Archive for category ショウ雑感

Date: 11月 9th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(余談)

ADAMのColumn MK3はトゥイーターとスコーカーに、
同社がいうところのX-ARTドライバーを採用している。
見てすぐにわかるようにエラックのスピーカーシステムに搭載されているJETドライバーと、ほほ同じものである。

ただしADAMがエラックのJET型を採用した、というよりも、
もともとこのドライバーを開発したのはADAMときいてる。
ところが一時期資金難に陥ったADAMがエラックに、このドライバーを売却したらしい。
だからADAMのほうがオリジナルともいえるのだが、
このドライバー(X-ARTと呼ぼうがJETと呼ぼうが)のオリジナルは、ハイルドライバーである。

オリジナルのハイルドライバーはドイツでは製品化されることなく、
開発者のオスカー・ハイル博士がアメリカに渡りESSで製品化している。
このオリジナルのハイルドライバーとADAMが開発したX-ARTの大きな違いは、
ユニットそのものの厚みである。

ハイルドライバーのオリジナルはフェライトマグネットを4本、
これをX字状に配置して、その中央(交叉点)にひだ(プリーツ)状の振動板ではなく振動膜を置く構造。
そのためどうしてもかなり厚みのあるユニットになってしまう。
これをドーム型ユニット並に薄くすることにADAMは成功している。

今回のショウで気になったのは、
このハイルドライバーをリボン型ユニットの一種として受け取っている人が意外にも多かったこと。
それもしかたのないことかな、とは思っている。
私がオーディオに興味をもち始めた1970年代は、オーディオの雑誌だけでなく技術書が豊富にあった。
ハイルドライバーの動作原理も、それらの本で知り得た。

いま、この手の本が少ない。ハイルドライバーについてきちんと解説してある本はあるのだろうか。
だから、ついリボン型のひとつと間違って受けとめてしまいがちなのだろう。

これがユーザー側であればしかたのないことですむが、
オーディオ関係者の中にもリボン型のひとつとして認識している人が少なくなかったのは、
しかたのないことではすまされない、と思う。

Date: 11月 6th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その3)

優秀録音と名録音をあえてわけるならば、
スピーカーシステムも、優秀なスピーカーシステムと名スピーカーシステムと呼べるものがある。

名スピーカーシステムと呼べるモノの数は少ない。
これに関しては、別項の「名器、その解釈」でこれからふれていく予定である。
すべての現代スピーカーシステムが優秀なスピーカーシステムではないけれども、
その数は名スピーカーシステムよりも、ずっと多い。

優秀であること、とはどんなことなのか。
優秀という言葉は、最優秀という言葉があることからもわかるように、
他のものと比較して優れている、秀でている、ということではないだろうか。

同じ価格帯のスピーカーシステムの中で、物理特性面でも実際に音を聴いても、
その他多くのスピーカーシステムよりもすこし上のレベルにあれば、それも優秀なスピーカーシステムといえる。
もちろん、そこには「ある価格帯での」という条件がつくにしても、
優秀スピーカーシステムは、他のスピーカーシステムよりも優れている。

それから時代ということも関係してくる。
ある時代における優秀スピーカーシステムは、
その時代の他のスピーカーシステムと比較しての優秀さを認められてのことであり、
そういう優秀スピーカーシステムが、次の時代でも優秀スピーカーシステムであるとはいいがたい。

たとえば演奏家にも、優秀な演奏家と呼ばれる人もいるし、名演奏家と呼ばれる人もいる。
ピアニストであれば、ピアニストとしてのメカニック・テクニック面が優れていれば優秀なピアニストであり、
ピアノ・コンテストで優勝すれば、
それは、少なくともそのピアノ・コンテストのなかでは最優秀ピアニストということになる。

世界的に知られているピアノ・コンテストもあれば、地域での小さなピアノ・コンテストもあり、
それぞれのピアノ・コンテストでそれぞれ最優秀ピアニストが誕生している。
いまピアノ・コンテストだけに限ったとしても、
世界中でどれだけのコンテストが行われているのかまったく想像つかないが、おそらく相当な数だと思う。

