MQAのこと、TIDALのこと(その11)
TIDALで音楽を聴くようになって、約五ヵ月。
ここにきて少し変ってきたのは、聴き較べをわりとやるようになってきたことだ。
クラシックを聴くということは、
同じ曲を、多くの演奏家で聴くということでもある。
世の中には、というか、日本にはグレン・グールドのピアノしか聴かない、という人がいる。
そんなスノッブな人は別として、クラシックを聴き続けてきている人は、
たとえばベートーヴェンのハ短調交響曲にかぎっても、
少ない人でも数枚は、多い人だと百枚を超えて所有し、聴いていることだろう。
フルトヴェングラー指揮のハ短調交響曲にかぎっても、
どの演奏(録音)がいいか、は昔からいわれつづけている。
クラシックを聴き始めたころは、
とにかく聴きたい曲、聴きたい演奏を充実させることが優先である。
偏った聴き方をする聴き手であっても、
ハ短調交響曲ばかり百枚ほどもっていて、
ほかの曲はまったく所有していない、という人は、いないと思う。
ふり返ってみると、私はあまり聴き較べをしてこなかった。
コレクションはそこそこあった。
聴き較べをしようと思えば、ある程度は可能だった。
それでもベートーヴェンのハ短調交響曲を聴きたい、と思ったら、
誰の演奏(録音)でなのかを決めてから、聴き始める。
聴き終って、別の誰かの演奏で、もう一度ハ短調交響曲ということは、
ほとんどしなかった。
ハ短調交響曲の新譜が出る。買ってくる。
初めて聴く演奏のあとに、
これまで聴いてきた別の誰かのハ短調交響曲を聴く、ということもほとんどしてこなかった。
私にとって、演奏の比較は、聴いた記憶のなかだけということが多い。
コレクションがアナログディスクから、CDがメインになってからでも、
そのことに変りはなかった。
ようするに、今日はハ短調交響曲を聴き較べるぞ、ということはなかった。
そんな私が、TIDALでは、よくやるようになった。