っていたのだ。
このようなわけだから、その後、長岡鉄男が「ステレオサウンド」に登場することはなかった。
     *
facebookにコメントされた方も、ここのところに興味を持たれたようだ。
「岩崎千明、瀬川冬樹(いずれも故人。当時のカリスマ的オーディオ評論家。以下、敬称略)、菅野沖彦などに混じって、明らかに異色・異質の長岡鉄男も参加した大規模な試聴会の記事」、
この記事とはいったいどの号に載っているのだろうか。

「合掌:長岡鉄男氏逝去」の中で、こまかなことについては触れられていない。
私もすぐには、どの号なのか思い出せない。

大規模な試聴会とある。
総テストをひとつの売りにしていたステレオサウンドだから、
大規模な試聴会とは特集のことである。

特集記事で、岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、長岡鉄男の四氏が参加されているとなると、
実は該当する記事を見つけられないでいる。

ステレオサウンド 50号巻末附録を見ているところだが、
どの記事のことを書かれているのだろうか。

4号の特集は「組み合わせ型ステレオの選び方・まとめ方」で、
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、山中敬三の四氏が登場されている。
特集後半の「オーソリティ10氏が推す組み合わせ決定版」に長岡鉄男氏は登場されているが、
10氏の中のひとりである。

ここでの長岡鉄男氏が語られていることが、異色・異質とは思えない。
それにこの号の後にも長岡鉄男氏はステレオサウンドに書かれているから、
4号ではないことは確かである。

16号の特集「ブックシェルフ型スピーカーシステム53機種の試聴テスト」にも、
長岡鉄男氏は登場されているが、この特集に登場されているのは、
上杉佳郎、岡俊雄、瀬川冬樹であり、岩崎千明、菅野沖彦の名前はない。
これも違うことになる。

17号の特集「コンポーネントステレオのすべて」も規模の大きな試聴である。
けれど、ここには岩崎千明の名前はない。

私が見落しているのだろうか。
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、長岡鉄男の四氏が参加された記事を見つけられないでいる。

それに長岡鉄男氏は、(その8)でも書いているように、
23号までステレオサウンドに登場されている。

23号の記事は連載の「オーディオ工作室」である。

仮に私が記事を見落していたとしても、
長岡鉄男氏が、特集記事で異色・異質なことを語られていたとしても、
それ以降、ステレオサウンドに登場されなくなった、という事実はない、といえる。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その5)

先月開催されたOTOTENでのことも思い出した。
CSポートのブースで、美空ひばりのLPで「川の流れのように」がかけられた。

ひとつのブースを数社で共用していたため、それぞれのブランドの音出しの時間は短い。
数曲かければ、次のブランドのデモの時間となる。

CSポートで最後に美空ひばりだった。
それまでもレコードのかけかえ、音量の設定は高松重治氏がやられていた。
でも最後の美空ひばりは、ちょっと違った。

高松重治氏による音量は、美空ひばりの歌を聴くには小さすぎでもないし、大きすぎでもない。
人によっては、もう少し……、となるだろうが、
多くの人が、そこでの音量に不満を抱くことはない設定だったのだが、
鳴りはじめてすぐに、CSポートの社長がすすーっとアンプのところに来て、音量を上げられた。

「川の流れのように」は、CSポートの社長の愛聴盤のようだった。
ふだん、このくらいの音量で聴かれているのかもしれない。
かなり大きめの音量での美空ひばりの歌だった。

オーディオには、音量設定の自由がある。
実際よりも大きくも小さくもできる。
わが国では、実際よりも大きくすることに拒否にちかい反応を示す人も少ないないようだが、
ならば小さくすることにも同じように反応すべきのはずなのに、そうではない。

高松重治氏も、その音量には少し驚かれているようだったが、
私も最初は少し驚いたものの、こういう音量で聴く美空ひばりもありかな、と思っていた。

昨晩のaudio wednesdayでは、「THE DIALOGUE」はそこそこの音量で鳴らしていた。
でもグラシェラ・スサーナでは控えめな音量にした。
グラシェラ・スサーナの歌を、OTOTENでの美空ひばりくらいの音量で聴くのも自由である。

でも美空ひばりの歌では許容できる音量でも、グラシェラ・スサーナの歌を聴こうとは思わない。
このあたりのことを含めて、美空ひばりの歌に決して聴き惚れることのない理由は、
いずれ別項で書く予定でいる。

