Archive for category テーマ

Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その5)

ハタチになるかならないかのころ、
クラリネット奏者といえば、
ベニー・グッドマンをまず思い浮べるだけのころ、
レオポルト・ウラッハを、サウンドボーイの編集長だったOさんからすすめられて、
はじめて聴いた。

そころウラッハのレコードは国内盤しかなかった。
音の艶に欠けがちな、という印象のある国内盤であっても、
ウラッハの音色は、ベニー・グッドマンをはじめて、
他のクラリネット奏者とは大きく違って、私の耳には聴こえた。

佳き時代のウィーンの香りが漂う──、
そんな陳腐な表現しか、その時は思い浮ばなかったけれど、
でもまさにそういう響きが、ウラッハのクラリネットの音からは感じられた。

そして、これが国内盤ではなく、いわゆるオリジナル盤だったら──、
その香りにむせたりするのだろうか──、そんなこともおもっていた。

マルティン・フレストのクラリネットを聴いていて感じたのは、
ウラッハの音に感じた香りが稀薄なのかもしれない、ということだ。

同じ香りがでなければならないなんて、いう気はもちろんない。
けれど、香りが稀薄と感じてしまうのはなぜなのか。

フレストの音に、もともとそういう香りがないのだろうか。
それとも私が感じていないだけなのか。

自分の体臭は気づかないものである。
同じことが時代の香り(匂い)についてもいえるのではないのか。

それゆえに、いまはフレストから感じていないだけなのかもしれない。

Date: 4月 23rd, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その4)

さっきTIDALで、マルティン・フレストの“Night Passages”を聴いていた。
“Night Passages”は昨日発売になったばかりのソニー・クラシカルからの新譜。

TIDALでは96kHzのMQA Studioで聴くことができる。
e-onkyoでは、96kHzのflacである。

マルティン・フレストは、クラリネットの魔術師と呼ばれている、らしい。
そのことは、聴けばわかる。

クラリネット奏者にそう詳しくない私だけど、
フレストのクラリネットの演奏技術の高さは、
一曲目の頭を少し聴いただけでも、すぐにわかる。

それに録音もいい。
MQAで聴いていると、よけいにそう感じる。
MQAによる音の良さに関しては、別項で書くつもりなのでここでは省略するが、
フレストの演奏を聴いていて、
なにもここでのテーマである「陰翳なき音色」だと感じたわけではないことは、
さきに書いておく。

なのに、ここでフレストの“Night Passages”を取り上げているのは、
ふとウラッハのことを思い出したからである。

ウラッハとは、レオポルト・ウラッハのことであり、
ウラッハは1902年生れのクラリネットの名手である。

Date: 4月 22nd, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その30)

1970年代の終りごろといえば、JBLの4343が爆発的に売れていたころである。
4343に憧れていた私にとって、それは素直にすごいことと受け止めていたけれど、
いまこうやって当時のことをふり返ると、
4343の人気が凄すぎて、その陰に隠れてしまった感のある、
いくつかの特徴的なスピーカーシステムを聴く機会が、
かわりに失われていた──、そういえるような気がしてならない。

当時、東京に住んでいれば、それほどでもなかったのかもしれないが、
田舎暮しの高校生にとっては、
聴きたいスピーカーがあるからといって、都会に出て行くこともできなかった。

ゆえに聴きたいスピーカーシステムはいくつもあっても、
すべてが聴けたわけではなく、聴けたスピーカーの方が少ない。

Concert Master VIは、どんな音がしたのだろうか。

聴けなかったスピーカーシステムがけっこうあると同時に、
ステレオサウンドで働いたおかげで、聴けたスピーカーシステムも多い。

セレッションのSystem 6000をじっくり聴けたことは、
いまふりかえってみても幸運だった、といえる。

しかも当時はSL600を鳴らしていたころでもあったのだから、
よけいに関心は強かったし、いろいろかんがえるところは多かった。

SL600はSL700へとなっていったが、
System 7000は残念なことに登場しなかった。

日本だけでなく、他の国でもSystem 6000はあまり売れなかったのだろうか。
それでもいい。

いまSystem 6000の可能性を捉え直してみると、
さほど大きくない平面バッフルにとりつけた604-8Gに合うサブウーファーは、
こういうところにヒントがあると思ってしまう。

Date: 4月 22nd, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その29)

