Archive for category テーマ

Date: 1月 6th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その10)

その9)で《鍛えられずに》と書いた。
(その9)でいいたかったことは、この一言につきる。

鍛えられる──、
こんなことを、オーディオという趣味の分野で使うことに抵抗を感じる人はいよう。
趣味なのだから、本人が楽しめればいいじゃないか、
そこに苦しいおもいをする必要はないはず──、と。

鍛える、ということに少しは賛同してくれる人がいたとしても、
彼らは、では、どうやって鍛えるのか、ときいてくるかもしれない。

アンプでもケーブルでもいい。
システムのどこ一箇所を変更する。
変更前と変更後の音を、オーディオマニアならば納得するまで比較試聴するはず。

わかりやすい違いもあれば、微妙な違いのときもある。
微妙な違いの場合、どちらがいい音(望む音)なのか、判断に迷うこともある。
そこで時間をかけて、しつこく試聴を重ねる。

これも鍛えることではある。
それでも、私がいいたい「鍛える」「鍛えられる」は、
その域に留まっていることではない。

オーディオは一人でできる趣味である。
それでも師と呼べる人をもつべきだ、と、
私は自分の幸運をふりかえって、そういおう。

スポーツでも、楽器の演奏でも、コーチ、師といった存在がいる。
優れたコーチに出逢えた選手と出逢えなかった選手とでは、
当然のことながら違ってくる。

正しく鍛えられた選手とそうでない選手の違いがある。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン

リヒャルト・ワーグナーの「ベートーヴェン」が、法政大学出版から出ている。
昨年夏に出ていたようなのだが、今日まで気がつかなかった。

五味先生が「日本のベートーヴェン」で、
《けっしてベートーヴェン論を説こうというのではないし、私にそんな資格があるわけもない。作品論ならワグナーの『ベートーヴェン』(高木卓氏訳)などを読んだ方が早い》
と書かれていた。

その時から読もう読もうと思いながらも、
私の探し方がまずかったのか、縁がなかったのか、
いままで出逢うことがなかった。

実は一度神保町の古書店で見かけたことはあるが、
けっこうな値がついていて、ふところが寂しかったころもあって、手が出せなかった。

それからでも、けっこうな月日が過ぎている。
もう読む機会はないのかも……、と思いはじめてもいた。

今回出た「ベートーヴェン」は、高木卓氏の翻訳ではないが、
とにもかくにもワーグナーの「ベートーヴェン」が日本語で読める。

Date: 1月 5th, 2019
Cate:

賞からの離脱(ステレオサウンド 209号)

ステレオサウンドはこれから先どうなっていくのだろうか……。
そんなことを毎号、思っていたのだが、
いま書店に並んでいる209号をパラパラと見ていて、
いままで以上に、大丈夫だろうか……、と思ってしまった。

特集のStereo Sound Grand Prix。
毎回、選考委員が会議室と思われる部屋での集合写真が載る。
今回も載っている。
けれど、ステレオサウンドの社屋を背景にした写真であった。

会社案内のパンフレットにでも載せる写真か、と思う。

記憶違いでなければ、前回のStereo Sound Grand Prix(205号)では、
会議室での集合写真だった。

どうしたんだろうか。
こんな写真を撮ってまで載せる理由はなんだろうか。
選考委員の誰一人として、こんな写真を撮るの? と疑問に感じなかったのか。

強い違和感をおぼえた。
そう感じる私のほうが、おかしい感覚になってしまっているのだろうか。
それとも、臆面もなく、こんな写真を掲載する感覚が、とっくにおかしくなってしまっているのか。

そんなことを年末に、ぼんやりとおもっていた。
数日前、ステレオサウンドが移転することを知った。

2月に新しい事務所に引っ越すらしい。
そういう事情があって、社屋を背景とした写真だったのか、と一応の理解をしつつも、
それでも違和感を拭い去ることはできない。

今年の12月に出る213号では、どんな集合写真なのだろうか。

Date: 1月 4th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その9)

文字情報による知識を得るのは、たやすい時代になっている。
そういう時代にあって、受験テクニックを身につけている世代は、
どれだけでも知識を増やしていけることだろう。

そういう人を知っている。私より一世代くらい若い人だ。
知識を、とにかく身につけているオーディオマニアだ。

けれど、残念なことに、それらの知識が有機的に結びついているとは言い難い。
体系化できていない。
だから、それらの知識は、いわば脂肪のように彼にまとわりついている。