昨晩も「川の流れのように」を聴いた。
聴いていて、いい曲だ、と改めて思っても、
私は美空ひばりの歌唱に涙することはなかったし、これからもないように思う。

誰がなんといおうと、「川の流れのように」はホセ・カレーラスの歌唱をとるし、
カレーラスの「川の流れのように」には涙していた。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その4)

21時から後半に自然と移行したのは、
「THE DIALOGUE」だけを集中してかけていた反動もある。

ここからは常連のKさんが持参されたCDをかけていた。
まず藤圭子のCD。

ずっと以前、テレビから流れてくる藤圭子の歌は聴いた記憶はあるけれど、
それは当然モノーラルだったし、こうやってステレオできちんと聴くというのは初めてだった。

どれも一度は聴いたことのある曲(歌)だったが、
ずいぶんと印象は違ってくる。
歌(歌詞)そのものも受けとめ方にしても、
小学生だったころといまとでは同じに感じるわけがないしにしても、
最初にとまどいを感じたのは、藤圭子の声だった。

こういう声だったのか……、と思っていたから、
つい声に出してしまった。
KさんもHさんも、こういう声ですよ、と答えてくれた。

30年ぶりに聴いた「THE DIALOGUE」は細部まで、
聴きはじめた瞬間に思い出していったのに比較して、
藤圭子の歌は、そうではなかった。

「圭子の夢は夜ひらく」は1970年だから、もう50年ちかく経っている。
7歳のときに聴いていた(テレビから頻繁に流れていた)曲は、
なつかしいというより、どちらかといえば初めて聴く印象に近い。

藤圭子のあとには、美空ひばりのCDだった。こちらになると、そんな印象はない。
聴き馴染んだ声が、スピーカーから鳴ってくる。
昨晩かけられた美空ひばりの歌の多くは、テレビで聴いただけだったけれど、
藤圭子の歌のように、受け取ることはなかった。

何曲聴いただろうか。
のめり込んで聴く、ということをしていない自分に気づく。

美空ひばりの歌は、いうまでもなくうまい。
ケチをつけようとはまったく思わない。
それでも、ひとりしんみりと聴きたい、とは思えないのだ。

そのことを改めて認識していた。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その3)

19時少し前から「THE DIALOGUE」での音出しを始めて、
21時くらいまでは「THE DIALOGUE」だけを聴いていた。

「THE DIALOGUE」のドラムスとベースの対話だけで、セッティングを詰めていった。
まぁ満足できる音が鳴ってきたところで、
グラシェラ・スサーナのCDをかけてみた。

音楽の性格、録音にしても音量にしても大きく違うわけで、
「THE DIALOGUE」だけで調整したシステムだから、
いわゆる歌謡曲がすんなり鳴るわけない、と思われるかもしれないが、
すんなり鳴ってくれる。

ちなみに音量はアンプ(マッキントッシュのMA7900)の電子ボリュウムで表示で、
「THE DIALOGUE」は56%の位置で聴いていた、
グラシェラ・スサーナでは34%の位置であり、音量の差はかなりある。

先月のaudio wednesdayでのグラシェラ・スサーナの鳴り方とは、少し趣が違う。
スピーカーのセッティングが先月と違っているし、
「THE DIALOGUE」だけで詰めていったことも関係して、ではある。

先月の音が、翳りを漂わせてくれたのに対し、
昨晩はそこは薄れたものの、スタジオで録音しているという雰囲気は出ていた。

どちらをとるかは人によって違うだろうが、
「THE DIALOGUE」からグラシェラ・スサーナへ、と大きく違う音楽をかけても、
違和感を感じることなく鳴ってくれるのは、セッティングがうまくいっていることの証しである。

「THE DIALOGUE」はうまく鳴っていたのに……、
という鳴り方だとしたら、「THE DIALOGUE」でのセッティングの詰めが甘い、ともいえるし、
逸れていっていた、ともいえる。

グラシェラ・スサーナを鳴らしたところで、
昨晩のaudio wednesdayは後半へとうつった。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その2)

