Archive for category テーマ

Date: 4月 15th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その15)

音がこもる──、
そこまでせはいいすぎとしても、ダストカバーを閉じた状態では、
音ののびやかさがいささか損われる。

このことはなにもアナログプレーヤーにだけいえることではなく、
アンプであってもCDプレーヤーであっても、閉じた空間の筐体、
しかもその筐体ががっしりとしていると、
それは強くなってくる傾向があるように感じている。

とはいえダストカバーは大半がアクリル製とはいえ、
そこにはある程度の重量がある。
そのおかげで、閉じた状態ではプレーヤーキャビネットのf0が低くなる場合もあるのは、
「プレーヤー・システムとその活きた使い方」掲載の測定データから読みとれる。

アナログプレーヤーのダストカバーは、
スピーカーシステムのサランネットのような存在なのか。

いまでも大半のスピーカーシステムにサランネットはついている。
昔はほぼすべてのスピーカーシステムについていた。
けれど、サランネットがつけた状態で聴くのか、外した状態で聴くのか、
そのスピーカーを製造しているメーカーは、どちらを標準としているのか、
スピーカーシステムの試聴においては、このことは決して忘れてはならない。

瀬川先生がステレオサウンドで試聴されていた時、
編集者がサランネットを外したままで音を出した始めたことがあるそうだ。
その時、かなり怒られた、ときいている。

編集者は気をきかせたつもりだったのだろうが、
瀬川先生にとっては、それはよけいなことというより、
試聴をいい加減なものにしてしまう行為であったのだろう。

そんな瀬川先生なのだが、アナログプレーヤーの試聴の際には、
ダストカバーは外されていた、ようだ。

Date: 4月 14th, 2018
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その2)

KEFのModel 303は、ステレオサウンド 54号の特集
「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」に登場している。

瀬川先生だけでなく、菅野先生黒田先生の評価もそうとうに高い。

《このランクのスピーカーとしては、ひときわぬきんでている》(黒田)、
《スケールこそ小さいが、立派に本物をイメージアップさせてくれるバランスと質感には、脱帽である》(菅野)、
《ポップスで腰くだけになるような古いイギリスのスピーカーの弱点は、303ではほとんど改善されている》(瀬川)、
三氏とも特選である。

菅野先生は
《このシステムを中高域に使って、低域を大型のもので補えば、相当なシステムが組み上げられるのではないかという可能性も想像させてくれた》
とまで書かれているし、
菅野先生と瀬川先生は55号の特集ベストバイで、ともにModel 303を、
スピーカーのMy Best3のひとつとして選ばれている。

瀬川先生は、そこでこう書かれている。
     *
 オーディオ機器の音質の判定に使うプログラムソースは、私の場合ディスクレコードがほとんどで、そしてクラシック中心である。むろんテストの際にはジャズやロックやその他のポップス、ニューミュージックや歌謡曲も参考に試聴するにしても、クラシックがまともに鳴らない製品は評価できない。
 ところがその点で近ごろとくにメーカー筋から反論される。最近のローコストの価格帯の製品を買う人は、クラシックを聴かない人がほとんどなのだから、クラシック云々で判定されては困る、というのである。クラシックのレコードの売上げやクラシックの音楽会の客の入り具合をみるかぎり、私には若い人がクラシックを聴かないなどとはとうてい信じられないのだが、しかし、ともかく最近の国産のスピーカーのほとんどは、日本人一般に馴染みの深い歌謡曲、艶歌、そしてニューミュージックの人気歌手たちの、おもにTVを通じて聴き馴れた歌声のイメージに近い音で鳴らなくては売れないと、作る側がはっきり公言する例が増えている。加えて、繁華街の店頭で積み上げられて切替比較された時に、素人にもはっきりと聴き分けられるようなわかりやすい味つけがしてないと激しい競争に負けるという意識が、メーカーの側から抜けきっていない。
 そういう形で作られる音にはとても賛成できないから、スピーカーに関するかぎり、私はどうしても国産を避けて通ることが多くなる。いくらローコストでも、たとえばKEFの303のように、クラシックのまともに鳴るスピーカーが作れるという実例がある。あの徹底したローコスト設計を日本のメーカーがやれば、おそろしく安く、しかしまともな音のスピーカーが作れるはずだと思う。
 KEF303の音は全く何気ない。店頭でハッと人を惹きつけるショッキングな音も出ない。けれど手もとに置いて毎日音楽を聴いてみれば、なにもクラシックといわず、ロックも演歌も、ごくあたり前に楽しく聴かせてくれる。永いあいだ満足感が持続し、これを買って損をしたと思わせない。それがベストバイというものの基本的な条件で、店頭ではショッキングな音で驚かされても、家に持ち帰って毎日聴くと次第にボロを出すのでは、ベストバイどころではない。売ってしまえばそれまでよ、では消費者は困るのだ。
     *
メーカー筋からの反論。
《最近のローコストの価格帯の製品を買う人は、クラシックを聴かない人がほとんど》、
ここでのローコストの価格帯とは、どのあたりを指すのか。

