Archive for category テーマ

Date: 10月 1st, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その12)

アースは重要だ、という人はけっこういる。
そんな人のなかには、今回私が書いていることに否定的な人もいるかもしれない。

けれど一言でアースといっても、
リターンのためのアースとグラウンドとしてのアースはわけて考える必要があり、
すでに別項「サイズ考」で書いているので詳細は省略するが、
徹底して分離しなければならないアースと、
分離してはいけないアースとがある、ということだ。

知人宅の音は、驚くほど変った──、
とやった本人がいったところで、自画自賛としか受けとらない人がいるのはわかっている。

知人宅には数日後、オーディオ店の人が来ている。
その日もたまたま私もいた。

その人は、知人宅の音を知っている。
同じシステムの以前の音を聴いているわけで、
その日の音は、ケーブルのところ以外、何ひとつ変っていないにもかかわらず、
音の変化が大きかったから、「何をやったんですか」と知人に訊いていた。

そのくらいに、分離してはいけないアースを一本化することの音の変化は大きい。
audio wednesdayでも、一年以上、
メリディアンの218とマッキントッシュのMA7900との接続、
それ以前はMCD350とMA7900の接続は、
ここに書いている方法でやっている。

以前、audio wednesdayで鳴らしている音を宮﨑さんの音と思っている、
といわれたことがあり、即座に否定したことがある。

なぜかといえば、愛情をこめて鳴らしているわけではないからだ。
それでも一つだけ、私の音といえるところがあるとすれば、
それはセンター定位のリアリティである。

それはしっかりと音にあらわれているわけで、
常連のかた数人から、そのことについて訊かれたこともある。

Date: 10月 1st, 2020
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その6)

昨晩、友人のAさんとひさしぶり飲んでいた。
割と頻繁に会うのだけれど、今年はコロナ禍のせいで、八ヵ月ほど会うことはなかった。

二人とも1963年生れである。
音楽とオーディオが好き。
聴いてきた音楽は、けっこうな違いがあるけれど、
共通する音楽もあって、昨晩は“Hotel California”のことについて話していた。

発売当時、アナログディスクで聴いた音の印象と、
いま入手できるリマスター盤(CD、アナログディスクなど)の音の印象が違う──、
とAさんも私も感じている。

Aさんも私も“Hotel California”は、JBLの4343て聴いた音こそが、
このディスクのいわばリファレンス(基準)の音となっている。

“Hotel California”をカリフォルニア生れのスピーカーで聴く、
つまりカリフォルニアの空を思わせるような音で聴く、
これこそが“Hotel California”のほんとうの音だ、というのは、
いわばこじつけであって、もちろんJBL以外のスピーカーで聴いたっていい。

そうはいいながらも、Aさんも私も、“Hotel California”のあのころの音は、
もっと乾いていた、という記憶がある。

“Hotel California”と4343の組合せ。
その音がいまも記憶に残っている。
その音を基準にして、リマスター盤の音について語っている。

若い人たちからすれば、おじさん二人のノスタルジーな会話なのかもしれないが、
それでも二人で確認していたのは、
“Hotel California”と4343の組合せの音は、身体(からだ)が憶えている音なのだ。

Date: 9月 30th, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その11)

バランス伝送の場合も同じである。
XLRプラグを開け、1番ピンの接続を片側だけ外す。
そしてアース線を用意して接続する。

一度知人宅で試したことがある。
知人宅のリスニングルームは広かった。

コントロールアンプをリスニングポイントの目の前に、
パワーアンプはスピーカーの中央に、という置き方だった。

コントロールアンプとパワーアンプ間はバランスケーブルで、
7mは優にこえていた、と記憶している。
上記のような最短距離での配線でも、これだけの長さが要るほどの広い空間だった。

ラインケーブルにおける左右チャンネルのアースの共通化(一本化)は、
ケーブルが長くなればなるほど効果的であることは理屈からいってもそうである。

それでも私が自分のシステムでやっていたときは部屋が狭いこともあって、
ケーブルが目につかないように部屋の端っこをはわせても、
せいぜいが3m程度であった。それでもはっきりと効果は聴きとれる。