いわば慣れでもあるし、条件反射のように判断しているのだろう。
ここでも、そうだそうだ、と思い出すことがあった。

瀬川先生がステレオサウンド 53号で、
JBLの4343をオール・レビンソンでバイアンプ駆動された記事中に、それはある。
     *
 プラグの向きで音はいったいどう変化するのか。
 たとえば音の立体感、音の粒立ち、音像の輪郭がどちらが明瞭になるか。そして全体の響きがどちらがきれいか……。ひと言でいえば、音がいっそうクリアーで美しい方向が、正しい接続といえる。それを聴き分けるには、よく聴き馴れたレコードでむろんよいが、たとえばオーディオ・ラボ・レコードの「ザ・ダイアログ」(菅野沖彦氏の録音)など、わりあい短時間で音を掴みやすいソースのひとつといえる。とくに冒頭のベースとドラムスのダイアログ。
 まずドラムスのソロから始まる。スネアの切れこみ、ハットシンバル、そしてバスドラム、すぐにベースが入ってくる。この部分だけでも、聴き分けができる。このACプラグの差しかえは、あまり長く聴いて考え込まずに、短時間で、なかば直感的に差を聴き分け、正しい方向を掴んでゆくことがひとつのコツだ。といって、雑にこれをやって一ヵ所間違えば結局うまくゆかない。きょうは冴えているな、と自分でも思える日に、十分に研ぎ澄ました神経で瞬間的に聴き分ける。
     *
ここに書かれていることは大袈裟でも誇張されているわけでもない。
その通りのことである。

「THE DIALOGUE」の一曲目、
ドラムスとベースの対話の冒頭の、そう長くはないところだけで聴き分けができる。

昨晩来られた方は、「THE DIALOGUE」を初めて聴く人ばかりだった。
なので判断に時間は必要だったのかもしれないが、
「THE DIALOGUE」を集中的にしつこいくらいに聴いていれば、
短時間での判断はできるようになるはずだ。

もちろん、すべての音の判断が「THE DIALOGUE」だけで短時間にできるというものではない。
それでもいくつかの音の判断において、
それもACプラグの極性の判断のように、直感的に判断したほうが的確といえることに関しては、
「THE DIALOGUE」は、いまも好適なプログラムソースである。

昨晩は何回「THE DIALOGUE」をかけただろうか。
10数回はかけている。

他の人はどうだったのかわからないが(あえて聞きもしなかったが)、
私に関しては、「THE DIALOGUE」を聴いていると体温が上っている感じがしていた。
それも少しずつ音を詰めていくとともに、体温の上昇をはっきりと感じていた。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その1)

昨晩のaudio wednesdayでは、オーディオラボの「THE DIALOGUE」から始めた。

セッティングが終り、最初の音出しから「THE DIALOGUE」をかける。
一曲目のドラムスとベースの対話(dialogue)をかける。

ほぼ30年ぶりに聴く「THE DIALOGUE」である。
10代の終りから20代のはじめのころにかけて、
どれだけ「THE DIALOGUE」を聴いたのだろうか。

30年ぶりに聴いた「THE DIALOGUE」なのに、
頭の中では、次にどういう音が鳴ってくるのかが思い出されていく。
細部まで、次々と浮んでくる。

昨晩はスピーカーのセッティングを、
最初は床にベタ置き(ここ数回はこれで鳴らしている)で鳴らし、
その後、アルテックのウーファー416-8Cに少し手を加えて鳴らした。

手を加えた、といっても、元にすぐに戻せるやり方である。
ハンダ付けとか接着剤で何か貼り付けるとか、そういう不可逆なことではない。

ひとつは別項「聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ」で書いているCR方法である。
もうひとつ手を加えている。

本来ならば、ひとつずつやって、来ている人たちに音の変化を確認してもらうのがいいのだが、
喫茶茶会記のスピーカーは、バッフル板にウーファーを裏側から取り付けているために、
フロントバッフルを外してやるしかない。

何度もフロントバッフルを付けたり外したりをしたくなかったので、
一度にふたつのことをやって、聴いてもらった。

そしてスピーカーのセッティングを、床から10cmほど浮す。
ダイヤトーンのDK5000というキューブ状の角材を使う。

DK5000は、こういう時に便利なモノである。
スピーカーを浮すにはいろいろなやり方がある。
DK5000がベストなわけではないが、
セッティングによる音の変化を聴いてもらう(体験してもらう)には、
あれこれ試せるのと、持ち運びもそれほど重くないので、
これまでもこれからも、しばらくはDK5000を使う予定でいる。

