Archive for category ショウ雑感

Date: 11月 13th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その3)

ノアのブースでは、ソナス・ファベールの “The Sonus faber” が鳴っていた。
ノアのサイトでも、ある個人サイトでも書かれているように、
この、全世界で30セットの限定発売のスピーカーシステムが、
今年のステレオサウンド誌のグランプリに選ばれている。

ショウの前にそのことは知らされていたから、やはり興味は増す。
正直にいうと、最初にブースに入ったとき鳴っていたのは拍子抜けするような音で、
早々に他のブースに移ってしまった。
別にどこが悪いとか、欠陥があるとか、そういう意味合いではなくて、グランプリに選ばれた、ということ、
それに1組2千万円という価格──、これらによって期待度は自然とふくらむ。
そうやって聴くものだから、
それにこれだけのシステムがそう易々と本領発揮という鳴り方をするわけでもなかろう。

そんなことはわかっていても、最初に耳にした、その音は、こちらの勝手な期待には達していなかった。

それに、いままでのソナス・ファベールの他のスピーカーシステムとはやや趣がちがって、
武骨な面も外観に感じられて、同社のスピーカーとしては、やや異色な存在とも感じていたところもある。

それでもぐるっと他のブースを廻ったあとで、ノアのブースの前を通ったとき、ドアが開いて音が聴こえてきた。
さっき聴いた音とはあきらかに、感じが違う。そう感じて、ふたたびノアのブースに入っていた。

最初のときは、椅子に空きがあってもべつに坐って聴こう、とは思わなかった。
今度は、空きを見つけて、さっと坐る。

坐ってすぐに気がついたことは、アナログディスクが鳴っていたということ。
さっき聴いた音は、CDで鳴っていた。

Date: 11月 12th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その2)

MC2KWで鳴らされるXRT28の音を聴きながら思い出していた瀬川先生の文章の次のものだ。
    *
中でもアメリカ東海岸で作られるスピーカーにこの手の音が多いと私は感じる。東海岸というとボストンで作られるKLHやアドヴェント、ボーズなど。それにニュージャージイで生れるボザークなどだ。また、これらのスピーカーは、日本の六畳や八畳ていどのせまい部屋で鳴らすと、いっそう精彩を欠いた、ディテールの反応の鈍い音がする。鈍重でしかも乾いているというのでは、全くとりえがなさそうに思えそうだ。ところが、これらのスピーカーをライヴな広い部屋に入れて、部屋いっぱいを満たすような音量で鳴らすと、実に豊かで朗々とよく響く、耳当りの柔らかくしかも充実感のたっぷりした気持の良い音を聴かせる。
     *
後半部分に書かれている東海岸生れのスピーカーの良さ──、
それがマッキントッシュ・ジャパンのブースではたしかに鳴っていた。

パワーアンプの出力はどの程度必要か、ということは、
使用するスピーカーシステムの能率、部屋の広さ、響きの多い少ない、
鳴らすプログラムソースや聴く音量によって、その値は大きく異ってくる。

2kW(2000W)もの出力が、必要なのかどうかは、少なくともいまの私には不要なほどあまりある大出力だが、
この日のマッキントッシュ・ジャパンのブースでは、その必要性だけで優位性が、音として鳴っていたと思う。

ショウという条件下で、あれだけ朗々とよく響く、気持の良い音を出していたことは、
それだけでたいしたことではないだろうか。
まったく不満を感じさせない音なわけではない。
それでも、このアメリカ東海岸の音の特質を、これだけきちんと響かせていたこと、
そしてそれも1970年代までの、色濃い東海岸の音、
高域のレベルをあきらかにおさえていた時代の乾いた音ではない。

高音域の繊細さをことさら強調しないという意味では、
高域をややおさえているということにつながるのだろうが、
少なくとも帯域バランス、音色上のバランスで、
はっきりとした東海岸サウンドの特徴は、もうほとんどないのだろう。

