Archive for category Noise Control/Noise Design

Date: 3月 15th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その14)

この項のタイトル候補は、もうひとつあっった。
「Symmetry Noise(シンメトリーノイズ、対称性ノイズ)」だ。

漠然とではあるが、音質に寄与するノイズは、シンメトリーのイズではなかろうか、と思っている。
そして音質を阻害するノイズは、Asymmetry Noise(非対称ノイズ)であろう、と。

Symmetry Noise にしなかったのは、あまりにも漠然としすぎていたから。
なんとなく、このタイトルでは先が書けなくなりそうな気もしていた。
それでも、ここまで「Noise Control/Noise Designという手法」を書いてきて、
S/N比のなかにふくまれるのかもしれないが、
symmetry noise / asymmetry noise 比というものもあるのかもしれないと感じている。

Date: 3月 1st, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(余談)

瀬川冬樹氏のこと(その44)において、「幾人もの手垢のついた」という表現を使った。

この「手垢」も、清潔感を喪失させるノイズのひとつと考えてもいいだろう。
しかも、この「ノイズ」は、なかなか排除することができない。

Date: 3月 1st, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その13)

葉の上の水滴を指ではじく。水滴が葉の上を滑り、汚れを落としていく。
指の汚れもいっしょに持っていってくれる。

COOL LEAFとは、こういうものではないか、と勝手に想像してしまう。
タッチスクリーンの上に、数ミリの水の膜がある。
この水の膜にふれることで操作が可能になれば、つねにタッチスクリーンの清潔感は保たれるし、
ふれればふれるほど、指先もきれいになっていく。

それに、葉の上の水滴をはじくときの感触の心地よさ。
これに近い感触が、タッチスクリーンで実現されれば、
電子デヴァイスが、永年慣れ親しんできた「本」とは異る、別の魅力を示してくれるだろう。

そうなったとき、新しい感触が、新しい感覚を目覚めさせ、そして新しい快感へとつながっていく。
これは予感である。私の勝手な「COOL LEAF」への予感である。

この予感が、オーディオにおける心地よいノイズとは何かについて、ヒントを与えてくれる気がする。

この勝手な予感は外れているだろう。
川崎先生の「COOL LEAF」は、私の予感を大きく超えたモノであるはずだ。
川崎先生の「COOL LEAF」にふれることで、Noise Control/Noise Designについて、
重要なヒントを、きっと見出すことができるはずだ、という予感もある。
この予感は、きっと当っている。

Date: 3月 1st, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その12)

清潔感あふれる葉──、まっさきに思い浮かぶのは、朝露にぬれた葉だ。
朝露が、葉の表面の汚れを洗い流した状態。
そして水滴が葉の上にとどまっている状態。

手は、人間の部位の中で、最も汚れているところだときいている。指先は、さらによごれやすいところだろう。
その指先で、タッチスクリーンにふれる。清潔感の喪失だ。
清潔感が喪失したからといって、文字情報が変質してしまうわけではない。
たとえば「私」という表現が、「僕」や「俺」、「ボク」や「オレ」に変ってしまうことはない。

とはいうものの、指の脂や指紋などによって、べとべとに汚れたディスプレイで読むのと、
清潔感がつねに保たれているディスプレイで読むのとでは、
読みやすさにわずかの差は生れるだろうし、紙の色や質感によって、本の印象が変わるのと同じように、
電子デヴァイスにおいても、なんらかの印象の変化はある。

指先を、タッチスクリーンを、清潔に戻してくれる身近なものといえば、やはり「水」だろう。こう考えたときに、葉の上にとどまっている水滴が、ふたたび浮んでくる。

Date: 2月 28th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その11)

iPadの登場の前に、川崎先生のデザインディレクションによる「COOL LEAF(クールリーフ)」が、
3月2日、発表される。

leaf ときいてまず思い浮かべるのは、「葉」。
辞書によると、書物の1葉、折り畳み式テーブルの自在板、折戸の1枚、という意味もある。
それに cool がついている。

COOL LEAF だけでは、どんなモノなのか、は想像しにくいが、もうひとつ重要なキーワードがある。

iPadが発表されたとき、川崎先生が、Twitterで「清潔感」ついて語られている。
もうひとつ「新素材」についても。

COOL LEAFと清潔感──、このふたつの言葉から、何を想像していくか。

これから書くことは、私の勝手な想像であり、予感でしかない。
2日後に発表される「COOL LEAF」とは、見当違いのものを想像している可能性が大きい。
それでも、「ノイズ」について考えていくとき、
「COOL LEAFと清潔感」から発想できるものが、確実にある。

Date: 2月 28th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その10)