それが倍以上の長さになると、どの程度の変化量となるのか。
その時知人が使っていたアンプはクレルだった。
おもしろいことにパワーアンプにもアース端子が備わっていた。

なので実験は、より簡単に行える。
知人にケーブルに手を加えることの了解を得て、
アース線には、一般的なスピーカーケーブル(太くない)を引き裂いて使った。

10分もかからずにできる。
そんな作業にも関らず、出てきた音の変化の大きさには、二人とも驚いた。
ケーブルの長さに比例して、というよりも、
二乗とまではいいすぎだろうが、それに近いのでは、と思うくらいの変化量だった。

1990年ごろの話で、いまほど高価すぎるケーブルはほとんどなかった時代だが、
知人が使っていたのは、当時としては高価な部類のケーブルであった。

つまり、どんなに高価なケーブルであっても、ここでやっていることは、
アースの明確化であって、それにはこういう方法をとる以外にない。

Date: 9月 29th, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その10)

私がいたころのステレオサウンドの試聴室で使っていたラインケーブルは、
ほとんどが1.5mか2m程度の長さだった。

それ以上の長さのケーブルももちろんあったけれど、
実際に使う長さのケーブルといえば、上記の長さのものだった。

この程度の長さのラインケーブルでも、(その9)で書いていることが発生する。
ラインケーブルのシールドで、
コントロールアンプとパワーアンプのアースは接続されている。

どんな導体にも直流抵抗はあるわけで、
たとえ1.5m程度のケーブルであっても、わずかとはいえ直流抵抗は存在する。
それからインダクタンスもある。

とはいえ、コントロールアンプ側のアースとパワーアンプ側のアースとに、
どれだけの電位差が生じるというのだろうか。

それから左右のケーブル間には浮遊容量が存在する。
1.5mもしくは2mのケーブルの引き回しかたによっては、
二本のケーブルの距離が広いところと狭いところができる。

それによって浮遊容量は変化する。
それでも左右チャンネルのシールドの電位は同じ、といってよい。
同電位間では浮遊容量の影響はほぼない。

こんなふうに考えていっても、理屈に合わないほどの音の変化が確かにある。
ならば試してみるしかないわけで、
ラインケーブルのシールドを、片側だけ外す。

コントロールアンプ側を外すのか、
パワーアンプ側を外すのか。

それは別項「境界線」で書いているように、
それぞれのアンプの領域をどこまでと考えるかによって違ってくる。

私はコントロールアンプの領域は、出力に接がれるラインケーブルまで、
つまりパワーアンプの入力端子まで、と考えるので、
ここではパワーアンプ側のシールドを外すことになる。

RCAプラグを開けて、シールド側にハンダづけされているのを外すだけである。
もちろん、こうしてしまうと音は基本的には出ない。
ただし機器間の浮遊容量があるため、実際には音が鳴ることがある。

そしてラインケーブルの他にアース線を用意して、
コントロールアンプとパワーアンプを接ぐ。

Date: 9月 29th, 2020
Cate: モノ

モノの扱い(その3)

その1)へのコメントには、若い世代のモノの扱いについてのものだった。
それだけを読むと、世代的なことが関係しているようにも読める。

けれどKさんからきいた話は、いまのことではない。
1970年代の終りごろの話だから、
(その1)で書いているレコードの扱いがまるでなっていない女性は、
世代に関係してのこととはいえない、と思う。

いつの時代にも、いるわけだ。
そのことを(その1)を公開して思い出した。

ほんとうに首を傾げたくなるほど、モノの扱いがわかっていない人がいる。
ここでいっているモノの扱いは、
ほとんどモノの持ち方である。

モノを持つというのは、人の基本的な動作なのではないのか。
それがアヤシイというか、
こんなところで使う言葉ではないと思いつつも、
センスがない、といいたくなる。

そういえば映画でもあった。
2003年公開の「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」だ。

ルーシー・リュー演じるアレックス・マンディがテレビを持っているシーンがある。
テレビといっても20年近く前なのだから液晶テレビではなく、
ブラウン管のテレビである。そこそこ大きなサイズのテレビだった。

