Archive for category High Resolution

Date: 11月 3rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その7)

その6)で、モーツァルトのレクィエムのことをたとえとして書いた。
書いていて、ステレオサウンド 54号の特集での座談会のことを思い出していた。

「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」の冒頭に、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏の座談会が載っている。
そこで菅野先生が、こんなことを話されている。
     *
菅野 特に私が使ったレコードの、シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ヘブラーのピアノがスピーカーによって全然違って聴こえた。だいたいヘブラーという人はダメなピアニスト的な要素が強いのですが(笑い)、下手なお嬢様芸に毛の生えた程度のピアノにしか聴こえないスピーカーと、非常に優美に歌って素晴らしく鳴るスピーカーとがありました。そして日本のスピーカーは、概して下手なピアニストに聴こえましたね。ひどいのは、本当におさらい会じゃないかと思うようなピアノの鳴り方をしたスピーカーがあった。バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前というか、以外というか、音楽の響かせ方、歌わせ方に、何か根本的な違いがあるような気がします。
     *
興味深い、オーディオならではの現象だといえる。
レコードに刻まれている演奏そのものは、なんら変らない。

そこにはヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラーの、
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの演奏が録音されている。

ヘブラーは、私はほとんど聴かないが、
シェリングには、ヘブラー的要素はない。

シェリングとヘブラーが組んで、フィリップスに録音している。
ということは、少なくともヘブラーは、お嬢様芸に毛の生えた程度ではないことは確かなはずだ。

にも関らず、スピーカーによっては、そんなふうに聴こえてしまう。

スピーカーもD/Aコンバーターも、
日本語では、どちらも変換器である。

英語ではスピーカーはtransducerであり、コンバーターはconverterである。
でも、どちらも変換器である。

Date: 11月 3rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、roonのこと(その1)

roonはMQAも扱える。
roonにはDSPを使った信号処理が可能である。

アップサンプリング、イコライザー、ヘッドフォン用補整などのいくつかの機能があり、
プラグイン式になっているようで、将来的には追加可能のようだ。

ここで疑問が生じる。
MQAの場合、弟子足る信号の送り出しが側で、なんらかの信号処理をした場合、
D/AコンバーターがMQA対応であっても、MQA再生はできない。

別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと)」でも、
その点について書いている。

トランスポートをスチューダーのD731にした際に、
MQA-CDを再生しているにも関らず、
メリディアンのULTREA DACのディスプレイには、MQAの表示が出なかった。

D731のデジタル出力は44.1kHzを48kHzにアップサンプリングしていた。
わずかこれだけの信号処理にも関らず、それだけでMQA再生はできなくなる。

この時は、D731のジャンパーを差し替えることで、44.1kHzに変更でき、
無事MQA-CDの再生が可能になった。

roonのDSP機能で、なんらかの信号処理をしたとしよう。
イコライザーでもいい、ほんのちょっとでもいじってしまうと、
D731のデジタル出力と同じことになってしまう。

これではMQA再生ができないし、
それでMQA対応は謳えない。

roonは巧妙な手法で、信号処理も可能とし、
MQA再生としての条件も維持している。

Date: 10月 24th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その6)

218で聴くmp3の音について考えていて思い出すのが、
モーツァルトのレクィエムの補筆に関してのことだ。

五年ほど前に「ハイ・フィデリティ再考(モーツァルトのレクィエム)」で書いている。

私達が聴けるレクィエムは、誰かの補筆が加わっているわけだ。
ジュースマイヤーであったり、バイヤーであったり、ほかの人であることもある。
未完成なのだから、それは仕方ない。

モーツァルトの自筆譜のところと誰かの補筆によるところとの音楽的差違はいかんともしがたいわけだが、
ならばその音楽的差違をはっきりと聴き手に知らせる(わからせる)演奏が、
ハイ・フィデリティなのだろうか、と思う。

補筆のところになった途端に、音楽的差違の激しさにがっかりする演奏がある。
補筆が始まったとわかっても、モーツァルトのレクィエムとして、
最後まで聴ける演奏もある。

そこには音楽的差違がある以上、
それをはっきりと音にするのが演奏家としてハイ・フィデリティということになる──
という考えに立てば、前者がハイ・フィデリティな演奏ということになる。

