Archive for category テーマ

Date: 2月 20th, 2021
Cate: High Fidelity

音の断捨離(その1)

音の断捨離。
昨晩、オーディオのこと、音のことを話していて、
ふと思いついたことばだ。

何を書いていこうか、ほとんど考えていない。
これからぽつぽつ書いていくつもりだ。

Date: 2月 19th, 2021
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その10)

別項「background…」で書いている安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉の時代には、
CDもなかったし、TIDAL(ストリーミング)もない。

〈ぼく〉が聴くことができる音楽の量は、いまよりもずっと少なかった。
音楽のジャンルに関してだけでなく、演奏の数も少なかった。

その〈ぼく〉が、いまの時代に生きていたら、どうなのか。
そんなことを想像してみたくなる。

〈ぼく〉は、音楽の利用法について語っている。
     *
その夜、家に戻ったぼくは、珍しくバッハを聴いてみようという気をおこしていた。べつに、バッハでなければならないというわけではなかったが、この振幅の短くなった、ささくれだった気分には、ジャズでもないし、モーツァルトでもなく、やはりバッハがいちばん適しているように思われたのだ。ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう。仕事がうまくはかどってくれないようなとき、そのはかどらなさに応じて、必要な音楽を選びだすのだ。思考を一時中断させようと思うときには、刺戟的なジャズ、跳躍のバネを与えたいときには、思弁的なバルトーク、自在感を得たいときには、ベートーベンの弦楽四重奏曲、一点に集中させたいときには、螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、なによりも精神の均衡を必要とするときである。
     *
〈ぼく〉は音楽のよき鑑賞者ではないことを自覚している。
だからこそ、音楽のよき利用者なのかもしれないわけなのだが、
音楽のよき利用者であるためには、さまざまな音楽を聴いていることが必要になるし、
それぞれの音楽の特質を捉えることができていなければ、よき利用者にはなれない。

刺戟的なジャズ、思弁的なバルトーク、螺旋運動的なモーツァルトなどとある。
世の中には刺戟的でないジャズもあるし、
思弁的な演奏ではないバルトークもある。

「他人の顔」が発表された時代、バルトークは現代音楽であった。
そんなことも思ってみるのだが、
いまの時代、バルトークが現代音楽だったころに録音された演奏も聴けるし、
現代音楽でなくなった時代に演奏された録音も聴ける。

〈ぼく〉が思弁的と捉えているバルトークは、曲そのものであって、
演奏をふくめての話ではないのかもしれない。

それでも〈ぼく〉の時代のころは、バルトークはまだ現代音楽だった。

Date: 2月 18th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ラジオ技術 2021年3月号)

ラジオ技術 3月号を買ってきた。
2月号に続き、「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」が載っていて、
そこに五十嵐一郎氏の名前があったからだ。

五十嵐一郎氏の章には「オーディオから得たこと、伝えたいこと」とついている。

数年前、五十嵐一郎氏が病で倒れられた──、ということはきいていた。
はっきりとしたことは知らなかった。
ひどい人になると、もう亡くなったのでは……、といってたりしていた。

五十嵐一郎氏は、小林秀雄氏の三つのことばを挙げられている。

「君は君自身でいたまえ」
「我は聞けり死鎖の音」
「君は僕にdonneé(与件)ということを教えてくれた人なんだ」

それぞれについて、どんなことを書かれているのかは、
ラジオ技術 3月号を買って読んでほしい。

Date: 2月 17th, 2021
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その14)

GRFメモリー以降の、タンノイのPrestigeシリーズに、
私がスター性を身につけようとしていると感じてしまうのは、
タンノイはPrestigeシリーズにおいて、
《クラシカルなものに淫している》ように思えてしまうからだ。

1993年ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」の中で、田中一光氏が語られている。
《伝統のあるオーディオメーカーって止まってしまっているところが多いでしょう。クラシカルなものに淫しているように思う。》

田中一光氏は、どのブランドのことなのかは発言されていない。
発言されたのかもしれない。
編集部がまとめた段階で、その部分は削られたのかもしれない。

どちらなのかはわからないが、
それでも《クラシカルなものに淫している》《伝統あるオーディオメーカー》は、
タンノイのことだと確信している。

JBLの4343の成功、
そして4343がまとっていたスター性と、
タンノイのPrestigeシリーズが身につけようとしているスター性は、
ここのところでずいぶん違っているように感じてしまう。

