Archive for category テーマ

Date: 12月 7th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その12)

THE DIALOGUE(その1)」で、
ジャズ好きの人から、
「音はいいけど、音楽的(ジャズ的)にはつまらない……」といわれ、
それに反論できなかったことを書いた。

一瞬一瞬の結晶化こそがジャズだ、とすれば、
「THE DIALOGUE」ははっきりとジャズであり、
「THE DIALOGUE」をジャズでなくしているとすれば、
それは聴き手(鳴らし手)の問題である、といまならはっきりといえる。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その37)

リヒテルが、ヤマハのピアノはパッシヴであり、受動的だから欲する音を出してくれる──、
そういう理由で選んだということは、彼自身がアクティヴなピアニストだからではないのか。

パッシヴなピアニストだったら、パッシヴなピアノではなく、
アクティヴなピアノを選択するのかもしれない。

アクティヴなピアニストといっても、みながみなリヒテルと同じわけではないから、
アクティヴなピアニストが、パッシヴなピアノをみな選ぶわけではなく、
アクティヴなピアノを選ぶことだってある。

ならばパッシヴなピアニストが、パッシヴなピアノを選ぶこともあろう。
四つのマトリクスがある、と考える。

ピアノをスピーカーと置き換える、
ピアニストを聴き手(オーディオマニア)と置き換える。

アクティヴな聴き手(オーディオマニア)は、
パッシヴなスピーカーを選ぶのか、アクティヴなスピーカーを選ぶのか。

パッシヴな聴き手(オーディオマニア)は、
パッシヴなスピーカーを選ぶのか、アクティヴなスピーカーをえらぶのか。

ここにも四つのマトリクスがある、と考えられる。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: 1年の終りに……, audio wednesday

2017年をふりかえって(その4)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っているaudio wednesday。
今年は11回の音出しだった。
11月のみ喫茶茶会記が使えなかったので、毎回の音出しといっていいだろう。

昨年が9回だった。
昨晩のaudio wednesdayが、音出し20回目だったわけだ。

2016年1月の、最初の音出しからの20回目。
音はそうとうに変化している。

昨晩、Hさんが持参されたCDを鳴らした。
「満足です」と言って帰られた。
社交辞令でないことはわかっている。

もうひとりのHさんは、最後までおられて「ありがとうございます」と言ってくださった。

少なくとも自己満足の音は出していない、といえる。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: ディスク/ブック

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(余談)

ステレオサウンド 52号、
瀬川先生による「JBL♯4343研究」は、
プリメインアンプで4343をどこまで鳴らせるか、という企画である。

「THE DIALOGUE」も試聴レコードの一枚で、試聴記の中にも何度か出てくる。
ラックスのL58Aの試聴記にも出てくる。
     *
たとえば「ザ・ダイアログ」で、ドラムスとベースの対話の冒頭からほんの数小節のところで、シンバルが一定のリズムをきざむが、このシンバルがぶつかり合った時に、合わさったシンバルの中の空気が一瞬吐き出される、一種独得の音にならないような「ハフッ」というような音(この「ハフッ」という表現は、数年前菅野沖彦氏があるジャズ愛好家の使った実におもしろくしかも適確な表現だとして、わたくしに教えてくれたのだが、)この〈音にならない音〉というようなニュアンスがレコードには確かに録音されていて、しかしなかなかその部分をうまく鳴らしてくれるアンプがないのだが、L58Aはそこのところがかなりリアルに聴けた。
     *
《一種独得の音にならないような「ハフッ」というような音》、
たしかに、そういう音が「THE DIALOGUE」にはある。

この「ハフッ」という表現を使ったジャズ愛好家──、
一関ベイシーの菅原正二氏なのではないだろうか。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: ディスク/ブック

