メリディアン 218を聴いた(その7)
218の天板に重しを載せるかのせないか。
載せるにしても、どんな材質で、どのくらいの重さのモノにするかによっても、
音は、当然だが変ってくる。
今回は、とりあえず喫茶茶会記にあった重しになりそうなものを使ったまでのことで、
今回の重しが最適とは思っていない。
重しは、結局最後まで載せたままで聴いている。
けれど、かけるディスクによっては載せない方がいいときだってあるし、
置き台と脚との関係性でも、そのへんは違ってくるから、
こうしたほうがいい、という絶対的なことにはならないし、
そんなことは書けないものである。
実際、重しの最後のほうで少し変えてみた。
そこでかけたディスクには、位置を変えたほうがよかった。
218を接いで、脚を何もつけずに鳴らした状態の音からすると、
最後の方で鳴っていた音は、どちらも218の音ではあっても、
違うといえば、違う音になっている。
これらのことをやっていくことで音は必ず変化する。
その変化量とどの方向への変化なのかを聴きながら、
それでも変化しないところも必ずある。
音を聴くということは、音を探っていくということでもあり、
音を探っていくということは、今回やったこともその一例である。
今回は重しを載せたけれど、
個人的に218を聴くのであれば、私は載せない。
載せずに、脚の位置をもうちょっとだけ細かく詰めていく。
音が好ましい方向に変化していくとしても、
天板に重しというのは、好まない。
それでも今回やったのは、音を探っていくためである。