だからなのだろう、もうひとつの特徴である部屋いっぱいを満たす豊かさが洗練されてきている。
そんな感じを受けていた。

マッキントッシュという会社は、
真空管アンプの時代から、つねにその時代時代において大出力アンプをつくってきた。
いまさらだが、このことも東海岸サウンドとつよく結びついているということも感じていた。

ただこのシステムを、狭い空間にはもち込むのはやはり無理があるだろう。

’70年代には、アルテックのA5を6畳間で鳴らしていた人がいたということを瀬川先生が書かれている。
小音量でひっそりとA5を、その人は鳴らし、飼いならされていた、とあった。
そういう鳴らし方も、XRT28とMC2KWの組合せは可能だろう(ただし電力線を引き込む必要はあるだろうが)。

でも、今回のショウで耳にすることのできた、あれだけの大音量でも耳当りの柔らかく充実した音を聴いたあとでは、
それだけの空間が得られないかぎり、別のスピーカーシステム、アンプの組合せを選ぶ。
その意味では、私個人の生活には無縁ということになる。

それだからこそ来年もマッキントッシュ・ジャパンのブースで、
今回の音が聴けることを、できれば上廻る音が聴けること望んでいる、また楽しみにしている。

Date: 11月 11th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その1)

今年は、ぎりぎりまで瀬川先生の電子書籍つくりにかかりっきりだっため、
インターナショナルオーディオショウへ行けたのは、最終日の13時すぎだった。
しかも今年は、17時終了でいうこともあって、会場にいたのは、わずか数時間。
すべてのブースには入れなかった。

もちろん会場についた時点で、まず駆け足ですべてのブースにとにかく入ってみるつもりでいたし、
実際そうしたけれど、いくつかのブースには、もう人がいっぱいで中に入れなかった。

私が居た時間帯で、もっとも人が集まっていたのは、フォステクスのブースだった。
今年初参加で、しかもスペースもそれほど広くないということもあってだろうが、ドアの外まで人があふれていた。
こんなに人が集まっていたブースを見たのは、ここ数年、他のブースではなかったように思う。

入れたブースの音のじっくり聴いたわけでもない。
それでも、入った瞬間に、惹きつける音をだしているところがあり、
今年、私が聴いたなかで印象に残ったブースは、マッキントッシュ・ジャパンとノアだった。

マッキントッシュ・ジャパンでは、MC2KWで鳴らされていた。

この音を聴く12時間前まで瀬川先生の電子書籍の作業をしていたこともあってか、
瀬川先生が書かれていたアメリカ東海岸の音についての文章が浮んできた。

1970年代の東海岸サウンドとは、音のバランスは違う。
以前も書いたように、KLHのスピーカーシステムのレベルコントロールの表示に、
FLATとNORMALの、ふたつのポジションがあり、
トゥイーターのレベルをやや下げた状態を”NORMAL”とする東海岸特有の音のバランスは、もうない。

なのに私が東海岸サウンドと、つよく感じたのは、音の余裕度について、である。

Date: 10月 5th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その3)

いま豚インフルエンザが流行っている。
誰しも病気にはなりたくない。けれど、マスク姿の関係者の姿をみかけた。
いったい、どういう感覚なのだろうか、と思う。

勤務時間中、机の前にすわり、来客のない、そんな仕事場であれば、
感染したくないからといって、マスクをしたままでいても許されようが、
マスク姿のまま、来場者の前でしゃべり、そのまま接客するというのを、
本人は当たり前の権利と思っているのか、
そのブースの責任者も、それが当り前とし、なんとも思っていないのだろうか。

とにかくマスクをしていた本人には、あきらかに「事務的」な雰囲気がまとわりついていた。

彼は、豚インフルエンザには感染しないだろうが、
「事務的」な雰囲気には感染しているし、彼自身が感染源にもなっていくだろう。

Date: 10月 5th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その2)

