Archive for category テーマ

Date: 11月 28th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その4)

ステレオサウンド 55号から、菅野先生によるタンノイ研究が始まった。
一回目は、やはりオートグラフである。
二回目が、SRMとCLMの比較であり、
四回目(58号掲載)で、SRMシリーズを全機種試聴というものである。

SRMシリーズには、オリジナルとなるSuper Red Monitor(SRM)、
これをやや小型化したSRM15X、
12インチ口径同軸搭載のSRM12XとSRM12B、
10インチ口径のSRM10Bの五機種があった。

つまりABCシリーズのArden、Berkeley、Cheviot、Devon、Eatonのラインナップが、
そのままSRMシリーズでも展開されていた。

SRMシリーズは、大掴みに言えばABCシリーズのエンクロージュアを強固にしたものだ。
SMM12Xは、だからABCシリーズのCheviotに相当するモデルともいえる。

CheviotとSRM12Xの外形寸法はほぼ同じだが、重量はCheviotが25kg、SRM12Xが30kgである。
SRM12Xだけでなく、SRMシリーズは、ABCシリーズの相当モデルよりも重量は増えている。

私はSRMシリーズはほとんどが聴いていない。
かろうじてSRMを、わすかな時間聴いたことがあるだけだ。

参考までに、ステレオサウンド 58号での菅野先生の評価を引用しておく。
     *
 SRM12Xは、ユニット口径が12インチの同軸型で、3149と称されるユニットが内蔵されている。トゥイーターとのクロスオーバーも、15インチユニットとは異なり、1・4kHzにとられている。最大連続入力100W、ピークなら350Wというヘヴィデューティな設計で、92dB/W/mの音圧レベルだから、相当な能力をもっているといえるだろう。一連の音質調整をこのシリーズはすべて備えていることはいうまでもない。つまり、ロールオフ4段、ハイエナジー5段でコントロールが可能。エンクロージュアはバスレフ型で、パイプダクトが下部に一本ある。たいへんバランスのよいシステムで今回の試聴機種の中では最も強く印象づけられた製品であると同時に、SRMシリーズの中にあって、堂々と存在の独自性を誇り得る機種でもあると思う。12インチ口径のユニット3149の音質はたいへん優れていて、全帯域のバランスとしては、むしろ15インチ口径のK3808や、K3838、3828よりよいと思われる。ごく低い領域は15インチ口径が勝ることは当然だが、しかしエンクロージュアを小型化した場合には、絶対、12インチ口径の低音のほうが質がよいはずだ。
(中略)
 SRM12Xは、SRMシリーズの中で最も一般向きとして受け入れられる製品だと思う。30cmのデュアルコンセントリックのバランスはたいへん好ましく、音の質感はタンノイの重厚さを保ちながら、シリーズ中、もっともカラーレイションの少ないものといってよい。聴き応えのあるタンノイ特有の説得力は強いが、中低行きがよくコントロールされているので、固有の癖と感じられる音ではない。スケール感は十分で,15インチユニットの大型フロアータイプとまではいかなくても、一般家庭の20畳ぐらいまでの部屋なら不足はないはずだ。
     *
いまこうやって菅野先生のSRM12Xの評価を読み返していると、
上原晋氏らしい選択とおもえてくる。

Date: 11月 28th, 2018
Cate: audio wednesday

第95回audio wednesdayのお知らせ(再びULTRA DAC)

一週間後の12月5日のaudio wednesdayで、
もう一度メリディアンのULTRA DACが聴ける。

10月12日に、それが決って、一ヵ月以上待ち遠しい、という気分を味わっている。
やっと、あと一週間で再び聴ける、
書いているだけで嬉しくなってくる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 11月 28th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その3)

上原晋氏のリスニングルームに入って、まず思ったのは、
ラックスのアルティメイトシリーズの冊子ではよくわからなかった部屋の形である。

大きく捉えれば五角形の部屋である。
とはいえ正五角形ではないし、
あくまでも大きく捉えれば、であって、平行面の少ない部屋である。
この部屋の形は、数枚の写真だけで正確に伝えるのは難しい。