その1)は、約五年前に書いている。
“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに思いついた。

そして、タンノイのコーネッタのことも思い浮べての(その1)だった。
(その1)からの四年半後、タンノイのコーネッタを手に入れた。

自分でタンノイを鳴らしてまだ一年も経っていない。
それでもあれこれおもうことは、いくつもある。

別項で書いているいぶし銀という表現に関してもそうなのだが、
音色的な意味でのいぶし銀とは違う意味で、
“plain sounding, high thinking”こそ、私にとっての「いぶし銀」な音である。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (PIAZZOLA REFLECTIONS)

クセーニャ・シドロワの名前だけは知っていた。
四年ほど前に、ドイツ・グラモフォンからアルバムが出たからだ。

Bizet: Carmen(ヨアヒム・シュマイサーによるアコーディオンのための編曲版)である。
興味はあったけれどディスクを買って聴くまでにはいたらなかった。

2月26日に、シドロワの新譜“PIAZZOLA REFLECTIONS”が出る。
TIDALでは少し前から聴ける。
カルメンの編曲版も聴ける。

カルメンの編曲版を買わなかったくらいなので、
それほど期待していたわけではなかった。

1990年代ごろ、クラシックの演奏家がピアソラを積極的に録音していた時期がある。
いいアルバムもあったし、これがピアソラの音楽? といいたくなるのもあった。

私が、これがピアソラの音楽? と感じた演奏を、
まさにピアソラの音楽! と感じる人もいるとは思う。

シドロワの“PIAZZOLA REFLECTIONS”は、ピアソラの音楽だと感じている。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (Balada para un Loco)

“Balada para un Loco”で、アストル・ピアソラを知った。
もう四十年以上も前のことだ。

グラシェラ・スサーナのアルバム「気違い男へのバラード」で聴いて、知った。
グラシェラ・スサーナのアルバムではめずらしくイラストのジャケットだった。

「気違い男へのバラード」というタイトルにも惹かれていた。
このころは、まだ「気違い男へのバラード」と訳されていた“Balada para un Loco”も、
1980年代には「ロコヘのバラード」と変っていった。

これまでにいくつかの“Balada para un Loco”を聴いてきた。
最近ではTIDALで“Balada para un Loco”と検索して表示されたのを片っ端から聴いていた。

“Balada para un Loco”はグラシェラ・スサーナで初めて聴いた。
そのこともあって、グラシェラ・スサーナによる歌唱が一方の端にあり、
もう一方の端にミルバによる歌唱がある。

今回“Balada para un Loco”を聴いて、それでいい、と思っている。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その16)

別項で書いているように、
メリディアンの218にiPhone 12 Proを接いで聴くことはやっていない。

218にはMac mini(Late 2014)を接いでいるからだ。
だからといって、iPhone 12 Proで音楽をまったく聴いていないかというと、
そうでもない。

これも別項で書いているが、先日HiByのFC3を購入した。
スティック型のUSB入力のD/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプである。

1月16日に注文して、2月9日に到着した。
なので、ここ数日、iPhone 12 Pro+FC3の組合せで聴く時間が増えている。
ヘッドフォンで聴いている。

ヘッドフォンといっても、スタックスではなく、
ダイナミック型の普及クラスのモノ(三万数千円)だ。
(その4)で触れている。

MQAを開発したボブ・スチュアートによれば、
MQAをもっともよく再生するD/Aコンバーターは、
いうまでもなくメリディアンのULTRA DACである。

二番目はMSBテクノロジーの非常に高価な製品。
三番目は、というと、意外にもLG電子のLV30(スマートフォン)を挙げていた。

LV30の音は聴いていない。
けれどiPhone 12 Pro+FC3の組合せも、これに近いのかも……、と思うところがある。

あるから変換ケーブルを作って、
アンプに接続してコーネッタを鳴らしてみようかな、と思い始めているところだ。

Date: 2月 15th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (Milva & Piazzolla Live in Tokyo 1988・その1)

Piazzolla 100(ピアソラ生誕100年)。

“Milva & Piazzolla Live in Tokyo 1988”。
タイトルそのままの内容を収録したCD(二枚組)だ。

あれこれ書きたいことはかなりある。
でも、とにかく聴いて欲しい、だけいっておく。

いまでも入手可能である。

Date: 2月 15th, 2021
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その9)

TIDALが、10代のころに存在していたら、歓喜していただろうか。
TIDALでなくてもいい、Netflixでもいい。

この種のサービスが、いまから四十年ほど前、
中学生、高校生だったころにあったならば、どうだったろうか。

あのころの私は、毎月の小遣いをやりくりしてLPやミュージックテープを買っていた。
田舎のレコード店には輸入盤はなかった。

バスで約一時間、熊本市内に出れば、輸入盤を扱うレコード店もあったが、
往復のバス代はレコード一枚分に近かった。

FMの放送局も、そのころはNHKのみだった。
聴きたい音楽(ディスク)をすべて買えるわけではなかったどころか、
ほとんど買えなかった(聴けなかった)、といっていい。