会場にいたのは最終日の午後だけだから、このときだけの印象でいえば、
なんとなく来ている人が、例年よりも少ないように感じた。
実際、ブースにはいっても、講演以外では、人がぽつんぽつんというところもあり、
なんとなくさびしい感じを受けていた。

3日間の来場者数は、もしかすると例年とそれほど変わっていないのかもしれない。
そうだとしたら、そんな印象をうけるのは、
来ている人たちが、以前よりも会場にいる時間が短くなっているためではないかという気もする。

ここ数年、なんとなく、ぼんやりとではあるが、感じられるのは、
一部のブースの、一部の人たちから「事務的」な雰囲気が出ていることだ。

こういうものに関しては、人は敏感である。はっきりと意識していなくても、感じとってしまう。
それゆえ会場での滞在時間が短くなりつつあるのかもしれない。

もっとも入場者数は調べていても、滞在時間までとなると大変だろうから、はっきりしたことはいえない。
それでも、この「事務的」な雰囲気が、今年、はっきりと、ひとつ顕れていた。

Date: 10月 4th, 2009
Cate: ショウ雑感

2009年ショウ雑感(その1)

2008年のショウ雑感がまだ途中だけれど、
今年のインターナショナルオーディオショウで、意外だったのは、
アル・ディメオラ、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリンの「スーパー・ギター・トリオ」が、
2つのブースで鳴っていたこと。

初日は仕事の都合で、有楽町着が8時すぎ、ショウは見れずに、
友人たちと合流して、あれこれ楽しい雑談。
2日目は私用があり、行けずじまい。
で、最終日、今日の午後、なんとか各ブースをまわってきた。
会場にいた時間は5時間ほどにもかかわらず、
2つのブースで「スーパー・ギター・トリオ」がかかっていたのに出会したのだから、すこし驚きである。

ここ7年くらいは毎年、ショウに足を運んでいるが、
「スーパー・ギター・トリオ」が鳴っていたのは、たまたまかもしれないが、なかった。
なぜ、今年に限って、鳴っていたのだろうか。

しかも昨日、「スーパー・ギター・トリオ」を聴いたばかりだったし、
黒田先生の項でもふれているだけに、
この偶然には、なにかしら意味があるのかなぁ、ともちょっとだけ思う。

Date: 9月 15th, 2009
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十八 補足)

1998年5月に、AppleからiMacが発表になった。
翌日には、個人のウェブサイトでも、あちこちで取りあげられていて、
私がみたかぎりでは、すべて絶賛だった。

G3プロセッサーを搭載して、USBの、はじめての採用と同時に、SCSIやADBなどを廃止。
たしかに内容のわりには、価格は抑えられていた。

このことも高く評価されていたが、それ以上に、絶賛されていたのはiMacのデザインについてだった。
誰も、iMacのデザインに疑問をもっている人は、少なくともネット上ではみかけなかった。

でも発表された写真をみても、
360度回転して見ることができるQuickTime VRのファイルをダウンロードして、
いろんな角度からどう見ても、変なデザインにしか見えなかった。
なぜ、多くの人が、これを褒めるのか、まったく理解できなかった。

実物を見れば、印象も変るのかもと思い、
8月の発売前に、新宿の高島屋に、実物が展示されたのを見に行った。
ガラスケースに収められたiMacを見て、やっぱり変なデザインと確信した私は、
iMacの発売日前日に、PowerBook 2400Cを購入した。

iMacの登場のころから、「かわいい」ということばが使われはじめたような気もする。

とにかく液晶ディスプレイ以前のiMacのデザインを、すこしもいいとは思っていない私は、
あきらかに少数派なのだろうが、だからといって、オーディオ機器のデザインについて、
賛同をまったく得られなくても、変に感じるものについては、きっちりと書いていく。

Date: 9月 13th, 2009
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十七 補足)

