Archive for category ジャーナリズム

Date: 2月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その16)

“State of the Art”賞の第三回にあたるステレオサウンド 58号には、
各選考委員による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」はない。
岡先生の「The State Of The Art賞の選考について」が載っている。

49号と53号に載っている「ステート・オブ・ジ・アート賞の選考にあたって」と
岡先生による49号と58号の文章、
それに49号、53号、58号、番外としての製造中止になったオーディオ機器を対象とした50号、
それぞれに選ばれたオーディオ機器を見ていれば、
それに選ばれたすべての製品について見ていくよりも、
ふだんから書かれているものを読んで、あの人の書くものだったら信じられる、という選考委員だけに絞って、
その人が、賞に選ばれた製品について書かれている文章を読んでいけば、
“State of the Art”への理解は自然とできあがってくるものである。

ステレオサウンドの誌面には、どの選考委員がどのオーディオ機器に投票したかはわからないようになっている。
けれどステレオサウンドを熱心に読んでいれば、おおよその想像はつく。

ただ賞に選ばれたオーディオ機器について書かれたものだけを読んでいては、
いつまでたってもオーディオにおける”State of the Art”について、まったくわからぬままになるのではないか。
だから、岡先生がステレオサウンド 66号に「あの賞の意味はどういうことですか」という質問を受け、
いろいろと説明しなければならなかった体験をいまだに重ねている、と書かざるをえないことになってしまう。

私は”State of the Art”から”Components of the year”へと賞の名称が変っていったのは、
ひとつには読者側に、その理由がある、と思っている。

しかも重要なのは、岡先生に「あの賞の意味はどういことですか」という質問をした読者は、
どういう人なのか、ということにある。

Date: 1月 31st, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その15)

62号の1年後のステレオサウンドは66号になる。
66号の特集は、「2つの試聴テストで探る’83″NEW”スピーカーの魅力」と
「第1回《コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー》賞」であり、
“State of the Art”は、もう使われなくなっている。

本来ならば”State of the Art”賞の五回目となるはずだったのだが、
66号から”State of the Art”から”Components of the year”への賞の名称が変更になった。

その理由は選考委員長である岡先生が
「かくして《コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー》賞は誕生した」に書かれている。

アメリカにSOTA(State of the Artの略称)というブランドが誕生し、
日本に輸入されることになったのが、大きな理由とされている。
     *
一方が賞の名前であり、一方が製品のブランド名であるという風にわりきってなんら差し支えないという理屈は成り立つが、関係者としては何とも奇妙な気分になってしまう。仮にSOTA社の製品が選考の対象になったときに、審査委員諸氏には多かれ少なかれ心理的な影響を与えることになりはしないかということも考えなければならない。
     *
とはいえ名称変更の理由はこれだけではない。
岡先生は続けて、こう書かれている。
     *
第一回発表に際して、オーディオコンポーネントにおける”State of the Art”の意味をかなりくわしく説明したし、アメリカで使われはじめたこの言葉は、最近では欧州のオーディオ・ジャーナリズムにもしばしばつかわれるほど英語系以外の国にも浸透してきている。しかし、言語をまったく異にする日本では、まだオーディオファイルのあいだに定着したとはいえず、「あの賞の意味はどういうことですか」という質問をうけて、いろいろと説明しなければならなかったという体験をいまだに重ねている。
     *
残念なことだとおもっていた。
このとき私はステレオサウンド編集部にいた。
だから、よけいに”State of the Art”が浸透しなかったことに、意外な感じも受けた。

ステレオサウンドは第一回の49号で、かなりページを費やして”State of the Art”について語っている。
第二回の53号にも、各選考委員による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」が載っている。
すくなくとも49号以降、続けて読んできている読者ならば、
その人なりの”State of the Art”という、なじみにくいことばについての解釈はできていようと思ったからだ。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その14)

“State of the Art”はステレオサウンド 49号が第一回で、
第二回は53号、第三回は58号、第四回は62号である。

49号では49機種が選ばれている。
53号では17機種、58号では12機種、62号でも12機種となっている。

49号は第一回ということもあって、現行製品すべてが対象となっているのに対し、
第二回、第三回……と前回の”State of the Art”賞以降発売された現行製品が対象ということで、
選定機種は大きく減っているのは、むしろ当然のことといえる。

