オーディオ評論をどう読むか(その4)
繙いていくことが、オーディオに限らず、
その道の評論家と呼ばれる人たちの第一の仕事ではないのか。
あるスピーカーやアンプを聴いて、その音の印象を、ただ書き連ねる。
どんなにことこまかに書かれていようが、
繙くことが、そこでなされていないのであれば、それは単なる感想文でしかない。
評論の「論」のこだわりすぎて、
付焼刃の哲外的なことをあれこれ書いたところで、
そこで、何かが繙かれていることは、ほとんどない、というか、まずない。
それは、往々にして、自己陶酔文であったりする。
オーディオのことを繙くとは、
オーディオの専門家が、読み手が気づかなかったことを気づかせることである。
オーディオ評論家が、オーディオに接している時間は、
読み手(つまりオーディオマニア)よりも、圧倒的に長い。
ほぼすべての新製品を聴いているわけだし、
メーカーの技術者と直接話すことだってある。
海外のメーカーを訪問することもある。
そうやって得られた知識と経験を有機的に体系づけてこその専門知識。
その専門知識なしでは気づかないことが、オーディオにはある。
オーディオだけではないはずだ。
その気づきを読み手に与えるのが、オーディオ評論家の仕事である。