毎年、相当な数の最優秀ピアニストが誕生していても、
彼らのすべてが名ピアニストと呼ばれるようになるわけではない。
国を越えて時代を越えて、同時代でも世代をこえて、
多くの人から名ピアニストと呼ばれるピアニストはほんの一握りの人たちだけだ。

名スピーカーシステムもそれに近いモノであるわけで、
私がADAMのColumn Mk3を「いいスピーカーシステム」と呼ぶ理由はここにあり、
「いいスピーカーシステム」は、名スピーカーシステムに次ぐ褒め言葉として、私は使っている。

Date: 11月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その2)

ずっと以前のオーディオ雑誌、レコード雑誌に載っていたレコード評の多くは、
演奏評と録音評とにわかれていた。

これもよく考えてみれば奇妙なことで、レコード評であるならば、
そしてそこにおさめられている音楽を評価するのであれば、演奏と録音を切り離して捉え評価すること自体に、
本来無理がある、ということはわりと指摘されていたことでもある。

レコード評は本来演奏と録音は密接不可分な関係であるだけに、
「このレコードは演奏はつまらないけれども、録音は素晴らしい」ということはありえない。
レコード評とはそういうものだと考えていても、
やはりつい「演奏は……」といったこともを口にしてしまうこともある。

こんなことをふと思い出したのは、太陽インターナショナルのブースでADAMのスピーカーシステムを聴いたからだ。

昨夜書いているように、ADAMのColumn Mk3よりも優秀なスピーカーシステムはいくつかある。
そういうスピーカーシステムとの比較となると(そういうスピーカーシステムは往々にして非常に高価だ)、
値段の違いを感じさせないわけではない。
Column Mk3よりも、オーディオ的に能力の高いスピーカーシステムを優秀なスピーカーシステムとしたら、
Column Mk3は、やはり「いいスピーカーシステム」と呼びたい。

レコードの録音について、優秀録音と名録音とがある。
このふたつはまったく同じものかというと、そうではない。
人によってことばの捉え方、定義は異ってくるから、
優秀録音と名録音をまったく同じものとして使っている方もいるけれど、
私のなかでは、このふたつの録音のレコードで、愛聴盤となっていくのは名録音だけである。
優秀録音盤が愛聴盤となることは、ない。

それは私のなかでは優秀録音とは、つまり「録音はいいけど、演奏は……」というものだからだ。

Date: 11月 3rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その1)

インターナショナルオーディオショウには約180のブランドが集まっているそうで、
それらすべて聴くことは時間的に無理があるし、気に入った音が鳴っているとついそのブースに留まってしまうと、
聴き逃してしまうモノのほうが多いかもしれない。

そういうなかで今年最も印象に残ったのは、ドイツのADAMのスピーカーシステムだった。
輸入元の太陽インターナショナル(元・大場商事)のブースの扉をあけたときに耳にはいってきた音が、
印象に残った。
素直に、いい、と思える鳴り方をしている。
何が鳴っているのかとスピーカーシステムの方をみると、初めてみるトールボーイの、
わりと素っ気ない外観の、しかもそれほど高価ではないだろうと思われるモノが立っていた。

私が聴いたのは、3機種ある中のトップ機種のColumn Mk3
価格はペアで税込み1,008,000円。

Column Mk3よりずっと高価なスピーカーシステムはいくつもある。
優秀なスピーカーシステムも、やはりいくつかある。
でも、Column Mk3は、素直に、いいスピーカーシステムと呼べる素性がある、と思う。

太陽インターナショナルのブースの扉をあけたとき耳にはいってきたのは、トランペットの音だった。
聴いた瞬間に、マイルス・デイヴィスだと、マイルス・デイヴィスの熱心な聴き手でない私の耳でも、
はっきりとわかる音を響かせていた。
しかもかけられていたディスクは、私は持っていないマイルス・デイヴィスのディスクだった。
にも関わらず、マイルス・デイヴィスのトランペットだ、と瞬間的に感じさせてくれる表現力をColumn Mk3は、
確実に持っている。