ここでもうひとつ注目したいのは、49号は12月発売の冬号、53号も同じく冬号だが、
第三回は57号ではなく1号おそい58号(春号)へと変更になっている。
62号も春号である。

49号では”State of the Art”賞の記事のみが特集だった。
53号でも第一特集は”State of the Art”賞だが、
ページ数のボリュウムでは第二特集の、前号(52号)から続くアンプテストのほうがある。

58号でも第一特集ではあるし、ページ数も多い。
けれど選ばれているのは12機種で、約半分程度のページは、第一回、第二回、
それに50号での過去の製品の”State of the Art”賞を振り返る内容である。

62号では第二特集扱いになっている。
ただこれは60号から62号まではステレオサウンド創刊15周年記念の企画として、
60号「サウンド・オブ・アメリカ」、61号「ヨーロピアン・サウンド」、
62号「日本の音」という特集があったためでもある。

それに62号には瀬川先生の特集記事も載っている。

とはいうものの62号での”State of the Art”賞は、選定機種数12ということもあってか、
49号から”State of the Art”賞に注目してきた読者にとっては、
さびしい印象を与える扱いになっていっていた。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その13)

“State of the Art”ということばを知ったときから30年以上が経ち、
いまこういうことを書いていても、”State of the Art”の定義を的確な日本語で表現するのは難しい。

それでも私なりに”State of the Art”にふさわしいオーディオ機器は、いくつもあげられる。
すっと頭に浮んでくるオーディオ機器がいくつもある。
だから、そうやって浮んでくるオーディオ機器に共通するものをさぐっていくことで、
“State of the Art”とはなんなのかが掴めていくのではないだろうか。

そして「世界の一流品」や名器と呼ばれるオーディオ機器とのイメージを比較していくと、
やはり”State of the Art”では技術ということが、より重要視されることになる、と考える。

その技術も、そのオーディオ機器のみで実現され終っていくのではなく、
すくなくとも技術の「種(seed)」として残していったオーディオ機器こそが、
実は”State of the Art”なのだとおもう。

その「種」がそのまま花開くこともあるだろうし、
ほかの「種」と異種交合で花を咲かせることもあるはず。
そうやってオーディオは発展していくものだろう。

そうなると難しいのは、”State of the Art”にふさわしいかどうかは、
その製品が登場した時点では正しくは判断しにくいところにある。
ある年月が経ってからでないと、はっきりとはいえない面も、またあるからだ。

技術の「種」ということを抜きにしても、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」、
そして「db」誌による”revolutionary break-through in sound technology”
(音響技術における革命的に壁を破ったもの)
といったことを厳密にとらえすぎてしまうと、
“State of the Art”と呼べるオーディオ機器は選定することが難しくなる。

“State of the Art”は個人的には魅かれることばである。
けれど、オーディオ雑誌の企画として、これを賞の名称として使う場合には、
自分の首を絞めてしまう難しさがあることに気づかされることになる。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その12)

菅野先生は、こうも書かれている。
     *
オーディオは趣味である。ステート・オブ・ジ・アートという言葉の持つ意味の主観性、あるいは曖昧さが示しているように、オーディオというものは、自分のイメージの中にある、内なる音を追求していくという、大変に主観性の強いものであるし、個性とか個人の嗜好という意味で、曖昧といえば曖昧なものである。
     *
“State of the Art”ということば、オーディオ、
どちらにも主観性と曖昧さがあることが、
よけいにオーディオにおける”State of the Art”の定義を難しくしている、ともいえよう。

だからこそ、井上先生は
「実際に選択をすることになった以上は、独断と偏見に満ちた勝手な解釈として」と書かれた、と読むこともできる。

瀬川先生は、その結果、
「本誌のレギュラーに限っても九人もの人間が集まると、同じ課題に対してこれほど多彩な答が出るのか」
という驚きを「何よりもおもしろかった」とされている。

