Archive for category テーマ

Date: 11月 21st, 2021
Cate: 情景

情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その7)

フルトヴェングラーは、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」と語っている。

真理だ、と私は思っている。
でも、そうではないと思っている人もいることも知っている。

どちらが正しいのかは、私にはどうでもいいことだ。

先日、別項「何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その5)」で、
余韻について書いた。

この余韻もまたフルトヴェングラーのいうところの感動と同じように、
人と人との間にあるもの、もしくは人と人との間に生じるもののはずだ。

一ヵ月ほど前に、ある人と出逢ったのがきっかけで、
余韻についておもう日が続いている。

この、私が感じている「余韻」は、いったいなんなんだろうか、
通常、余韻はデクレッシェンドしていくのに、この「余韻」はクレッシェンドしていっている。
とまどいも感じているわけなのだが、
ここで述べている音情も、人と音との間にあるものであって、
私が音情と感じていても、別の人はまったく感じていないということがあっても、おかしくない。

Date: 11月 20th, 2021
Cate: ディスク/ブック

THE BERLIN CONCERT(その1)

2020年、クラシックのCDで一番の売行きだったのは、
“JOHN WILLIAMS IN VIENNA”のはずだ。

今年(2021年)が、どのディスクだったのかは知らない。
でも来年(2022年)、一番売れるであろうCDは、
“JOHN WILLIAMS BERLINER PHILHARMONIKER”であろう。

ウィーンの次はベルリンである。
“JOHN WILLIAMS IN VIENNA”がそうとうに売れたのだから、
二匹目のドジョウということで企画なのかどうかはなんともいえないが、
来年1月に発売予定である。

先行して、“Superman March”が聴ける。
e-onkyoでも、この一曲のみ先行発売しているし、
TIDALでもMQA(192kHz)で聴ける。

昨晩、寝る直前に聴いていた。
楽しくて二回聴いていた。

オーケストラもスピーカーも同じだな、と改めて感じていた。

瀬川先生が、「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭で書かれている。
     *
 現にわたくしも、JBLの♯4343の物凄い能力におどろきながら、しかし、たとえばロジャースのLS3/5Aという、6万円そこそこのコンパクトスピーカーを鳴らしたときの、たとえばヨーロッパのオーケストラの響きの美しさは、JBLなど足もとにも及ばないと思う。JBLにはその能力はない。コンサートホールで体験するあのオーケストラの響きの溶けあい、空間にひろがって消えてゆくまでの余韻のこまやかな美しさ。JBLがそれをならせないわけではないが、しかし、ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持を、仮にそれが一瞬とはいえ味わわせることがある。なぜ、あの響きの美しさがJBLには、いや、アメリカの大半のスピーカーから鳴ってこないのか。しかしまた、なぜ、イギリスのスピーカーでは、たとえ最高クラスの製品といえどもJBL♯4343のあの力に満ちた音が鳴らせないのか──。
     *
オーケストラでもまったくそうなのだ。
瀬川先生の例では、スピーカーの格が違いすぎてもそうなのだが、
オーケストラは格においてもアメリカのオーケストラよりも同等、もしくは上なわけで、
そうなると、どうしてアメリカのオーケストラからは、こういう響きが出ないのだろうか──、
と思うことになる。

Date: 11月 20th, 2021
Cate: ケーブル

ケーブル考(その11)

ケーブルにはインダクタンス成分が必ずある。
そのため電源部の出力インピーダンスがどんなに低くても、
アンプ部に供給するための配線がもつインダクタンスによって、
中高域からインピーダンスは上昇することになる。

定電圧回路を採用して電源部の出力インピーダンスを低くしたところで、
アンプ部までの配線が長くなれば、中高域でのインピーダンスの上昇も大きくなる。

このことに言及したのは、無線と実験において、安井 章氏が最初だったはずだ。
電源インピーダンスのフラット化。
そのことを追求され始めたのは、1980年ごろからだった、と記憶している。

定電圧回路の誤差増幅には、OPアンプが使われることもあった。
オープンループ時のゲインが高いOPアンプを使えば、
インピーダンスはかなり低くできるものの、
その定電圧回路のインピーダンスは、
使用したOPアンプのオープンループの周波数特性をなぞるカーヴとなる。

つまり中高域(可聴帯域内)でインピーダンスが上昇してしまうし、
そこからアンプまでの配線があれば、さらに上昇することになる。

安井 章氏は、だからOPアンプを定電圧回路に使われなかったし、
定電圧回路とアンプ部との配線を極力短くするために、
それぞれのアンプ部に対してローカル電源回路を用意されるようになっていった。