瀬川先生の文章を読むかぎり、
59,800円(一本)のスピーカーも、ここに含まれる。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(余談)

シンガーズ・アンリミテッドの録音は、MPSだった。
ポリグラム、そしてユニバーサルミュージックから発売されていた。
最近ではビクターが、2015年から24ビット、88.2kHzのフォーマットで配信を行っていた。

けれどそのラインナップにはシンガーズ・アンリミテッドは含まれてなかった。
さきほど検索してみたら、ビクターのサイトにはMPSのページはなかった。
e-onkyo musicでは購入できるようだ。

CDはタワーレコード限定で、二年ほど前に発売になっていた。
K2リマスターだったから、ビクターが手がけたのだろう。

MPSは、ドイツのEdel Germany GmbHが所有している。
ある人の話では、日本でのDSD配信を計画している、らしい。

権利関係がどうなっているのか、そのへんを確認・整理してのことになるし、
いつ開始されるのは知らないし、まだ決っていないようだ。

それでも始まってくれれば、
シンガーズ・アンリミテッドの録音もそこに含まれるかもしれない。
グルダの平均律クラヴィーア曲集も期待したい。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その11)

株式会社ファーストリテイリングの単独スポンサーによって「考える人」は、
新潮社から出ていた。

単独スポンサーゆえに、その会社が降りてしまえば、
そして次のスポンサーが見つからなければ、それで終りとなる面ももつが、
「考える人」のオーディオ版は、やはり無理なのか、とずっと思っていた。

「考える人」だから単独スポンサーがついた、ともいえる。
オーディオ雑誌に、単独スポンサーがつくだろうか。

オーディオメーカーが単独スポンサーについたのでは、意味がない。
オーディオと関係のない会社で、オーディオ雑誌の単独スポンサーになるところ、
そんな会社、あるわけがない──、と思い込んでいた。

先月のKK適塾が終って、数日後、ふと思いついた。
もう完全に妄想の領域であるし、可能性としてはゼロではないだろうが、
限りなく近いこともわかっている。

わかったうえで書いている。
川崎先生が編集人・発行人としてのオーディオとデザインの雑誌ならば、
DNPが単独スポンサーになることだって、可能性としてはまったくゼロではないはずだ。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その1)

別項「現代スピーカー考(余談・その2)」で、
とあるレコード店のスピーカー、KEFのModel 303について触れた。

今日久しぶりに、そのレコード店に入った。
同じ位置にModel 303は置いてある。
モーツァルトのピアノ協奏曲が鳴っていた。

ほどよい音量で鳴っていた。

瀬川先生はステレオサウンド 56号での組合せで、
《最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる》
と書かれている。
そのとおりの音で、モーツァルトが美しく鳴っていた。

1979年発売のスピーカーだから、ほぼ40年が経っている。
専用スタンドで設置されているModel 303には、
高価なスピーカーケーブルやアクセサリーが使われてはいない。
ごくごく一般的な置き方のまま鳴っている。

ほぼ40年、店主の好きな音楽を、ほぼ毎日鳴らしてきての、
今日、私が聴いた音なのだろう。

中古のModel 303は、誰がどんな鳴らしかたをしてきたのか、わからない。
どんな使われ方だったのかもわからない。
そんなModel 303に、私が今日聴いた音を期待しても無理というものだ。

Model 303は、一本59,000円(その後62,000円)の、イギリス製のスピーカーだ。
海を渡っての、この価格ということは、イギリスでは普及クラスのスピーカーだったのだろう。

598戦争が始る、ほんの数年前に、同価格帯にModel 303が存在していた。
そのことを、今日、その音を聴いて思い出していた。

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 所有と存在

所有と存在(その16)