瀬川先生は、ステレオサウンド 41号での「世界の一流品」との対比についてもふれられている。
     *
いわゆる一流品と少し異なるのは、一流品と呼ばれるには、ある程度以上の時間の経過──その中でおおぜいの批判に耐えて生き残る──が必要になるが、ステート・オブ・ジ・アートの場合には、製品が世に出た直後であっても、それが何らかの点で新しいテクノロジーをよく生かして完成している認められればよいのではないか。
     *
瀬川先生以外の、他8人の方による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」に共通していることは、
岡先生が49号の巻頭でも書かれているように、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」ということが、
「世界の一流品」や名器と呼ばれるモノ以上に重要視されている、といえる。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その11)

“State of the Art”ということばがオーディオ機器について使われるということは、
工業製品に対して”State of the Art”が使われる、ということである。

基本的にオーディオ機器は工業製品といえる。
どんなに高価なオーディオ機器であっても、少量生産品・限定生産品であっても、工業製品である。

工業製品であるオーディオ機器だけに”State of the Art”ということばを使うことを、
どう解釈するかは、選考する人によって大きく違っている面も存在する。

ステレオサウンド 49号ではじまったState of the Art賞の選考委員は9人。
みなステレオサウンドという場で共に仕事をし、オーディオについて語ってこられているから、
そこに共通認識は、49号ではじめて登場する”State of the Art”ということばについてもあった、といえよう。

けれど、”State of the Art”は、
ステレオサウンドのもうひとつの、やや似ている面ももつ企画、Best Buyほどはっきりしたものではない。
Best Buyでも、その解釈は多少は人によって違う面はあっても、大筋では一致している。

“State of the Art”はBest Buyとはあきらかに違うもの、ということははっきりしている。
けれど、そこから先になると、もう選考者ひとりひとりの、オーディオに対する考え方のあらわれ、といえる。

“State of the Art”ということばについて考えれば考えるほど、
現実のオーディオ機器と”State of the Art”のもっている意味とのギャップに直面することになる。
これは井上先生が書かれているとおりだとおもう。

菅野先生は厳密な意味で”State of the Art”を選ぶとすれば、
ごくごく数が限られてしまい、
現実には、その厳密な意味合いを中心において拡大解釈をして選出することにならざるを得なかった、
と書かれている。

Date: 1月 24th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その10)

ステレオサウンド 41号
井上卓也「私の考える世界の一流品
菅野沖彦「コンポーネントステレオにおける世界の一流品をさぐる
瀬川冬樹「私の考える世界の一流品

ステレオサウンド 49号
井上卓也「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって
菅野沖彦「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって
瀬川冬樹「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって

上記は、私のもうひとつのブログ、the Review (in the past)で公開している、
それぞれの文章へのリンクである。

41号での文章、49号での文章、それぞれ読み比べてほしい。

あたりまえすぎることだが、41号での文章の時点では、
2年後に”State of the Art”について書くことになろうとは誰ひとりとして知るはずはない。
49号での文章では、41号での文章のことが、それぞれの人の頭の中にはあたったこととおもう。

49号での「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」のなかで、
41号の「世界の一流品」についてすこしでもふれられているのは、瀬川先生だけではあっても、
それぞれの”State of the Art”の解釈から、一流品との違いが読みとれよう。

Date: 1月 23rd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その9)

岡先生によれば、「db」誌の創刊は1967年11月で、
創刊号の表紙いっぱいを”The State of the Art”という文字で飾っていた、とのこと。

1977年11月号で創刊10周年を記念して「db」誌は、「その後のステート・オブ・ジ・アート」特集を行っていて、
その特集を読めば、アメリカの、それもオーディオ界で”State of the Art”にどんな意味付けを、
そこに行なっているかということがわかる、と書かれている。

「db」誌の創刊10周年の特集でいわれていることを要約すると、
“revolutionaly break-through in sound technology”
(音響技術における革命的に壁を破ったもの)
ということになるようで、かなり狭い意味に限定されている、と岡先生はされている。

さらに例として、マーク・レヴィンソンによる見解(レヴィンソンは自社のアンプにこの言葉を冠している)、
「技術的に達成される最高のもの」もあげられ、両者に共通する技術を重視している点──、
つまり単なる名器とか逸品といった漠然たるものではなく、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」ということに大きな意味が、
そこに含まれている、とされている。