外部電源を採用するコントロールアンプが増えたのは、
マークレビンソンの登場以降である。

そのマークレビンソンのアンプも、
外部電源からアンプ本体へのケーブルの影響を無視できなくなったのか、
リモートセンシングを採用したり、ML6AとML6Bでは、
アンプ本体のスペースに電解コンデンサー・バンクを備えるようになった。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その3)

選ばなかった途ではなく、結局は選べなかった途がある。
その選べなかった途をもし歩んでいたら──、
どんな生活を、いま送っていただろうか、とは考えていない。

それはきっとオーディオと無縁の途だったはずだからだ。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: 欲する

何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その5)

二年近く前の(その1)の時点では、
デアゴスティーニのサンダーバード秘密基地が欲しい! と思っていた。

欲しい! という衝動である。
でも衝動はしばらくすると薄れていく。
いまではすっかり落ち着いてしまっていて、欲しいという気持はもうない。

こうなるであろうことは、出た時点で予想できていたことだったし、
やっぱりそうなったか、ぐらいに思っている。

どうしてなのか、といえば、余韻を感じていなかったからだろう、と。
欲しい! とおもったほどなのだから、まったく余韻がなかったわけではない。
それでも、その余韻は急速に萎んでしまった。

サンダーバード秘密基地だけではない。
これまで聴いてきた数多くのオーディオ機器、
さらには聴く機会に縁のなかったオーディオ機器、
それらのなかで、欲しい! という衝動にかられたモノはある。

欲しい! と思ったモノで、いまも欲しい、
自分の手で鳴らしてみたい、と思っているモノは、かなり少ない。

これも余韻の持続が関係しているのだろう。
息の長い余韻がある。

そういう余韻は、時として何かに共鳴して大きな余韻となって、
私の裡で膨らんでいく。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: ハイエンドオーディオ

FMアコースティックス讚(その4)

FMアコースティックスに関しては、音に関することよりも、
音に関係のないウワサのほうが、私の耳には先に届いていた。

けれど、音に関してもしばらくすると入ってくるようになった。
聴いた人は、かなりいい音だ、と感じているようだ──、
そんな感じのことが伝わってくるようになった。

あるオーディオ評論家から直接聞いたことがある。
地方のオーディオ店に招かれて行く。

どうしようもない音で鳴っていることがある。
イベントの開始時間は迫っている。
そういう時、FMアコースティックスのアンプがあれば、替えてもらう。

たいてい、それだけでうまくいく、ということだった。

この話をきいたときも値上りを何度かしている時だったものの、
いまみたいな価格のずっと手前ではあった。

とにかく困った時のFMアコースティックス頼み、であり、
それにきっちりと応えてくれる。

これはなかなかすごいことである。

オーディオ評論家を招いているくらいだから、
FMアコースティックスの前にスピーカーに接がれていたアンプだって、
かなりいいモノだったはずだ。

そのオーディオ店のスタッフのセッティングが未熟だから、
オーディオ評論家が困る音しか鳴っていないのであって、
本来ならば、それでも十分な音が鳴ってくれるはず。

つまりそういう状況下でも、FMアコースティックスは応えてくれるわけだ。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その8)

その6)へのfacebookのコメントに、こうあった。

秘伝のタレという表現を、揶揄する意味で使うことは、
実際に秘伝のタレを日々使い、数十年、それ以上守り続けている飲食店に対して、
失礼ではないか、と。

私もこのことは、秘伝のタレをネガティヴな意味で、
MQAを全否定する文章で見かけた時から、そう感じていた。
MQAについても誤解しているようだけど、秘伝のタレに関しても誤解している人たち。

同じように感じる人が、やはりいる。
なのに、秘伝のタレという表現の使い方について何も書いてこなかったのは、
こういう使い方をする人たちにそのことを指摘すると、
今度は「化学調味料たっぷり」といった表現を使ってきそうだから──、と思ったためである。

別項で書いている「不遜な人たち」の、品性のカケラもない表現というか、
言葉の使い方にソーシャルメディアに触れていると、どうしてもぶち合ってしまう。

来年はもっとそんなことが多くなるのだろう……。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その6)

マッキントッシュからMC3500が新たに登場するということを知って、
まず確認したのはMC2301が製造中止になったのかどうか、である。

2008年に登場したMC2301のスペックはMC3500に、かなり近い。
どちらも管球式モノーラルパワーアンプで、
MC2301が出力が300Wに対して、MC3500は350Wである。