ステレオサウンド 48号の特集はアナログプレーヤーだった。
しかもブラインドフォールドテストだった。

第二特集は、サブウーファーだった。
48号のころ(1978年ごろ)は、
サブウーファー新製品として各社から登場しはじめたころでもあった。

52号から連載が始まったスーパーマニア。
一回目は郡山の3Dクラブだった。

いまでこそ3Dといえば映像のほうなのだが、当時は違っていて、
いまでいうセンターウーファー方式を3Dといっていた。

この時代は、ハートレーのウーファーの他に、
エレクトロボイスの30Wも現行製品だったし、
フォステクスから80cm口径のウーファーが新製品として出てきた。

さらにダイヤトーンからは160cm口径の大型ウーファーのプロトタイプが出て、
ステレオサウンドでも取り上げている。

1970年代の終りごろはそういう時代でもあった。
そういう時代を見てきているから、
大口径ウーファーに対してのアレルギーみたいなものはない。

当時ハートレーの輸入元はシュリロ貿易だった。
シュリロから、224HSを搭載したサブウーファーも出てきた。

ハートレー・ブランドで売られていたが、
密閉型エンクロージュアはハートレー指定による国産だった。

このサブウーファー(型番はSub Woofer System)は密閉箱だったが、
当時のハートレーのスピーカーシステム、Concert Master VIは、
224HS搭載なのはサブウーファーと同じなのだが、
エンクロージュアは後面開放型である。

ダリのSkyline 2000は知人が気にいって購入していたから、
かなりの時間を聴く機会があった。

ハートレーは実機を見たことはあるが、音は聴いていない。

Date: 4月 21st, 2022
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その33・番外)

ロケットニュース24というサイトがある。
ニュースとついているからニュース系のサイトといえばそうなのだが、
ロケットニュース24のサイトには、
《あまり新しくないことを早く伝えたい、という気持ちだけは負けていないネットメディア》
とある。
さらに《くだらなくて、おもしろい出来事などを、8割くらいの智からでお届けします》
ともある。

このロケットニュース24が数日前に、
【ガチ】無印良品の「レトルトカレー」全53種類をすべて混ぜたらこうなった
という記事を公開している。

タイトルどおりの内容の記事である。
結果は、つまりその味は、というと、想像以上に美味しい、とのこと。

ロケットニュースは、以前、市販カレールー43種類をすべて混ぜた記事も公開している。
カレールーを一つではなく、二つほど混ぜて使う人はけっこういると思う。

一つのカレールーよりもたいていの場合、二つのカレールーを混ぜた方がおいしく仕上がる。
なのでレトルトカレーも混ぜたほうがいい結果がえられやすいとは思っていたが、
53種類というさまざなカレーを混ぜても、何の工夫もそこには要らずに美味しくなる、ということは、
なかなか興味深いことである。

この項の(その32)と(その33)で、イソダケーブルのことを取り上げている。

イソダケーブルとは、何種類かの金属線を一纏めにした構成のケーブルである。
私が聴いたのは1980年代半ばのころで、
その時のステレオサウンドの試聴室で、JBLの4344で聴いた限りでは、
芳しい結果は得られなかった。

けれど考え方としては面白い、といまでも思っている。
数種類程度ではなく、ロケットニュース24のカレーの記事のように、
もっとさらに徹底していたら、どうなっていただろうか。

Date: 4月 20th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その7)

今日発売のレコード芸術 5月号で、
「新時代の名曲名盤500」はシベリウスからイザイまでをカバーして、
ひとまず終りである。

また数年後、同じ企画は始まるし、
今回の企画を一冊にまとめたムックも出るように思っている。

今回で最後なので、ワーグナーも登場している。
意外だったのは、「ニーベルングの指環」で一位になっているのは、
いずれもショルティの録音だったことだ。

今回の「新時代の名曲名盤500」をじっくり読んできたわけではない。
Kindle Unlimitedでなんとなく眺めていただけなのだが、
それにしても1980年代、私が熱心に読んでいたころ(そのころは300だった)とは、
ずいぶん選ばれている録音が違う曲が、けっこう多くあった。

そんなことがあったのでワーグナーは、ショルティが一位なのがちょっと意外だった。

いまワンダ・ランドフスカの演奏(録音)は、どうなのだろうか。
Kindle Unlimitedではレコード芸術に関しては、数ヵ月前のバックナンバーまでしか読めない。
バッハをとりあげた号は、いまでは読めない。

