Archive for category ショウ雑感

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 25th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十一 補足)

MX10000や928、アンプジラ2000といったアンプがなくとも、
ラックの棚板の上で、アンプを前後左右に動かしたときの音の変化も、
重量バランスによる変化といえる面ももつ。

できれば、これも重量バランスの整ったアンプよりも、アンバランスなアンプ、
それもできれば重量級のアンプの方が、移動したときの音の差は大きくなる傾向があると言える。

まずは棚板のちょうど中央に置いて聴く。
今度は、音の変化量が大きくなるので、
棚板に脚部がぎぎりかかるくらいまで前に動かす(後でも、もちろんいい)。
この音を聴く。今度は反対に後に、やはりぎりぎりまで動かした音を聴く。

このとき注意したいのは、いうまでもなく音量は一定にしておくこと。
ボリュウムには決して触れないこと。

これらの音の差が充分に聴きとれたら、左右や斜めに動かしてみるのも面白い。
このことは、昔から井上先生が、よく言われていたことで、ステレオサウンドでも記事にしたことがある。

お金はかからない、一種のキャラクターコントロールとしても使える。
実際のアンプで、重量バランスを整えるために、重量級パーツのトランスの位置の変更を行なうことは、
全体のコンストラクション、配線にも変更が求められ、
それらを含めたうえでの音の差として現われるわけだから、
重量バランスの違いだけのを音として聴くのは、厳密には無理といえば無理なことだが、
それでも、大まかな傾向は共通したものがあると感じられるのと、
オーディオの経験則から言えるとも思っている。

Date: 8月 24th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十 補足)

アンプの重量バランスによる音の違いも、アンプを自作せずとも確認できる。
たとえばフロントパネルに電源トランスを取り付けているパワーアンプを、もしお持ちならば、
このアンプの置き方を変えてみるだけで、大きく音が変化する。

現役の製品では、アンプジラ2000がそうだし、以前のアンプではヤマハのMX10000、
プライマーの928 Mono Ampがそうだった。
最重量物の電源トランスを取り付けてあるぐらいだから、MX10000も928も、
フロントパネルは厚くしっかりしたものだった。
だから、さらに重量バランスはフロントパネル側に片寄っている。

これらのアンプを、直立させてみる。
つまりフロントパネルを下にして、アンプを90度起こした状態にするわけだ。
注意しなければならないのは、放熱のことで、この状態で長時間聴くことはやめてほしい。
だから、あくまでも試しに聴くということなのだが、音のバランスが、より安定してくる。
音の輪郭もしなやかになる。

もちろん、この音の変化は重量バランスの変化によるものだけではない。
プリント基板が水平だったのが垂直になるし、それにともない部品の向きも変わる。
こまかな違いはいくつか出てくる。
それでも、井上先生が言われていたことと同じ変化が聴きとれる。

Date: 8月 17th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×九 補足)

ML6の場合、アンプ本体の上側を左チャンネル、下側を右チャンネルとして、
外部電源の左チャンネル用を上の口のコンセントから、右チャンネル用を下の口からとるのが、ひとつ。
そしてアンプはそのままで、電源の取り方を左右で逆にする。右チャンネルを上、左チャンネルを下へ、と。

次はアンプの上側を右チャンネルに、下側を左チャンネルで、電源の取り方も、上記のように2通りあるわけで、
合計で4通りの組合せができ、それぞれに微妙に音は異なるわけだから、
部屋の状況、スピーカーなど状況に応じて、柔軟に使いわけた方がいい。

つけ加えれば、電源コードに手を加えるのであれば、前に書いたように、
ひとつのACプラグに左右両チャンネル、2本の電源コードをまとめれば、5通りの音が得られる。

グラフィックイコライザーをどんなに駆使して、微調整をくり返しても、
周波数特性のコントロールだけでは、補整できない音のキャラクターの微妙な違いには、
こういう地味な工夫が、意外と効果的だったりすることもある。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×八 補足)

人が作り出すものである以上、どれほど厳格に品質管理されていようと、若干のバラツキまでは排除できない。

技術がこれから先飛躍的に向上し、アンプに代表される電子機器のバラツキが完全になくなったとしても、
スピーカーがこれまでの形態の延長線上にあるかぎり、バラツキがなくなるとは思えない。

そしてそのスピーカーが設置される部屋が、完全に左右条件が同じであること、
左右チャンネルの音がまったく同じであることは、まずあり得ない話である。
だから現実と折り合いをうまく見つけ出すのも、大事なポイントとなってくる。

マークレビンソンのML6を2段重ねで使う際、
たいていは上のML6を左チャンネル、下の方を右チャンネルとしがちだが、
なにもこれはこだわることはなく、左チャンネルを下のML6にしてもいい。