アピアランスはずいぶん違うが、価格的にも近いところになるであろう。
そうなると発表されて十年以上経っているMC2301は製造中止になってもおかしくない。

いまのところMC2301は現行製品扱いである。
別項で書いているように、MC2301は、いまでも聴いてみたいアンプである。
マッキントッシュのパワーアンプのなかで、MC2301にいちばん興味がある。

その理由も別項で書いているので、ここではさらっと触れておくが、
管球式であってもソリッドステートであっても、
これまでのマッキントッシュのアンプにはなかったコンストラクションを採用しているからだ。

重量バランスがとれているコンストラクションである。
だからこそ、いまでも聴いてみたいし、
できればマッキントッシュの他のアンプとの比較試聴もやってみたい。

けれどインターナショナルオーディオショウで実物を見たことはあるが、
音を聴くことはできなかった。

MC2301とMC3500、
その違いをオーディオ雑誌に期待しても、まぁ無理であろう。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その5)

ステレオサウンド 52号特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」で、
瀬川先生がこう書かれている。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。そう思わせるほど近ごろ大がかりな大きなアンプに馴らされはじめた目に、新しいマッキントッシュは、近ごろのアメリカのしゃれたコンパクトカーのように小じんまりと映ってみえる。
     *
《決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても》
とある。
「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオだけに、
この点は、確かにそうだな、と思いながら読んでいた。

といっても、この時点で、マッキントッシュのアンプの音を聴いていたわけではない。
五味先生、瀬川先生の書かれたものを信じて、思っていたわけだ。

その1)で引用した五味先生の文章。
そこには、《MC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある》
とある。

これこそまさに大河小説のアンプではなく、短詩で表現するアンプである。
そのMC275に対してMC3500は、大河小説的なアンプであったわけで、
MC3500だけが、当時のマッキントッシュのアンプのなかで特別だった、ともいえる。

そこからさらに四十年ほどが経っているわけで、
昔のMC3500も、52号で瀬川先生が書かれたように感じてしまうのだろうか。

そして新しいMC3500は、どう感じるのか。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その7)

TIDALがあるおかげなのかもしれないが、
今年は「クラシックを聴き続けてよかった」と実感している。

四十数年聴いてきて、いままでそんなふうに思ったことはなかっただけに、
齢をとったのかも……、と思いながらも、
そんなことはどうでもいいわけで、ほんとうに聴き続けてよかった。

私はクラシックを主に聴き続けてきたからそう思うわけで、
クラッシクでなければならないわけではない。

ジャズでもいい、ロック・ポップスでもいいし、歌謡曲でもいい。
好きな音楽を永い時間、聴き続けていることが大切なのであって、
そのことをいつの日か、実感できるようになる、というだけのことだ。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その15)

このことはどこに書こうか、少し考えたけれど、結局、ここに書くことにした。

最近、ソーシャルメディアを眺めていると、爆音という表現がけっこう出てくる。
爆音と表現された、その音を私は聴いているわけではないから、
そこで鳴っていた音が、ほんとうに爆音なのかどうかはなんともいえないが、
ただ私が思っている爆音と、ソーシャルメディアに爆音と書き込んでいる人たちの爆音とは、
どうも違うような気がしてならない。

鼓膜を圧するほどの大音量が、爆音なのではない。
いうまでもなく爆音とは、辞書には、
飛行機・オートバイなどのエンジンの発する大きな音、
火薬などが爆発する音、とある。

私にとっての爆音とは、菅野先生が表現された岩崎先生の音のことだ。
その2)で、そのことについて書いている。

「よくマンガであるだろう、頭を殴られて目から火花や星が飛び出す、というのが。」
こんな出だしで、菅野先生が話してくださったのは岩崎先生の音について訊ねたときのことである。

「岩崎さんの音をはじめて聴いた時、ほんとうに目から火花が出たんだ。まるでマンガのようにね」と続けられた。
そのくらいの衝撃が、岩崎先生の音にはあったということだ。

大音量で知られる岩崎先生。
ただ大きなだけではない。
菅野先生が表現されているような音だからこその爆音だ。

岩崎先生が求められていた爆音とは、これも(その2)で書いているが、
こういうことだと思っている。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
爆音という表現を使っている人たちで、
こういう音を聴いている(出している)人がどれだけいるのだろうか。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その6)