スピーカーとDK5000の位置関係を少しずつ変えていく。
ここでもドラムスとベースの対話を聴いていく。

30年ぶりとはいえ、何度も何度も聴いていただけに、
冒頭のドラムスの鳴り方を聴けば、スピーカーとDK5000の位置関係の判断はすぐにつく。
そして、こうやってみよう、と頭では次のやり方を組み立てている。

Date: 6月 8th, 2017
Cate: audio wednesday

第78回audio wednesdayのお知らせ

7月のaudio wednesdayは、5日。
音出しの予定です。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 7th, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その8)

私が読みはじめたころ(41号)は、すでに書かれなくなっていたが、
長岡鉄男氏はステレオサウンドのレギュラー筆者だったころがある。

ステレオサウンド 50号の巻末には創刊号から49号までの総目次が附録として載っている。
意外に思われるかもしれないが、
菅野先生は創刊号には書かれていなくて、2号からであるし、
長岡鉄男氏は創刊号から23号(1972年夏号)まで書かれている。
私も、50号の巻末を見ていて、意外に思っていた。

時代がかわれば、人も本もかわっていくものだろう。
長岡鉄男氏がステレオサウンドから離れられた理由は、私は知らない。

ただ長岡鉄男氏は、1972年当時も売れっ子の書き手であったはずである。
にも関わらず……、であるわけだ。

1972年オーディオブームの最盛期といえよう。
そのころに、ということを考えると、よけいにあれこれ考えてしまう。

オーディオブームは、それまでオーディオに関心のなかった層まで取り込んだといえるだろう。
私も、1976年に「五味オーディオ教室」と出逢ったからこそ、であるわけで、
この「五味オーディオ教室」もオーディオがブームだったからこそ出版された、ともいえる。

そうやってオーディオの世界に入ってきた人たちが、
オーディオマニアに向いていたのかどうか、ということを思ってしまう。

少し前に、音楽が好きで、少しでもいい音で聴きたい、と思い、
オーディオに熱心に取り組んでいても、本質的にオーディオマニアではない人がいる、と書いた。

オーディオに関心のない人からみれば、そういう人も立派なオーディオマニアだし、
私はそう捉えていても、他の、オーディオに取り組んできた人たちから見ても、
立派なオーディオマニアとうつる人でさえ、本質的にオーディオマニアだろうか、と、
この十年ほど、そう感じるようになってきた。

結局、オーディオマニアとは、頭のおかしい人のことだ、
狂っている人のことだ。

だからオーディオマニアと呼ばれたくない、という人もいる。
そういう人たちのほうが、オーディオを趣味としてまともに楽しんでいるのかもしれない。

かといって、オーディオマニアと呼ばれて喜んでいる人のすべてが、
何度もいうようだが、本質的にオーディオマニアとは限らない。

オーディオブームとは、
そういう本質的にオーディオマニアでない人たちを、
オーディオマニアであると勘違いさせていた(思い込ませていた)のではないのか。

Date: 6月 6th, 2017
Cate: plus / unplus

plus(並列接続・その2)

真空管、トランジスターといった能動素子を並列接続にするのではなく、
アンプ自体を複数並列接続するという手法は以前からある。

たとえばマッキントッシュのMC275は、左右チャンネルを並列接続し出力をアップすることができたし、
半導体アンプでは、ジェフ・ロゥランドDGのModel 10とModel 12は、
LM3886というパワーIC(8Ω負荷時38Wの出力)を、
Model10は12個、Model12は12個だが、こちらはモノーラル仕様なのでステレオだと24個使っている。

つまりパワーICというアンプを、
Model 10は6パラレル、Model 12は12パラレルという仕様である。

自作アンプの世界では、ラジオ技術で別府俊幸氏が、
出力トランジスター固有の音を嫌って(別府氏は音の鈍さと表現されている)、
電圧増幅用のOPアンプを多数並列接続にしたパワーアンプの製作記事を発表されている。

別府俊幸氏は、能動素子の並列接続よりも、
アンプを並列接続するほうに、音質的メリットがある、とも主張されている。

出力段のパワートランジスターを並列接続して大出力を確保する場合、
入力から出力までの配線はどうしても長くなってしまう。
NFBをかけているのが通常だから、NFBループも長くなってしまう。