よく聴いている演奏家のディスクが鳴っていても、
いったい誰の演奏なのだろうか……と考え込ませるような音が鳴っていることも意外と多い。
この理由については、あえてここではふれないが、
そういう音があるなかで、ADAMのColumn Mk3は、確実に音楽を捉え鳴らしてくれている。
Column Mk3よりも優秀なスピーカーシステムは、たしかにある。
けれど、音楽を信頼できる音で鳴らしてくれるColumn Mk3より、
いいスピーカーシステムとなると、意外とすくないのが現状かもしれない。

Date: 8月 23rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その1・余談 鉄について)

鉄は磁性体だから……、と10代のころは、音に悪影響を与えるものであるし、
システムからできるかぎり取り除けるものであるならば取り除いていくべきのだと信じていた。

だからステレオサウンドにはいったころ、
そのころ田舎で使っていたオーディオ機器は持ってこなかったから、
手持ちのオーディオ機器はSMEの3012Rだけだった。
とにかく、この3012Rに似合うターンテーブルをはやくなんとかしたい、と思っていた。
これはいちど書いているけど、トーレンスのTD124の美品があった。
TD124IIだったら、おそらく買っていた。けれど、そのTD124は最初のTD124で、
つまりターンテーブル・プラッターが鉄でできているものだった。

このときはターンテーブル・プラッターが磁性体だと、
マグネットが大きいMC型カートリッジを使うと、カートリッジからの漏れ磁束と鉄の関係から針圧が増えてしまう、
それに磁性体は音を濁すものだという先入観から、購入はあきらめた。

でも、いまはTD124IIよりも、鉄のターンテーブル・プラッターのTD124を聴いてみたい、と思っている。
良質の鉄のターンテーブル・プラッターの、どういう響きをアナログディスク再生に加味するのか。

使うにあたっては、非磁性体のターンテーブル・プラッターのものより気を使うところは出てくるだろうが、
そんなことは、いまはどうでもいいことだと思っている。
だから、いまは、中途半端な先入観をもっていたため、貴重な経験を逃してしまった、と悔いている。

Date: 4月 14th, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×二十 補足)

A-Z1、S-Z1がいつまにか消えてしまっているのに気がついて、
実のところエソテリック自身も、この2つのモデルに関しては失敗作だと考えているんだな、
と、実は勝手に思っていた。

ところがA-Z1a、S-Z1aとなって復活している。
このことが、A100のデザインに対して感じていた疑問を、確信に変えた。

なぜ、これらを復活させるのか、
もしかするとエソテリックという会社は、A-Z1、S-Z1は出すのが早すぎた。
そのせいでユーザーに受け入れられなかった。
あれから時間も経ち、世の中も変り、A-Z1、S-Z1のデザインも受け入れられるようになった……、
そんなふうにでも考えているのだろうか。

そうとでも考えないかぎり、A-Z1、S-Z1を復活させる意味が理解できない。
これを堂々と復活させる感覚は、あきらかにおかしい。

Date: 3月 4th, 2011
Cate: ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十九 補足)

エソテリックのA-Z1、S-Z1が出た時に、これらのデザインについて否定的なことを書いていた人を知らない。
ほとんどの人が、いいデザインと評価していた。
なかには、エソテリックの資料からまる写し的な感じで、
パネルの加工には数時間を要する、だから素晴らしいみたいなことを書いている人もいた。

加工に時間のかかるパネルであることに間違いはないだろう。
だが手間、時間をたっぷりとかけて作られたから、優れたデザインというわけではない。
ていねいな仕上げが、いいデザインなわけではない。

それに、あのパネル・デザインに、まったく疑問を感じずに、
素晴らしい、とか、美しい、と平気で文字にできる感性はいったいどうなっているのだろうか。

私は、落胆した。
なぜこれだけの時間とお金をかけて、こんなふうにしてしまのうか、と。
なぜエソテリックはこれを製品化し発売したのか。

A-Z1、S-Z1を優れたデザインと認めてしまう組織なのか……。

A-Z1、S-Z1は、私の目にはそれほど話題にならず消えていってしまった、と映っていた。
やっぱりエソテリックも、失敗作だと思っていたのか、と実はすこし安心もしていた。