A100をつくりあげたエンジニアは、このパネルフェイスに満足しているのか、を知りたい。
A100の中身をつくりあげた人の感性からすれば、
あのパネルフェイスに満足しているとは、どうしても思えない。

ここから先は、満足していないと仮定した上で、勝手に書いていくことを、ことわっておく。

A100のデザインの問題点は、どこにあるのだろうか。
デザイナーに問題がある、デザイナーに責任がある、と考える人もいるだろうが、はたしてそうだろうか。
問題はそれだけだろうか。

A100は、社内のデザイナーの手によるものなのか、外部のデザイナーの仕事なのか、は知らない。
どちらにしても、デザイナーから提出されたデザインを検討し、最終的な判断した人がいるわけだ。
それが、ひとりで決めたことなのか、それとも合議制でのことなのかも、どちらでもいい。

問題は、それを製品化してしまった組織自体にある、といいたくなる。
つまり、デザインがきちんとなされていないのは、A100のパネルフェイスではなく、組織であるということだ。
組織としてのデザインがしっかりしていれば、こういうことは起こり得ないはずだ。

数年前に、エソテリックから出たA-Z1、S-Z1を思い出す。

Date: 9月 13th, 2009
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十六 補足)

アンプのフロントパネルは、いわば「顔」である。
だからというわけではないが、エソテリックのA100を見ると、人の顔を連想してしまう。

ボリュウムのツマミが鼻のようだし、その上のプッシュボタンが横一列に並んでいるのは、
なんとなく目のような感じもする。
おそらく、そんな感じをうけてしまうのは、フロントパネルの両端を削っているからだろうと、思う。

ツマミ、ボタン類が少ないため、ややもすると平板的な印象のフロントパネルになりがちなだけに、
おそらくアクセントをつけるために、陰影を付けて立体的に見せたいがためにこうしたのかもしれない。
これがなんとも、コケた頬に見えてしまう。

こう見えてしまうは、私だけなのかもしれないが、いちどそう見えてしまうと、
どうしても貧相な印象につながっていく。精悍な印象には、どうしても見えない。

見れば見るほど、内部のつくりと、ミスマッチだろうと思えてくる。
内部の作りから判断して、A100は力作だと、先に書いた。
そう感じさせる、精悍な印象が、A100の内部にはある。

なのに、なぜ、このパネルフェイスなのか。

Date: 9月 9th, 2009
Cate: ショウ雑感, 瀬川冬樹

2008年ショウ雑感(その2・続×十五 補足)

いままで読んできたオーディオ評論のなかで、デザインに関して強烈に記憶に残っているのは、
ステレオサウンド 43号の、瀬川先生のトリオのコントロールアンプ、L07Cに対する記事だ。

43号では、L07Cについて、上杉先生、菅野先生も書かれているが、
デザインについてはひとことも触れられていない。

ひとり瀬川先生だけが、L07Cのデザインについて、「試作品かと思った」と書かれ、
「評価以前の論外」であり、さらに「目の前に置くだけで不愉快」とつづけられ、
あきらかに、ここからは瀬川先生の怒りが感じられる。

たしかに、中学2年だった私の目から見ても、試作品のような仕上りのように感じられたが、
なぜ、瀬川先生の怒りが、そこまでなのかについては、理解できなかった。

Date: 8月 27th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十四 補足)

世の中には、何事も短絡的に捉える、受けとめることが得意な方が、
ごくごくわずかだが、いる(一人、知人にいる)。

そんな人は、トランスを、アンプの筐体内の、どこに、どう配置するかについて、私が書いたものを読んで、
重量バランスがよく、左右チャンネルの同一性・対称性が高いアンプだけが優れた音のアンプで、
それ以外のアンプはそうではない、と受けとめるのだろうか。
エソテリックのA100に関しても、否定的なことを言っている、と思っているのかもしれない。

こんなことをあらためていうまでもないのだが、決してそんなことはない。
ただ、重量バランスは、重要な要素のひとつだと言いたいだけであるし、
A100は、なかなかの力作だと思っている。