インターネットで見た予告編では、
テレビの正面を自分の身体に押しつけるようなかっこうで持っていた。
ブラウン管のテレビは重量的にアンバランスで、前側が重い。
だから重い側自分の方に向けて持つ。

それが公開された映画本編では前後逆に持っていた。
ここで持っているテレビはソニー製である。

「チャーリーズ・エンジェル」の映画の配給は、
ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントである。

テレビがソニー製であることを、
観ている人たちにはっきりとわからせるための変更のはずだ。

Date: 9月 26th, 2020
Cate: モノ

モノの扱い(その2)

その1)は、ついさっきまで別のタイトルをつけていた。
続きを書くつもりはなかった。

facebookでのコメントを読んで、続きを書く気になったし、
タイトルも変えた。

コメントを読んで思い出したことがある。
友人のKさんから聞いた話である。

Kさんは私よりも少し年上で、オーディオ業界で仕事もしていた。
スイングジャーナルの編集部に在籍していたこともある。

そのKさんがいうには、意外にもモノの扱いを知らない人がいる、ということである。
そんなことは知っている、といわれそうだが、
それはオーディオに関心のない人のオーディオ機器の扱いについてではなく、
スイングジャーナル編集部内にも、
オーディオ機器の扱いがまるでなっていない人がいた、という話である。

その人たちは、Kさんと同じか上である。
そうなると、世代によることではない。

具体例を一つ挙げておくと、
スイングジャーナルは既製品のスピーカーシステムだけでなく、
スピーカーユニットを組み合わせての試聴テストも積極的に行っていた。

大型のコンプレッションドライバーに大型のホーンを組み合わせたモノ。
モノの扱いを知らない編集部の人は、
ホーン開口部を持ち、いきなり持ちあげようとする。

逆だろう! 何やっている! と、
すぐさま試聴していたオーディオ評論家の怒声があったそうだ。

こんな例を他にも聞いている。
オーディオ機器の扱いというよりも、
モノの扱い、ということではなくそれ以前の、モノの持ち方からしてわかっていない。

どちら側が重いのか、をまずわかろうとしないのだろう。
重量的にアンバランスなモノは、重たい方を自分の身体側にする。
反対に身体から遠くなればそれだけアンバランス的な重みを感じることになるし、
落しやすくなる。

Date: 9月 26th, 2020
Cate: モノ

モノの扱い(その1)

数時間前、新宿のディスクユニオンにいた。
欲しかったCDが見つかりレジに並んでいた。

隣のレジでは私より先の客が店員とやりとりしていた。
アナログディスクについて店員に訊ねていた。

このディスクはモノーラルなのか、ステレオなのか、と。
どうもステレオと表記してあったようだ。

けれど実際はモノーラルで、客はそのことを知っていたようで、店員に訊いていたし、
別の店員がモノーラルです、というと、安くなります? とまた訊いていた。

値引きしてもらうつもりだったようだ。
でも、店員は値段は変りません、と答えていた。

じゃ、買うの止めます、と客。
いっしょに買うつもりだったCD数枚も、買わずに店を出た。

中古CD、中古LPの買い方の基準は人によって違う。
このディスクならば、この値段ならば買うけれど、というのが、
その人なりにある程度は決っているのだろう。

その客は、そこから外れていたから買わなかったのだろう。
そのことは別に構わない。

買うつもりだったCDも買わないのも構わない。

なのにこんなことをここに書いているのは、
その客のLPの扱いが、あまりにもひどかったからだ。

検盤していたのが見えた。
盤面は艶があり、隣にいた私の目にはかなりコンディションがよさそうに見えた。

なのに、この客は、盤面を平気で指で触れていた。
ディスクの縁を両手ではさむのではなく、
指で両盤面をはさんでいた。

しかもごていねいに両手の指で、だから、
盤面には常に四本の指が触れている。

その客は、私よりもひとまわりほど下の女性だった。
40代半ばごろのようにみえた。

この世代だと、音楽を10代のころに聴き始めたとすれば、
すでにCDで、だった可能性はけっこうある。

それにしても、LPの扱いを知らないのか。
自分のディスクであれば、ぞんざいに扱おうと、その人の勝手であり、
第三者の私がとやかくいうことではない。

けれど、今日見たのは、商品である。
店に並べられている商品であり、その客のモノにはまだなっていない段階での、
この扱いをみてしまうと、書きたくなってしまう。

店員はクリーニングをやらなければ思って見ていたことだろう。

昔ながらの昭和のガンコおやじがやっている店で、
こんなことをやったら、怒鳴られていたはずだ。

この客は何も知らないうえに、そういう経験もおそらくないのだろう。

Date: 9月 25th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その5)

