2011年ショウ雑感(その2)
ずっと以前のオーディオ雑誌、レコード雑誌に載っていたレコード評の多くは、
演奏評と録音評とにわかれていた。
これもよく考えてみれば奇妙なことで、レコード評であるならば、
そしてそこにおさめられている音楽を評価するのであれば、演奏と録音を切り離して捉え評価すること自体に、
本来無理がある、ということはわりと指摘されていたことでもある。
レコード評は本来演奏と録音は密接不可分な関係であるだけに、
「このレコードは演奏はつまらないけれども、録音は素晴らしい」ということはありえない。
レコード評とはそういうものだと考えていても、
やはりつい「演奏は……」といったこともを口にしてしまうこともある。
こんなことをふと思い出したのは、太陽インターナショナルのブースでADAMのスピーカーシステムを聴いたからだ。
昨夜書いているように、ADAMのColumn Mk3よりも優秀なスピーカーシステムはいくつかある。
そういうスピーカーシステムとの比較となると(そういうスピーカーシステムは往々にして非常に高価だ)、
値段の違いを感じさせないわけではない。
Column Mk3よりも、オーディオ的に能力の高いスピーカーシステムを優秀なスピーカーシステムとしたら、
Column Mk3は、やはり「いいスピーカーシステム」と呼びたい。
レコードの録音について、優秀録音と名録音とがある。
このふたつはまったく同じものかというと、そうではない。
人によってことばの捉え方、定義は異ってくるから、
優秀録音と名録音をまったく同じものとして使っている方もいるけれど、
私のなかでは、このふたつの録音のレコードで、愛聴盤となっていくのは名録音だけである。
優秀録音盤が愛聴盤となることは、ない。
それは私のなかでは優秀録音とは、つまり「録音はいいけど、演奏は……」というものだからだ。