MQAのこと、音の量感のこと(その5)
量感の乏しい(貧しい)音で、
みずみずしい音は絶対に出ない、と、
ずっとみずみずしい音を求めてきた私は断言する。
にも関らず、みずみずしい音と表現されることは案外多い。
そんな試聴記をみかけるたびに、みずみずしい音とは? と、
その試聴記の書き手に問いかけたくなる。
そういえば、清楚に関しても同じように感じる。
こちらは音というよりも、清楚な女性という表現をみかけるたびに思う。
清楚な女優、と見出しにあったりすると、ついクリックして見てしまう。
そこに誰かしらの写真が表示される。
たいていは、いまでは、こういう人を清楚というのか、とがっかりする。
別に、そこに表示される写真の人が美しくない、きれいじゃない、ということではなく、
ただただ清楚とは感じないだけである。
私にとっての清楚と感じる女性は、
十代のころ、そう感じた人がいまもつよく記憶に残っているからなのだろう。
四十年前のことだ。
でも、清楚ということは、四十年前も現在も変るようなことではないはず。
なのにずいぶん変った、と感じてしまう。
みずみずしい音も同じなのか、私にとっては。
十代のころ聴いたBBCモニター系列の音、
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5A(15Ω9、そしてPM510など、
それらの音を聴いて、みずみずしい音を知った、といえるのだから。
現行のスピーカーシステムで、みずみずしい音と表現したくなる音は、
すぐには思い浮ばないのだから、ないといえる。
それはそのころはアナログディスク全盛の時代でもあった。