クルレンツィスのベートーヴェン(その2)
カザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団のベートーヴェンでは、
四楽章の途中で、指揮棒が譜面台に当る音がする。
クルレンツィスのベートーヴェンがそこのところにきたとき、
その音がしない、とおもってしまった。
するはずがないのに、そうおもってしまった。
これまでかなりの数のベートーヴェンの七番を聴いてきている。
一度も、そんなことをおもったことはなかった。
思うはずがないのに、今回はそうおもっていた。
カザルスとクルレンツィスは、ずいぶん対照的でもある。
まず年齢が大きく違うし、二人の体形もずいぶん違う。
オーケストラの成り立ちも違う。
カザルスのベートーヴェンとクルレンツィスのベートーヴェンは、
二人の体形の違いのようなところがある。
にもかかわらず、四楽章の途中でそんなことを感じていた。
なぜ、そんなふうに感じたのかはいまのところなんともいえないのだが、
ひとついえそうなことは、二人のベートーヴェンは自由である。
ここでの自由は、好き勝手やっているという意味では当然ない。
自分自身にとても率直である、という意味での自由である。