Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 5月 5th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その6)

メリディアンの218には、脚、電源コード、重しの他にも、もうひとつやっている。
そのもうひとつでの音の変化が、私が予想していた以上に大きかった。

変化量が大きく表れた理由の一つには、
重しを載せていたことも関係してのことだろうと考えた。

だとすれば、と次に考えたのは脚の取り付け位置である。
そう考えたのは、ステレオサウンドにいたころ、
井上先生の試聴で、
スピーカーシステムの下にダイヤトーンのDK5000を使ってチューニングをやってきたからである。

DK5000はカナダ産のカエデを使った、一辺約10cmの角材である。
DS5000用として発売されたが、ステレオサウンドの試聴室ではJBLの4344に常時使っていた。

DK5000による四点支持、三点支持だけでなく、
それぞれのDK5000をどの程度スピーカーシステムの底板に接触させるか、
それによる音の変化、そしてスピーカーシステムの天板の状況との関係性、
それらの経験があったからこそ、218でもまったく同じに捉えたわけだ。

スピーカーシステムのエンクロージュアも、
アンプやD/Aコンバーターのシャーシー、どちらも箱である、六面体である。
六つの面は完全に独立しているわけではない。

天板の振動を抑えようとすると、対面の底板の振動が増える。
振動というエネルギーをどこかでロスさせないかぎり、
片方の面をしっかりとした造りにすれば、どこか弱い面にしわ寄せがいく。

218の天板に重しを載せても、それで天板の制振ができるわけではない。
だから脚の取り付け位置を、脚の直径分内側に寄せた。

たったこれだけでも音は変化する。
その変化の仕方は、スピーカーシステムにおけるDK5000のそれとほぼ同じ傾向を示す。

Date: 5月 4th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その5)

メリディアンの218につけた脚は、
別項「聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(アンプの脚)」で、
マッキントッシュのMA7900、MCD350につけたモノと基本的に同じである。

違うのは大きさだけで、もっとも大きく重量のあるMA7900には大きめのモノを、
MCD350にはそのしたのサイズ、218にはさらにしたのサイズにした。

この脚を、最初はゴム脚を貼り付ける位置に取り付けた。
問題なく取り外しができるように、それ用の両面テープを使った。

ここでの変化も小さからぬものだった。

218の重量は先に書いたように500gである。
この軽さからわかるようにシャーシーに、厚い金属板を使っているわけではない。
とはいえサイズも小さいゆえ、シャーシーの強度が不足している感じはない。

でもオーディオマニアの性(さが)として、
天板の上に重しを置いてみたくなる。

喫茶茶会記には、タオック製の金属の円柱状のモノがある。
218よりも手にとると重い。
とりあえず、これを218の上に、布を介して置く。

こんなふうに約二時間、218で音を聴いていた。
21時ごろに、別項「Hallelujah」で紹介したジェフ・バックリィによる“Hallelujah”をかける。

いい感じで鳴っていた。
最後まで聴き終って、
「今日は、これ(ジェフ・バックリィによる“Hallelujah”)で終りにしてもいい感じですね」
という声があった。

私も同感だった。
締めの一曲がうまく鳴ってくれれば、気持ちよく終れる。
ジェフ・バックリィによる“Hallelujah”は、そのくらいうまく鳴ってくれた。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その4)

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)」で書いているように、
ブリテンのモーツァルトの交響曲第25番のディスクから始めた。

ステレオサウンドから出ているSACDとCDを、マッキントッシュのMCD350で聴く。
それからデッカ盤“BRITTEN THE PERFORMER”からの一枚で、同じモーツァルトを聴く。

そしてMCD350とメリディアンの218を接続して聴く。
218は電源は一時間ほどいれてあったが、信号は通していなかった。
なので動的なウォーミングアップは鳴らしながら、ということになる。

それでもMCD350単体の音とは、ずいぶん傾向が違う。
この段階で、どちらの音がいいとか悪いとか判断するのは早すぎるし、
今回の試聴は、どちらがいいとか悪いとか、そういうことを決めるためのものではない。

