「新しいオーディオ評論」(評論の立ち位置)
オーディオに関係する評論家には、
軸足をどちらにおいているかで、オーディオ評論家と呼ぶか、
オーディオ・ヴィジュアル(もしくはホームシアター)評論家と呼ぶかが決る。
ホームシアターを積極的に取り組まれていても、
山中先生、朝沼氏は、私にとってはオーディオ評論家である。
オーディオ評論家(職能家)、オーディオ評論家(商売屋)と、
このブログで書いていても、どちらにしてもオーディオ評論家と認識のことである。
その人は、その意味ではオーディオ評論家ではない。
どの人なのかは、あえて書かない。
それでも昨晩の川崎先生のfacebookを読んだ人ならば、
伏せ字とはいえ、誰なのかはすぐにわかろう。
川崎先生の投稿からは、川崎先生の強い怒りが感じられる。
その人(ホームシアター評論家と呼ぶべきか、違う呼称もあるけれど)は、
この業界ではもっとも力がある人といえる。
オーディオショウに行ってみればわかる。
国産メーカーの人たちの、その人に対する態度を見ていれば、わかる。
それだけの影響力がある、とメーカー側は見ているのだろう。
その影響力に関しては、長岡鉄男氏と同じくらいではないか、とすら思えてくる。
その人が書いたものは、ずっと以前は仕事柄読んでいた。
いまはまったく読んでいない。
それでもひとつ感じることがある。
その人には、熱心な読み手がいるのだろうか、ということだ。
私は長岡鉄男氏に対して否定的な立場である。
それでも長岡鉄男氏には、熱心な読み手がいたことはわかっている。
長岡ファン、長岡教の信者とはいわれるほどの熱心な読み手がいた。
そういう人たちがいるから、いまでも長岡鉄男氏の本が出版されている。
長岡鉄男氏だけではない、
私自身、瀬川先生、岩崎先生、五味先生、菅野先生の熱心な読み手である。
その人には、熱心な読み手はいないように、私は感じている。
熱心な読み手がついていないのに、影響力があると業界はみているのか。
評論の立ち位置を、その人は変えてしまったのか。
REPLY))
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