A100の音は、まだ聴いていない。
ただ、A100について、ひとつだけ書きたいのは、フロントパネルに関して、である。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十三 補足)

同時期に発売されていたマッキントッシュのMC2105とMC2205とでは、
電源トランス、オートフォーマーの並びが異なる。

発売が先のMC2105では、フロントパネルの裏側に、
電源トランス、オートフォーマー、オートフォーマーと並んでいるのに対して、
MC2205では、やはりフロントパネルの裏に配置されているが、並びは電源トランスが中央で、
両端にオートフォーマーというふうに変更されている。

だから、今後、マッキントッシュのパワーアンプが、MC2301と同じ筐体構造になるとしたら、
エソテリックのA100のトランス配置と同じにはならないと判断できる。

マッキントッシュのパワーアンプは、トランス(オートフォーマー)には、
必ずケースがかぶせてある。
A100で、左右チャンネルの出力トランスをまとめて、ひとつのケースをかぶせ、
電源トランスはケースなし、となっている。

トランス(オートフォーマー)同士は干渉する。
干渉を低減させたければ、シールドケースをかぶせるのが手っとり早い方法だが、
私は、できるだけトランス(とくに信号系のトランス)にはケースはかぶせたくない、と考えている。

シールドケースを使わなければ、トランス同士の間隔を広くとることを求められる。
ならば、電源トランスだけをシールドし、中央に配置すれば、
出力トランス(オートフォーマー)同士の間隔は、必然的に広くとれる。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十二 補足)

重量級パーツをうまく配置して、重量バランスをうまくとったとして、だから、
ただちに音が良くなるというものではない。

MC2301において、手なれた筐体構造を捨てることはたいへんなことだが、
新しい可能性も生まれてきているはずだ。

MC2301の音に関しても、はやく聴いてみたいのだが、
同時に、これからのマッキントッシュのアンプが、このレイアウトを採用していくのか、
それともMC2301だけで終るのか、にも興味がある。

ステレオアンプだと、どういうトランス配置にするのか。
エソテリックのA100と同じ、電源トランス、出力トランス、出力トランス、とするのか、
それとも電源トランスを中央にし、両端に出力トランス(もしくはオートフォーマー)とするのか。

私の勝手な予想では、電源トランスを中央とする配置になると思う。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 25th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十一 補足)

MX10000や928、アンプジラ2000といったアンプがなくとも、
ラックの棚板の上で、アンプを前後左右に動かしたときの音の変化も、
重量バランスによる変化といえる面ももつ。

できれば、これも重量バランスの整ったアンプよりも、アンバランスなアンプ、
それもできれば重量級のアンプの方が、移動したときの音の差は大きくなる傾向があると言える。

まずは棚板のちょうど中央に置いて聴く。
今度は、音の変化量が大きくなるので、
棚板に脚部がぎぎりかかるくらいまで前に動かす(後でも、もちろんいい)。
この音を聴く。今度は反対に後に、やはりぎりぎりまで動かした音を聴く。

このとき注意したいのは、いうまでもなく音量は一定にしておくこと。
ボリュウムには決して触れないこと。

これらの音の差が充分に聴きとれたら、左右や斜めに動かしてみるのも面白い。
このことは、昔から井上先生が、よく言われていたことで、ステレオサウンドでも記事にしたことがある。

お金はかからない、一種のキャラクターコントロールとしても使える。
実際のアンプで、重量バランスを整えるために、重量級パーツのトランスの位置の変更を行なうことは、
全体のコンストラクション、配線にも変更が求められ、
それらを含めたうえでの音の差として現われるわけだから、
重量バランスの違いだけのを音として聴くのは、厳密には無理といえば無理なことだが、
それでも、大まかな傾向は共通したものがあると感じられるのと、
オーディオの経験則から言えるとも思っている。