それでも、どちらが好きかというのは、もちろんあり、だ。
常連のHさんは、218を通した、それもデッカ盤の弦の音が好きだ、といわれる。

どの音が好きかは人によって違ってこようが、
私には、どの音もブリテンのモーツァルトにしては鈍いし重い、と感じられた。

なので動的ウォーミングアップが終るのも待ちながらも、
218の置き方を変えてみることにした。

最初はゴム脚をつけずにそのまま置いていた。
ゴム脚が箱に入っているのに気づいたのは、終了してからだった。
なのでどうしたかというと、これも事前に用意していたモノを使った。

ゴム脚がついていないことは知っていた。
ゴム脚のかわりになるモノは、世の中にけっこうある。
見かけが立派なモノ、かなり高価なモノなど、いろいろあるけれど、
大仰な脚は、218にはそぐわない。

たとえば小型で、比較的安価なスピーカーに、
非常に高価で立派なスタンドを組み合わせて、
スピーカーケーブルも同じく高価なモノに交換して、
とても良くなった、と自慢気に語る人がオーディオマニアには少なからずいる。

そういう楽しさはわかっている。
けれど、ここ(audio wednesday)ではやろうとはまったく思っていない。
来てくれた人の参考にならないからだ。

あくまでもバランスのとれた範囲で、
同じことをやろうとした人が再現できる範囲のことに限っている。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その3)

少し前にtwitterに、メリディアンの218の電源のコネクターは特殊だから、
付属の電源コードを使うしかなくて、
電源コードをあれこれ迷わずに済むから気に入っている、みたいなことが書いてあるのを見かけた。

メガネプラグは、秋葉原に行けば買えるし、インターネットの通信販売でも買える。
では3Pのメガネプラグはどうかというと、プラグ単体は見付けられなかった。

けれど「メガネプラグ 3p」で検索すれば、
メガネプラグの3Pと2Pの変換アダプターはすぐに見つかった。
ヨドバシに売っている。

こんな小さなモノをたった一つだけ送ってもらうのもなんだかなぁ、と思い、
電車の中でスマートフォンから店頭受取で注文した。
30分後には容易できます、という返事。

電車に乗っていたのが10分、
吉祥寺で途中下車して少し時間を潰していたら、
ほぼ30分後に商品を取り置きしている、というメールが来た。
便利な世の中である。

今回はこの変換アダプターを使って、電源コードを自作のモノに途中で交換している。
この電源コードは3月のaudio wednesdayで作っていったモノと同じケーブルを使っている。
プラグと長さが違うだけである。

電源コードの交換による音の違いは、来ている方みなが確認している。
ハイレス・ミュージックの鈴木さんも確認されている。
なので最後まで、自作の電源コードで聴いている。

この電源コードによる音の変化もそうだが、
置き方(218にはゴム脚が最初はついていない)などによる音の変化が、
はっきりと出ることからいえるのは、素姓のいい製品であるということだ。

素姓のあまりよくない製品、
それから厚化粧を施したかのような音づくりの製品の場合、
こういったことに対する音の変化が、どこか鈍かったりする。

218にはそういうところがなかった。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その2)

メリディアンの218の詳細は、輸入元ハイレス・ミュージックのページを参照していただきたい。
そこには、“Zone controller – Digital Pre Amplifier”とある。
D/A converterではない。

218が、いわゆるD/Aコンバーターとして開発されたわけではないことは、
リアパネルをみればはっきりする。

アナログ入力があるし、デジタル出力も備えている。
LANケーブルによるデジタル入力はある、
Meridian SpeakerLink(入出力)もあるが、
現在のD/Aコンバーターに標準装備といえるUSB入力はない。

フロントパネルはインジケーターが六つあるだけで、
電源を含めて、スイッチは一つもない。

コンシューマー用機器として開発されたわけではない。
218の底板には、ネジ穴が四つある。
これはラックマウントするためのもので、脚と呼べるものはない。
付属品として薄いゴム脚がついている。

電源コードは着脱式だが、一般的なコネクターではなく、
俗称メガネプラグ、それも一般的な2Pではなく3P型である。
これはミッキーマウスと呼ばれている。

このタイプのプラグを採用したのは、リアパネルのスペースが限られているためであろう。
218のリアパネルは入出力端子などが隙間なく配置されている。

オーディオマニアの感覚では、アナログ入力端子をつけるくらいなら、
USB端子をつけてくれ、と思ってしまうが、
218は、2018年に登場していながらそうでないことは、
くり返しになるが、コンシューマー用のD/Aコンバーターとして開発されたモデルではないからだ。