本人は、オーディオに詳しいと自負していることだろう。
知識量だけはあるのだから、そういえなくもない。

でも、身につけているだけである。
筋肉とは違い、脂肪のようだ、という理由はそこにある。

そのためか、その人のオーディオの言動は、
とても見苦しい、と感じる。

いわば知識の肥満体である。
ぶくぶくと知識だけが、鍛えられずに身についているだけなのだから。

これも時代の軽量化のように感じている。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(「音は人なり」の「音」とは)

これまでの人生で得たものによる「音」なのか、
失ってきたものによる「音」なのか、
得たものと失ってきたものとが均衡している「音」なのか。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(MQA-CDのこと)

ある大手レーベルが、MQA-CDに参入する、というウワサを耳にした。
どのレーベルなのかも聞いているけれど、どうなるのかはっきりしないから、
どこなのかまでは書かないけれど、このレーベルからMQA-CDが登場したら、とても嬉しい。

とにかく参入してほしい。
それから成功してほしい。
そうすれば、他のレーベルからもMQA-CDが出てくるであろうからだ。

Blu-Ray Audioにドイツ・グラモフォンは積極的のようだ。
それはそれでけっこうなことだとは思っているけれど、
いざ自分でBlu-Ray Audioのディスクを再生することを考えると、
どのプレーヤー(トランスポート)を使うのか、が問題というか、
これから先はとうなるのかははっきりしないが、
現状ではネックになってくるように感じている。

Blu-Rayをリッピングして、という方法もあるが、
実際にやっている人の話をきくと、CDDBが利用できないから、そこが大変らしい。
オペラは、ほんとうに面倒、とのこと。

パッケージメディアとして、通常のCDがあり、
SACD、Blu-Ray Audio、MQA-CDもある。

けっこうな時代になった、と実感できる。

Date: 1月 3rd, 2019
Cate: audio wednesday

第97回audio wednesdayのお知らせ

2011年2月2日に第一回だったaudio wednesdayも来月から九年目に入る。
どのくらい続けられるのだろうか、と最初は思っていた。

それに音を鳴らして、ということはできないだろう、とも思っていた。

それが今年の5月には100回目を迎えるし、
音もこの三年間、鳴らしている。

オーディオ雑誌の試聴室、オーディオ店の試聴室ではないから、
いろんな機器を取っ換え引っ換えなんて無理である。

鳴らしているシステムも、あまり変っていない。
それでも協力してくれる人たちが何人かいてくれることで、
代り映えしないようでいて、そうではない音出しができている。

2月のaudio wednesdayは、6日。
テーマはまだ決めていないが、音出しの予定だ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 1月 2nd, 2019
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その10)

「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、
1985年のライヴエイドの再現である。

実際のライヴエイドがどうだったのかは見たことがないけれど、
「ボヘミアン・ラプソディ」を観ていると、見事としかいようがない。

それは決してトレースではない。
その9)で指摘したようなトレースではないから、
ここにきて「ボヘミアン・ラプソディ」のカタルシスがとてつもないものに仕上がっている。

クイーンのヒットした曲は、ある程度は知っている(聴いている)程度で、
一枚もクイーンのLP、CDを持っていない私(にわかファンですらない)でも、
グッと胸にくるものがあった。

ライヴエイドのシーンで、涙する中高年のファンが多い、と聞いているが、
若いころにクイーンに夢中になっていた時期があったならば……、
そんなふうに思わせるほどだ。

けれど、再現度がどれほど完璧といえるレベルにあったとしても、
フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックが、実際のライヴエイドの映像を見、記憶し、
フレディ・マーキュリーの動きをトレースしただけでは、
それがどんなに完璧なトレースであったとしても、
1985年のライヴエイドの再現とはとうていなりえない。

トレースは、どこまでいってもトレースでしかない。
トレースの域から脱したところでのラミ・マレックのフレディ・マーキュリーだからこその感動であり、
ここで涙する人が大勢いるのだろう。

Date: 1月 1st, 2019
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その2)

ホーン型の場合、
コンプレッションドライバーのピストニックモーション領域は2オクターヴくらいといわれている。

2オクターヴということは、オールホーン型でシステムを組み、
すべてのユニットをピストニックモーション領域で使うことを前提とするならば、
必然的に5ウェイとなる。

しかも遮断特性の低次であれば、ピストニックモーション領域から外れてくるわけで、
急峻な遮断特性のフィルターでカットオフしなければならなくなる。

デジタル信号処理であれば、96dB/oct.とか、それ以上の遮断特性を得られる。
そうやって5ウェイ、
さらには万全を期して6ウェイ、7ウェイという非常に大がかりなシステムを組んだとしよう。

