MQAのこと、カセットテープのこと(その7)
(その6)で、モーツァルトのレクィエムのことをたとえとして書いた。
書いていて、ステレオサウンド 54号の特集での座談会のことを思い出していた。
「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」の冒頭に、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏の座談会が載っている。
そこで菅野先生が、こんなことを話されている。
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菅野 特に私が使ったレコードの、シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ヘブラーのピアノがスピーカーによって全然違って聴こえた。だいたいヘブラーという人はダメなピアニスト的な要素が強いのですが(笑い)、下手なお嬢様芸に毛の生えた程度のピアノにしか聴こえないスピーカーと、非常に優美に歌って素晴らしく鳴るスピーカーとがありました。そして日本のスピーカーは、概して下手なピアニストに聴こえましたね。ひどいのは、本当におさらい会じゃないかと思うようなピアノの鳴り方をしたスピーカーがあった。バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前というか、以外というか、音楽の響かせ方、歌わせ方に、何か根本的な違いがあるような気がします。
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興味深い、オーディオならではの現象だといえる。
レコードに刻まれている演奏そのものは、なんら変らない。
そこにはヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラーの、
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの演奏が録音されている。
ヘブラーは、私はほとんど聴かないが、
シェリングには、ヘブラー的要素はない。
シェリングとヘブラーが組んで、フィリップスに録音している。
ということは、少なくともヘブラーは、お嬢様芸に毛の生えた程度ではないことは確かなはずだ。
にも関らず、スピーカーによっては、そんなふうに聴こえてしまう。
スピーカーもD/Aコンバーターも、
日本語では、どちらも変換器である。
英語ではスピーカーはtransducerであり、コンバーターはconverterである。
でも、どちらも変換器である。