とはいえ、今回のaudio wednesdayでは、Zone Controllerとしての218ではなく、
D/Aコンバーターとしての218として聴いている。
それでも19時から聴き始めて、23時までの四時間は楽しかった。

Zone Controllerとしての218については、
別の機会にじっくり聴いてみたい。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(その1)

昨晩(令和元年初日)のaudio wednesdayで、メリディアンの218を聴いた。
昨秋に発表になった218は、125,000円と、
ULTRA DACの2,500,000円からすればかなり安価なモデルである。

価格的には2,500,000円と125,000円で、二十分の一、
重量は16kと500gで、三十二分の一である。

500gという重さは、長岡鉄男氏ならば、どう評価されるだろうか──、
そんな余計なことを想像してしまうほど、軽く、小さいのが218である。

喫茶茶会記では、マッキントッシュのMCD350を常時使っている。
MCD350は、600,000円(価格はいずれも税抜き)のプレーヤーである。

一体型のCDプレーヤーのD/Aコンバーター部が、価格においてどれだけ占めているのか。
乱暴で単純な考えとして、トランスポートとD/Aコンバーターで二分しているとすれば、
MCD350のD/Aコンバーター部は300,000円といえる。

300,000円のMCD350のD/Aコンバーター部と、
125,000円のD/Aコンバーターであるメリディアンの218。
ここでも218は三分の一である。

MCD350に218を接続するということに、
疑問をもつ人がいても、だから不思議ではない。

ULTRA DACを聴いて、ベタボレしている私であっても、そう思ってしまう。
価格だけで製品のグレードが決ってしまうわけではないというものの、
やはり占める割合は大きい。

結果はどうだったのか。
昨晩のことについて書き始めると長くなりそうだから、
ここで結果だけを書いておく。

昨晩のaudio wednesdayは楽しかった。
つまりMCD350に218を追加することは、価値がある、という私の判断だし、
218が加わることで、MQA再生という機能が加わることになる。

Date: 4月 7th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その6)

(その5)に、facebookで二人の方からコメントがあった。

「DEBUT AGAIN」での大滝詠一の歌(声)を聴いて、
私はlongでの音が、大滝詠一の声に近いと感じたように、
コメントをくださった方は、shortでの声に、
これが大滝詠一の声じゃないか、と感じ、懐しくてグッと来た、とあった。

懐しく、とあるように、ずっと大滝詠一の歌を聴き続けてきた人と、
ほとんどといっていいほど聴いてこなかった私とでは、違ってきて当然であろう。

そこで鳴っている音楽に対しての心象風景が、一人ひとりみな違う。
同じところがあったとしても、こまかなところでは一人ひとりみな違う。
根本的なところで、大きな違いがあることだってままある。

そういう人たちが何人か集まって、毎月第一水曜日に音(音楽)を聴いている。
音楽は独りで聴くものだ、と思っている私でも、
月一回、こうやって聴くのは、毎回楽しみにしている。

今回はULTRA DACを聴くのに夢中で、
audio wednesdayの途中で、来られた方たちと話すことはあまりなかった。
19時から23時半ごろまでの四時間以上聴いていても、そうである。

だからこそ、facebookでのコメントがあると、
そのへんのことが少しは知ることができて、興味深い。

shortでの音にグッと来た人も、longでの音が、
作品としてはしっくりときた、と書かれてもいた。

そうだろう、と思う。
人には、その音楽の聴き手としての歴史がある。
その歴史が、グッと来た人と私とではかなり違う。

これまで大滝詠一のアルバムは何枚か聴いている。
けれど、いずれも誰かのリスニングルームにおいて、である私は、
「DEBUT AGAIN」が初めて買った大滝詠一のアルバムである。

大滝詠一の音楽に対して、聴き手としての歴史が浅すぎる私には、
懐しくてグッと来た、という感情はもとよりない。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その5)

何枚かのディスクをかけたあとで、もう一度「DEBUT AGAIN」を鳴らす。
ULTRA DACでの通常のCDをかけるときは、フィルターを三通り聴くことになる。

short、medium、long、どれにしてもたいして音が変られなければ、
さほど気にすることはないが、
ここでの音の変化は、音楽好きにはたまらない機能といえる。