ここまでくるとステレオサウンド 41号の特集「世界の一流品」と
49号の特集「State of the Art賞」の違いがはっきりとしてくる。

このころのステレオサウンドには特集の最初のほうに、
各評論家による前書き・後書きにあたるものが必ず掲載されていた。

41号では「私の考える世界の一流品」、
49号では「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」というタイトルで、
選考された方々の”State of the Art”にたいする考え方・解釈について書かれている。

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その8)

“State of the Art”をGoogleの翻訳サービスでみてみると、「最先端」と表示される。
なんともそっけない答である。

“state”は、状態、ありさま、様子という意味だから、
直訳すれば”State of the Art”は「芸術の状態」ということになるわけだが、
“art”を芸術というふうに単純にとらえれば、の話である。
このことは岡先生も指摘されていて、
英語の堪能な二、三のひとに訊ねてみても、
「ぴったりした日本語におきかえようがないのではないか」ということになったと書かれている。

最先端も”State of the Art”の意味のひとつではあっても、
最先端、と言い切ってしまえるわけでもない。

結局、”art”をどう解釈するのか。
岡先生は、愛用のランダムハウス英語辞典で、”art”の項をひかれている。
そこには、
exceptional skill in conducting any human activity
the craft or trade using these principles or methods
という解もある、とのことだ。

オーディオの世界における”State of the Art”の”art”はそういう意味とするべきなのであろう、とされ、
さらにつづけて、もうひとつの手がかりとして「db」という音響エンジニア向けの専門誌をあげられている。

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その7)

State of the Artとは、いったいどういう言葉なのだろうか。

私はステレオサウンド 49号にて、こういう言葉があるのを知った。
49号の特集の巻頭には、
岡先生による「Hi-Fiコンポーネントにおける《第一回STATE OF THE ART賞》の選考について」という文章がある。

岡先生も書き出しは、
「まず、〝ステート・オブ・ジ・アート〟という言葉から説明しなければなるまい。」とされている。

岡先生によれば、State of the Artという言葉がオーディオ界に入り込んできたのは、
1960年代になってきてからであろう、とされている。
「High Fidelity」誌のテストリポートに稀に、こういう言い回しがされるようになってきて、
実際には〝ステート・オブ・ジ・アートというに値する〟
〝オーディオ・テクノロジーのステート・オブ・ジ・アートの所産〟という使われ方で、
「ひじょうにすぐれた製品にたいする特別な意味あいをそこに含めて用いられていた」とのこと。

1970年代にはいり登場してきた「Absolute Sound」誌では、
推薦するオーディオ機器の最上級のものに〝ステート・オブ・ジ・アート〟級として用いて、
それ以降、ほかの雑誌でもこの言葉がさかんに用いられるようになり、
さらにはアメリカのオーディオの広告では濫用気味なほどにもなっていたらしい。

このころ、すでにSOTAという略語も登場し、ソタと発音するようになっている。

State of the Artの定義については、
ぜひステレオサウンド 49号の岡先生の文章をお読みいただきたいところだが、
もう30年以上前の本だけに、手もとにないという方も少なくないだろうから、
もうすこし岡先生の文章を引用しながら書き進めたい。

Date: 1月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その6)

ステレオサウンド 41号の2年あとに出た49号で、
ステレオサウンドによる賞が始まっている。
49号でのState of the Art賞に選ばれているスピーカーシステムは下記のとおり。

●スピーカーシステム
 アルテック A5
 JBL D44000 Paragon
 QUAD ESL
 パイオニア Exclusive 3401W
 JBL 4350A
 JBL 4343
 ダイヤトーン 2S305
 ヴァイタヴォックス CN191
 チャートウェル LS5/8
 パイオニア CS955
 Lo-D HS10000
 ボザーク B410 Moorish

41号は41機種のスピーカーシステムだったのが、
名称が「世界の一流品」から「State of the Art」に変更になったのにともない選ばれたのは12機種。
1/3以下の数に減っているし、
41号ではヤマハのNS451をはじめ、
国産の比較的安価なブックシェルフ型もいくつか選ばれているけれど、
49号ではブックシェルフ型と呼べるモデルはない。