そうすることで、一般的にいわれているホーン型のピストニックモーション領域の追求は、
ほんとうにピストニックモーションの実現となるのだろうか。

コンプレッションドライバーのエッジは、大きくはタンジェンシャルエッジである。
ウェスターン・エレクトリックの時代から、
タンジェンシャルエッジは、特定のレゾナンスを抑えるためにも有効である。

けれどタンジェンシャルエッジは放射状に折られている。
アルテックとJBLとでは、その方向が逆でもある。

方向がどちらであっても、タンジェンシャルエッジを見ていると、
これでダイアフラムが前後にピストニックモーションをできるのか、と、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの中学生のころ疑問に思った。

どうみてもダイアフラムが前後に動く際に、僅かとはいえ回転しそうに感じたからだ。
実際にどういう動作をしているのかというと、ダイアフラムの前後運動にともない回転運動が起きている。

ダイアフラムの振幅が大きくなれば、回転運動も無視できないほど大きくなる。

Date: 1月 1st, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その4)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、
1970年年代初頭から1985年のライブエイドまでが描かれているから、
この映画に登場するオーディオ機器も、時代によって違っている。

EMIの重役レイ・フォスターのオフィスでのシーン。
そこにあったのはガラードの401にSMEのトーンアームの組合せ。
時代的にもイギリスということもあって、ガラードとSMEなのか、やっぱりと納得するものの、
401のついている三つのツマミの真ん中を反時計方向に廻すシーンがある。

そんなことしたら回転数が遅くなってしまう……、と思っていたら、
音量が小さくなっていった。
そのツマミはピッチコントロールであって、レベルコントロールじゃないのに……、
とオーディオマニアなら誰しも思っていただろう。

フレディ・マーキュリーが数年ぶりにクイーンのメンバーと会うシーンでは、
1985年ということもあってCDプレーヤーがある。
メリディアンのMCDが、そこにあった。

ちらっと映し出されるとはいえ、何度か登場する。

Date: 1月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

audio wednesdayのこと(その3)

5月1日から新元号になる。
平成が4月30日で最後になるため、
平成最後の大晦日とか、平成最後の紅白歌合戦とか、
そんなふうに語られることが急に増えてきている。

元号が変る。
それはもちろん知っていた。
今年の5月のaudio wednesdayが100回目なのも、とっくに気付いていた。

けれど不思議なことに、この二つのことが結びついていなかった。
今年5月のaudio wednesdayは、1日である。

新元号になって最初の日が、100回目のaudio wednesdayになる。
偶然にしても、なにかしら感じるものがある。

Date: 12月 31st, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年の最後に

2017年はマリア・カラス没後40年だったことは知っていた。
けれど「四十年かぁ……」ぐらいのおもいだった。
40年を記念してSACDが出たことも知ってはいたが、それ以上の関心をもったわけではない。

それが、どうしてか今年の後半になってから、マリア・カラスに対する熱が高まっている。
これまでにないくらい高まってきている。

きっかけはいくつかあった。
すでに書いているように、メリディアンのULTRA DACの音もそのひとつだ。
でも、それだけで、ここまで高まっているとは思えない。

他にも小さなきっかけが二,三ある。
そこに映画「私は、マリア・カラス」の公開を知った。

映画も観た。
さらに火がついたのかもしれない。

今日(12月31日)、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
夕方からの回で、こんな時間に帰宅しての、今年最後のブログを書いている。

「ボヘミアン・ラプソディ」からもマリア・カラスの歌が聴こえてきた。

なぜ、いまごろになってマリア・カラスなのか。
2019年への宿題になってしまったようだ。

Date: 12月 30th, 2018
Cate: 映画

MARIA BY CALLAS(その2)

《多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした》
と黒田先生は、「音楽への礼状」で書かれていた。

「MARIA BY CALLAS」を観ていると、このことをまざまざと見せつけられる──、
といっていいだろう。

こうも続けて書かれていた。
     *
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。今でも、ぼくは、あなたのうたわれたオペラをきいていると、あのときのあなたの寂しげな微笑を思い出し、あの朝、あなたは神になにを祈られたのであろう、と思ったりします。
     *
私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」を観て感じるのは、
恋する女の脆さをあきらかにできるのは、
マリア・カラスその人をあきらかにしているからだ、ということだ。

黒田先生が書かれている《あのときのあなたの寂しげな微笑》、
映画のなかにも出てきたようにおもう。

Date: 12月 29th, 2018
Cate: 映画

MARIA BY CALLAS(その1)