「DEBUT AGAIN」をshort、medium、longの順で、野上さんに聴いてもらったあとに、
「longでしょ」と訊いた。
「longが、大瀧くんの声にいちばん近い」との野上さんはいわれた。
根拠のない私の確信が確認できた。

ULTRA DACのlongフィルターで聴く大滝詠一の「熱き心に」は、
別項「MQAのこと、潔癖症のこと」で書いたことに関係してくる。

その冒頭に、
“See the world not as it is, but as it should be.”
「あるがままではなく、あるべき世界を見ろ」
と書いている。

ULTRA DACのlongフィルターで聴く大滝詠一の「熱き心に」は、
あるべき世界(音)で鳴ってくれた、という印象が私にはある。

あるがまま、ということでは、もしかするとshortフィルターでの音がそうなのかもしれない。
そんな可能性があるのを無視できない。

マイクロフォンを通して、そしてさまざまな録音器材を経て録音された、
いわば原音での大滝詠一の歌(声)は、どうなのか。
それを知る術はないけれど、もしかするとshortフィルターでの音が、
あるがまま、ということでは近いのかもしれない──、と思わないわけではない。

けれど聴きたいのは、あるべき世界(音)である、私の場合は。
そうなるとlongフィルターでの音を、
私は大滝詠一の「熱き心に」を聴くのであれば選択する。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その3)

ブリテンのモーツァルトは、私にとっての青春の一枚といえるし、愛聴盤でもある。
ステレオサウンドが発売しているのは、
SACDとCDが一枚ずつになっている。ハイブリッド盤ではない。

まずSACDをMCD350で聴く。
それからCDをMCD350で聴いた。

そしてCDプレーヤーをMCD350から、スチューダーのD731に替え、
ブリテンのCDをこれで聴いた。
アンバランス出力で聴いている。

いよいよULTRA DACの音を聴く。
D731のデジタル出力をAES/EBUで接続しての音出しである。
ULTRA DACのフィルターも、三つ(short、medium、long)とも聴いた。

つまりブリテンのモーツァルトを、六つの音で聴いたことになる。
どの音がこうだった、という詳細はここでは書かない。

SACDをリッピングして、
DSDファイルとしての音をULTRA DACで聴いていないからでもあるし、
MCD350とULTRA DACの価格の違いも大きいからだ。

六つの音の違いは、けっこうある。
小さくはない。
聴いていた人みなが、SACDの音をとるわけでもなかった。

私はULTRA DACでの音(表情)でブリテンのモーツァルトを聴きたい、と思っていた。

こんなふうにして、昨晩のaudio wednesdayは始まった。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その2)

その人は、とあるところの試聴で、
こっそりと、そこで使われていた電源コード(かなり高価である)を、
私が自作したモノに交換したそうだ。

すると「なんか音が良くなったけれど、何かした?」と後日訊かれたそうだ。
電源コードを交換していたことは黙っていて、元の状態に戻してきた、とのこと。

自作したモノの音を、
既製品と比較してこうだった、と書くのは、できれば控えるようにしている。
その場で聴いた人も、私の自作といえば、評価も多少は甘くなることだってあろう。

でも、今回のケースでは、そうではない。
少なくとも、元々使われていた電源コードと同格とはいっていいだろう。

自作した電源コードの費用は、さほどかかっていない。
コネクターも普及品だし、コードそのものも1m当り500円程度である。

以前から試してみたい構造があった。
使えそうなケーブルを、オヤイデのサイトでさがしていたら、
おもしろそうな構造のケーブルが見つかった。

実験に使うには手頃な価格である。
10m以上買えば、少し安くなる。
太さも太くない。

このケーブルを見つけてなければ、まだ試していないかもしれない。
とにかくそれで電源コードを作って、手応えがあった。

それで今回は信号用に作っていった。
最初はバランス用ケーブルにする予定だったし、コネクターも揃えていた。
けれど電源コードを作った感触から、
バランス用に作るのは、けっこう手間だと判断して、アンバランス用に変更した。

そういうわけで、今回のULTRA DACには、このケーブルを使っている。

もっとも最初から自作ケーブルにしたわけでなはく、
最初の音出しは、マッキントッシュのMCD350を使って、
いつもと同じ条件である。
ケーブルも、もちろんいままで使っていたモノ。