A-Z1、S-Z1に較べるとA100はまだまともとはいえ、
A100のパネルは、頬のこけた人の顔に見えてしまう。

A100もA-Z1、S-Z1同様、ていねいに仕上げられている。
でも、そこで満足してもらっては困る。

Date: 11月 19th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その8)

「音の怖さ」に関連したことでは、「言葉の怖さ」を知らないのか、と、つい思ってしまったブースがあった。

そこでは、あるディスクをかける前に、係の人が、聴きどころ、といおうか、
音の特徴について話したあとに音を鳴らす。
そこでの音の表現──、これが実感できる音が出てくれれば何も言うことはない。
人によって、音の表現は、同じ言葉を使ってはいても微妙に違うところがある。
そんなことは承知のうえで、ある音の表現に対して、こちらも、ある程度の幅をもって聴くようにはしている。

ある程度、そこでの音の表現にひっかかってくる音が出てくれば、納得できる。
でも、今回は、まったくひっかかってこない。

どういう音の表現がなされていたかをここで書いてしまうと、どのブースだったのか、バレてしまうため、
わかりにくい書き方で申し訳ないが、どう好意的に解釈しても、
音を鳴らす前に説明された音とはかなり違う音が鳴っていた。
鳴り終ったあとも、自信あり気に、こうだったでしょう、とくる。

そこではディスクを3枚聴いていたけれど、すべてその調子で、すべて外していた。
すなおにうなずけなかった。

聴くポイントが違っている、という次元ではない。
なにか思い込みだけで、そこで鳴っている音とは無関係に、ただ音を表現する言葉がむなしく響いていた。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(余談)

今年のショウでは、ちょっといい光景があった。

これまでのショウに来ていた人の中でいちばん若い兄妹。
お兄さんは、おそらく小学高学年ぐらい、妹は三年生か四年生かな、というふたりに、
ノアのブースの女性の方がこのふたりに
「今日聴かないと、もう聴く機会のないスピーカーがあるから、どうぞ」と声をかけ、あの重たいドアを開けていた。

“The Sonus faber” のことだ。
このふたりが、どう感じていたのかは知りようがないけれど、
アナログディスクが鳴っていたら、きっとなにかつよく感じるものがあったはず、と思っている。

Date: 11月 18th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その7)

別項の「使いこなしのこと」の最初のほうで書いているブースは、今年は、ひどかった。
昨年は、「おやっ?」と思うほど例年の平均レベルからすると、かなりまともな音を出していたから、
実はすこしは期待していた。今年は、去年と同等か、もしくはもっと良くなっているか、と。

でも、ブースに入った瞬間、すでに鳴っていた音は、そんなかすかな期待を見事に粉砕してくれた。
どこかがこわれているとしか思えない音だった。
後日聞いた話では、故障までいかなくても、装置に不備があったらしい。

だからといって、あの音を聴かせるのはどうか、と思ってしまう。
ショウだから、まともな状態で鳴らすのはたいへんなところもあるのはわかっている。
来場者のほとんどもそのへんのところはわかってくれている。
でも、今回の音は、もう音出しをすべきではない。そう思う。

きちんと説明すれば、楽しみにしてこられた方も納得されるだろう。
とりあえず聴かせればいいや(そういう考えがあったのかどうかはわからないが)、
少なくとも、今年のあのブースで鳴っていた音は、そんなふうにも感じさせる。

装置に不備があったことを知っている人はいい。けれど、知らずに、あの音を聴いていた人も少ない。
「音の怖さ」を、このブースの人たち、それにアナログディスクでなさけない音を出していたブースの人たちは、
身に沁みて知る機会がなかったのだろう、きっと。

Date: 11月 17th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その6)

“The Sonus faber” でつよい印象を残してくれたのはアナログディスクでの音だった。
そして、今年のショウは、昨年よりもアナログディスクの音を鳴らしていたブースが多かった──
たまたま私がそのブースに入ったときに鳴っていただけなのかもしれないけれど──ように思う。