「この瞬間は永遠だ」
小説やドラマ、映画などで、目にしたりきいたりしている、と思う。

シチュエーションによっては、とても陳腐にきこえたりもする「この瞬間は永遠だ」。
けれど音と真剣にむき合ってきた(対決してきた)オーディオマニアであれば、
「この瞬間は永遠だ」とおもえる音をなんどか聴いている、と私は信じている。

その瞬間はそうおもえなかった音であっても、
ずっと心に焼きついている、深く刻み込まれていることがある。
その存在に、いつの日かふと気づく(気づかされる)ことがある。

Date: 4月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その3)

ビューアーがどういうのかはステレオサウンド 47号を読んた時点でも知ってはいた。
けれど実際にビューアーでポジフィルムを見たことはなかった。

テレビや映画で、そういうシーンを見ていて、なんとなく知っている──、
その程度だった。
ビューアーでポジを見たのは、ステレオサウンドで働くようになってからである。

たしかにそれはスクリーンに映すのとは、はっきりと違う。
LS3/5Aの音は、たしかにビューアーでみる音の世界である。

このブログで、LS3/5Aと、
それ以降(たとえばセレッションのSL6以降)の小型スピーカーとの違いについて、
幾度か書いてきた。

スクリーンかビューアーか。
その違いもある。

SL6(SL600)は、もうビューアーの世界ではない。
ルーペで拡大して、細部を見ていくような世界ではない。
スクリーンに映す世界であり、どちらが優れている、そういうことではなく、
小型スピーカーの、ある時期からはっきりと変化してきたわけだ。

野上眞宏さんがそれまで鳴らされていたスピーカー(修理待ち)もまた、
小型スピーカーであり、私はLS3/5Aと同じ世界(領域)の小型スピーカーと認識している。

野上眞宏さんが、別のスピーカー、
同じ小型でもスクリーンに映すタイプであったり、大型のスピーカーであったりしたら、
そして自作スピーカーが、まるでタイプの違うものであったりしたら、
そして私がシンガーズ・アンリミテッドを、LS3/5Aで最初に聴いていなければ、
野上眞宏さんにシンガーズ・アンリミテッドのディスクをすすめることはなかったかもしれない。

そんなことを三ヵ月ほど経っておもっている。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その2)

“A CAPELLA”が、私にとってシンガーズ・アンリミテッドの最初の一枚だったし、
それも自分のシステムではなく、友人のシステムで聴いている。

ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」で、
黒田先生が取り上げられているの、テクニクスのコンサイス・コンポである。

音質追求、性能追求のあまり、大型化してきていたアンプにおいて、
パイオニア、テクニクス、ダイヤトーン、それにオーレックスが、
コンパクト化を図ったアンプ、チューナーがほぼ同時期に登場したのが、ちょうどこの時期である。

黒田先生はテクニクスのコンサイス・コンポに、
ビクターのS-M3という、小型スピーカーを組み合わせてのシステムを、
キャスターつきの白い台にセッティングして聴かれた五時間について、書かれている。
そのなかに、こうある。
     *
 それぞれの装置の呼ぶレコードがある。カートリッジをとりかえた、さて、どのレコードにしようかと、そのカートリッジで最初にきくレコードは、おそらく、そのカートリッジを選んだ人の、そこで選ばれたカートリッジに対しての期待を、無言のうちにものがたっていると考えていいだろう。スピーカーについても、アンプについても、同じことがいえる。ともかく、あのカートリッジを買ってきたら、このレコードをきこうと、あらかじめ考えていることもあり、カートリッジを買ってきてしまって、後から、レコードを考える場合もある。いずれにしろ、最初のレコードをターンテーブルにのせるときは、実にスリリングだ。
     *
黒田先生にとってテクニクスのコンサイス・コンポとS-M3の組合せの呼ぶレコードが、
シンガーズ・アンリミテッドのレコードだったわけだ。

私がシンガーズ・アンリミテッドの“A CAPELLA”を最初に聴いたのは、
ロジャースのLS3/5Aで、だった。
偶然にも、小型スピーカーで聴いている。

黒田先生は最後に、こうも書かれている。
《オルネラ・ヴァノーニの歌を、スクリーンにうつすのではなく、ビューアーでみるように、キャスターのついた白い台の前で、きくことにしよう。》と。