マーラー 交響曲第二番

ショルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第二番を、
ひさしぶりに聴いた。

「THE DIALOGUE」も約30年ぶりに今年聴いたけれど、
ショルティのマーラーの二番も、そうとうにひさしぶりである。

20代のころ聴いたCDは、
国内盤であっても、プレスは西ドイツの盤だった。
二枚組だった。

今回聴いた(昨晩のaudio wednesdayで鳴らした)CDは、
国内プレスの国内盤で、しかも一枚にまとめられている。

比較試聴すれば、音の違いはあるのだろうが、
とにかく鳴らしてみた。

第一楽章冒頭の低弦の鳴り方。
記憶に残っている鳴り方とは違うところもあるけれど、
大事なところで違っていたわけではなかった。

昨晩は、二回鳴らした。
一回目は、三枚目のディスクとして鳴らした。
二回目は終りごろに鳴らした(何枚目のディスクかは数えていない)。

時間としては三時間ほど経っている。
そのあいだにも、スピーカーのセッティングを少し変えている。

アンプも部屋も暖まっている。
スピーカーもほぼ鳴らし続けている。

一回目と二回目は、ずいぶんと違った。
一回目では、こういう録音を、この音量(けっこうな音量)だと、
いまのままではトゥイーターの075の鳴り方が厳しいなぁ、とも感じたが、
二回目では、そのあたりが随分と変化していた。

第一楽章を終りまで鳴らした。
「一本の映画を観ているようだった」という感想があった。

来年のaudio wednesdayでは、このディスクをかけることが増えそうであるし、
このショルティのマーラーの二番を、
喫茶茶会記の裏リファレンスディスクにしよう、と勝手に決めた。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その11)

岩崎千明氏のこと(ジャズの再生の決め手)」、「岩崎千明氏のこと(続・ジャズの再生の決め手)」、
ジャズ再生の決め手は、一瞬一瞬の結晶化と書いた。

クラシックばかり聴いてきた私が感じたことである。

今年一年のaudio wednesdayでは、「THE DIALOGUE」をよく鳴らした。
とにかく、頻繁にかけた、といえるくらいに、しかもかなりの音量で鳴らした。

昨晩のaudio wednesdayでも、もちろん鳴らした。

自画自賛といわれようが、
昨晩の「THE DIALOGUE」は、一瞬一瞬の結晶化であった。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: audio wednesday

第84回audio wednesdayのお知らせ

2018年1月のaudio wednesdayは、3日。

今年1月は4日だった。
来られたのは一人だけだった。

Hさんが持ってこられた「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」を鳴らす回になった。

おそらく来年1月も一人だけ、だろうし、今年1月の回と同じようになりそうである。
なのでテーマは決めずに、一枚のディスクを鳴らし込むことになると思う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 7th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その12)

リスニングルームは、男の城だ、
昔のオーディオ雑誌には、そんなことが書いてあった。

レコード(録音物)をひとりで聴くための空間をリスニングルームだとすれば、
借家住まいであっても、どんなに狭い部屋であっても、リスニングルームを持てる。

けれど借家住まいでは持てないリスニングルームがあるのも事実である。
増改築もしくは新築することでしか持てない空間としてのリスニングルームがある。

その意味でのリスニングルームは、男の城と呼べるものだろう。
城だ、と思う一方で、
借家住まいであっても、その空間はオーディオマニアにとっては聖域であるはずだ、
とも思う。

城を建てることはたいへんなことだし、
城を建てられる人もいれば建てられない人もいる。

建てられなくとも、聖域は持てる。
けれど城ということにこだわっていると、聖域ということを見失ってしまうかもしれない。

Date: 12月 6th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(余談)

スペンドールのBCIIは、菅野先生も購入されていた。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」でも、
1978年度版と1979年度版で組合せをつくられているくらいである。

けれどBCIIIの評価は……、というと、すぐには思い出せなかった。
ステレオサウンドには載っていない、と思う。

レコード芸術・ステレオ別冊の「ステレオのすべて」の1977年度版に、
「海外スピーカーをシリーズで聴く」という企画がある。
菅野先生と瀬川先生による記事だ。
     *
菅野 色っぽいですよ。まあこれでもうひとつ、僕はだいたい大音量だから、ガンと鳴らせるものがほしいとこう思ってBC−IIIを聴いたわけ。そしたらねえ、いやぁ残念ながらその印象がねえ、このBC−IIがそのままスケールが大きくなったということじゃなくて、これはやっぱり重要なものだと思ったのは、同じ形のものも大きくすれば異なった形に見えるというのがあるでしょう。
瀬川 だったらさっきの言い方の方がいいよ。
菅野 ああそうですか。つまり自分の女房にね、もうちょっとグラマーだったらなっていうその要求をね、するのはやはり無理なんだと。
     *
《同じ形のものも大きくすると異なった形に見える》、
たしかにそうなのだろう。
BCIIとBCIIIは少なくとも、そうであろう。