天井はもっとも高いところでは4mを優に超えている。
教会の建物のように天井は傾斜している。
1978年に完成したリスニングルームとのことだった。

基本的な設計は上原晋氏自身によるもの、らしい。
リスニングルームは、そのように変形とはいえ、建物の外観はごく普通である。
ラックスの冊子にもあるように、
左右のスピーカーの間にある扉を開けると、上原晋氏の作業室といえる空間がある。

この空間も、また変形である。
つまりリスニングルームを、そういう設計(形)にするために生じた空間を、
仕事場にされていたし、その隣は暗室であった。

リスニングルームには、上原晋氏撮影の写真が飾られていた。
長男の嵩史氏によれば、晩年はオーディオはあまりやられていなかったようだ。

写真に集中されていた、とのこと。
理由はよくわからない、とのことだった。

でも上原晋氏のシステムを眺めていると、
なんとなくではあるが、そうかもしれない、とはおもえてくる。

スピーカーは前述したようにタンノイのSRM12Xだ。
このスピーカーは型番の数字が示すように12インチ口径の同軸型ユニットを搭載している。

SRMは、Super Red Monitorの略で、
15インチ口径搭載のSuper Red Monitorがあるし、SRM15Xもあった。
さらには外観的はほぼ同じである、Classic Monitor(CLM)もあった。

けれど上原晋氏はSRM12Xを選ばれている。
アナログプレーヤーにも同じことがいえる。

回転数が合わないということで、別のプレーヤーをいまは使用されているが、
リスニングルームには、ラックスのPD131が置いてある。
上級機のPD121ではなく、131の方があった。

Date: 11月 27th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その2)

アルティメイトシリーズは1983年に発売になった。
ラックス最後の真空管アンプということだけでなく、限定販売でもあった。

けれど翌1984年には、
ウェスターン・エレクトリックの300Bを採用したシングルアンプMB300を出す。
その後も、ラックスは真空管アンプを出しつづけているし、
現在も真空管アンプはラインナップのなかに、いつもある。

アルティメイトシリーズは、すぐに完売した、ともきいている。
限定ということも売行きを加速したのかもしれないが、
真空管アンプは、まだまだ商売になる、とラックスは思ったのだろうか。

このことについて、あれこれ書くつもりはない。
アルティメイトシリーズは、ラックスにとって特別な製品であったのだろう、
カタログの他に、冊子もつくっている。

ラックスの製品で、こういうことはあったのかどうか知らないが、
他のメーカーをながめてみても、あまり例がないことだろう。

冊子がつくられることは、ままある。
けれど、それらの冊子は、
各オーディオ雑誌に製品が取り上げられた記事をまとめたものである。

アルティメイトシリーズの冊子のような例は、少なくとも私には他に知らない。

この冊子をみたことがある人ならば、
そこに上原晋氏のリスニングルームが載っていることを記憶されていることだろう。

タンノイのGRFメモリーが置かれてあった。
このタンノイを、アルティメイトシリーズのアンプで鳴らす、という記事である。
この記事のせいだろうか、
上原晋氏は、GRFメモリーを鳴らされていた、と思われた人は少なくないはず。
けれど、実際はタンノイのSRM12Xを鳴らされていた。

冊子の記事をよく読み、よく写真をみれば、なんとなくわかることなのだが、
GRFメモリーは、冊子のために一時的に上原晋氏のリスニングルームに持ち込まれたものだ。

Date: 11月 26th, 2018
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいる聖域)

「ぼく(私)、ナイーヴですから」と、なぜか自慢気にいう人たちがいる。
私は繊細だから傷つきやすい、とでもいいたいのだろう。

けれどナイーヴ(naive)とセンシティヴ(sensitive)とは違う。
繊細とは、ナイーヴではなくセンシティヴのほうである。

繊細であるためには、強くなくてはならない。
「ぼく、ナイーヴですから」といっているようでは、
繊細でいるための強さにはほど遠い。

別項で「オーディオ入門・考(いつまでも初心者なのか)」を書いている。
ほんとうの意味での初心者は嫌いではない。

どんな人にでも、初心者のときはある。
けれど、どんなにキャリアを積んでも、「私は初心者ですから」という人が、
はっきりいって嫌いである。大嫌い、といってもいい。

そんな人は、どんなにオーディオを長いことやっていても、
聖域を築けなかった(持てなかった)のだから。

Date: 11月 26th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その24)

