「新しいオーディオ評論」(その6)
2000年の終りに井上先生が亡くなられた。
audio sharingは、その数ヵ月前に公開していた。
それに私が以前ステレオサウンドにいたことを知っているオーディオ関係の知人たちと、
2001年からの数年間、何度かきかされたことは、
「菅野先生が亡くなられた日が、ステレオサウンドのXデーですよね」ということだった。
私と同世代か少し上の人たちの何人かが、言い方は多少違えども、そういっていた。
それに対して私は、「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」と返した。
これはいまもそう思っている。
ここでのXデーとは、ステレオサウンドの終りの始まりということと受け止めていいだろう。
Xデーという表現を使いながらも、
私に訊いてきた人たちは、Xデーが何を指すのかについては何も語らなかったし、
こちらも特にたずねることはしなかった。
どんな人であっても功罪がある。
功ばかりの人はいないし、罪ばかりの人もいないだろう。
どちらに傾いているかもしれないが、功も罪もある。
ステレオサウンドにも、それはいえる。
ステレオサウンドの功罪について、ここでひとつひとつ書くことはしないが、
確かに功はあった。
それは原田勲氏の功といっていい。
もっとも原田勲氏ひとりの功ではないにしても、
ある時までのステレオサウンドは、ステレオサウンドがあったから──、
といえることがいくつもある。
けれど原田勲氏がいなくなったら……、どうなるのか。
現社長の原田知幸氏だけになってしまったら……。
私一人がそう思っているのかもしれないが、
原田知幸氏に功はない。
だから、現会長の原田勲氏が亡くなったときが、ステレオサウンドのXデーだ、と考える。