パイオニアのCS955はスタンドを必要とするタイプだけに、大型ブックシェルフと呼べなくもないけれど、
41号でのNS451、オンキョーM3、デンオンSC104といったブックシェルフ型を標準的なサイズとすれば、
CS955はセミフロアー型と呼びたくなる大きさである。

価格の面から見ても、
State of the Art賞に選ばれたスピーカーシステムで最も安価なのはQUAD・ESLの180000円(1本)と、
41号でのNS451の26500円とは大きな違いをみせている。

49号でのスピーカーシステムは、
41号から49号までに発表された新製品を除けば、当然とはいえ41号で選ばれたスピーカーシステムばかりである。

41号で選ばれ49号では選ばれなかったスピーカーシステムの一部は、
50号での旧製品のState of the Art賞で選ばれている。

参考までに50号でState of the Art賞に選ばれているスピーカーシステムは下記のとおり。
 エレクトロボイス Patrician 600
 JBL D30085 Hartsfield
 タンノイ Autograph
 KEF LS5/1A
 シーメンス Eurodyn
 ラウザー(ローサー) TP1
 AR AR3a
 JBL Olympus S7R

Date: 12月 19th, 2012
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その5)

いまはステレオサウンドグランプリ(Stereo Sound Grand Prix)と名称になっている賞は、
以前はコンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー(Components of The Year)だったし、
その前はステート・オブ・ジ・アート(State of The Art)だった。

ステート・オブ・ジ・アート賞の最初は49号(1978年12月発行)であるから、
ステレオサウンドの、いまにつづく賞は、ここから始まった、ともいえるけれど、
実際にはこの2年前、1976年12月に出た41号から始まった、とみるべきである。

ステレオサウンド 41号の特集は「コンポーネントステレオ世界の一流品」であり、
賞がつく名称こそ使われていないが、
記事全体のつくり方を41号と49号を比較してみると、同じといえる。

41号で「世界の一流品」として選出されているコンポーネントは下記のとおり。
●スピーカーシステム
 JBL 4350
 JBL 4343
 JBL D44000 Paragon
 アルテック A5
 QUAD ESL
 ボザーク B410 Moorish
 ヴァイタヴォックス CN191
 タンノイ Arden
 タンノイ Devon
 タンノイ Eaton
 ダイヤトーン 2S305
 シーメンス Eurodyn
 シーメンス Europhon
 JBL 4333A
 JBL L300
 アルテック 620A
 エレクトロボイス Sentry IVA
 クリプシュ K-B-WO Klipsch Horn
 ラウザー TPI Type D
 ロックウッド Major Gemini
 ロックウッド Major
 KEF Model 5/1AC
 KEF Model 104aB
 KEF Model 103
 ロジャース LS3/5A
 アコースティック・リサーチ AR10π
 キャバス Brigantin
 スペンドール BCII
 アリソン Alison One
 ダルキスト DQ10
 マグネパン MGII
 セレッション UL6
 ビクター SX3III
 ヤマハ NS690II
 サンスイ SP-G300
 サンスイ LM022
 ビクター S3
 ヤマハ NS451
 デンオン SC104
 ダイヤトーン DS251MKII
 オンキョー M3

アンプ、チューナー、プレーヤー、カートリッジなども選出されていて、
これらについても書き出そうと最初は思っていたものの、
けっこうな数になるので、スピーカーシステムだけにしておくが、
41号で選出されたスピーカーシステムの中で最も高価なのはシーメンスのEurophonで、145万円(1本)、
反対に最も安価なのはヤマハのNS451で、26500円(1本)。
50倍以上の開きがある。

Europhonは2ウェイのスピーカーシステムだが、パワーアンプ内蔵でしかもマルチアンプ駆動ということも、
高価な理由でもある。
アンプを搭載していないスピーカーシステムでは、
やはりシーメンスのEurodynで、110万円(1本)。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その4)

座談会での発言は、誌面にそのまま載るわけではない。
だれかがまとめるわけだから、そこでなんらかの修整がはいる。

そんなことせずに話されたことをそのまま活字にすればいいじゃないか、と思われる方もいるだろうが、
それをやってしまうと、その場で座談会を聞いていればわかることも、
ただそのまま活字にした場合は意味がはっきりしないことも出てくる。