むしろBCIIのスケールを大きくした、といえるスピーカーは、
ロジャースのPM510といえよう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は書かれている。
     *
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。
     *
私は、これだけでPM510をとにかく聴きたい、と思った。
BCIIの品位とスケールを増した音──、
実際に音を聴いて、そのとおりだった。

だからBCIIIへの関心を失っていった、ともいえる。

結局違った形で大きくすることで、同じ形(音)に見えたわけだ。

Date: 12月 5th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その3)

2017年は、Blu-Ray Audioにどう取り組むのかについて考え始めた年でもある。

2012年に、ショルティ指揮のニーベルングの指環の限定盤が発売になった。
新たにリマスターされた17枚組のCDの他に、
24ビット、96kHzのBlu-Ray Audioがついていた。

このころはまだBlu-Ray Audioを、
いつか本格的に導入することになるんだろうな……ぐらいの気持だった。

今年ドイツ・グラモフォンはBlu-Ray Audioに積極的である。
カラヤンのニーベルングの指環も、Blu-Ray Audioで出た。
他にもオペラがいくつもBlu-Ray Audioになっているし、
交響曲全集もBlu-Ray Audioとなっている。

ドイツ・グラモフォンが来年以降も積極的であれば、
Blu-Ray Audioの導入を真剣に考えなければ……、と今年になって思い始めた。

とはいえBlu-Ray Audioを再生するプレーヤーはどうするか。
多くの人が思い浮べるのは、あのメーカーのプレーヤーだろう。

どのメーカーなのかは書かないが、個人的に、そのメーカーのプレーヤーは使いたくない。
製品そのものがいいとか悪いとかではなく、
輸入元がどうもうさんくさく感じられて、はっきりいえば嫌いである。

それにそのメーカーの本国(どこが本国なのかもあえて書かない)のウェブサイトには、
違法ダウンロード先へのリンクが張られていたこともある。

音さえ良ければ、さらに安価であればなお良い、と思える人は、
そのメーカーのプレーヤーを使えばよいが、
私は別項「オーディオは男の趣味であるからこそ」で書いているように、
そんなモノは買いたくないし、使いたくない。

ならばパソコンでBlu-Ray Audioをリッピングして、という方法か。
そんなことを真剣に考え始めた一年である。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その11)

昭和31年(1956年)に、「新版 アマチュアオーディオハンドブック」が出ている。
日本オーディオ協会によるもので、オーム社から出ていた。

 第1章:音の物理と生理
 第2章:リスニングルーム
 第3章:マイクロホン
 第4章:レコード
 第5章:ピックアップ
 第6章:レコードプレーヤ
 第7章:テープとテープレコーダ
 第8章:レコーデッドテープとプレーヤ
 第9章:チューナ
 第10章:真空管とトランジスタ
 第11章:プリアンプとメインアンプ
 第12章:スピーカシステム
 第13章:ステレオ再生装置
から成り、それぞれの章はこまかい項目に分けられている。