最初に「私は、マリア・カラス」と日本語のタイトルが映し出される。
そのあとに映画本編が始まる。

本編の最初にスクリーンに映し出されるのは、
原題の「MARIA BY CALLAS」である。

1970年、アメリカのテレビ番組のインタヴューから始まる。
何度もダビングを繰り返したような細部のつぶれた画質である。

このテレビ番組のインタヴューは、映画のなかで何度か出てくる。
映画も終りに近づいたころ、もう一度登場する。

マリア・カラスが「自分勝手な祈りをするの」というシーンがある。
どんなことを祈っているのかは、映画を観てほしいのだが、
話し終ったあとにみせるマリア・カラスの表情が、茶目っ気とでもいおうか、
それまでのマリア・カラスの表情からは想像し難いものだった。

ダビングを繰り返したような画質なのが残念といえばそうなのだが、
そんな画質であっても、「MARIA BY CALLAS」には欠かせない一コマのように思えた。
それほど印象的である。

「MARIA BY CALLAS」を観ていて、
こんなにもカラスの映像が残っているのか、ということにも驚く。
いまの時代を生きていた人ではない。

1977年にカラスは亡くなっている。
スマートフォンもデジタルカメラもなかった時代である。
カメラも大きく重かった時代である。

それでもこれだけの映像が残っている、ということは、
映画に使われなかった映像はあるわけでは、全体ではどれだけ残されているのか。

マリア・カラスがどれだけ注目の的だったのかが、窺いしれる。
1958年1月のローマ歌劇場での「ノルマ」の、第一幕での気管支炎による降板を、
当時のマスコミがどのように報じたかも含めて考えると、
マリア・カラスの存在は、いったいどういうことだったのか──、とおもう。

映画では、たびたびカラスのプライベートな手紙が、
ファニー・アルダンの朗読によって読まれる。

そこで何度か出てくるウォルターとは、おそらくウォルター・レッグのことなのだろう。
ウォルター・レッグは「レコードうら・おもて」で、
《カラスの輝かしさはダイヤモンドのそれであって、太陽の輝きではなかった》
と書いている。

だからだったのだろうか……。

Date: 12月 28th, 2018
Cate: audio wednesday

第96回audio wednesdayのお知らせ(マリア・カラスとD731)

年が明ければすぐにaudio wednesday(1月2日)。

マリア・カラスだけをかける回である。
マリア・カラスが残した録音のなかで、もっともかけたいのは、
ベルリーニの「ノルマ」である。

いまではベッリーニのほうが一般的になっているようだが、
昔はベルリーニだった。なので、ここではベルリーニにしている。

黒田先生がかなり以前に、
マリア・カラスだけ聴いていればそれでいい、という考え方・聴き方には賛成できないが、
それでも「ノルマ」に関してだけはカラスに尽きる──、
そんなことを書かれていた。

「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)は、
「ノルマ」全曲を聴いたことがない人でも、
「ノルマ」という作品についてあまり知らない人であっても、
どこかで耳にしていても不思議でないほどに有名なアリアであり、
「Casta Diva」ほど難しいアリアはない、ともいわれている。

「Casta Diva」を、私は「ノルマ」全曲盤で聴くよりも、
シルヴィア・シャシュのオペラ・アリア集で初めて聴いた。

ステレオサウンドの試聴室にも、このLPはあった。
気になる新製品が登場すると、シャシュのレコードをかけていた。

1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の時もそうだった。
午前中の試聴が終り、昼食のあいだに、午後からのスピーカー、
アクースタットのModel 3を準備していた。

黒田先生たちが食事から戻られるまでには少しばかり時間があった。
この時、試聴レコードにシャシュのアリア集は含まれていなかった。
なので、この空き時間にシャシュを聴いていたところに、
黒田先生たちが戻ってこられた。
     *
弱りましたね。「ステレオサウンド」編集部の素晴らしいところと怖いところは、どこに落とし穴があるかわからないところなんだ(笑)。編集部の方々もどの人が味方でどの人が敵なのかわからない。
というのも、昼食を食べて試聴室に戻ってきたら、あれはシルビア・シャシュだと思うけれど、彼女の歌っているノルマの「カスタディーバ」が聴こえてきた。昼休みを利用して試聴レコードにないシャシュがかかっていたわけなんですが、この選曲が、このアクースタットのモデル3にとっては抜群の出来だったと思うのです。
     *
黒田先生は、サウンドコニサーの座談会で、こう語られていた。
この時の「Casta Diva」は美しかった。

1月2日に鳴らすスピーカーは、コンデンサー型のアクースタットとは対極にあるアルテックのホーン型。
シャシュではなくカラスの「Casta Diva」。
LPではなくCDである。

「Casta Diva」は、21時すぎ(おそらく22時ごろ)にかける。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。