互いの顔を見ながらの座談会と活字だけの場合との違いが、そこにある。
それに文量の問題も当然あって、編集者なり、だれかがまとめることになる。

ステレオサウンドとラジオ技術とでは、まとめる人が違う。
もうこれだけでも、たとえまったく同じことが話されていたとしても活字になる場合には、違うものとなる。

そういうことも含めて、これまで読み比べることができた。
今年から、そんな楽しみがなくなったわけだが、
そういう楽しみよりも、ラジオ技術らしい記事をその分読めるほうがうれしい。
暮に出る号だから、と、なにか特別な記事が必要というのは、
これほどどのオーディオ雑誌も賞を発表している状況では、逆にありきたりな印象さえ漂ってくる。

しかも季刊誌ともなると、年に4冊しか出ない。
そのうちの1冊の特集が、賞関係の記事になってしまうことがこれまでもずっと続いてきているし、
たぶん、これからもまだまだ続いていくのだろう、と思うと、
この気持はなんと表現したらいいのだろうか──、
ありきたり、代り映えのしない、といったものとも違う、
少し言葉が過ぎるかもしれないと思いつつも、空虚──、そんなことを感じてしまう。

Date: 12月 17th, 2012
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その9)

「なくなったもの」がなんであるのかに気がついた、として、
それで即面白いオーディオ雑誌がつくれるようになるわけではない。

気づくことで、面白いオーディオ雑誌をつくっていくための方向に目を向けた、ということである。

「なくなったもの」に気づけば、
これから先、何を考えていかなければならないのか、何をしていかなければならないのか、
そのためには何が必要になるのか、が見えてくるようになる。

何が必要になるのか──、
これだけはあえて書いておく。
別項「オーディオにおけるジャーナリズム(編集者の存在とは)」でもふれている”strange blood”である。

もうひとつ書いておくと、「なくなったもの」と書いているのだから、
ずっとずっと以前のステレオサウンドには「あったもの」である。
ずっと「ないもの」ではないということである。

「なくなったもの」がわかれば、
そのころのステレオサウンドにとっての”strange blood”とは、ということもはっきりと見えてくるはずだ。

Date: 12月 17th, 2012
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その3)

ラジオ技術のコンポ・グランプリの審査員は、最初のころはどうだったのかは知らない。
けれど私がオーディオに関心をもちはじめたころから、石田善之氏が途中から加わっただけで、
高島誠氏、岡俊雄氏、長岡鉄男氏ほか、亡くなられた人がいて、減っていくだけであった。

ずっとそういう状態だったから、いつかはコンポ・グランプリも終りをむかえる日が来るのだろう……、
とは思っていたけれど、ふいに訪れた、という感じである。

私は個人的にラジオ技術からコンポ・グランプリが消え、喜んでいる。
コンポ・グランプリによって毎年1月号は、そこそこの頁が割かれてしまう。
私がラジオ技術に求めている記事が、その分減ってしまう。

まぁ、それでもラジオ技術は月刊誌だから年に12冊出る。
そのうちの1冊がコンポ・グランプリ、それも大半の頁がそうとはいうわけではないから、
12分の1であれば(実際にページ数で換算すれば、もっと小さくなる)、
これはこれで楽しみかな、という部分もあった。

ステレオサウンドも賞をやっている。
そのステレオサウンドの賞とコンポ・グランプリでは、以前は岡先生と菅野先生が審査委員としてだぶっていた。
ステレオサウンドは、選ばれた各機種について最初のころは、筆者ひとりによる書き原稿だった。
それが座談会になってしまい、そのままずっと続いてきている。
今年も座談会での紹介である。

ラジオ技術も座談会でなのだが、
ここでステレオサウンドとラジオ技術の違いが出てくる。
岡先生、菅野先生がどちらの賞にも共通しているけれど、座談会での発言を読み比べるという楽しみがあった。

ステレオサウンドもラジオ技術も選考日は11月の上旬である。
日が近い。
選ばれる機種も重なることも多い。だからこそ読み比べるわけである。