Date: 4月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(その1)

“A CAPELLA”はシンガーズ・アンリミテッドのアルバムの一枚。
1971年に出ている。

オーディオマニアなら、シンガーズ・アンリミテッドを知らなくとも、
彼らの歌とは知らなくとも、
彼らの歌を一度くらいは聴いているのではないだろうか。

“A CAPELLA”を、というより、シンガーズ・アンリミテッドのCDを、
写真家の野上眞宏さんに、今年のはじめに奨めた。
ぽっ、と口から出たシンガーズ・アンリミテッドの名前だった。

SICAの10cm口径のフルレンジユニットで、スピーカーを作りはじめた時期と重なる。
すすめたときには特に気にしなかったけれど、いまごろになって、
なぜ、シンガーズ・アンリミテッドをすすめたのだろうか、と考えるようになってきた。

私がシンガーズ・アンリミテッドの名前を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の黒田先生の文章で、だった。
「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」に、
シンガーズ・アンリミテッドと、そのレコードのことが登場する。

そこで書かれているのは、1975年録音の“Feeling Free”である。
     *
 その数日前、輸入レコード店で買ってきた、シンガーズ・アンリミテッドのレコードだった。それには、「フィーリング・フリー」というタイトルがついていた。フィーリング・フリーという言葉も、この場合、マッチしているように思った。シンガーズ・アンリミテッドのレコードは、好きで、大半のものはきいているはずたったが、ジャケット裏の説明によると、一九七五年の春に録音されたという、その「フィーリング・フリー」は、それまできいたことがなかった。ベオグラム4000のターンテーブルにのせたのは、ドイツMPS68・103というレコード番号のレコードだった。
 A面の最初には、「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」という、スティービー・ワンダーのすてきな歌が、入っていた。音楽がはじまると、パワーアンプの、星のまたたきを思わせるあかりは、それぞれのチャンネルに二つか三つずつついて、右方向への動きを示した。
 シンガーズ・アンリミテッドの声は、パット・ウィリアムス編曲・指揮によるビッグ・バンドのひびきと、よくとけあっていた。「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、アップ・テンポで、軽快に演奏されていた。しかし、そのレコードできける音楽がどのようなものかは、すでに、普段つかっている、より大型の装置できいていたので、しっていた。にもかかわらず、これがとても不思議だったのだが、JBL4343できいたときには、あのようにきこえたものが、ここではこうきこえるといったような、つまり両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった。だからといって、あれはあれ、これはこれとわりきっていたわけでもなかった。どうやらぼくは、あきらかに別の体験をしていると、最初から思いこんでいたようだった。
 もし敢て比較すれば、たしかに、クォリティの面で、JBL4343できいたときの方が、格段にすぐれていたというべきだろう。しかし、視点をかえて、JBL4343で、そのキャスターのついた白い台の上にのっていた装置できくようなきき方ができるかといえば、ノーといわざるをえない。
     *
1978年の夏に、読んでいる。
シンガーズ・アンリミテッドのことを知った。

Date: 4月 10th, 2018
Cate:

いい音、よい音(きこえてきた会話)

近くに大きな大学病院がある中華屋さんでのこと。
隣の席は、夜勤明けと思われる女性四人が、軽い宴会の感じで食事していた。

彼女らの話声はそこそこ大きくて、隣の席の私の耳にも、はっきりと入ってくる。
何かの映画が話題になった。

ひとりの女性が「四回観ました」といっていた。
別の女性が「全部2Dで?」と訊いた。
「2D、2D、IMAX、あと音響のいいやつ」
「アトモスだっけ、あれいいよね」
「いいですよ、いい音響で観るとほんといいです」
「いい音響って、いいよね」

そんな会話がきこえてきていた。
彼女たちは「いい音」ではなく「いい音響」といっていた。

Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その5)

MA7900には、プリ・パワー分離端子がついている。
1970年代の国産プリメインアンプによくついていた機能である。

プリメインアンプに、コントロールアンプとしての出力と、
パワーアンプとしての入力がついていて、
MA7900の場合、ふたつの端子をジャンパー線で結んでいる。

このジャンパー線を外せば、コントロールアンプとしても、
パワーアンプとしても使えるわけで、
入力セレクターがきかない状態でも、パワーアンプとしては問題ないようだから、
なんとか音を出せるんじゃないか、と考え、
CDプレーヤーの出力を、ポテンショメーターを介して、MA7900のパワーアンプ入力に接いだ。