音楽が好きな人に、オーディオに興味・関心をもってもらうには、どうしたらいいのかについては、
私がステレオサウンドにいたころからいわれ続けているし、
おそらく、そのずっと前から、そうだったのだろう。

人によって、違う。
ほどほどの価格でもいい音で聴いてもらうことが大切、という人もいれば、
正反対の、価格は無視して、とにかくいま考えられる最高の音を聴いてもらうのがいい──、
そういう意見もある。

私は、「五味オーディオ教室」で、この世界に入ってきたわけだから、
どこかで、すごい音、いい音を聴いて──、というわけではない。

もう、このことに関しては、人それぞれなのだろう。

ただそれでも、ひとつだけいえることはある。
オーディオはかっこいい、と思わせることだ。

ところが、いまはどうだろう。
ひとつ前に書いたような人が、オーディオショウの会場にいる。
それを、かっこいい、と思う人がいるだろうか。

こんな人のことは、どうでもいいわけで、
オーディオ評論家を、かっこいいと感じている人が、はたしているのか、と思う。

先日も、そういう話になった。
それ以前にも、別の人と、同じようなことを話している。
twitterでは、昔のオーディオ評論家はかっこよかった、というツイートをみかけたこともある。

たしかに、そういう時代があった。
そういう時代を、私は知っている。
私だけではない、そういう時代を知っている人は、まだまだ大勢いる。

別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、太陽と月の輝きの違いについて書いた。

月は光を自ら発することはできない。
私が、かっこいいと感じるかどうかは、光を発することができるかどうかだ。

Date: 11月 26th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その23)

大阪ハイエンドオーディオショウで、ひとつとても気になったことがあった。
ショウの運営とか、そういうことではない。
来場者について、である。

インターナショナルオーディオショウでも、写真を撮る人はけっこういる。
音が鳴っている時でも撮る人はいる。
そういう人でも、遠慮というものがやっぱりあって、さっと撮って、というふうに感じていた。

大阪ハイエンドオーディオショウでみかけた人は、すごかった。
音が鳴っていて、こちらが坐って聴いているにもかかわらず、
器材の前、スピーカーの前に立って撮っている。
一枚や二枚ならば、こんなことは書いたりはしない。

もう何枚も撮っている。
しかもほんの少しだけアングルを変えて撮っている。

いちおう、こちらの方を向いて、すみませんねぇ〜、みたいな顔をしてみせるが、
基本的には、自分のことだけしか考えていない人なのだろう。

おそらくブログかウェブサイトで、それらの写真を公開するのだろう。

こういったオーディオショウに来る人は、なにもオーディオマニアばかりではないはずだ。
好きな音楽をいい音で聴きたい、とおもって、
オーディオに関心をもって来る人もいたとおもう。

そういう人が、こんな人と遭遇したら、どう思うだろうか。
ちなみに、その人は、私が入った次のブースでも、同じように撮影していた。

Date: 11月 25th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(Made in Japan・その1)

何年くらい前からだろうか(オーディオ以外のところで)、
Made in Japanを誇らしげに謳っているのをよくみかけるようになった。

それらをみかけるたびに思っているのは、
ずっと以前のMade in Japanと、現状でのMade in Japanは、
意味するところは必ずしも同じではないはず、ということだ。

ずっと以前のMade in Japanは、いわばMade by Japaneseだった。
日本でつくられるイコール日本人によってつくられたモノであった。

いまはMade in JapanイコールMade by Japaneseなわけではなくなりつつある。

Made by JapaneseであるモノとMade by Japaneseではないモノ。
どちらが優れているとかそういうことではない。

ただMade in Japanを、誇らしげに(ことさらに)謳っているのをみると、
Made in Japanとは、どういうことなのかを問い正しくなる、ということである。

Date: 11月 25th, 2018
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、という聖域)