いくつかのブースでアナログディスク再生の音を聴いてはっきりするのは、
出展社によるアナログディスク再生の技術にけっこうな差があること。
ディスクの扱い方、カートリッジを盤面におろすときなどを見ていると、
アナログディスク再生にのめり込んだ経験がないのではなかろうか、
とそんなことを感じさせたブースがあったのは、残念だと思う。

もっと残念なことは、そのレベルの未熟さを自覚していない、と思われること。

たまたま私が聴いた、アナログディスクを鳴らしていたブースのなかにはいくつか、
操作面での都合上だろうが、カートリッジを降ろす際に、ボリュウムをあげたままのところがある。
そのことは否定しない。
こういう場において、このときのノイズは、的確な判断材料となるためで、
このときの音は、ボソッ、ボコッ、ボッ、ポコッ、ポッ……とか、じつにさまざまな音であり、
アナログディスク再生にながくつきあってきた人は、どれが好ましい音なのかわかるはずだ。

あるブースでは、実に気持のいい感じで、このときの音が鳴っていた。
そのあとに続いて鳴ってきた音もよかった。

でもあるブースでは、実に汚い感じで、やや間延びしたような、
とにかく耳にした瞬間「あれっ?」と思うような音があった。
案の定、鳴ってきた音は “The Sonus faber” で聴けたアナログディスクの音とは対極の、
死んだような音で、まったく楽しめない。
そのブースで、CDは、まあ、そこそこの音で鳴っていた。
使っていたアナログプレーヤーも、世評の高い、価格もけっこうな額のきちんとしたモノだ。
断定はできないけれども、そのブースのアナログディスク再生に関する知識・技術・ノウハウの不足だろう。

それぞれの出展社の社員のなかには、
自分の意思で聴く音楽を選び、自分のお金でディスクを買うようになったとき、
すでにCD全盛時代のなかで育ってきた世代も増えてきたのかもしれない。
そういう人たちに、きちんとしたアナログディスク再生を望むのは、酷なことだろうか。

アマチュアならば、そういういいわけはできる。
けれど、少なくとも彼らはオーディオのプロフェッショナルであるべきだ。
そして、会社という組織は、プロフェッショナルを育てていくべきである。
そういう余力がないのか。もし個々の会社にそういう余力がなければ、
このショウの主催者である日本インターナショナルオーディオ協議会が協力して、
若い世代たちを、会社という垣根をこえて育てていくべきだ、と私は思う。

Date: 11月 15th, 2010
Cate: ショウ雑感
1 msg

2010年ショウ雑感(その5)

“The Sonus faber” にしても、XRT28とMC2KWのペア、どちらかが欲しい、というわけではない。
機会があれば、また聴きたいと思っている。

今年の同じ音が聴ける保証はないけれど、
おそらく来年のショウでもXRT28とMC2KWのペアの音は聴けるだろう。
“The Sonus faber” は全世界で限定30セットということで、
すでにほとんどが売れてしまっているということだから、
おそらく聴く機会はない、と思われる。
もういちど、というか、もう数枚、好きなアナログディスクを聴いてみたいという気持はつよくあるけれども、
それでは、”The Sonus faber” を自分のモノに、いつかしたい、という気持はまったくない。

手が届かない価格ということは、もちろんあるけれど、それ以上に、どちらもスピーカーシステムも、
いったいどれだけ広い空間を要求するのだろうか。
そのことを考えると、私の、すくなくともいまの音楽の聴き方には、
このふたつのスピーカーシステムの世界は似合わない。

“The Sonus faber” はエンクロージュアの片側の側面に38cm口径のウーファーがある。
ウーファーを外側にした場合、側面の壁との距離は最低でも1.5mは確保しなければならないらしい。
内側にしたら、最低でも左右のスピーカーの間隔は3mは必要となる。
メーカー側からは、最低でも床面積50㎡は必要、とのこと。