ランドフスカはどうだったのか。
選ばれていないのではないだろうか。

1980年代後半の「名曲名盤300」でも、
すでにランドフスカは忘れられていたという印象を受けた。

そのランドフスカを、私はいまになって、ようやくいい演奏だと感じている。
このことは、若いころといまとでは認知距離(ディタッチメント)が変ってきた──、
ということなのか。

そんなことを考えていたら、ランドフスカの演奏は「花」なのかも、と思えてきた。
20代のころ、ランドフスカの演奏をそれほどよいとは思えなかったころ、
花にほとんど関心はなかった。

いまだって、それほど強くあるわけではないが、
それでもそのころよりもずっと花をみて美しい、と感ずることが増えている。

だからランドフスカは私にとって「花」なのだろうか。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その28・余談)

(その28)へのコメントがfacebookであった。

そこには、妄想ではなく猛走とあった。
いわれてみて、たしかに猛走でもあるな、と思った。

妄想(猛走)アクセラレーターと、今後は書いていこう。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その6)

2006年3月号のラジオ技術の五十嵐一郎氏の文章を、もう少し引用しておきたい。
     *
 風間千寿子女史が、プレイエルのランドフスカ・モデルを持参で帰京し、ある年に、上野の文化会館小ホールでハープシコード・リサイタルを行った。わたくしは風間女史宅で何度か実機を聴いていたし、このリサイタルには、めずらしく西条盤鬼が女史の招待に応じて会場にくりだしていた。
 盤鬼は、戦後の演奏会はコルトー以来だといっていた。盤鬼とわたくしは、小ホールの最後部席で聴いた。このとき、高城重躬先生は、最前列のカブリツキで聴いておられた。
 休けい時間のとき、盤鬼は「レコードとおなじいゝ音だ」とわたくしにいった。高城さんは「レコードとずいぶん違う音じゃないか」とわたくしにいった。
 わたくしには、あのとき以来、耳派、感覚派、物理派とかいうような、一言居士の風潮区分けをケイベツするようになった。
 芸術鑑賞にディタッチメントは必至である。そして、だからといって認知距離は、認知の接近度の問題であり、それはスタンスを開けるという以上のことでもあろう。
     *
認知距離(ディタッチメント)という判断。
こういうところが、
西条卓夫氏に《戦後派の選ばれたオーディオとレコード・ファン》といわしめたのではないのか。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その28)

アルテックの604-8Gを中心としてワイドレンジ化をねらったシステム。
システムの規模をまったく考慮しないのであれば──、と考えたプランもある。

604-8Gは15インチ口径の同軸型ユニットだから、
その下にもってくるウーファーのサイズとなると、
同じ15インチのダブルではつり合わない。

私の感覚では18インチのダブルか、その上の24インチ口径となる。
ハートレーのウーファーがある。
224HSが24インチ口径で、ぴったりである。

224HSは、マーク・レヴィンソンがHQDシステムに採用していた。
西海岸のアルテック、東海岸のハートレー、
組合せとしてうまくいくのかどうかはやってみないことにはわからないのだが、
クラシックを聴きたい私にとっては、決して悪くない結果を生むだろう、という期待はある。

けれど、このシステムの規模は私には大きすぎる。
ならば、どんなシステムを構想できるのか。

604-8Gをさほど大きくない平面バッフルに取り付けて、ということであれば、
まず私の頭に浮んだのは、ダリのSkyline 2000である。

このころのダリは、いまのダリとはずいぶん違うスピーカーシステムをつくっていた。
スピーカーシステムの完成度としては、いまのダリの製品のほうが上だろうが、
スピーカーシステムの魅力は、Skyline 2000の方が私にとってはずっと上である。

こんなふうに書いていると、ダリは少しばかりB&Wに似ているのかもしれない。
B&Wはずっと以前は、いろんなタイプのスピーカーシステムを手がけていた。

あのころといまのB&Wとでは、完成度の高いシステムを実現しているのは、
いまのB&Wである。誰もがそういうはずだ。

でも完成度の高さばかりがスピーカーの魅力なわけではない。
このことに触れはじめると、大きく脱線していくのではこのへんにしておくが、
ダリのSkyline 2000後面開放型のエンクロージュアのスピーカーシステムだった。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その5)