そういう田舎での音楽体験に、TIDALがあったならば、
それはすごいことではあるけれど、
いま毎日のようにTIDALで音楽を聴いていて思っているのは、
そういう青春時代を送ったからこそ、
この歳になってTIDALがあってよかった、と感じている、ということだ。

聴きたくともなかなか聴けない。
そんな10代を送っていていなければ、
TIDALとの接し方も、少し違っていたかもしれない。

Date: 2月 14th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design
2 msgs

CR方法(その6)

抵抗、コンデンサーの値以上に重要なことは、取り付け方である。
CR方法は、コイルに対して行う。
スピーカーユニットのボイスコイル、トランスの巻線などが対象となる。

その対象となるコイルと抵抗とコンデンサーの直列回路は、
できるだけ最短距離での配線にする。

さらに抵抗よりもコンデンサーを最短距離になるように優先する。
ただしここで注意したいのは、ディップマイカコンデンサーのリード線が、
少し細いのでもげないように、余計なテンションをかけないようにすることだ。

以前のディップマイカコンデンサーのリード線は、もう少し太かった記憶がある。
スピーカーユニットへのCR方法だと、コンデンサーの容量は数pFなので、
特にリード線が細い。

できるだけ短く、と書くと、コンデンサーの根元からリード線を曲げる人も出てくる。
そんな使い方をするとリード線はもげやすくなる。

コンデンサーのリード線の片方は、原則としてアース側に接続する。
いいかえれば抵抗のリード線の片方はプラス側に接続するわけだ。

もちろん逆にしても動作する。
それでも私が試した範囲ではコンデンサーをアース側にもってきたほうがいい。

この場合の注意点は、スピーカーシステムとしてみた場合のアース側である。
12dB/oct.のスロープ特性のネットワークの場合、
トゥイーターやスコーカーの極性を逆にしているシステムがある。

逆相で接続されているユニットに対しては、
ネットワークのアース側にコンデンサーのリード線がくるようにする。

Date: 2月 13th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(オンキヨーのこと・その1)

オンキヨーがジャスダック上場廃止の恐れ、というニュースが昨日あった。
目にされた方も多いことだろう。

重い債務超過、とも見出しにあった。

オンキヨーが、いまではメリディアンの輸入元であるのだが、
一向にメリディアンに関する情報を発していない。
なにも活動していない、としかいいようがない状態が一年以上続いている。

2020年12月に、パイオニアのPD50AEが予定台数を出荷完了、というニュースがあった。
PD50AEはMQA対応で、個人的にも関心をもっていた。
11月に登場したばかりの製品でもある。

高価なモデルであれば、限定ということはけっこうあるが、
PD50AEは、そういう製品ではない。
この価格のモノが、予定台数を出荷完了というのは、どういうことなのだろうか。

疑問に思われた方も少ないない、と思う。
この記事を掲載していたウェブサイトでは、詳細は語られてなかった。

しばらくしてそのへんのことを聞くことができた。

詳細まではここでは書かないが、
つまりは会社としての信用がきわめて低いためである、とのこと。

モノを製造するにあたっても、資金は必要なのだが、
その資金内で製造できる台数は限られてしまう。
そのための予定台数なのである。

PD50AEが売れて、ある程度の利益が出たら、
次のロットの製造が可能になるかといえば、そうともいえない。

12月下旬に、PD50AEの追加販売を決定、と発表している。
今年の2月中旬の販売を目指して、と記事にはあった。

もう2月中旬である。
そこに上場廃止、債務超過のニュースである。

PD50AEの販売は再開となるのか。
メリディアンの扱いは、どうなるのか。

Date: 2月 13th, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その2)

瀬川先生の文章をおもいだしてもいた。
     *
 ブランデー・グラスについてはひとつの理想があって、それはしかし空想の中のものではなく、実際に手にしながら逃してしまった体験がある。もう十年近い昔になるだろうか。銀座のある店で何気なく手にとった大ぶりのブランデー・グラス。その感触が、まるで豊かに熟れた乳房そっくりで、思わずどきっとして頬に血が上った。乱暴に扱ったら粉々に砕けてしまいそうに脆い薄手のガラスでありながら、怖ろしいほど軽く柔らかく、しかも豊かに官能的な肌ざわりだった。あんなすばらしいグラスはめったに無いものであることは今にして思い知るのだが、それよりも、当時、一個六千円のグラスはわたくしには買えなかった。ああいうとりすました店で一個だけ売ってくれは、いまなら言えるが、懐中が乏しいときにはかえって言い出せないものである。いまでもあの感触は、まるで手のひらに張りついたように記憶に残っている。
     *
《思わずどきっとして頬に血が上った》、
いまならよくわかる。