ML6の場合、外部電源も左右チャンネルで独立しているため、
左右チャンネルのどちらを、電源コンセントの上の口からとるかということを含めると、4通りの接続が試せる。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×七 補足)

そんなことを気にしはじめると、マークレビンソンのML6やディネッセンのJC80のように、
左右チャンネルでシャーシーから独立しているアンプを2段重ねで使うのは、論外ということになってくる。

何度か試したことがあるが、やはり左右に2台並べて置いた音を聴くと、2段重ねでは使いたくない。
セパレーションを良くし、音場感情報の再現に有利なはずのモノーラル構成が、
使い方の注意がすこし足りないと、活かしきれないことになる。

同一条件にする(近づける)ために、井上先生は、こんなことを言われた。
「ボリュウムは、左右の条件をできるだけ同じにするには、2連タイプではだめ。
4連タイプの中央の2連のみを使うこと」

つまり2連ボリュウムだと、機械的な条件が、前側と後ろ側とでは異なるためで、
4連ボリュウムの中央2つを使い、前と後の2つを使わなければ、
完全とはいえないまでも、2連タイプよりは、ずっと左右の条件が近づくわけだ。

そういうふうに、電気的、機械的、電磁的、振動的にも、
左右チャンネルの条件をできるだけ等しくしていくことが、
音場感情報の精確な再現につながっていくわけだが、
その一方で、どれだけ注意を払い、意を尽くしても、
左右チャンネルを完全に等しくすることは無理だということも、井上先生は言われていた。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×六 補足)

以前、こんなことがあった。
井上先生が、パワーアンプの電源を、コンセントの下からとってみろ」といわれた。
いわれるままにコンセントの下の口に差し換えて、音を出す。
「どうだ?」ときかれる。
たしかに、微妙だが、音が違うのがわかる。

上に戻した音を、もういちど聴く。2回ほどくり返すと、音の違いがはっきりしてきた。

コンセントの構造上、たいていの場合、室内配線は上の口のほうにつながっており、
下の口へは真鍮製のバーを通って供給されるわけだが、
このわずか数センチの真鍮の存在によるキャラクターがついてくる。

モノーラルアンプで、同一コンセントから電源をとったにしても、完全には同一条件にはならないわけだ。
もっともコンセントの構造が、
上下の口に対して同条件である──上下の口を結ぶバーの中央に配線がつながる構造──ならば、いいのだが。

だから以前QUADのESLを使っていたときは、ひとつのACプラグに2本の電源コードをつないでいた。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×五 補足)

音場感情報を精確に再生するには、左右チャンネルをできる限り同条件にすることが大事だ、
と井上先生はいわれていた。

とくに外来からのノイズが増えていく状況においては、スピーカーケーブルの這わせ方を、
左右でまったく違う経路を通るようにしただけでも、音場感はいともたやすくくずれてしまう。
だから、私がいたころ、ステレオサウンドの試聴室で、
スピーカーケーブルはつねに左右チャンネルをぴったりくっつけて這わせていた。

左右のスピーカーケーブルを離しておいたほうが、セパレーションが確保できていいという人もいるが、
実際に音を聴いてみれば、どちらが音場感情報の再現に優れているかはすぐにわかることだ。

もちろんモノーラルパワーアンプは、2台とも同一コンセントから電源をとるのはもちろんだし、
コンデンサースピーカーの電源もそうだ。

ただここで問題になるのは、通常コンセントは2口あり、
どちらの口に挿し込むかによっても微妙に音は違ってくる。

Date: 8月 13th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続々続々補足)

真空管パワーアンプ(もしくはプリメインアンプ)で、
重量物であるトランスをシャーシー中央に集めたコンストラクションは、MC2301以前にもある。

2008年はじめにエソテリックから登場したA100がまさにそうで、こちらはステレオ構成なので、
シャーシー中央に、電源トランスは1個、出力トランスは2個、計3個のトランスを配置している。
基本的な考え方は、MC2301とA100は同じである。

おそらくマッキントッシュからこれから出てくるであろうパワーアンプは、
MC2301と同じコンストラクションとなる可能性が高いと考えられるし、
ステレオ構成で、3つのトランスということになると、A100と相似のコンストラクションになるであろう。

ただトランス3個を、一直線に配置する場合、どういう順番で並べるかで、違いが出てくる。
A100は、フロントパネルのすぐ裏に電源トランス、そして出力トランス2個は、
ひとつのシールドケースにまとめて収められている。
つまり電源トランス、出力トランス、出力トランスという配置である。
これとは別に、出力トランス、電源トランス、出力トランスという配置も、ある。

Date: 8月 13th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続続々補足)