ラジオ技術 2006年3月号の連載で、
五十嵐一郎(金井稔)氏が、ランドフスカの復刻CDについて書かれている。

見開きの記事の左ページの半分くらいが囲み記事になっている。
そこは、「M夫人と聖ワンダ・ランドフスカ」とある。

松村様
 ごぶさたしております。

という書き出しで始まるこの文章は、五十嵐一郎氏が松村夫人にあてた私信である。
そこに、こうある。
     *
小生は“復刻CDをきいたら、LPをぜひ聴きたまえ”と書いたのです。
 本当は、“LPでとどまらず、何としてでもランドフスカは78s(SP盤)まで戻りなさい”といいたいのです。
     *
そういうものなのだろう。
私は、まだSP盤でランドフスカを聴いていない。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その22)

十数年前だったか、中学のころ使っていたラジカセの型番を調べようとしたことがある。
その時は、検索ワードを変えてみたりしても、求める結果に行き着けなかった。

それがいまや昔のラジカセが小さなブームになっていることもあってか、
すんなりわかった。

内部写真も見つかった。
使っていたとき、内部を見たことはなかった。
今回、インターネットで見つけた写真をみて、
スピーカーユニットがアルニコマグネットだったことを知る。

ダイヤトーンのP610のような磁気回路のフルレンジユニットで、
ダブルコーン仕様である。

さっきまでフェライトマグネットのシングルコーンのフルレンジだと思い込んでいた。
コバルトの世界的不足で、JBL、アルテック、タンノイなどが、
アルニコマグネットからフェライトに移行したのは、この数年後である。

このラジカセで、グラシェラ・スサーナのミュージックテープを聴いていた。

Date: 4月 18th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その4)

「新版 名曲この一枚」を読んでいると、
ワンダ・ランドフスカの演奏を聴いてみたくなる。

ランドフスカの演奏(録音)は、もちろん以前から聴いていた。
けれど、そのころは20代前半ということもあってか、
それほど素晴らしい演奏とは感じなかった。

それに録音も古い。そのことが相俟って、古い演奏と感じてしまった。
ランドフスカと同年代に録音された他の演奏家の録音は、
けっこう聴くことがあるのに、なぜだかランドフスカを遠ざけてしまっていた。

といってもまったく聴いてこなかったわけではないが、
数えるほどしか聴いていない。

それでも西条卓夫氏の文章にふれていると、
もう一度ランドフスカを聴いてみよう、という気持がわいてくる。

幸いなことに、TIDALではMQAで聴ける。
それほど多いわけではないが、平均律クラヴィーアの第一集がある。

以前、平均律クラヴィーアは、
グールドとグルダ、リヒテルの三組のレコード(録音物)があるから、
それで満足している、と書いた。

なのに、こうやってランドフスカのチェンバロによる平均律クラヴィーアを聴きはじめたら、
若いころは聴き続けるのにしんどさを感じていたのに、
すんなりとこちらの耳に入ってくる。

なので、ここ数日はランドフスカをまとめて聴いていた。
西条卓夫氏のような境地で聴いているとは思っていないし、
そこまでたどりつけるないだろうけれど、とにかくいまランドフスカを聴いている。

古めかしさを感じることがなくなっていることに気づく。

Date: 4月 17th, 2022
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その11)

安部公房の「他人の顔」が発表されたのは1964年。

バルトークは1945年に亡くなっている。
「他人の顔」の時代は、バルトークは現代音楽だったのか。

死後二十年ほど経っているのだから、もう現代音楽ではないんじゃないか──、
そういう受け止め方があるのはわかっているが、
「他人の顔」の〈ぼく〉は、レコード(録音物)で音楽を聴いている。

1963年に、ジュリアード弦楽四重奏団がバルトークの弦楽四重奏曲を録音している。
ジュリアード弦楽四重奏団は、その十八年後の1981年も録音している。

ジュリアード弦楽四重奏団の二つのバルトークを聴きくらべると、
そこから感じとれる気迫がずいぶん違って聴こえる。

1981年の録音は、1963年の録音よりも気迫が薄くなっている。
1963年のジュリアード弦楽四重奏団の演奏を聴いていると、
この時代、バルトークはまだ現代音楽だった、というふうに感じとってしまう。

同じ気迫を、私はアバドとポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲にも感じる。
1977年の録音なのにもかかわらずだ。

そんなバルトークの聴き手である私は、〈ぼく〉の時代のころ、
バルトークは現代音楽であった、と思うわけだ。

Date: 4月 17th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その3・追補)