一方でジェフ・ロゥランドDGのModel 10のようにパワーICを使えば、
入力から出力までの配線は短い。
パワーICの大きさ以上にはならない。
NFBループも当然短い。

面積で比較してみるといい。
ディスクリート構成のパワーアンプとパワーICの面積は大きく違う。
パワーICを複数並列接続することで、一台のアンプとしてのサイズは大きくなっても、
ひとつひとつのアンプの入力から出力まで配線の長さと面積は、パワーICのサイズのままである。

Date: 6月 5th, 2017
Cate: plus / unplus

plus(並列接続・その1)

能動素子の並列接続。
たとえば初段のFETなりトランジスターを複数並列接続することにより、
FETなりトランジスターが発生するノイズは、ひとつひとつ違っているために、
合成出力ではノイズが打ち消される。つまりS/N比が向上する。

マークレビンソンのヘッドアンプJC1のころから使われ出した手法である。

出力素子を複数並列接続することで、
パワーアンプの出力は増すし、出力インピーダンスは低くなる。
ありきたりの表現を使えば、駆動力が増す、ともいう。

一方で入力素子を並列接続することは、ノイズだけを打ち消しているわけではない。
微小信号領域においては、ノイズだけでなく信号も打ち消されているとみるべきである。
それに入力容量が増える。

出力段に関して、同じことはいえ、能動素子を多数並列接続すれば、
それだけ入力容量は増えるし、どんな素子にもサイズがあり、
サイズがある以上、配線が長くなることにつながる。

それに出力段の素子は熱を発するから放熱器に取り付けてあるわけだが、
数が少なければ、すべての素子をほぼ同条件にできても、
数が増えれれば増えるほど、同条件を満たす難しさは急激に増し、
現実問題として不可能ともいえる。

並列接続にはメリットもあれば、当然デメリットもある。
これが真空管アンプとなると、
たとえば出力管を片チャンネル当り二本使用の場合、
プッシュプルにするか、シングルにして並列接続にするか。
どちらを選択するかは設計者の考え方である。

プッシュプルの場合、位相反転回路が必要になるし、
完全なプッシュプル動作は非常に難しい、ともいえるわけで、
ならばすっきりとシングル動作にして、
どうしても出力が足りなければ、並列接続にする。
いわゆるパラシングル動作である。

プッシュプルアンプには、プッシュプルアンプ独自の難しさはあっても、
能動素子の並列接続特有の音質劣化が気になる人は、
パラシングル動作ではなくプッシュプル動作を選択することになる。

私は、真空管を並列接続するのは好まない。
なので出力管を二本使うのであれば、パラシングルよりもプッシュプルを選択する。

けれど別項「新製品(Nutube・その4)」で触れた武末数馬氏製作のECC81のパワーアンプは、
いまも気になる存在である。

ECC81を片チャンネル当り八本使用したプッシュプルアンプ、
出力は、5W+5Wである。

いつか追試してみたいと思っているが、
能動素子の並列接続をあまり好まない私としては、そのままの回路ではなく、
能動素子の並列接続ではなく、アンプそのものの並列接続での追試を考えている。

Date: 6月 5th, 2017
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(エリック・ホッファーのことば)

Naivete in grownups is often charming. But when coupled with vanity, it is indistinguishable from stupidity.
大人の純朴さ(素朴さ)は、魅力的な場合があるが、
虚栄心(うぬぼれ)がついてくれば愚かさと区別がつかなくなる。

エリック・ホッファーのことばだ。
ドキッとさせられる。

オーディオは時として虚栄心(うぬぼれ)と結びつきやすい。
「素朴な音、素朴な組合せ」というテーマで書いているだけに、考えさせられる。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その16)

喫茶茶会記のアルテックでグラシェラ・スサーナを、
特に聴きたいと思わなかったのは、それまで鳴らしてきた女性ヴォーカル、
それらの日本語の歌に聴き惚れることがなかったためでもある。

宇多田ヒカルはまるで鳴らない、と感じている。
宇多田ヒカルのディスクをもっていないから、自分のシステムで聴くことはない。
あくまでも喫茶茶会記で鳴っている音でしか判断できないのだが、
そこでの日本語に何ら魅力を感じない、というから、感じられないのである。

グラシェラ・スサーナによる日本語の歌を聴くのとは違う態度で、
宇多田ヒカルの音楽に接するのであれば、魅力を感じないわけではないが、
日本語の歌とのひとつとして聴こうとすると、私はダメである。

