2018年ショウ雑感(その24)
音楽が好きな人に、オーディオに興味・関心をもってもらうには、どうしたらいいのかについては、
私がステレオサウンドにいたころからいわれ続けているし、
おそらく、そのずっと前から、そうだったのだろう。
人によって、違う。
ほどほどの価格でもいい音で聴いてもらうことが大切、という人もいれば、
正反対の、価格は無視して、とにかくいま考えられる最高の音を聴いてもらうのがいい──、
そういう意見もある。
私は、「五味オーディオ教室」で、この世界に入ってきたわけだから、
どこかで、すごい音、いい音を聴いて──、というわけではない。
もう、このことに関しては、人それぞれなのだろう。
ただそれでも、ひとつだけいえることはある。
オーディオはかっこいい、と思わせることだ。
ところが、いまはどうだろう。
ひとつ前に書いたような人が、オーディオショウの会場にいる。
それを、かっこいい、と思う人がいるだろうか。
こんな人のことは、どうでもいいわけで、
オーディオ評論家を、かっこいいと感じている人が、はたしているのか、と思う。
先日も、そういう話になった。
それ以前にも、別の人と、同じようなことを話している。
twitterでは、昔のオーディオ評論家はかっこよかった、というツイートをみかけたこともある。
たしかに、そういう時代があった。
そういう時代を、私は知っている。
私だけではない、そういう時代を知っている人は、まだまだ大勢いる。
別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、太陽と月の輝きの違いについて書いた。
月は光を自ら発することはできない。
私が、かっこいいと感じるかどうかは、光を発することができるかどうかだ。