手塚治虫はいじめられっ子だったことは知られている。
手塚治虫が子供のころには、戦争もあった。

手塚治虫記念館に行けば、小さいころからマンガを描いていたことを、
しっかりと見せつけられる。

そういうことは、一通りは文字情報だけで知ってはいた。
知ってはいた、と、そのころの手塚治虫が描いたものを目にするのとでは、
受けることは大きく違ってくるし、そうしないと気づかないことがあることもわかる。

手塚治虫にとってマンガとは、手塚治虫自身の居場所だったんだ、と気づく。
その居場所は、手塚治虫にとって聖域であったのかもしれない、とおもう。

そして正直の純度を高めていくことだ、と実感できた。

Date: 11月 24th, 2018
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その5)

宝塚ときいて、宝塚歌劇を思い浮べる人のほうが多いだろうけど、
私は手塚治虫であり、宝塚市立手塚治虫記念館である。

今回の上原晋氏のリスニングルーム訪問が決ったときから、
手塚治虫記念館に行こうと決めていた。
しかも今年は、手塚治虫生誕90周年でもある。
(そういえば手塚治虫は1928年生れ、岩崎先生もそうである。)

手塚治虫はマンガ家である。
マンガ家は、編集者から先生と呼ばれている、ときいている。
マンガ家同士も、先生とつけて呼び合っている、ともきいている。

オーディオ評論家と、そのへんは同じようである。

手塚治虫も先生と呼ばれている。
手塚治虫記念館に行くと、そのことがよくわかるし、
手塚先生と呼ぶ人たちは、心から先生とつけていることが伝わってくる。

いまのオーディオ評論家の先生とは、まったく違う。

Date: 11月 24th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その1)

昨日(11月23日)は、兵庫と大阪に行っていた。
大阪ハイエンドオーディオショウが第一の目的ではなかった。
大阪ハイエンドオーディオショウをみたのが、二時間足らずだったのはそのためである。

兵庫は宝塚に行っていた。
ラックスの上原晋氏のリスニングルームに行っていた。

上原晋氏は、ラックスの技術部長、技術顧問、常務だった人である。
2015年12月に亡くなられている。
故人のリスニングルームを訪問してきた。
いまは長男の上原嵩史氏が、維持され鳴らされている。

上原晋(すすむ)氏の名前は、ラックスというオーディオメーカーに興味のある人ならば、
ある世代よりも上ならば、たいていの人が知っている。

それまで上原晋氏のことを知らなかった人でも、
1982年に発表されたアルティメイトシリーズ、
プリメインアンプLX38u、コントロールアンプCL36u、パワーアンプMB88uの記事で、
上原晋氏の名前と存在を知ったであろう。

ステレオサウンド 65号(1982年12月発売)に、
「ラックスのアルティメイト・シリーズに見るオーディオ工芸家 上原 晋論」が載っている。
永井潤による文章だ。

アルティメイトシリーズのアンプ三機種は、いうまでもなく真空管アンプである。
型番末尾につく「u」はアルティメイト(ultimate)を表わしている、と発表されているが、
じつのところ上原晋の「u」でもある。

記事にもあるが、このアルティメイトシリーズが、
ラックス最後の真空管アンプとなる予定だった。

Date: 11月 23rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その22)

大阪ハイエンドオーディオショウに行ってきた帰りの新幹線の車中で書いている。
できれば一泊してゆっくり見てまわりたかったが、
手頃なホテルがどこもいっぱいで、日帰りになってしまった。

なので大阪ハイエンドオーディオショウには、二時間足らずとはいえ、
なんとか行けたものの、明日からのオーディオセッションには行けずに帰っている。

大阪ハイエンドオーディオショウは、ホテルでの開催ということから、
インターナショナルオーディオショウの前身である輸入オーディオショウ的な雰囲気なのか、と、
なんとなく想像していた。

インターナショナルオーディオショウとは、かなり違う。
だからといって輸入オーディオショウ的だったかというと、
輸入オーディオショウの開催は、
かなり以前のことだから細部までしっかりと記憶しているとはいえないが、
違うといえば違う。