第13章:ステレオ再生装置は、池田圭氏が担当されている。
ここに「経済性の問題」という項目があり、短期的に、長期的に、ついて書かれている。

長期的に、のところから引用しておく。
     *
一生を賭けて
 ハイファイのために、再生音響に一生を賭ける人はきわめて少ない、と断言して過言ではないであろう。
 大体、ハイファイなどの好きになるのは若い頃で、青春の熱情凝ってステレオに血道を上げるのは、この時期に属する。多くは学生時代にである。やがて社会人となる頃から熱は冷め始めるそして結婚生活、出産……この時期に至ってもなおレコードやテープいじりをやっているくらいであると、一生を賭ける見込みがある。ほとんどはこの時期に『ハイファイよさらば』というのが一般的なコースである。経済的な不如意と多忙のためにハイファイなどやっていられないのである。子供の成長はいよいよこれに拍車を加える。……やがて生活の安定、中年頃に到って返り咲くこともある。
 なかにはハイファイと職業が結びつくこともある。けれども、それはそれなりに真のハイファイと結びつかないことも多い。
 かくて、やがて死が訪れる。
 けれども、一生を、地位も名誉も金も望まず、ただ再生音響のハイファイ化に一生を賭けて悔なき人があるならば、以下のようなコースをとってはどうであろうか。
     *
もう一度いう、60年前に、これは書かれている。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その11)

シングルボイスコイル、
つまり同軸型ではないフルレンジユニット。

代表的なユニットといえば、私の世代では、
JBLのLE8T、アルテックの755Eがダントツの存在といっていい。

それからダイヤトーンのP610、テクニクスのEAS20PW09(ゲンコツ)などが浮ぶ。
もちろん、この他にもいくつかのユニットを挙げられるが、
個々のユニットについて触れたいわけではなく、
その口径は中口径のモノばかりである。

JBLとアルテックとテクニクスは20cm口径、
ダイヤトーンは16cm口径。

20cmの口径があれば、エンクロージュア次第では、
低音もそこそこのレベルで出るし、高音もトゥイーターの必要性を感じさせながらも、
まとまった音を聴かせてくれるのだから、
いさぎよくフルレンジ一発という選択をしたくなる。

これが10cm口径、つまり小口径フルレンジとなると、
やや違ってくる。
どうしても口径の小ささゆえの低音再生の弱さは否めない。

けれど反面、10cmならばユニットを複数個使うという選択もできる。
ようするにジョーダン・ワッツのModule Unitの在り方そのものである。

瀬川先生はHIGH-TECHNIC SERIESの一冊目、
マルチアンプの号で、
フルレンジからスタートする、最終的な4ウェイシステムへのプランを書かれている。

そこに、こうある。
     *
 こうして、最低音と中低音のあいだと、中高音と高音のあいだをマルチアンプで、そして最高音域用のスーパートゥイーターだけはLCネットワークで、という4WAYのシステムができ上り、しばらくのあいだは、各帯域のユニットを少しずつ入れかえたりして楽しんでいた。このころ使ったユニットとしては、ウーファーにはパイオニアPW38A(のちにJBL LE15Aに交換)、ミッドバスには、ダイヤトーンP610A、ナショナル8PW1(現テクニクス20PW09)、フォスター103Σの2本並列駆動、最後のころはジョーダンワッツのA12システム(いまは製造中止になった美しい位相反転型エンクロージュア、現在のJUNOに相当?)を、一時は二本積み重ねてたりした。
     *
このプランでも、最初は16cmから25cm口径のフルレンジから、とある。
10cm口径とは書いていないが、10cm口径ならば複数個使用という手もある。

ステレオサウンド 61号の特集、STEREOLA DPS100の紹介欄には、
《故・瀬川冬樹氏がマルチチャンネルを試みておられていた時代に、中低域用に、発売直後の、このユニットを使われた。すばらしい音がしていたそうである》と。

もちろん16cmn、20cm口径の複数個使用も考えられるが、
フルレンジユニットの分割振動領域を考えると、
複数個使用においては、小口径フルレンジの優位性が際立ってくるのではないだろうか。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その10)

こんなことは、50年ほど前のステレオサウンドに載っている。
1969年秋に出た12号、
この号はカートリッジ40機種のブラインドフォールドテストを行っている。
その半年前の10号ではスピーカーシステムのブラインドフォールドテストも行っている。