5月のaudio wednesdayでは竹内まりやも、よく鳴らなかった。
松田聖子は、というと、ほぼ毎回聴いているけれど、魅力を感じているわけでもない。

何が違うのだろうか、とやはり思う。
どれも日本語の歌にも関わらず、
日本語の歌としては、多少キズのあるといえるグラシェラ・スサーナの歌が、
いちばん私の心に響くのはなぜなのか。

おそらく美空ひばりをかけたら、聴き惚れるであろう。
そう思えるのは、そこでの声(歌)が、陰翳を求めているのか、
必要としていないのかの違いからかもしれない。

グラシェラ・スサーナも美空ひばりも、その声(歌)は陰翳を求めている。
宇多田ヒカルがそうとは思えない。
松田聖子にしても、そうであろう。

ここで、そうだ、と思い出すのは5月のOTOTENでの、
あるブースで鳴っていた美空ひばりの声(歌)である。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その15)

(その13)で引用しているように、
H氏はCN191にリボン型トゥイーターを加えることを考えられていた。

このリボン型トゥイーターはパイオニアのPT-R7ではなく、
おそらくピラミッドのT1のはずだ。
CN191は100dBをこえる能率のスピーカーだから、T1も、より高能率のT1Hであろう。

T1ならば、CN191とうまくつながるかもしれない、と当時読みながらそう思っていた。
T1の音もCN191の音も聴いてはいなかった。
それでも、そんなふうに思っていた。

56号で瀬川先生が挙げられていたのは、アルテックのA7ではなくA7Xである。
アルテックは、JBLが3ウェイ、4ウェイとマルチウェイ化をすすめていくのに対し、
2ウェイにこだわっていた。

A7Xはドライバーをタンジェリンフェイズプラグ採用802-8Gにしたモデル。
2ウェイのまま、3ウェイなみとまではいかなくとも高域レンジをのばしている。
A7XにはA7XSというモデルも後に登場した。
このころからアルテックもマルチウェイ化へと走る。

A7XSとはA7にホーン型トゥイーターを加えたモノで、
アルテックからトゥイーターといえば3000Hくらいしかなかったころで、
A7XSのトゥイーターも、ほぼ間違いなく日本製のはすだ。

604-8Hを中心とした4ウェイの6041のトゥイーターはコーラル製だった。
ということは、A7XSのそれもコーラル製の可能性は高い。

A7XSの音はどうだったのだろうか。
聴く機会はなかった。
喫茶茶会記のアルテックも、グッドマンのドーム型トゥイーターが加えられている。
これは、渋谷にあったジャズ喫茶・音楽館のシステムを譲り受けてだからである。

このグッドマンのトゥイーター、お世辞にも優れているとはいえない。
それでもあるとなしの音を聴くと、3ウェイにしたことのメリットは感じられる。
ただいかせんトゥイーターの質があまりよくないから、
あのトゥイーターだったら……、と考えたりもする。

つまりはBiton Majorにトゥイーターを加えるなら……、
ということを考えているわけだが、
その一方で、日本語の歌すべてが喫茶茶会記のアルテックでうまく鳴っていたわけではない、
そのことについても考えている。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その14)

Biton Majorのオリジナルを聴く機会は、ほとんどないだろう。
そんな気がしている。

ヴァイタヴォックスは復活している。
そのことは別項に書いている。
とはいえ、価格は相当なものである。
CN191はあるが、Biton Majorはない。

そうだろうな、とは思える。
Biton Majorは、やはりあまり売れなかった(人気もなかった)のだろう。

Biton Majorを手に入れた人にとっては、そんなことはどうでもいい。
ヴァイタヴォックスでなければ聴けぬ陰翳ある音色に惚れ込んでいれば、
手離すこともないのだろう。

ヴァイタヴォックスの音は、ますます貴重となっていくのではないか。
往年のアルテックの音もそうだ。

そういう音が、いま私の心をとらえている。
しかも日本語の歌を聴きたいがために、である。

復刻されたヴァイタヴォックスは高価だが、
ユニットも単体で販売されているし、スペアパーツの提供もなされている。
ウーファーのコーン紙、ドライバーのダイアフラムも新品が入手できる。
ならば……、とあれこれ妄想してしまう。