快感か幸福か(白黒つけたがる人たち・その4)
四十年以上、オーディオをやってきていると、ここに来て感じているのは、
オーディオをやり続けていることそのものが幸福なんだ、ということ。
若いころに憧れたスピーカーやアンプを手に入れた、
手に入れたけど、なんらかの事情で手離した、
憧れは憧れのままで終ってしまった、
人それぞれだし、すべての憧れを手に入れた人はわずかなのだろうから、一人の中にもこれらが同居していることだろう。
昔はすごいオーディオ機器、人に自慢できるシステムで聴いていたのに、
いまでは、どんなシステムなのか、誰にも言えない──、
そういうことになっていても、オーディオを続けていることこそが幸福ということに、
いつか気づくはずだ。
好きな音楽を、いまの環境でひとり静かに聴いていけるのであれば、
そこに幸福を感じないのは、オーディオマニアではないのかもしれない。
オーディオをながくやってきて、幸福を求めてなのか、快感を求めてだったか。
若いころは快感を求めてきた人も、自然と幸福を求めるようになってくるように思う。
それでもずっと快感を追い求める人も少なくないようだ。
ソーシャルメディアを眺めていると、そう思う。
幸福を噛みしめることができない人が、世の中にはいる。