30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その4)
21時から後半に自然と移行したのは、
「THE DIALOGUE」だけを集中してかけていた反動もある。
ここからは常連のKさんが持参されたCDをかけていた。
まず藤圭子のCD。
ずっと以前、テレビから流れてくる藤圭子の歌は聴いた記憶はあるけれど、
それは当然モノーラルだったし、こうやってステレオできちんと聴くというのは初めてだった。
どれも一度は聴いたことのある曲(歌)だったが、
ずいぶんと印象は違ってくる。
歌(歌詞)そのものも受けとめ方にしても、
小学生だったころといまとでは同じに感じるわけがないしにしても、
最初にとまどいを感じたのは、藤圭子の声だった。
こういう声だったのか……、と思っていたから、
つい声に出してしまった。
KさんもHさんも、こういう声ですよ、と答えてくれた。
30年ぶりに聴いた「THE DIALOGUE」は細部まで、
聴きはじめた瞬間に思い出していったのに比較して、
藤圭子の歌は、そうではなかった。
「圭子の夢は夜ひらく」は1970年だから、もう50年ちかく経っている。
7歳のときに聴いていた(テレビから頻繁に流れていた)曲は、
なつかしいというより、どちらかといえば初めて聴く印象に近い。
藤圭子のあとには、美空ひばりのCDだった。こちらになると、そんな印象はない。
聴き馴染んだ声が、スピーカーから鳴ってくる。
昨晩かけられた美空ひばりの歌の多くは、テレビで聴いただけだったけれど、
藤圭子の歌のように、受け取ることはなかった。
何曲聴いただろうか。
のめり込んで聴く、ということをしていない自分に気づく。
美空ひばりの歌は、いうまでもなくうまい。
ケチをつけようとはまったく思わない。
それでも、ひとりしんみりと聴きたい、とは思えないのだ。
そのことを改めて認識していた。