この50㎡は、おそらくぎりぎりのものかもしれない。
昔の感覚でいえば、JBLの4343を6畳間にいれているようなものに近いのかもしれない。

以前にも書いているように、使いたい、鳴らしたいスピーカーシステムであれば、
部屋にはいりさえすれば、かなり大きくても……、という考えをもっていても、
マッキントッシュとソナス・ファベールの、それぞれのシステムは、最低でも30畳、
もっと広い空間を要求してくれように感じている。

たとえそれだけの空間が自由にできる環境にあったとしても、
音楽を親密に聴くために、それだけの空間は、むしろ広すぎるようにも思う。

だから、ショウで1年に一度聴ければ、それで私は満足できる。
そして、その意味で、このふたつのスピーカーシステム、
特にひじょうに高価な “The Sonus faber” は、夢のあるオーディオ・コンポーネントといえるのだろうか。
そういう疑問もわいてくる。

Date: 11月 14th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その4)

“The Sonus faber” を鳴らしていたパワーアンプはソウリューションのモノーラルタイプだったから、
おそらくコントロールアンプもCDプレーヤーもソウリューションだったであろう。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD550だった。

CDのときとアナログディスクのときとでの音の違いは、
ソウリューションのCDプレーヤーとトーレンスのアナログプレーヤーとの音の差によるものだったのか、
それともアナログディスクとCDという、プログラムソース側の特質の差によるものだったか、
どちらなのかを判断することは、あの場ではできない。

それでも、ただ直感だけでいわせてもらえるなら、
CDとアナログディスクの違いによるものが大きいように思っている。

もちろんトーレンスとソウリューションという違いもそこに加わってものだということはわかったうえで、
それでもトーレンスのプレーヤーでアナログディスクを鳴らしているときの “The Sonus faber” は、
楽しい音、と書くよりも、愉しい音、としたほうがぴったりくる。

さきほど聴いたスピーカーとは思えないほど、その表情が違っている。
私が聴くことのできたアナログディスクは2枚でおわった。
そのあと、またCDで鳴らされている。たしかに、これは、さきほど聴いた音である。

何が悪い、というわけではないけれど、アナログディスクでの音を聴いた直後では、
よけいに魅力を感じにくくなっている。< アナログディスクで鳴っている "The Sonus faber" の音を聴いていて想いだしていたのは、 1980年前後のオーディオの愉しさだった。 なぜだか、あのころのオーディオへのひたむきな気持がよみがえってきたような感じもあって、 「あぁ、これだ!」と心の中でつぶやきながら聴いていた。 それは決して "The Sonus faber" の音が、その当時の音だということではない。 ただ、アナログディスクでの "The Sonus faber" から出てきた音のなにかがトリガーとなって、 そういう気持になっただけのことかもしれない。 さすれば個人的な印象の領域を一歩もでないことゆえに、 読んでくださっている方の参考にはまるでならないことだろう。 それでも......、それだからこそ、今回のショウで聴くことのできた音の中では、 "The Sonus faber" の音がもっとも印象的ではあった。

Date: 11月 13th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その3)

ノアのブースでは、ソナス・ファベールの “The Sonus faber” が鳴っていた。
ノアのサイトでも、ある個人サイトでも書かれているように、
この、全世界で30セットの限定発売のスピーカーシステムが、
今年のステレオサウンド誌のグランプリに選ばれている。

ショウの前にそのことは知らされていたから、やはり興味は増す。
正直にいうと、最初にブースに入ったとき鳴っていたのは拍子抜けするような音で、
早々に他のブースに移ってしまった。
別にどこが悪いとか、欠陥があるとか、そういう意味合いではなくて、グランプリに選ばれた、ということ、
それに1組2千万円という価格──、これらによって期待度は自然とふくらむ。
そうやって聴くものだから、
それにこれだけのシステムがそう易々と本領発揮という鳴り方をするわけでもなかろう。

そんなことはわかっていても、最初に耳にした、その音は、こちらの勝手な期待には達していなかった。

それに、いままでのソナス・ファベールの他のスピーカーシステムとはやや趣がちがって、
武骨な面も外観に感じられて、同社のスピーカーとしては、やや異色な存在とも感じていたところもある。

