Date: 5月 20th, 2018
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野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(その2)

私が直に感じてきた東京は、1981年春以降の東京である。
それ以前の東京について、雑誌やテレビ、映画などで断片的に見てきたにすぎない。

今回の野上さんの写真展の「BLUE:Tokyo 1968-1972」、
1968年から1972年ごろの東京に関しては、さらに断片的である。

1963年生れだから、5歳から9歳のあいだに、
東京に関して見てきたものといえば、雑誌は省かれ、テレビと映画くらいになる。

テレビはモノクロだった。
実家のテレビがカラーになったのは、私が小学校に入るかはいらないかのころだった。
1970年ごろだったか。

それまではテレビの世界はモノクロだった。
カラーテレビになっても、放送すべてがカラーだったわけではない、と記憶している。
当時、カラーで放送されていた番組には、画面の片隅にカラーと表示されていた。

映画での東京は、映画本編よりも、むしろ本編上映の前のニュースでの東京である。
いつごろからなくなったのは覚えていないが、
昔は、映画の上映には必ずニュースがあった。
このニュースもモノクロだった。

そうやって見てきたモノクロの東京の景色を、
はっきりと憶えてはいない。
ただモノクロだったことを憶えているだけである。

写真も、いつごろからカラーが一般的になっていったのか、
これもさだかに覚えていないが、私の子供のころの写真はすべてモノクロだし、
カラー写真があたりまえになるのは、もう少し後のような記憶がある。

カラー用のフィルムも、カラーの現像代も、
モノクロと比べるとけっこう高価だったのだろう。

そういえば新聞の写真は、当時はすべてモノクロだった。
あのころの映像は、ほとんどがモノクロだった。

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