マッキントッシュにとって新しいコンストラクションの採用が、
MC2301の正式な登場まで、1年近く必要だった理由のひとつではなかろうかと思う。

トランジスター化されて以降、フロントパネルの裏側に、電源トランス、オートフォーマーは配置されていた。
ステレオサウンドで働くようになって、はじめてMC2255を持ち上げたとき、
こんなにもフロントパネル側が重いのか、と、重量のアンバランスさに驚いたほどで、
ひとりで抱えるには、フロントパネルを自分のほうに向けて抱え込むようにしないと無理で、
もし逆さまに持ち上げてしまうと、ひっくり返しそうになる。

井上先生が、かなり以前から指摘されているように、電源トランスの配置によって、
アンプ全体の重量バランスは大きく左右され、
重量バランスのとれているアンプだと、音場感情報もよく出るとともに、音像の輪郭が自然な感じとなるのに対して、
重量的にアンバランスなアンプでは、音像の輪郭がエッジが張った感じになり、
そのおかげで聴き応えのある音になるとともに、音場感の情報量は、減衰傾向にある。

アンプの音は、重量バランスだけで決るのではないし、
マッキントッシュは、あえてこの重量のアンバランスさをうまく利用していたのではないかとも、思える。

MC2301のコンストラクションは、重量バランスの変化による音の変化とともに、
アンプの主要パーツの配置が従来とは大きく変ったために、とうぜん内部配線処理も変更を受ける。
アースの処理の仕方も変わったであろう。

それまでの伝統的なノウハウだけでは対処できない面も生まれてきたため、
新たなノウハウを得るための時間が必要だったのではなかろうか。

Date: 8月 12th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続々補足)

マッキントッシュのパワーアンプは、トランジスター化されても、オートフォーマーを採用している。
いまだにオートフォーマーのことを出力トランスを書く人がいるけれど、
このオートフォーマーも、出力トランス同様、重量物であり、
マッキントッシュのトランジスターパワーアンプは、フロントパネル裏に、
オートフォーマーと電源トランスを配置している。
だから、重量的なアンバランスは、トランジスター化されても受け継がれてきてたわけだ。

マッキントッシュの歴代のパワーアンプのなかで、比較的重量バランスがとれているのは、MC3500だろう。
内部写真を見ると、対角線上にトランスを配置している。
それでもシャーシー四隅のうち、二隅にはあまり重量がかかっていないだろうから、
まだまだ検討の余地は残っている。

その点、MC2301は、シャーシー中央に重量物をまとめて配置しているから、実際に持ち上げてみることなく、
その重量バランスの良さは、すぐにわかる。
いままでのマッキントッシュのアンプにはないコンストラクションであり、
とうぜん、このことは内部配線にも関係してくる。

真空管アンプで300Wという出力の大きさと、新しいコンストラクション。
これまでのマッキントッシュのパワーアンプにはなかった面をきっと聴かせてくれるであろう、
と期待はふくらむばかりだ。

Date: 8月 12th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続補足)

MC2301に、これほど注目している理由のひとつとしてあげたいのは、重量バランスのよさである。

真空管のパワーアンプの場合、電源トランス、出力トランスという重量物が、モノーラル構成だと最低でも2つ、
ステレオ構成だと最低でも3つ必要となり、トランス同士の相互干渉を防ぐとともに、
いかにシャーシー上に、重量的なアンバランスが生じないように配置するのは、
内部配線との絡みもあって、そう簡単には解決できない問題である。

それに真空管アンプの場合、トランスの配置が、見た目の問題にも大きく関わってくるから、
よけいにやっかいともいえる。

マッキントッシュの真空管アンプをみてみると、トランス類はたいていシャーシーの片側にまとめられている。
MC275もそうだし、モノーラル機のMC75もそうだ。さらに古いMC30でも片側によっている。
これはなにもマッキントッシュの真空管アンプだけのことではない。
マランツの♯2や♯9でも、どちらかに片寄っていて、実際に抱え上げると、
かなりの重量的なアンバランスさを感じとれる。

Date: 8月 12th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・補足)

昨年のインターナショナルオーディオショウで、いちばん聴いてみたかった製品が、
ほぼ1年経ち、ようやく登場した。
マッキントッシュの管球式のモノーラルパワーアンプ、MC2301だ。
出力は300Wだから、同社の往年の名器、MC3500の350Wにはすこし及ばなかったが、
ここでの、50Wの差は、ないに等しいだろう。