一年前の11月17日からTIDALを使い始めた。
丸一年、ほぼ毎日、TIDALで音楽を聴いてきた。

ソニー、クラシカル、ソニー・ミュージックの音源のMQA配信が、
今夏から行われるように、TIDALで聴く時間は増える一方。

グレン・グールドがMQA Studioを聴けるようになったのは、
今年一番嬉しかったことであり、これ以上の喜びは、これから先もそうそうないように思う。

グールドのハイドン、モーツァルト、バッハをMQA Studioで聴ける。
ありきたりの表現になっしまうが、まさに至福の一時であるし、
スリリングな時間でもある。

MQAの音を、秘伝のタレをかけた音、と酷評する人が、オーディオ業界には数人いる。
この人たちは、どういうシステムで、
どういう聴き方をしての「秘伝のタレ」という表現なのだろうか。

グールドをMQAで聴きたければいまのところTIDALしか手はない。
だから来年もTIDALで音楽を聴く時間は増えることはあっても、減ることはない。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: 「オーディオ」考
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「オーディオの対岸にあるもの」について(その4)

その3)で、「毒にも薬にもならない」音が増えてきているのは、
誤解されたくない、という気持が根底にあるからではないだろうか──、と書いた。

では、なぜ誤解されたくない、という気持はどこから生れてくるのか。
一つには、人に音を聴かせるからだろう、と思っている。

インターネットの普及によって、
それまで接点のなかったオーディオマニアのあいだにつながりが生れ、
互いの音を聴く、ということがあたりまえのように行われようになったし、
そのことを個人サイトやブログ、ソーシャルメディアで、どうだったのかを公開する。

インターネット普及以前は、初対面の人の音を聴きにいくということは、
そうそうなかった。
共通の知人がいれば、そういうこともあったけれど、いまは違う。

そのことが悪いこととは思っていないけれど、
そのことが誤解されたくない、という気持を生む下地になってきているのではないだろうか。

人に聴かせなければいい。
私はそう考える人間だ。

誰にも聴かせなければ誤解も生じない。
もっとも誰にも聴かせなければ、褒めてもらうこともなくなるわけだが。

いい音ですね、素晴らしい音ですね、と認めてもらいたい、褒めてもらいたい気持と、
絶対に誤解されたくないという気持。

それを両立させるのが、オーディオのあり方なのだろうか。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その4)

MC3500が業務用アンプであり、
今回のMC3500 Mk IIが家庭用アンプとして開発されたものであることは、
マッキントッシュのMC3500のサイトの写真からもはっきり伺える。

新旧二台のMC3500が並んで写っている。
MC3500は、当然古いわけだけど、ここでの写真では、
どこかで使っていたMC3500を持ってきてそのまま撮影している感じである。

冷却ファンをもつMC3500の内部はホコリがたまりがちである。
写真のMC3500は、まさにそのとおりであって、
写真撮影にあたって内部のクリーニングを行っていない。

そのとなりに新品のMC3500 Mk IIである。

この写真をみて、二台のMC3500は、
出力こそ、そしてアンプとしての規模こそ同じであっても、別物であることを、
マッキントッシュは提示している、と感じた。

だからこそ新型のMC3500は、
フロントパネルにもリアにも、型番の表記がMC3500 Mk IIではなく、MC3500なのだ。

MC3500 Mk IIとするのであれば、
業務用のMC3500の改良版でなければならない。

今回発表されたMC3500は家庭用アンプである。
いまのマッキントッシュは、MC3500を発表した時のマッキントッシュはとは違い、
業務用アンプメーカーではなく、家庭用アンプの専業メーカーである。

Date: 11月 16th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その14)

その7)で,6月からAmazon Music HDも利用している、と書いている。
いまは、というと、10月にAmazon Music HDは契約解除した。

TIDALよりも日本語の歌に関しては揃っている。
Amazon Music HDで聴くのは、ほぼ日本語の歌だけになっていた。

それでも月々の支払い額は高いわけでもないから、
そのまま使っていてもいいと思ったけれど、
9月、10月になるとほとんど聴かなくなっていた。

また聴きたいと思うようになったら、その時また契約すればいいし、
それも簡単に行えるのだから、それでいい。

結局、私のシステムでは、Amazon Music HDはそれほどいい音とは思えなかった。
TIDALがMQAにさらに積極的になってくれたことも関係している。

TIDALで聴く時間がほんとうに長くなってきている。
楽しくて楽しくて、といった感じで聴いている。

この楽しいという感じが、Amazon Music HDには私の場合、感じられなかった。
まったくなかった、とはいわないが、薄いなぁ、と思っていた。

TIDALという書店とAmazon Music HDという書店。
どちらも規模は大きく、ラインナップもまったく違うというほどではない。

それでも楽しい、という点において、私はTIDALという書店をとる。
Amazon Music HDという書店は、思い出したようにふらっと入ればいい。