そこでケーブルだけ、自作のモノに変更する。
結果、ケーブルは自作のモノでいくことになった。

この状態で数十分ほど聴いていた。
そしてディスクを、ステレオサウンドが発売しているブリテンのモーツァルトにした。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、たびたび書いているように、
「三度(みたび)ULTRA DAC」だった。

昨年の9月、12月につづき、メリディアンのULTRA DACをじっくりと聴いた。

9月と12月のULTRA DACはブラックモデルだった。
今回はシルバーモデルだから、違う個体である。
直接比較ではないが、聴いた印象では、個体差を特に感じることはなかった。

海外製品で、特に高価なモノとなると、
いまはどうなのかははっきりとは知らないが、
以前はある程度のバラツキは覚悟している必要があった。

惚れ込んだオーディオ機器と出逢ったら、
それが海外製品ならば、それがどんなに傷ついていても、それを買うこと。
井上先生から、何度もいわれた。

新品を待って購入したら、音が違った──、
そういう経験をしないためでもある。

いまのところULTRA DACに、そんなバラツキはない、といえる。

今回で三度目となるULTRA DAC。
試聴環境は基本的に同じである。
アンプもスピーカーも、機種そのものが変化しているわけではないが、
9月と12月でもすでに細部が違っているし、
12月と今回とでも、細部に違いはある。

9月と12月は、ULTRA DACの出力はバランスを使った。
今夏はアンバランスである。

なぜかといえば、ケーブルの関係である。
3月のaudio wednesdayで、電源コードを自作した。
会が始まる前に電源コードを作っていた。

この電源コードも、実は2018年にやり残したことの一つで、
ここで採用した構造の信号ケーブルもそうである。

電源コードは、その後ある人に貸した。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(4347という妄想・その4)

私が妄想している4347は、4345の改良版というよりも、
4350のシングルウーファー版といったほうが、より近い。

4350のウーファーを、15インチ口径の2231のダブルから、
18インチ口径の2245に変更する。
上の帯域を受け持つ三つのユニットは4350と同じままである。
当然エンクロージュアは4350の横置きから縦置きへとなる。

各ユニットのクロスオーバー周波数は4350に準ずることになるだろう。

個人的には2245はフェライト磁石仕様しかないけれど、
ミッドバスの2202はフェライトではなく、やはりアルニコがいい。

それからミッドハイの2440は、
エッジがタンジェンシャルからダイアモンド型になった2441がいい。

スーパートゥイーターの2405も、アルニコがいい。
というより、2405はフェライト仕様になってバラツキはほぼなくなっている。
これは大きな改良だと認めても、音に関しては2405こそアルニコである。
この2405も新型ダイアフラムにしたい。

ここまではすんなり思いつく。
悩むのは、ホーンである。
2441と組み合わせるホーンである。

4343、4350同様スラントプレートの音響レンズ付きを、
誰だって最初に思い浮べるだろう。

4343はミッドバスのフレーム幅と、音響レンズの横幅とは一致している。
だからこそミッドバスとミッドハイがインライン配置であるのが、ピシッと決っている。

4350は、ミッドバスが12インチ口径となっているが、
この二つのユニットはインライン配置ではない。
だからミッドバスのフレーム幅と音響レンズの横幅の寸法が一致してなくとも気にならない。

けれど、ここで妄想している4347は、
ウーファー、ミッドバス、ミッドハイ、
少なくともこの三つのユニットはインライン配置にしたい。

そうなると音響レンズの横幅をどうするかが、小さいけれどけっこう気になってくる。

Date: 3月 18th, 2019
Cate: 930st, EMT, MERIDIAN, ULTRA DAC

オーディオの唯一無二のあり方(その3)

私がEMTの製品の音を聴いたのは、カートリッジのXSD15が最初だった。
熊本のオーディオ店に定期的に来られていた瀬川先生の試聴会で、XSD15を聴いた。

その時はいくつかのカートリッジの比較試聴がテーマだった。
MM型、MC型、いくつものカートリッジを聴くことができた。
瀬川先生のプレーヤーの使いこなしをたっぷり見ることができた。

プレーヤーは、だから930stではなく、
ラックスのPD121にトーンアームはオーディオクラフトだったと記憶している。

瀬川先生も五味先生も書かれている、
EMTのカートリッジは単体で聴かれるから、誤解が生じるのだ、と。
EMTのカートリッジはEMTのプレーヤーの構成するパーツの一つである、ということ。