出力管はKT88で、片チャンネルあたり8本使用している。
MC3500は、6LQ6を、やはり8本使っている。
電圧増幅には、マッキントッシュ・ジャパンのサイトで公開されている資料によると、12AT7が2本とある。
MC3500では、初段から使用真空管をあげていくと、まず12AX7、さらに12AX7がつづき、
6DJ8、6CG7、6DJ8となっている。
出力段の前段には、双三極の出力管6BL7GTAのカソードフォロワーになっており、
電圧増幅部の6CG7も初段の12AX7もカソードフォロワーだ。
つまりカソードフォロワーが3段あるわけだ。

MC2301の回路構成がどうなっているか、詳細は不明だからこそ、
電圧増幅部の真空管の使用本数が半分以下になっているのは、興味深い点である。

電圧増幅段の、NFBをかける前のゲイン(オープンループゲイン)は、かなり違うのだろう。
ということは、NFB量も違う。
MC3500は、30dB程度のNFBをかけていたと記憶している。

それにコンストラクションも、どちらもモノーラル構成だが、大きく違う。
MC2301はシャーシーの中央に、電源トランスと出力トランスという、
アンプ内でもっとも重量のある部品を置くことで、重量バランスの片寄りをなくしている。
出力管は、両側に4本ずつ振り分けている。

MC3500は、電源トランス2個(高圧用と低圧用)はフロントパネル側に、右寄りに、
出力トランスはリアパネル側の左寄りに、配置している。
出力管は8本まとめて、リアパネル側、出力トランスのとなりに置かれ、ファンによる強制空冷となっている。

フロントパネルの色も違う。
MC3500はホワイトハウスに納入するために開発されたもので、だからパネルがシルバーだという、
どこまで本当のなのかわからない話を、昔きいたことがある。
MC2301は黒だ。メーターの大きさもずいぶん違う。MC2301のもののほうがかなり大きい。

これらの変化・違いは、時代の変化によるものも含まれよう。

MC2301は、とにかく、いまいちばん聴いてみたいパワーアンプのひとつである。

Date: 10月 29th, 2008
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その4)

ステサン──ステレオサウンドを、こう略して言う人は少なくない。
なぜ略すのか。

誌面に限りがあり、文字数をぎりぎりまで減らす必要があるならば、略すのもわかる。
しゃべりで、ステサンと言うのとステレオサウンドと言うのと、時間にしたらわずかである。
そんなに言葉を多く話すのがイヤなのか、それとも略すのをカッコいいとでも勘違いしているのか。

個人サイトやブログでも、略語を使う人はいる。
ネットの良さは、誌面の制限を受けないことだと思っている私には、略語を使う意味がわからない。
キーボードを打つのが面倒なら、単語登録しておけばすむこと。
そんなわずかな手間を惜しむのか。
だとしたら、「オーディオに向いていないよ、あなたは」と言いたくなる。
オーディオこそ、手間を惜しまず取り組むことを求められる趣味だから。

もうひとつ言いたいのは、モツレクとかベト7とか、ひどい略語についてである。
モツレクを、個人サイトではじめて見たとき、「えっ?」と、ほんのわずかな時間だが考えた。

モーツァルトのレクィエムのことである。ベト7はベートーヴェンの交響曲第7番のこと。
五味先生の著書を読んできた私は、レクイエムではなく、レクィエムと書く。

しかも、そのサイトの主は、モツレクは大好きな曲で愛聴盤だと書いている。
なのに「モツレク」である。言葉の響きとして、まったく美しくない。

モツレクと平気で言える人、書ける人の美意識──、
そんなのでほんとうにオーディオを追求していけるのか。

そんなことは音とは関係ないと言うだろう、そういう人たちは。
だけど、そんな小さなことにその人なりが表われるし、「音は人なり」である。

Date: 10月 29th, 2008
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その3)

インターナショナルオーディオショウで見かけた、あることについて書く。

20代か30歳そこそこといった若い感じの人が、あるオーディオ評論家の方に、
ステレオサウンドに書かれていた記事について、質問されていた。

盗み聞きしてはいけないと思いながら、それとなく聞いていたら、
どうも、質問されている人の勘違いのようで、そのオーディオ評論家の方も
「家に帰られたら、もういちど読み返してほしい。そんなふうには書いていないから。
それでも、もしそう受けとめられたら、明日も明後日も私はここ(会場)に来ているから、
また声を掛けてください」と真摯に応えられていた。

それに対して、若い感じの人は
「いやー、ステサンは買ってないんですよ。立ち読みです。
でも重たいから立ち読みも大変なんですよ」と笑いながら自慢気であった。

いいかげんに立ち読みして、勘違いして、そのことで、何の落ち度のない人を煩わせて、
へらへらして平気な顔をしている。

立ち読みを勧めはしないが、真剣に立ち読みをすれば、つまらない勘違いもしない。
情報があふれ返っていることに馴れきってしまったことの不幸なのだろう。