MQAのこと、音の量感のこと(その4)
BBCモニター系列の音に惹かれてきたことは、これまでも書いてきている。
私がBBCモニター系列の音に惹かれる理由のひとつ、
それも大きな理由といえるのが、みずみずしい音であるからだ。
みずみずしいは、瑞々しい、水々しい、と書く。
辞書には、みずみずは、水気を含んで生気があり、新鮮なさま、とある。
私は乾ききった音は、たまに聴けば、いいな、と思うことはあっても、
乾ききった音で、常に好きな音楽を聴きたいとは思わない。
だからといって、湿った音が好きなわけではない。
あくまでもみずみずしい音が好きなのであって、
湿って、重たく鈍くなった音を聴きたいわけではない。
みずみずしい音は、瑞々しいとして、オーディオ雑誌でも割と見かける。
見かけるたびに、
この試聴記を書いている人は、みずみずしい音とはどういうものなのか、
ほんとうに理解して、こう表現しているのだろうか、という疑問がわく。
そういう人による瑞々しい音が、私が感じているみずみずしい音であることはほとんどない。
みずみずしい音について、音の量感について書いている途中で持ち出してきたのは、
みずみずしい音を出すには充分な量感があってこそ、と考えているからだ。
高校生のころは、みずみずしい音だけを求めていた。
そのころは量感との関係には気づいていなかった。
30ぐらいになったころに、やっと気づいた。
音の量感なくして、みずみずしい音は得られない、ということに。