そんなことはわかっている。
でも、そういうモーツァルトのレクィエムを聴きたいのか。
補筆が加わる前で、レクィエムは止める、という聴き方もある。

それがモーツァルトのレクィエムとしての正しい聴き方とは思う。

それでも、誰かの補筆が加わっていてもモーツァルトのレクィエムとして聴きたい気持がある。
そうすると音楽的差違をはっきりと示してくれる演奏よりも、そうでないほうがいいとも思う。

218でmp3の音の、カセットテープ的な音は、
モーツァルトのレクィエムでいえば、後者の演奏的といえる。

Date: 10月 24th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その5)

写真家の野上眞宏さんのところに、
メリディアンの218が入って、ほぼ一ヵ月。

野上さんによると、mp3の音もいい、ということ。
今日は野上さんのところでいろいろな曲を聴いたあとで、mp3の音源も聴いた。

それまで聴いていた音とは、はっきりと違う。
違うけれど、他の機器で聴くmp3音源の嫌な感じは気にならない。
ない、とさえいいたくなる。

それに音の印象が、実にカセットテープの音の印象そのままに感じる。
高校生のころ、
レコード(アナログディスク)をカセットテープにダビングした音を思い起こさせる。

低音域も高音域もナロウレンジになっている。
ダイナミックレンジも狭くなっている感じがある。

それに不安定とまでいうといいすぎかもしれないが、安定感にはかける。
ふわふわした感じがつきまとうなど、
私がカセットテープに抱いている印象そのままで鳴っている。

悪くない。
これだったら、しばらく聴き続けていられる。ちょっと意外な感じがした。

こんなことを書くと、
MQAは非可逆圧縮、mp3も非可逆圧縮。
非可逆圧縮音源の再生が得意なD/Aコンバーターなんだろう──、
そんなことを言い出す輩がいるはず。

mp3はデータ量が少ないからひどい音で、
ハイレゾ音源のようにデータ量の多いものはいい音で、
そうであってこそハイ_・フィデリティだ──、
つまり二つの音源の違いがはっきり出たほうがいい、というのか。

私はmp3でしか聴けない音源があるのだから、
mp3がカセットテープのような感じでもいいから、
聴いていて苦痛になるような感じが払拭されている218での音は、歓迎する。

Date: 10月 24th, 2019
Cate: High Resolution

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・その5)

今回、Windowsを触って思うのは、
音楽を聴くためにWindowsは使いたくない、ということを再確認していた。

Windowsを使うのに抵抗のない人はそれでいいのだろうが、
私はどうしても嫌である。

自分のところではいろいろ試すのもいいが、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、Raspberry Piの導入を考えはじめている。

Raspberry Piの基板にはI2Sのコネクターがついている。
I2SをSPDIFに変換するドーターボードも、いくつか市販されている。
どちらも数千円で購入できる。
サイズも小さい。

Raspberry Piには以前から興味をもっていたけれど手を出すことはしなかった。
単に面倒がっていただけである。

でも218の喫茶茶会記への導入を機に、Raspberry Piの導入は、
優先順位として高くなりつつある。

Raspberry Piをいじるようになったらなったで、
CDプレーヤーの、なんだかんだいっても完成度の高さを実感するようになるような気がする。

CDプレーヤーは第一世代から、
ステレオサウンドの試聴室でじっくりと触ってきている。

そのころのCDプレーヤーはプログラム再生を試すと、
動作がおかしくなって、電源を一度落さなければならないモデルも、
実を言うといくつかあった。

そういう時代から知っているだけに、
よけいに完成度ということを思ってしまう。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その6)

BCIIにしても、LS3/5A、そしてPM510も、
その音を最初に聴いたのは、CDではなくアナログディスクでの音で、だった。

どのスピーカーも、CD以前に登場している。
そういう時代に、これらのスピーカーの音を聴いて、みずみずしい音というものを知った。
知った、といえるし、出逢えた、ともいえる。

これらのなかでLS3/5Aは、いまも人気のあるスピーカーだし、
復刻版や各社から、いくつものLS3/5Aか出ている。

それでも、私が十代のころ体験できた、あのみずみずしい音を、
いまの若い人たちが体験できるのかというと、
周りの状況がずいぶんと違ってきているし、
LS3/5Aも、いまではLS3/5aになって、音そのものの変化もあるだろうから、
なんともいえない。

みずみずしい音の認識、捉え方が違っていても仕方ないのか、と
なかばあきらめもあるが、
それでもみずみずしい音、
私がずっと求めてきているみずみずしい音を、
誰もが聴く機会がもてるようになってほしい。