MQA対応のアクティヴ型スピーカーは、クリプトンがいちはやくKS9 Multi+を出してきた。

このあとに、ほかのメーカーも続くだろう、と勝手に期待していたけれど、
なかなかMQA対応を謳ったアクティヴ型スピーカーは登場しなかった。
私が単に見落していただけなのかもしれないが。

なので、なぜ出てこないのか、と書く予定でいたところに、
KEFからLS50 Wireless IIが登場した。

パッシヴ型のLS50ととともに、II型になった大きな特徴は、
Metamaterial Absorption Technology(MAT)という消音技術の導入であって、゛
私はLS50 Metaのほうにまず興味を持った。

聴いてみたい、と思った。
MATへの興味が強かったため、LS50 Wireless IIへの関心は薄かった。

KEFのサイトで、LS50IIのページは見たものの、
LS50 Wireless IIのページはさらっと流しただけだった。

翌日になって、LS50 Metaについて何か書こうかな、と思い、
再度KEFのサイトにアクセスして、LS50 WirelessがII型になって、
MATの導入だけでなく、MQA対応になったことを知った。

ようやく次が登場した。
メリディアンのULTRA DACを聴いたのが二年前の9月。
MQA対応のアクティヴ型スピーカーへの関心がわいてきたのは、昨年の秋ぐらいからだった。

なのでそれほど待っていたわけではないのだが、
期待しているモノだけに、ずいぶん待ったという感じがしている。

またしばらく待つことになるのか、
それとも意外に早く次が出てくるのか。

Date: 9月 24th, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その9)

私が働いていたころのステレオサウンドは、六本木五丁目にあった。
ビルの窓から顔を出せば東京タワーが、かなり大きく見える位置にあった。

六本木という繁華街、しかも東京タワーのすぐ近く。
オーディオ的な環境としては、そうとうに悪い。
だからこそ、セッティングに関しては鍛えられた、といえる面もある。

(その8)でちょっと触れたラインケーブルの引き回しの前に、
スピーカーケーブルの引き回しに関しては、
できるかぎり左右チャンネルのケーブルが同じところを通るように注意していた。

つまりFMのT字アンテナのようにスピーカーケーブルは配置する。
たったこれだけのことで、音場感はずいぶん改善される。

こんな引き回しだと左右チャンネルのセパレーションの確保が……、という人もいるだろう。
まったく影響がないとはいわないが、それ以上に、
左右チャンネルのスピーカーケーブルが物理的に離れてしまうことのデメリットが大きい。

蛇のようにくねくねした引き回しで、
部分部分で左右のスピーカーケーブルの距離が広がった狭まったりするようにすると、
とたんに音場感はこわれてしまう。

同じことがラインケーブルでも起るわけである。
ラインケーブルとスピーカーケーブル、どちらもケーブルであることに変りはないが、
スピーカーケーブルはスピーカーシステムに接続されるもので、
スピーカーは左右チャンネルで完全に独立している。

一方ラインケーブルは、コントロールアンプとパワーアンプ、
もしくはCDプレーヤーとコントロールアンプとのあいだを接続するケーブルで、
モノーラルパワーアンプ以外では、アースに関してはシャーシー内部で接続されている。

それでも同じ現象(音の変化)が、ラインケーブルでも起る。
このことで、DINケーブルのもつ優位性に気づくことができた。

Date: 9月 24th, 2020
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その2)