春には、iPadが登場してくる。
iPhoneが3.5インチ、480×320ピクセルの表示に対し、iPadは9.7インチ、1024×768ピクセル。

一度に表示できる文字数も違ってくるし、大きさも重量も違うiPhoneとiPadだけに、
実際に手にして、なにがしかの文章を読んだときの印象が、どの程度同じで、
どの程度違ってくるのか、には興味がある。

iPadの登場で、ディスプレイで文字を読むことに、はっきりとした変化が顕れてくるはずだ、と思っている。

iPhoneもiPadも、タッチスクリーンだから、指先で画面に触れることで操作することも、
感触をともなう行為である、とともに、ディスプレイを汚していく行為でもある。

画面に残る手の脂や汚れも、またノイズであるが、これらは排除すべきノイズであるのはいうまでもない。

Date: 2月 28th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その9)

同じメールを、基本的に同じOSのもので読むとき、
Mac OS Xで動くiMacのディスプレイにおいて、と、iPhoneを手にとって読むのとでは、
そこに微妙なニュアンスがこめられているときなら、かなり感じ方は変ってきはしないだろうか。

用件のみの事務的なメールでも、iPhoneでならば、受け手の印象はすこし変わってくるかもしれない。

文字の打ちにくさを感じながらも、携帯電話のメールをついつい使ってしまうのは、
パソコンのメールよりも便利な面もあるのとは別に、手のひらに収めているもので、
読み書きができるという、その感触があってのことではないだろうか。

電車に乗っていて、iPhoneを手にしている人を見ていると、多くの人が、同じ持ち方をしている。
なかには例外的な人もいるが、多くの人が、握っている、というよりも、
手のひらにそっと乗せている、といった感じである。

手のひらにおさまるということでは、iPodが、ここまで普及したのも、
その理由のひとつがここにあるように感じている。

しかも指先で、曲を選択し、ボリュウムを変えていく──。つねに感触がある。

Date: 2月 27th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その8)

ディスプレイに表示される文字を読むとき、指がなににふれているか。

文字が表示されているディスプレイにふれながら、
もしくは持ち上げながら読んでいる人は、おそらくいない。

ここが本で文字を読む行為との、最大の違いだと、私は受けとめている。
つまり「キューレス」とは、感触の有無や、その違い、ノイズの多いか少ないかといった違いなどから、
派生してくるはず、と言いたくなる。

本で読むよりも、パソコンで、背景が白で、にじみの少ない文字をくっきりと表示させているのは、
S/N比的には、圧倒的に高い状態にあるといえる。
なのに、ちょっしたことで、致命的なすれ違いが起ることがある。

ノイズがあるため誤解が生れるのではなく、ノイズがないために誤解が生まれている。

パソコンがあるのに、電子ブックが登場してくるのは、持ち運べるメリットよりも、
じつは手にとって、その感触(ノイズ)にふれることができることを、
無意識のうちに感じとっているから、そして欲しているからかもしれない。

Date: 2月 27th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その7)

これも2002年ごろだったはずだが、電子メールは「キューレス」な性質があるため、
メールのやりとりをしていると、急に険悪なムードになることがある、という記事を読んだことがある。

「キュー」とは、相手に自分の感情を伝える要素のことで、
直接会って話をしたり、電話での会話の場合には、
相手の表情や仕草、声の感じなどから、なんとなくニュアンスが伝わることによって、
言葉を補ってくれているところがある。

ところがテキストだけのメールでは、そのキューがないため、
受け手の読解力、想像力に大きく委ねられ、それが悪い方向に作用したとき、
とげとげしいものになる可能性がある、というものだった。

ネットの掲示板でも、ある発言がきっかけで、一気に荒れることがあるのも、そのためかもしれない。

たしかに、納得するところもあるが、テキストだけのものは電子メールや掲示板だけではない。
本や手紙も、テキスト(文字情報)だけである。なのにキューレスだとは、人は認識していないはず。

この違いは、感触の有無だろう。

Date: 2月 27th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その6)

本を読むとき、手にとる。私の場合、机の上に置いて、本に触れずに読むことはまずない。つねにふれている。
ふれることで、本文が印刷されている紙の質感、それに表紙に使われている紙の質感、
本の重さなどを、指で感じている。
これらは、文字を読むうえで必要なことではない。そうなると、ノイズといえる。

さらにインクや紙の匂い。これも本を意識させている要素ではあっても、文字を読むのに必要なものではない。

視覚的なものでは、紙の色、文字の色やにじみといった要素も、ノイズといえる。
これらのノイズによって、われわれは「文字を読む」のではなく、「本を読む」と認識しているような気がする。

これらの「ノイズ」は、文字を読む上での騒音(die)となっているのだろうか。
邪魔なものだと感じている人は、おそらくいないだろうし、いたとしても、ごくごく少数のはずだ。

S/N比=無限大、という非現実的な例と、本という現実的で身近な例を対比させることで、
ノイズとはなんなのか、が見えはじめてくる。

Date: 2月 27th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その5)