SOURCE:OFFの状態では、パワーアンプの出力にプロテクションが働いているようで、
音は鳴らない。

それであきらめて、「電源に関する疑問(バッテリーについて・その3)」に書いているように、
CONSONO(コンソーノ)という、桐製Bluetoothスピーカーを聴くことになった次第だ。

いつもは23時30分ごろまでやっているaudio wednesdayだが、
4月4日は一時間ほど早くお開きになった。

帰宅して入浴して、そろそろ寝ようかとしていたところに、
喫茶茶会記の福地さんから連絡があった。

FACTORY RESET、工場出荷時の状態に戻せた、とあった。
福地さんは、入力セレクターのツマミを外したそうだ。
そうすれば入力セレクターのシャフトが露出する。
その状態だと押せたそうである。

ということは入力セレクターが押せなかった、ということは、
ツマミがなんらかの理由で通常よりも押し込まれていて、
押し込むだけの余裕がなかったことになるのだろうか。

ツマミは装着されている。
けれどやや浮し気味での装着らしい。

Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その4)

MA7900はトーンコントロールの下にディスプレイがある。
ここに選択したプログラムソースとボリュウムの大きさが表示される。

MA7900は電源コードが接っていると、スタンバイ状態になっている。
4月4日のaudio wednesdayで、スピーカーのセッティングが終り、結線もやった。
そこで電源を入れたら、ディスプレイに、SOURCE:OFFと出た。

通常ならば前回鳴らした際に選択したソース(CDなりPHONOなりが表示される)と、
ボリュウムの大きさが表示される。

あれっ? と思いながら入力セレクターをまわしてみる。
けれど表示は変らない。

レベルコントロールをまわすと、ボリュウムの値は変化する。
けれど入力セレクターはどんなにまわしてもSOURCE:OFFのまま。
当然は音は出ない。

しかもスタンバイ状態を示す赤色のLEDが点灯したままである。
なんらかのトラブルが起きている。

けれど、どんなトラブルが発生しているのかが、掴みにくい。
いろいろやっても改善しない。

取り扱い説明書を出してもらった。
英文のオリジナルの取り扱い説明書と、
それを日本に訳した取り扱い説明書とがあった。

そのどちらにもSOURCE:OFFについての記述がない。
しかたないのでリセットしようということになった。

取り扱い説明書にしたがって、何度もやってみても効果なし。
次に工場出荷時の状態に戻そう、ということになった。

入力セレクターとレベルコントロールのツマミを同時に長押しすることで、
工場出荷時に戻せるわけなのだが、これもできない。

レベルコントロールは押した、という感触があるなのに、
入力セレクターは押せない状態になっている。

最初にMA7900を鳴らしたときには、確かに入力セレクターも押せた。
それはCD2入力をUSB端子に設定したときに、必要な操作だったからだ。
なのに今回は、セレクターの不具合なのか、押せない。

押せない以上、工場出荷時の状態に戻せない。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その6)」で引用した内田光子のインタヴュー。

手元にそのレコード芸術がないので正確な引用ではないが、
そこで語られた言葉で印象に残っているのが、もうひとつある。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
そう内田光子は語っていた。

この言葉を、内田光子は、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音で協演したザンデルリングにも言った、とあった。
ザンデルリングも同意した、と記事にはあった。
(確か2010年ごろのレコード芸術のはずだ)

歳をとるということは老化する、ということ。
体力的には衰えるし、身体も硬くなってくる。

けれど自由になっていく。
自由になっていくことを自覚していない人は、
つまりは大人になっていない、ということなのかもしれない。

この「自由」になっていくことで、はじめて鳴らせる音の領域がある、と、
ここ数年思うようになった。

内田光子のインタヴューを読んだときは、私はまだ40代だった。
いまは50なかば。
内田光子のことばを実感しつつある。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その3)

マッキントッシュの歴代のアンプでもっともツマミ、スイッチが多かったのは、
コントロールアンプのC32である。

C32が登場したころは、まだCDもなかったし、
AV(オーディオ・ヴィジュアル)とも騒がれていなかった。

いまではアナログ入力だけでなくデジタル入力も求められるし、
ホームシアター用にも使えることを意図したアンプでは、
マルチチャンネル再生への対応求められる。

そうなってくると、フロントパネルのツマミとスイッチには、
整理と省略が必要となってくる。
求められる機能の数だけのツマミとスイッチを増やしていけば、収拾がつかなくなってくる。