そこに昨秋、メリディアンのULTRA DACを聴く機会が訪れた。
MQA-CDの音を、ULTRA DACで初めて聴いて、驚くとともに嬉しくなった。

みずみずしい音が、
本音でみずみずしいといえる音が、そこにあったからだ。

ULTRA DACは、喫茶茶会記のスピーカー、
つまりアルテックのユニットを中心としたシステムであり、
私か感じるみずみずしい音を出してくれるスピーカーとは大きく違っている。

それでも、そこからみずみずしい、といえる音が聴こえてきた。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その5)

量感の乏しい(貧しい)音で、
みずみずしい音は絶対に出ない、と、
ずっとみずみずしい音を求めてきた私は断言する。

にも関らず、みずみずしい音と表現されることは案外多い。
そんな試聴記をみかけるたびに、みずみずしい音とは? と、
その試聴記の書き手に問いかけたくなる。

そういえば、清楚に関しても同じように感じる。
こちらは音というよりも、清楚な女性という表現をみかけるたびに思う。

清楚な女優、と見出しにあったりすると、ついクリックして見てしまう。
そこに誰かしらの写真が表示される。

たいていは、いまでは、こういう人を清楚というのか、とがっかりする。
別に、そこに表示される写真の人が美しくない、きれいじゃない、ということではなく、
ただただ清楚とは感じないだけである。

私にとっての清楚と感じる女性は、
十代のころ、そう感じた人がいまもつよく記憶に残っているからなのだろう。

四十年前のことだ。
でも、清楚ということは、四十年前も現在も変るようなことではないはず。
なのにずいぶん変った、と感じてしまう。

みずみずしい音も同じなのか、私にとっては。
十代のころ聴いたBBCモニター系列の音、
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5A(15Ω9、そしてPM510など、
それらの音を聴いて、みずみずしい音を知った、といえるのだから。

現行のスピーカーシステムで、みずみずしい音と表現したくなる音は、
すぐには思い浮ばないのだから、ないといえる。

それはそのころはアナログディスク全盛の時代でもあった。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(ステレオ 11月号、12月号)

書店に、ステレオ 11月号が並んでいる。
附録にカセットテープがつくことは、何かで読んでいて知っていた。
だから表紙もカセットデッキなんだろうな、ぐらいの予想はしていた。

11月号は、まさにそうだった。
予想していたけれど、実際に目にすると、
いまは2019年だよね、と口に出しそうになった。

カセットテープが衰退していくのを体験していた。
その時は、こんなことが起るなんて、まったく予想できなかった。

再ブームというのは、どんなジャンルにもあることだろう。
オーディオだって同じで、
オーディオ全体が再ブームになることもあれば、
アナログディスクとかカセットテープとか、
そういうところにスポットが再び当ることもある。

それでもステレオ 11月号の表紙を眺めていると、
不思議な感じがしないでもない。

カセットテープ全盛時代を知らない世代にとっては、新鮮な表紙に映るのか。
カセットテープ全盛時代を体験してきた世代に、どう映るのか。
ノスタルジックとは感じなかったが、新鮮とも感じなかった。

こういう時代が来るんだ、というのが、いつわりない感想である。

ここでのタイトルを不思議に思う人がいるかもしれない。
最初は違うタイトルにしようと考えていた。
けれど、ステレオ 12月号の予告のページを見て、このタイトルにした。

12月号の特集は、「快適極楽デジタルオーディオ最前線」で、
「最新MQA CDプレイヤー一斉試聴」という項目があったからだ。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(こんなこともあった、という話・その2)

五年ほど前だったか、
偽ハイレゾ、ニセレゾということがインターネットで話題になっていた。

44.1kHz、16ビットで録音されたデータを、
ソフトウェアでアップサンプリングし、ビット拡張した音源を指してのものだった。

そういう擬装ハイレゾを、ハイレゾ音源としていた。
さすがに、いまではこんなことはどこもやらない、と思っていた。

ところが、どうもそうではないようだ。

これまで圧縮音源のみを提供していたところが、
ハイレゾ音源提供を、急にやりはじめた。
あえて、どこなのかは書かないが、よく知られているところである。

有名なところだけに、擬装ハイレゾなんてやらない、と信じていた。
ところが、ある人から聞いた話では、
mp3音源をアップサンプリングしビット拡張して、ハイレゾ音源としている、とのこと。