“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”には期待している。
期待は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に対してだけではなく、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に対しても持っている。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”はSACDも出ている。
その意味での期待ではなく、“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の完全版が、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の発売にあわせて出てくるのではないか、という期待だ。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の実際のライヴは、もっと長かったはずだ。
それをすべて聴きたい、とずっとおもってきた。

“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”との組合せで、
いくつかのヴァージョンが出るではないだろうか。

そういうやり方を好まないけれど、
今回はそのことに期待している。

Date: 9月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その7)

出版社とは記事を売る会社で、本という物を売る会社ではない、書いてすぐに、
記事を情報とする人もいるだろうな、と思っていた。

出版社とは情報を売る会社で、本という物を売る会社ではない──
そうだろうか。

記事も情報のうちに含まれる、といえば、否定はしない。
それでも記事と情報を同じに捉えていては、
この二つの境界を曖昧にしたままで、
インターネットに自社サイトを公開しているところがあるように感じている。

インターネット以前は、
海外屋と呼ばれる人たちが、どの業界にもいた、ときいている。
とにかく海外の動向をいち早く知ることが、昔は仕事につながっていっていた。

オーディオの世界も、そういう人たちはいた。
オーディオ評論家と呼ばれている人たちのなかにも、
昔は、海外屋的な人が確かにいた。

音楽評論家のなかにも、海外屋と呼ばれる人は何人かいた。
三浦淳史氏も、その一人であったけれど、
海外屋も、情報だけの人もいれば、三浦淳史氏のように記事(読みもの)として、
読み手に提供してくれる人とに分れていた。

残念なのは、三浦淳史氏のような人が少ないということ。

少なかっただけでなく、情報提供だけの海外屋を求めていた読み手も、
実のところ少なくなかったのではないだろうか。
それはいまも続いているような気さえする。

情報だけでいいんだよ、そんな声があるのか。
いまもSNSで情報提供だけの海外屋的な人を持囃す人たちがいる。
オーディオの世界では、まだまだそうである。

インターネットがこれだけ普及して、
ほとんどの人がスマートフォンをもっている時代であっても、そうである。

スイングジャーナルが売っていたのは、
休刊間際のころに売っていたのは、情報だったのか記事だったのか。

もう情報でもなかった、記事でもなかったのではないだろうか。

Date: 9月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その6)

フィリップス・インターナショナルの副社長の
「なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ」は、
出版社にあてはめれば、
出版社とは記事を売る会社で、本という物を売る会社ではない、ということになる。

スイングジャーナルがなくなってしまったのは、
結局のところ、記事を売る会社ではなく、本という物を売る会社のままだったからなのか。

スイングジャーナルの最終号がいつものままのつくりであったことは、
どういうことなのか。

編集部としては、このまま終らせるつもりはない、
復刊させてみせる、という気持があって、
復刊を信じていれば、あえて通常通りの編集を最終号でもやったのかもしれない──、
そういう見方もできる。

でもアドリブが休刊になる前から、
スイングジャーナル社があぶない、というウワサは耳に入ってきていた。

編集部の人たちは、どうだったのだろうか。
このまま消えてしまうのであれば、特別な労力を必要としない、
いつも通りの編集でいいじゃないか──、
そんなどこか投げやりな気持はなかったのか、とも思ってしまう。

どっちでもいいとも思っている。
もし復刊できたとしても、あのままだっただろうから。
復刊できたとしても、いずれまた休刊してしまう。

本という物を売る会社としての出版社。
スイングジャーナルもそうだし、ステレオサウンドもそうなのだが、
どちらも雑誌がメインの出版社である。

ここでの本とは雑誌のことであり、
雑誌を売る会社とは、売る相手は読者だけでなく、広告主もいるということだ。

Date: 9月 23rd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その9)