瀬川先生が「テストを終えて」にこう書かれている。
     *
 実際の話、10号のスピーカー、今回のカートリッジと二回のブラインド・テストを経験してみてわたくし自身は、目かくしテストそのものに、疑いを抱かざるをえなくなった(本誌のメンバーも同意見とのことだ)。目かくしテストは、一対比較のようなときには、先入観をとり除くによいかもしれないが、何十個というそれぞれに個性を持った商品を評価するには、決して最良の手段とはいい難い。むろん音を聴くことがオーディオパーツの目的である以上、音が悪くては話にならないが、逆に音さえ良ければそれでよいというわけのものでは決してありえなくてカートリッジに限っていってもいくら採点の点数が良かろうが、実際の製品を手にとってみれば、まかりまちがってもこんなツラがまえのカートリッジに、自分の大事なディスクを引掻いてもらいたくない、と思う製品が必ずあるもので、そういうところがオーディオ道楽の大切なところなのだ。少なくとも、ひとつの「もの」は、形や色や大きさや重さや、手ざわりや匂いや音すべてを内包して存在し、人間はそのすべてを一瞬に感知して「もの」の良否を判断しているので、その一面の特性だけを切離して評価すべきものでは決してありえない。あらゆる特性を総合的に感知できるのが人間の能力なので、それがなければ測定器と同じだろう。そういう総合能力を最高に発揮できるもののひとつがオーディオという道楽にほかならない。
     *
まったくそのとおりであって、特につけ加えることもない。
総合的に感知できない人にとっては、ブラインドフォールドテストのみが……、ということでしかない。

オーディオ機器という「モノ」を判断できない人がオーディオマニアであるわけがない。

Date: 12月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その9)

世の中には、ブラインドフォールドテストだけが信用できる試聴方だと、
バカのひとつ憶えのようにくり返す人たちがいる。

ブラインドフォールドテストは、有効な試聴方法のひとつであることは確かだが、
それはすべての試聴において有効なわけではなく、限られた条件での試聴で有効であり、
むしろそうでないことの方が多い試聴方法であり、
試聴テストを行う側の力量は、つねに試聴者の力量を上回っていなければ、
とんでもない結果が出る可能性もある。

それに音だけの判断で、ブラインドフォールドテストのみが……、といっている人たちは、
オーディオ機器を選ぶのだろうか。

音さえよければ、あとはどうでもよい。
そういうオーディオ機器の選び方をする人は、たしかにいる。
さらに安ければ、もっといい、ということになる。

見るからに安っぽい外観、
有名なオーディオ機器をパクった外観、
感触のひどいスイッチやボリュウム、
とにかく使う喜びをまったく感じさせないモノであっても、
ブラインドフォールドテストでいい音に聞こえたなら、
それがイチバンいいに決っている……、
そう思える人たちはそれでいいし、
そう思って、そういうモノをなんの抵抗もなく使える人は、
オーディオマニアではない、といいきれる。

オーディオは男の趣味であるから、徹底して、オーディオ機器というモノにこだわる。
自分の感覚すべてを満足させてくれるモノ(きわめて少ないけれど)、
そういうモノを目指してこそのオーディオという趣味である。

ただ音さえよければ(その音の判断そのものもきわめてあやしいが)、
それでいい──、それは趣味でもなんでもない。
どんなにいい音で聴きたい、と本人が思っていようと、
その彼はオーディオマニアでもなんでもない。

Date: 12月 3rd, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その2)

今年をふりかえってのことでいえば、やはり「THE DIALOGUE」である。
菅野先生録音の「THE DIALOGUE」を、ひさしぶりに聴いた(鳴らした)。

「THE DIALOGUE」はステレオサウンドにも、試聴レコードとして何度も登場していた。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に招かれて来られた時も、
菅野先生が一度だけこられたときも、「THE DIALOGUE」は鳴っていた。

私にとっての「THE DIALOGUE」は、JBLの4343とともにあった、といえる。
4343で聴いた「THE DIALOGUE」の音が、いまも基準となっているところが残っている。

それがいまも心象として刻まれているから。

今年「THE DIALOGUE」を、喫茶茶会記でのaudio wednesdayで何度鳴らしたことだろう。
それこそ耳にタコができるくらいに聴いている。

それでも、聴くたびにスリリングである。
前回よりも今回がよりスリリングであるように、
今回よりも次はもっとスリリングに鳴るようにこころがけている。

この試みは、今年だけではなく来年もしつこくやるつもりだ。