(その3)で引用している西条卓夫氏の文章に登場するM・Kは、
ラジオ技術の金井稔氏である、とある方から指摘があった。

金井稔氏なのかも、と思っていたけれど確証がなかっただけにありがたい。

Date: 4月 16th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その3)

松村夫人のことは、瀬川先生も、
ステレオサウンド 7号掲載「音は人なり」の中で触れられている。
     *
「音は人なり」という名言があるが、こと再生装置にかぎらず、精巧な機械になるほど、その持主の心を、あるいはそ置かれる環境を、素直に写し出すもののようである。
 この名言とともに、何かつけて思い出されるのは、福岡にお住まいのM夫人のクレデンザーの音である。
 夫人は、彼を「久礼夫さん」と呼んでおられた。この一事からも、並ならぬ可愛がりかたであったと想像頂けよう。金色のサウンドボックスも、HMV製のあの独特の白い竹針も、最上のコンディションで保存されていた。静かにハンドルをまわし、ピカピカのHMV盤に針を乗せる夫人のうしろ姿は凛として気品があった。それは恰かも、名器に向かう名演奏家の姿であった。
 こういう形で器機に接することのできる人は、女性にはまれなこと、と言ったら失礼な言い方になるかもしれないが、男にだってそうザラに居るわけではない。最初の一音を聴いただけで、クレデンザーが機械蓄音器の最高の名品といわれた所以に合点がいった。
 バイオリンでも、名人が奏きこむに従ってだんだんに音が良くなるそうだ。逆に、せっかく良く鳴っていた楽器でも、素人の手に渡ると一週間で鳴りが悪くなってくるという。M夫人の元で、ティボォ、コルトオ、ランドフスカの、しかも手入れのよいHMV本盤で鳴らしこまれたクレデンザーが、なみの器械の及ばない音で鳴っていたとしても不思議ではない。
 たとえ世界最高といわれた器械でも、たかが手捲蓄音器何ほどのことあるらんと、三極管パラPPのアンプに3ウェイのSPをひっさげて出かけた、十二年前のわたくしの高慢心は、クレデンザーの一音で砕け散った。単に音量感だけとっても、クレデンザーの方が格段に上だった。機械蓄音器から、ああいうたっぷりした音量が流れ出るものであることを、不覚にもそのとき初めて思い知らされた。しかしその後いくつかのクレデンザーを聴いたが、あの音量感、あの音質は別のクレデンザーには無いものだった。やはり奏き手も名人だったのである。今になってわたくしは確信する。あれは紛れもなくM夫人の音だったのだと。
     *
M夫人が、松村夫人である。
《クレデンザーの一音で砕け散った》とある。
この時、瀬川先生が松村夫人の元に持ち込まれたのが、
ラジオ技術 1957年10月号に発表されている
「30年来のレコード愛好家のために、バリスロープ・イコライザつき6F6パラPP・LP再生装置をつくる」
という記事に登場する装置である。

この記事は、こういう書き出しで始まっている。
     *
 本誌のレコード評に毎月健筆をふるっておられる西条卓夫氏から、氏の旧い盤友である松村夫人のために、LP装置を作るようにとのご依頼を受けたのは、まだ北風の残っている季節でした。お話を聴いて、私は少々ためらいました。夫人は遠く福岡にお住いですが、その感覚の鋭さ、耳の良さには、〝盤鬼〟をもって自他ともに許す西条氏でさえ、一目おいておられるのだそうで、LPの貧弱な演奏に耐えきれず未だに戦前のHMVの名盤を、クレデンザーで愛聴しておられるというのです。〝懐古趣味〟と笑ってはいけません。同じレコードを愛する私には、そのお気持が良く判るのでした。
 とにかく、限られた予算と、短かい期日の中で、全力を尽してみようと思いました。
     *
瀬川先生は、松村夫人のクレデンザを聴かれている。
西条卓夫氏はランドフスカの項では、瀬川先生のことも触れられている。
     *
 だが、録音されたランドフスカのクラヴサンの音は、SPの方がより良い味を持っている。最高級のアクースティック蓄音機でイギリス・プレスのSPを聴く際のあえかな美しさは、とても筆舌に尽くし難い。戦後派の選ばれたオーディオとレコード・ファンのM・KやI・Oの両君も、その法外な魅力には脱帽している。
     *
I・Oとは、大村一郎の頭文字で、瀬川先生の本名である。