会場となるホテルの中に入ってしまえば、
東京と大阪の雰囲気の違いがあるかといえば、そうでもない。
それでも各ブースでの音出しの雰囲気そのものが、
東京(インターナショナルオーディオショウ)とは、うまくいえないものの、なんとなくの違いを感じる。

Date: 11月 21st, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その21)

十数年前からなんとなく感じていることがある。
親しくなり打ち解けて話すようになる。
そのときの話しぶり、声の印象は、その人が出している音に、どこかつながっていく。

今回のインターナショナルオーディオショウでも、
何人かのオーディオ評論家と呼ばれている人たちの話をきいた。

今年になって、さらに気づいたことがある。
鳴らしているスピーカーの能率の高低と、使っている人の話しぶり、声の印象も、
また共通しているといえるところがある、と。

ホーン型で、高能率のスピーカーを鳴らしている柳沢功力氏と黛健司氏、
対照的に低能率のスピーカーを鳴らしている傅信幸氏と三浦孝仁氏。

柳沢氏と黛氏を比較すれば、もちろん違う。
けれど大きく眺めてみると、
後者の二人と比較してみると、柳沢氏と黛氏の話しぶりには共通しているところがある。

それは昔よくいわれたブリティッシュサウンド、アメリカンサウンドのようなものだ。
イギリスのスピーカーを一機種ずつ聴いていけば、もちろんそれぞれ違う音がする。
それでも、他国のスピーカーをそこに持ってきて比較試聴してみると、
確かにイギリスの音といえるなにかを感じとることができるのと同じだ。

Date: 11月 19th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その20)

個人的に気になっていることは、クラシックがかけらえてくなりつつあることよりも、
こういったオーディオショウにおけるスタッフ(関係者をふくめて)のしゃべり方である。

なんといったらいいのだろうか、
共通するしゃべり方には、ある種の臭いを感じとってしまう。
テレビやラジオでの通信販売のしゃべり方と同じ臭いがあると感じてしまう。

すべてのブースのスタッフがそうだとは、もちろんいわない。
それでも年々少しずつ増えてきているような気もしている。

ファインオーディオの説明をされていたアクシスのスタッフにも、
それほど強くはなかったけれど、ところどころにそんな臭いを感じていた。

別のオーディオショウでは、もっと強かった例もある。
ただ、それはわかりやすく説明しようという勢いから、そうなってしまうのかもしれない──、
そう思ってはいても、気になるものは気になる。

一度気になると、ひどく耳障りでもある。
私が気にしすぎなのかもしれないが、
他の方たちは、まったく気にならないのだろうか。

Date: 11月 18th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その19)

ファインオーディオの輸入元アクシスのサイトには、
《その主要スタッフは、元Tannoy社エンジニアリング・ディレクターとして辣腕を揮ってきたDr.ポール・ミルズを始め、全員が、長年ハイエンドオーディオ業界に深く携わってきた豊富な創造的スキルと技術実績を誇ります。》
とある。

現状のトップモデルF1の外観は、
タンノイ以外のオーディオメーカーからのスタッフの一人は、おそらくB&Wからも来ているのだろう、
と思わせる。

私か聴けたのは、F500とF1である。
ここで、細かな音の印象を書くつもりはない。
オーディオショウという環境で聴けた音は、
こまかなことをあれこれいうものではない、という考えからだ。

大まかな感触がつかめれば、それでいい、と私は思っている。
その感触でいえば、
自分の手でセッティングして鳴らしてみたい、と思った。

タンノイの音のイメージとは随分違うけれど、
芯を感じさせる音は、どちらにも共通していえることだし、
アンプやCDプレーヤー、それに鳴らし手の違いもあるから、
確信をもっていえるわけではないが、芯の強さはファインオーディオの方が、
よりしっかりしているかもしれない。

ただ残念だったのは、F1でクラシックを聴けなかったことだ。
アクシスだけに限らない。
ここ数年、多くのブースでクラシックが一曲もかからないことがある。
昨年のハイエンドのブースにあったKiiオーディオもそうだった。

クラシックを鳴らす気配すらなかった。
いろいな音楽が鳴らされるのは、たいへんけっこうなことだ。
けれど、クラシック好きにとっては、クラシックが虐げられてつつあるような気すらする。