44.1kHz、16ビットの音源を元にした擬装ハイレゾではなく、
mp3を音源とした擬装ハイレゾだから、驚くしかない。

そこに音源を提供していた人が、今回の話をしてくれた人の知人である。
だから、いいかげんな情報ではない。

ただし、音源を提供している人と、そこのサイトの間には、
いわゆる問屋的な存在の会社が介在している。

この問屋的な会社が、mp3音源を擬装ハイレゾに加工して、
そこの有名・大型サイトに提供したのか、
それとも大型・有名サイトが擬装ハイレゾに加工したのか、
どちらなのかは現時点でははっきりしないが、どうも前者のようである。

今回のことは、こんなこともあった、という話ではなく、
いまもこんなことがある、という話だ。

Date: 10月 4th, 2019
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その1)

エリザベート・シュヴァルツコップのMQAでの配信が、
e-onkyo musicで始まっているのは知っていた。

それでも、私がいちばん聴きたい曲は、まだそこにはなかった。
出ないのか、しばらくしたら出るのか。

一年後でも二年後でもいいから、出してほしい、
とにかくMQAで聴きたい──、
ULTRA DACでMQA-CDの音を聴いた日から、そう思っていた曲が、
今日から配信されるようになった。

Strauss: Seven Songs – Mozart: Concert Arias”の一曲目、
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”である。

シュヴァルツコップの歌唱は、どうも苦手だった。
のめり込めないような何かを、聴く度に感じていた。

そんなときにふと手にしたのが、CD化されたばかりのモーツァルトのアリア集だった。
今回配信された“Strauss: Seven Songs – Mozart: Concert Arias”とは、
だから収録曲に違いがある。

そんなことはどうでもいい。
私がとにかく聴きたかった一曲が入っているのだから。

“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”は、
私にとってシュヴァルツコップへの認識をがらりと変えてくれた。

シュヴァルツコップには、もっと素晴らしい歌唱がたくさんある──、
そうなのかもしれない。

私はシュヴァルツコップの歌唱をすべて聴いているわけではない。

でもそんなことはどうでもいい、と思っている。
美しい音楽が聴ける。
それで充分である──、
そう思いながらも、さらに美しい音で聴きたい、という欲がある。

Date: 9月 17th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その4)

BBCモニター系列の音に惹かれてきたことは、これまでも書いてきている。
私がBBCモニター系列の音に惹かれる理由のひとつ、
それも大きな理由といえるのが、みずみずしい音であるからだ。

みずみずしいは、瑞々しい、水々しい、と書く。
辞書には、みずみずは、水気を含んで生気があり、新鮮なさま、とある。

私は乾ききった音は、たまに聴けば、いいな、と思うことはあっても、
乾ききった音で、常に好きな音楽を聴きたいとは思わない。

だからといって、湿った音が好きなわけではない。
あくまでもみずみずしい音が好きなのであって、
湿って、重たく鈍くなった音を聴きたいわけではない。

みずみずしい音は、瑞々しいとして、オーディオ雑誌でも割と見かける。
見かけるたびに、
この試聴記を書いている人は、みずみずしい音とはどういうものなのか、
ほんとうに理解して、こう表現しているのだろうか、という疑問がわく。

そういう人による瑞々しい音が、私が感じているみずみずしい音であることはほとんどない。

みずみずしい音について、音の量感について書いている途中で持ち出してきたのは、
みずみずしい音を出すには充分な量感があってこそ、と考えているからだ。

高校生のころは、みずみずしい音だけを求めていた。
そのころは量感との関係には気づいていなかった。

30ぐらいになったころに、やっと気づいた。
音の量感なくして、みずみずしい音は得られない、ということに。

Date: 9月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その3)

MQAを聴く以前にも、
いわゆるハイレゾと呼ばれるプログラムソースは聴いてきている。

SACDが登場したばかりのころ、
たまたまあるところで通常のCDと比較試聴できる機会があった。

それほど厳密な比較試聴ではなかったけれど、
SACDの音には、ワクワクした。

まったく不満がなかったとはいわないが、
SACD(DSD)が、これからの主流になってくれれば──、と思った。

けれど現実は違っていた。

デジタルに、PCMとDSD、どちらもあっていい。
どちらが優れているわけではない。

どちらにもいいところもあれば、そうでないところもある。
ここ数年、PCMもDSDも、サンプリング周波数が高くなっている。

これらのフォーマットのすべてを、同一条件で聴いているわけではないが、
それでも、友人のところ、オーディオショウ、販売店などで、
ハイレゾと呼ばれる音源を聴いて、音の量感が増した、と感じたことは一度もなかった。