五味先生の「オーディオ巡礼」に「HiFiへの疑問」がある。
そこに、こんなことが書かれている。
     *
 ところで、たとえばここに二つのスピーカーがある。Aは理想的に平坦な周波数特性をもち、Bは周波数帯域に小さな谷や山をずいぶんもっている。山はピークだから、その周波数附近の音は(楽器は)Aに比して、何か強く強調されたようにきこえる、もしくは歪んでひびく。谷の周辺の音は弱く、小さい。
 さて現実に、まったき周波数特性の平坦なスピーカーはまだのぞめないだろう。じつに大小さまざまな山や、谷の特性をもつスピーカーしかない。しかも周波数特性がまったく同じスピーカーなど存在しない。厳密にはだから、レコードにきざまれた音を、大小差異のある音に増幅してぼくらは聴いている。しかもぼくらが家庭で聴くスピーカーは一台である。私の家で鳴っている音と、B君の家とでは或る音域に微少でも必ず差があるわけで、どちらの音がいいかは、厳密には誰にも断言できまい。
 スピーカー一つを例にとってこうである。アンプ、カートリッジ、テープデッキ、ひとつとして同じ鳴り方をするものはない。つまり演奏の同じレコードなど、それが再生される限り、一枚もない理屈になる。ハイフェッツのレコードが五十万枚売れたとすれば、五十万のハイフェッツの演奏がある理屈だ。ことわっておくが、私は理屈をこねているのではない。何十万という異なる再生装置で、異なる演奏を聴きながらレコード愛好家が良否を識別する、その不思議さをおもうのである。肯綮に当っている不思議さを。
     *
(その7)で触れた「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、どう聴くかは、
これと同じことだろう。

「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を再生することで、
ジャズ喫茶ベイシーの音を、自分のリスニングルームに完全に再現しよう、
と考える人はおそらくいない、と思う。

五味先生が、これを書かれたころからすれば、
スピーカーの周波数特性ひとつとっても、かなり平坦になってきている。

スピーカーの物理特性は変換効率以外は明らかに向上している。
それでも、いまだ一つとして同じ音のするスピーカーは存在しない。
似ている音のスピーカーは存在するようになってきたけれども。

ベイシーの再生システムとまったく同じシステムを揃えている人がいても不思議ではない。
でも、その再生システムで「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を鳴らしても、
ジャズ喫茶ベイシーの音を再現できるわけではない。

「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」が何枚売れたのかは知らないが、
仮に一万枚としよう。
そうすれば、一万の「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」の演奏がある理屈になる。

そう「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、
ベイシーの店主・菅原正二氏のレコード演奏として捉えるのであれば、
そうなる道理だ。

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その5)

ステレオサウンドは老いていっている、
というのが、私の本音である。

そして、そんな老いていくステレオサウンドの、
いわば先輩にあたるのがスイングジャーナルであった、とも思っている。

スイングジャーナルは1947年に創刊している。
ステレオサウンドよりも19年早い創刊である。

スイングジャーナルは,2010年6月発売の7月号で休刊(廃刊)になった。
当時、twitterで休刊のニュースを知った。

特に驚きはなかった。
スイングジャーナル社発行のアドリブが5月に休刊していたし、
そのことがなくても、
休刊までの20年分くらいのスイングジャーナルの内容を知っている人ならば、
休刊やむなし、と思ったであろう。

2010年7月号のスイングジャーナルを、書店で手にとった。
パラパラをめくってみただけだった。

なのではっきりと記憶があるわけでなはい。
60年以上続いた雑誌の最終号とは、誰も思わないであろう、
いつも通りの内容だったな、という印象だけしか残っていない。

ジャズの熱心な聴き手でない私、
スイングジャーナルを定期購読したことはなかった私には、
感慨なんて、最終号を手にしても、まったくなかった。

自然消滅、自然淘汰されたぐらいにしか感じなかった。

ここでのことに関係して思い出すのは、
黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話だ。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」は1972年の文章、
ほぼ50年前の、フィリップス・インターナショナルの副社長のこたえである。

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その1)

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の間違いではなく、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”で合っている。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に収められている日だけでなく、
翌日の土曜日も演奏が行われていて、録音が残されていることを知ったのは、
三年ほど前のことだ。

アル・ディ・メオラがfacebookに、そう書いていた。
なんでも、ある一人が発売に反対している、ともあった。

いつ出るのか。
あまり期待せずに待っていた。

ようやく来年発売になるようだ。
延期になる可能性もあるけれど、とにかくいつかは発売されるであろう。
期待は、ずっと大きくなっている。