MA7900も整理と省略されたフロントパネルをもつ。
それが成功している例とはいわないが、
MA7900はそういう試みのプリメインアンプであるし、
そのために内部にプロセッサーをもち、信号を処理しているし、
それゆえに取り扱い説明書を読まなければ──、という面ももつ。

LPを再生し、CDに関してもアナログ入力とデジタル入力の両方で使う──、
そういったオーディオだけの使い方においては、
最初に取り扱い説明書を読んで、必要な設定を終えていれば、
使うたびに取り扱い説明書が必要となるわけではない。

けれどなんらかのトラブルが生じると、
取り扱い説明書をひっぱり出してこなければならないし、
それまでに培ってきたトラブル時のノウハウも、ここではあまり役に立たなかったりする。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その13)

日本オーディオ協会によるハイレゾオーディオの定義は、
アナログ領域では、次のようになっている。

 録音マイクの高域周波数性能:40kHz以上が可能であること。
 アンプ高域再生性能:40kHz以上が可能であること。
 スピーカー・ヘッドホン高域再生性能:40kHz以上が可能であること。

わかりやすいといえば、そうである。
でも、ここでも思い出すのは、瀬川先生がずっと以前に書かれたことだ。
     *
 昼間ぼんやりとテレビをみていたら、どこかのチャンネルの料理教室で辻嘉一氏が鰯料理というのをやっていた。アナウンサーが鰯の見分け方選び方等どうすればよいかと質問すると、辻氏は一瞬、言葉につまったようだったが「──つまり……。いちばん鰯らしい鰯を選ぶんですね」と言ったものだ。これは実におもしろい表現で、禅問答風の趣きさえあるが、わたくしはスピーカーについてこのらしさという表現がぴったりだとそのとき感じた。たとえば、スピーカーを手にとって仔細に眺める。いかにもスピーカーらしい、ウーファーらしいトゥイーターらしいユニット。わたしくの経験では、こうした直観に大きな過ちはなかった。わたくしは面喰いを自認しているが、しかし(単なるみせかけでなく本質的な)形の良いものに悪い音のパーツはひとつもないと断言できる。音は必ず、形ににじみ出ている。らしい形をしているのだ。
 次には音を聴いてみる。ピアノがピアノらしく、バイオリンはいかにもバイオリンらしく聴こえることが大切である。そんなことは当り前といわれるかもしれないが、ところが、ピアノがピアノに聴こえないスピーカーは、そう少なくはないとわたくしは思う。マルチ・ウェイとしたときも、聴こえてくる楽器の音を、それらしくなるように調整する。いくら調整してもらしくならなければ、それはユニットの選定のどこかがおかしい。またはアンプが、カートリッジがおかしい。
 もっと具体的に書かなくてはいけないだろうか?。たとえば多くの方は、マルチ・スピーカーを組み立てたとき、まず、どれだけレンジが延びたか、ハイが延びたか、ローが延びたか……というように、出る出ないという聴き方をしていないだろうか。しかし、いままで書いてきたことからもご理解頂けるようにマルチスピーカーは、決してレンジを広くする目的で作るのではない。帯域を拡げるのが目的ではなく、帯域の中で音のクォリティを(品位)を上げることが目的なのだ。楽器の音が最も楽器らしい、人の声が人の声らしい、ということが、クォリティのよい証明である。高音の出かた、低音の出かたに気をとられてしまうと、かえって、このらしさに注意がゆかないものだ。(音を受けとる古人によって、らしさの感じ方はすべて違う。受けとり方が違うからこそ、その人にとってらしいということが大切なのだ)
(ステレオサウンド 5号「スピーカーシステム・ユニットのすべて」より)
     *
ステレオサウンド 5号は1967年12月に出ている。
50年前に書かれているわけだ。

いまさら、といわれるかもしれないが、
ほんとうに「いまさら」だろうか。

日本オーディオ協会のハイレゾオーディオの定義と運用には、
「聴感に関わること」の項目があるのはわかったうえで、これを書いている。

同時に「らしさ」ということで、
少し前に書いた「Hi-Resについて(山下達郎と中島みゆき)」とも関係してくる。