部屋の空気が良くなっていくような感じは受けても、
音の量感に関して、なにかを感じたことはなかった。

自分のリスニングルームでじっくり聴けば、そのへんの印象も変ってくるのかもしれないが、
同じままの可能性もあるようにも感じている。

それだけにメリディアンのULTRA DACを聴いて、
音の量感が増した、と感じられて、驚いただけでなく嬉しくもなった。

Date: 9月 11th, 2019
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その1)

昨年7月に「MQAで聴けるグラシェラ・スサーナ」を書いた。

MQA-CDでグラシェラ・スサーナが聴ける日が来る、とは、夢にも思っていなかったから、
発売リストにグラシェラ・スサーナの名前を見つけた時には、
ひとりガッツポーズをしたくらいだ。

今年10月に、またユニバーサルミュージックからMQA-CDが発売になる。
そこに、バルバラの名前があった。

またひとりガッツポーズをしてしまった。

Date: 9月 5th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その2)

音の量感という表現は、もうずっと以前から使われてきている。

質と量。
質感と量感。

わかりやすいはずの量に関することであっても、
そこに感がつくと、わかりやすいとはいえなくなっていることに、
どれだけの人が気づいているのか、と疑問に思うことが、むしろ増えてきている。

特に低音の量感とでもいおうものなら、
こちらが意図するのと真逆の印象で受けとられることだってある。

ひどくなると、トーンコントロールで低音をブーストすることイコール低音の量感、
そんなふうに捉えている人すらいる。

ステレオサウンド 55号のプレーヤーの比較試聴記事で、
《中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった》
と瀬川先生は、EMT 930stについて書かれている。

930stの音を、量感について誤解している人は、ぜひ聴いてほしい──、
と以前は、そう思っていた。

とはいえ、このころでも、930stは、どこかへ行けば、すぐに試聴できるというわけではなかった。
自分で購入するか、友人・知人のオーディオマニアが持っていれば、そこで聴くか、
そのぐらいしか機会はなかった。

それでも930stを、きちんとした状態で聴いてから、音の量感について語ってほしい、
そう思い続けていた。

930stは遠の昔に製造中止になっている。
そうなると、930stを聴いてみてほしい、とは、もういえない。

仮にいまも930stが現行製品だとしても、そうとうに高価だろうし、
そう簡単に聴けるわけではないだろう。

もっと身近で手頃で、しかも、誰が聴いても(鳴らしても)、ほぼ同じに鳴ってくれる──、
この難しい条件を、MQAは満たしている、といえる。

Date: 8月 12th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、SL-G700のこと

8月23日に、テクニクスのSL-G700が発売になる。
数ヵ月に発表になっていた製品なので、製品の内容そのものについては省くし、
音も聴いているわけではないので、SL-G700そのものについて書くわけではない。

テクニクスは、ご存知のように小川理子氏を前面に打ち出している。
うまく利用している、ともいえる。
そのためだろう、オーディオ関係のサイトだけでなく、
いろんなニュースサイトでも、テクニクスが新製品を発表すると取り上げてくれる傾向がある。

SL-G700も発売が近づいているから、オーディオ関係のサイトはもちろん、
オーディオとは関係のないニュースサイトでも紹介されている。
昨日も今日も、そういうサイトをみかけた。
Googleで検索してみると、まだ他にもあった。

SL-G700はSACDも再生できる。
そのことよりも、私がここでSL-G700に関することを書いているのは、
MQA対応であるからだ。

つまり、オーディオに強い関心を持っていない人の目にも、
SL-G700のことは留ることだろう。
とすれば、MQAということにも、当然目が留る。

MQAについて、SL-G700のニュースを読んだからすぐに理解できなくとも、
少なくともMQAの存在を知ることにはなる。

7日にはワーナーミュージックからMQA-CDが発売になった。
秋にはユニバーサルミュージックからも、またMQA-CDが出る。

こうやってオーディオマニア以外の人たちにも、
MQA、MQA-CDのことが知られるようになってくることを期待できる。

この一点だけで、SL-G700の登場を歓迎したい。