それでもぐるっと他のブースを廻ったあとで、ノアのブースの前を通ったとき、ドアが開いて音が聴こえてきた。
さっき聴いた音とはあきらかに、感じが違う。そう感じて、ふたたびノアのブースに入っていた。

最初のときは、椅子に空きがあってもべつに坐って聴こう、とは思わなかった。
今度は、空きを見つけて、さっと坐る。

坐ってすぐに気がついたことは、アナログディスクが鳴っていたということ。
さっき聴いた音は、CDで鳴っていた。

Date: 11月 12th, 2010
Cate: ショウ雑感

2010年ショウ雑感(その2)

MC2KWで鳴らされるXRT28の音を聴きながら思い出していた瀬川先生の文章の次のものだ。
    *
中でもアメリカ東海岸で作られるスピーカーにこの手の音が多いと私は感じる。東海岸というとボストンで作られるKLHやアドヴェント、ボーズなど。それにニュージャージイで生れるボザークなどだ。また、これらのスピーカーは、日本の六畳や八畳ていどのせまい部屋で鳴らすと、いっそう精彩を欠いた、ディテールの反応の鈍い音がする。鈍重でしかも乾いているというのでは、全くとりえがなさそうに思えそうだ。ところが、これらのスピーカーをライヴな広い部屋に入れて、部屋いっぱいを満たすような音量で鳴らすと、実に豊かで朗々とよく響く、耳当りの柔らかくしかも充実感のたっぷりした気持の良い音を聴かせる。
     *
後半部分に書かれている東海岸生れのスピーカーの良さ──、
それがマッキントッシュ・ジャパンのブースではたしかに鳴っていた。

パワーアンプの出力はどの程度必要か、ということは、
使用するスピーカーシステムの能率、部屋の広さ、響きの多い少ない、
鳴らすプログラムソースや聴く音量によって、その値は大きく異ってくる。

2kW(2000W)もの出力が、必要なのかどうかは、少なくともいまの私には不要なほどあまりある大出力だが、
この日のマッキントッシュ・ジャパンのブースでは、その必要性だけで優位性が、音として鳴っていたと思う。

ショウという条件下で、あれだけ朗々とよく響く、気持の良い音を出していたことは、
それだけでたいしたことではないだろうか。
まったく不満を感じさせない音なわけではない。
それでも、このアメリカ東海岸の音の特質を、これだけきちんと響かせていたこと、
そしてそれも1970年代までの、色濃い東海岸の音、
高域のレベルをあきらかにおさえていた時代の乾いた音ではない。

高音域の繊細さをことさら強調しないという意味では、
高域をややおさえているということにつながるのだろうが、
少なくとも帯域バランス、音色上のバランスで、
はっきりとした東海岸サウンドの特徴は、もうほとんどないのだろう。

だからなのだろう、もうひとつの特徴である部屋いっぱいを満たす豊かさが洗練されてきている。
そんな感じを受けていた。

マッキントッシュという会社は、
真空管アンプの時代から、つねにその時代時代において大出力アンプをつくってきた。
いまさらだが、このことも東海岸サウンドとつよく結びついているということも感じていた。

ただこのシステムを、狭い空間にはもち込むのはやはり無理があるだろう。

’70年代には、アルテックのA5を6畳間で鳴らしていた人がいたということを瀬川先生が書かれている。
小音量でひっそりとA5を、その人は鳴らし、飼いならされていた、とあった。
そういう鳴らし方も、XRT28とMC2KWの組合せは可能だろう(ただし電力線を引き込む必要はあるだろうが)。

でも、今回のショウで耳にすることのできた、あれだけの大音量でも耳当りの柔らかく充実した音を聴いたあとでは、
それだけの空間が得られないかぎり、別のスピーカーシステム、アンプの組合せを選ぶ。
その意味では、私個人の生活には無縁ということになる。

それだからこそ来年もマッキントッシュ・ジャパンのブースで、
今回の音が聴けることを、できれば上廻る音が聴けること望んでいる、また楽しみにしている。