EMTの音は、EMTのプレーヤーの音を聴いてこそ──、
それはわかっていたけれど、熊本ではついにその機会はなかった。

それでも熊本のオーディオ店では、トーレンスのReferenceでのTSD15の音を聴くことができた。
PD121+オーディオクラフトで聴いたXSD15のときと、
アンプもスピーカーも違うから正確な比較試聴なわけではないが、
それでもそんな差は問題にならないくらいに、
ReferenceでのTSD15の音は圧倒的だった。

しかも、このReferenceを聴くことができた回が、
瀬川先生が熊本に来られた最後に、結果的になってしまった。
よけいに、このときの音は耳に強く刻んでいる。

ようするに、私が聴いたトータルでのEMTの音というのは、
トーレンスの101 Limitedでの音が最初ということになる。

このころのステレオサウンドの誌面に掲載されている写真は、
私のモノとなったシリアルナンバー102の101 Limitedである。

近々引っ越しをすることになっていたし、記事のためにも撮影が必要ということで、
購入してすぐに持って帰ったわけではなく、しばらくステレオサウンドに置いていた。

そのおかげでノイマンのDSTとDST62を聴くこともできた。

Date: 3月 14th, 2019
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その26)

100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。

ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。

70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。

当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。

ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。

そこのところを引用しておく。
     *
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
 一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
     *
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。

Date: 3月 12th, 2019
Cate: 930st, EMT, MERIDIAN, ULTRA DAC

オーディオの唯一無二のあり方(その2)

トーレンスの創立は1883年で、
創立100周年に記念モデルとしてTD126MkIIIc Centennial が出た。

一年後、101周年モデルととして、EMTの930stをベースとした101 Limitedが出た。
輸入元のノアに、サンプルとして二台入ってきた。
シリアルナンバーは101から始まっていた。

私が買ったのはシリアルナンバー102である。
サンプルで入ったうちの一台である。
もちろんシリアルナンバー101が欲しかったけれど、
「これは売らない」ということで、102番の101 Limitedになった。

21歳だった。

101 Limitedはトーレンス・ブランドだから、
カートリッジはトーレンスのMCH-Iがついていた。

EMTのTSD15をベースに針先をヴァン・デン・ハルにしたモデルである。
TSD15は丸針である。
MCH-Iは超楕円といえる形状になっていた。

最初のうちはMCH-Iで聴いていた。
MCHは、通常のトーンアームで使えるMCH-IIは、
ステレオサウンドの試聴室で何度も聴いている。

針先が最新の形状になった効果は、はっきりと音にあらわれている。
歪みっぽさは少なくなっていたし、高域のレンジも素直にのびている。
そんな感じを受ける。

TSD15は丸針ということからもわかるように、当時としても新しい設計のカートリッジではなかった。
TSD15を愛用されてきた瀬川先生も、
ステレオサウンド 56号に次のようなことを書かれている。
     *
 EMTのTSD(およびXSD)15というカートリッジを、私は、誰よりも古くから使いはじめ、最も永い期間、愛用し続けてきた。ここ十年来の私のオーディオは、ほとんどTSD15と共にあった、と言っても過言ではない。
 けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、もう数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
 この、フィリップスの目ざましい進歩を聴くうちに、いつのまにか、私の主力のカートリッジが、EMTから、オルトフォンMC30に、そして、近ごろではデンオンDL303というように、少しずつではあるが、EMTの使用頻度が減少しはじめてきた。とくに歪。fffでも濁りの少ない、おそろしくキメこまかく解像力の優秀なフィリップスのオーケストラ録音を、EMTよりはオルトフォン、それよりはデンオンのほうが、いっそう歪少なく聴かせてくれる。歪という面に着目するかぎり、そういう聴き方になってきていた。TSD15を、前述のように930stで内蔵アンプを通さないで聴いてみてでも、やはり、そういう印象を否めない。
     *
1980年で、こうである。
私が101 Limitedを手に入れたのは1984年である。
私には、瀬川先生のようなTSD15との永い期間のつきあいはない。

そんなこともあって、最初のうちは、MCH-Iがついていてよかった、と素直に喜んでいた。