ノイズが、音の感触を生んでいるのかもしれない、とTwitterにつぶやいたのが、2月4日。

こう考えるようになったのは、
その4)でリンクしている信号内耳とノイズの関係性についての記事を読んでからである。

まず考えたのは、S/N比=無限大、つまりまったくノイズが存在しない状態とは、
どういうものなのかを頭に描こうとした。

ただ音の世界よりも、視覚的なもののほうが、この極端な例を思い浮かべるには向いているような気もして、
そして、人に説明するうえでも、音よりも、こちらのほうが適切かもしれない、と思ったのは、
文字を読む行為におけるS/N比=無限大とは? ということだった。

ここでの信号(Signal)は、文字情報。文字だけを提示する方法として、
それ以外のものをいっさい表示しない、視覚に入らせないようにするということは、
無色透明の背景に、文字だけが、それも言葉として理解できる範囲で、
必要最低限の文字数のみを表示していくことかもしれない、と考えた。

そうなると、われわれがもっとも親しんでいる本を構成している要素のほとんどは、
ノイズとして捉えることができるはずだ、そう思えた。

Date: 2月 24th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その4)

それまでは、ノイズは、オーディオにとっていわば「悪」であり、
徹底的に減らしていくべきものであり、
できることなら完全になくしてしまうべきものである、と考えていたことがある。

マークレビンソンのLNP2は、Low Noise Pre-amplifier の頭文字をとっているくらいだし、
S/N比を高くしていくことが、夾雑物を取り除き、音をクリアーにしてくれる。

けれど、現実は、そう短絡的にはできていない。
井上先生は、ある時期から、ノイズを完全に取り除くことは不可能だから、
うまくつきあうことが必要になってくる、と口にされるようになっていた。
オーディオをとりまく環境は、ノイズが増える一方である。
まず種類の増えているし、総量も増えている。
オーディオ機器の内部にもノイズ源となる箇所があるくらいだ。

それでも、基本は、物理的なS/N比を高め、聴感上のS/N比も良くしていく──、
このことは決して間違いではない。でも、それだけではないことを、
まず知らされたのは、2002年に読んだある記事だった。

記事のタイトルは「『雑音』を加えて人工内耳の性能アップ」。

Date: 2月 23rd, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その3)

ノイズは、音の記憶に関係しているかもしれない、とTwitterにつぶやいたのが、2月5日。
数時間後、私がフォローしている方が、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のことを書かれていた。
そのなかに、「ゲルマニウム(ラジオ)でなければ復調できない類の記憶」とあった。

なぜゲルマニウムラジオでなければならないのかは、ゲルマニウムラジオのノイズが、
その方の記憶と結びついているからではないだろうか。

ノスタルジックな意味では、鉱石ラジオと表現したくなるし、
ずっと昔、キットで入手したAMラジオのキットはゲルマニウムトランジスターが使われていた。
なので個人的にはゲルマニウムラジオというより、鉱石ラジオといいたくなる。

電源を必要としない鉱石ラジオと電源を必要とする一般的なラジオとでは、
ノイズの質、出方、あり方は異るし、ゲルマニウムトランジスターとシリコントランジスターとでも違う。

生れてきた時代、育った環境によって、耳に馴染んでいるノイズは、人それぞれだろう。
同じ人でも、時の流れとともに、耳にするノイズは変化している。
心に流れているノイズも、変化しているはずだ。

ノイズが、音の記憶とどういうふうに関係しているのかは、正直のところ、わからない。
でも直感的にそう感じている。

それに私と同じように感じている方がおられたわけだ。
そのかたは、私の書いたものを読まれていないはずなので、まったくの偶然である。

だから、間違っていないと確信している、
「ノイズは音の記憶に関係している」と。

Date: 2月 5th, 2010
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その2)

SN比という言葉を、わりとよく使うしよく使われてもいる。
SN比は、Signal-Noise Ratioで、S/N比である。
Signalが分子で、Noiseが分母の簡単な数式であり、S/N=90dB、とか100dBとか、数値が、「そこ」にはくる。

Noise Control、Noise Designについて考えていくには、ノイズ(Noise)とはなにかを、
はっきりと捉えていく必要はある。
その過程で、S/N比という言葉は、より重要性を増していく気もする。

S/N=、としたときに、解のところにくるのを数値でなく、別のものを当てはめたらどうなるか。
S/N=再生音の美、S/N=再生音の姿、S/N=再生音のたたずまい……とした場合に、
SignalとNoiseの正体と関係が、すこし浮かび上ってくる気がする。

Date: 11月 24th, 2009
Cate: Noise Control/Noise Design
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Noise Control/Noise Designという手法(その1)

2006年10月から、ぼんやりとではあるが考えてきていることがある。
ノイズコントロールということだ。

ノイズ(Noise)は、一般的には、日本語訳では「雑音」になってしまう。
だが雑音と言ってしまうのと、ノイズという言葉のあいだには隔たりがあるように感じてきた。

雑音と言ってしまえば、不要な存在と捉えてしまいがちだが、はたしてノイズは害だけではないはず。
ノイズの存在が、音を良くしていくこともあり得るし、
録音系・再生系で欠落してしまった信号を補えるのも、またノイズの存在である、と直感的に確信している。