人形と出逢った私は、まさにそうだった。

瀬川先生が、理想のブランデー・グラスに出逢われたのは、新月の日だったのだろうか。

Date: 2月 12th, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(朝日新聞の記事・その1)

twitterを眺めていたら、
今日(2月12日)の朝日新聞の記事が話題になっていた。
「レコードのぬくもり 若者とりこに」という記事のことだ。

その記事に、こうある。
     *
 横浜市の高校1年生、永井公さん(16)は、宇多田ヒカルを手始めにレコードを買うようになった。2004年生まれで、音楽配信サービスが当たり前の世代。定額の音楽配信サービスに入っているが「盤に針を落としたときのパチパチという音で心が温かくなるし、部屋に置くだけで気分が上がる」と話す。
     *
どんな人が書いたのだろうか。
スクラッチノイズを聴いて、心が温かくなるのか、いまの10代は。

この人だけのことなのかもしれないが、そうではないのかもしれない。
いろんな人がいるのはわかっているつもりだった。

それでも、スクラッチノイズを聴いて心が温かくなる人がいるとは、まったく思わなかった。
スクラッチノイズでそうなる人もいれば、
カセットテープのヒスノイズで、同じように心が温かくなる人もいて不思議ではない。

LPのスクラッチノイズで心が温かくなるのならば、
SPのスクラッチノイズだったら、心が燃えてしまうのだろうか。

Date: 2月 12th, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その1)

夕方、有楽町の交通会館の地階にいた。
特に用事はなかった。

あるブースの前を通ったら、クラフトアート創作人形展をやっていた。
以前だったら、こんな催し物やっているんだ、ぐらいで通りすぎていた。

会場をちらっとみたら、気になる存在があった。
それでも会場が女性だけだったら入らずに、やはり通りすぎていただろう。

男性の来場者もいた。
夕方の早い時間と、コロナ禍ということもあってなのか、
来場者はそう多くなかったので、入ってみた。

小さな人形から、けっこうな大きさの人形まで、
さまざまな人形が展示されていた。

一品モノのようで、1/3ぐらいはすでに売れていた。
私の目に留まった人形の前に立つ。

どきっ、とした。
まだ売れてなかった。
けれど値段をみると、いまの私には手が出せない。

気になる人形はいくつかあったけれど、この人形だけは特別な感じがする。

創作人形の世界に関しては、何も知らない。
昨日まで人形を興味を持つなんて考えもしなかった。

なのに、もう変ってしまった。
一目惚れみたいなものなのかもしれない。

Enという人形作家の、Eleanorという作品だ。

一年前だったら衝動買いしていたことだろう。
この歳になって、まさか人形を興味をもつ、
欲しい、という思うようになるなんて、まったく想像できなかったし、
したこともなかった。

買える買えないは別として、ときめくものに出逢えた。
そういえば、今日は新月だった。

Date: 2月 11th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その6)

毎日のようにTIDALで音楽を聴いていると、
TIDALのサーバーはダウンしないのか、と思うこともある。
ダウンしたら、当然聴けなくなるわけで、そんな日がいつか来るのかなぁ、と思っていたら、
今日、そうだった。

夕方帰宅して、TIDALにアクセスしたらつながらない。
もしかして日本からのアクセスが遮断されたのか、と思った。
そうなったら困る、かなり困る……。

おそらくサーバーのダウンなんだろう、と思いつつも、
ここまでTIDALで音楽を聴くようになってきていると、
TIDALに頼らなくても音楽を聴く手段はあっても、
それが現実となったら、そうとうに困るしつらいと感じるようになってきている。

今回は聴こうと思ったらアクセスできなかったけれど、
気持ちよくTIDALで聴いている時に、いきなりサーバーがダウンしたら……。

こういう不安があるから、TIDALなんて、ストリーミングなんて、
という人がいるのはわかる。

いつか聴けなくなる……、という不安が完全になくなることはないだろう。
TIDALという会社がなくなることだって可能性としてはある。

それだってアナログディスクやCDを山のように所有していても、
火事やその他の事故で、すべてを失うことだって、可能性としてはある。

20代のころ、積極的にディスクを買い集めていた。
集めながら、もし火事になったら、どうしよう、と考えることがあった。

何を持ち出すのか。
何を見捨てるのか。

火事の際、自宅にいれば、まだ何枚かは持ち出せる。
けれど外出中に火事になったら……。
そんなことを真剣に考えるようになっていた。

蒐集癖のない人からすれば、ばかな心配をするものだ、と笑われるだろう。
でも私だけではない、と思う、そういう心配をしていた(いる)人は。