2014年ショウ雑感(プロフェッショナルとは・その4)
何をもってオーディオのプロフェッショナルというのか。
こまごま書く気は、いまはない。
ただひとつだけ書きたいことがある。
ハイエンドオーディオショウで言い訳ばかりしていた人、
オーディオ・ホームシアター展で隣の出展社の悪口を、来場者に聞こえるようなところで話していた人、
このふたりに決定的に欠けていたのは、清しさだと思う。
何をもってオーディオのプロフェッショナルというのか。
こまごま書く気は、いまはない。
ただひとつだけ書きたいことがある。
ハイエンドオーディオショウで言い訳ばかりしていた人、
オーディオ・ホームシアター展で隣の出展社の悪口を、来場者に聞こえるようなところで話していた人、
このふたりに決定的に欠けていたのは、清しさだと思う。
オーディオ雑誌におけるショウ関連の記事は、誰のためのものだろうか。
ショウを開催した人たちを満足・納得させるためのものではない。
ショウに行きたくとも行けない・行けなかった人たちのものである、と私は考える。
私自身がずっとオーディオフェアに行きたい、と思っていたから、余計にそうだ。
東京に住んでいても、都合がつかない人は大勢いることだろう。
多くの人は土日は休みだけれど、そうでない職種の人も多い。
仕事の都合はついても、その他の都合がつかないことだってある。
行きたくとも行けない。
そういう人たちにとっての記事であってほしい、と私は思う。
そういう記事を、中学生のころから求めていた。
この気持は、オーディオに興味を持ち始めた時から、
オーディオフェアやオーディオショウに行くことが出来ていた人には生れてこないものかもしれない。
ステレオサウンドが以前二冊出したオーディオフェアの別冊は、
インターネットがなかった時代ならば、あの編集でもよかった。
けれどそれから30年以上が経過して、時代は変っている。
ショウに来れなかった人は何が知りたいのか、何を求めているのか。
それに応えるためには、どういう記事を編集すべきなのか。
その答が、ショウ終了後の取材であり、
各ブースのスタッフの人たち、各ブースでデモもしくはプレゼンテーションを行った人たちへの取材である。
以前のオーディオフェアには、プロトタイプが展示されていることがあった。
製品化されるかどうかはわからないけれど、その時点での最新の技術による、独自のモノがあった。
いま、プロトタイプの展示はまずない。
製品化の一歩前の製品が展示されていることはある。
でも、それらは新製品として、いずれオーディオ雑誌の新製品紹介のページに登場してくる。
だから、このブースには、こういうアンプ、スピーカーが展示されていました、と、
写真と簡単な文章が誌面に載っていても、関心をもつ人がそれほどいるとは考えられない。
それにショウ関係の記事は、いまではメインの記事扱いではない。
特にステレオサウンドでは12月発売の号は、毎年恒例のステレオサウンド・グランプリとベストバイであり、
このふたつにページ数の多くは割かれてしまう。
他の記事に割り当てられるページ数は残り僅かである。
ショウに実際に行けば毎年実感するのだが、
くまなく取材していこうとすれば、三日でも足りない。
各ブースでは、スタッフによるデモも行なわれれば、オーディオ評論家によるデモもある。
それらをひとつひとつ取材していくのは、編集部総出で三日間来ても、十分な取材といえるかどうかである。
いまショウ関連の記事を、ベテランの人が書く、ということはまずない。
けれど昔は違っていた。
ステレオサウンド別冊のオーディオフェアのムックの巻頭は、岡先生が書かれていた。
七頁にわたる記事である。
こういう記事を読みたい、と思うが、いまの筆者で書ける人は誰がいるだろうか、と考えると、
私には思い浮ばない。
それに岡先生の記事が、いまの時代、ベストというわけでもない。
いま私がオーディオショウ関連の記事で望むのは、ショウが終った後の取材である。
インターナショナルオーディオショウが終った。
オーディオ・ホームシアター展も、ハイエンドオーディオショウも終った。
あとは今週末のヘッドフォン祭で、秋のオーディオ関係の催し物は終る。
(大阪は11月にショウがあるけれども)
11月以降発売になるオーディオ雑誌には、これらのショウのことが記事として載る。
けれど、どのオーディオ雑誌の、ショウ関連の記事にはまったく期待していない。
この記事は、いま必要なのだろうか、と編集者は考えていないのだろうか、とも思う。
これだけインターネットが普及していると、
ショウの初日は各ブースの写真が、いくつかのサイトやブログで公開される。
個人サイトもあれば、出版社のサイトもある。主催者のサイトやfacebookにも写真が載る。
どのブースの音がどうだったとか、その他いろいろなことが、やはりサイトやブログ、掲示板にも書きこまれていく。
私だって、こうやって書いている。
これらが一段落した後に、オーディオの雑誌は出る。
そこに何を書くのか。
ほんとうに難しくなってきた。
写真にしても、インターネットにはページ数の制約がないから、載せようと思えばどれだけでも載せられる。
しかもサイズも大きくできるし、カラーである。
もちろん世の中のオーディオマニアの全員がインターネットをやっているわけではないことはわかっている。
その人のためにも、オーディオ雑誌での記事が必要、ということなのか。
けれど、それにしては記事のボリュウムが少なすぎる。
オーディオのプロフェッショナルとはいうことでは、このことを書いておきたい。
オーディオ・ホームシアター展でのことだった。各ブースをまわっているときだった。
エレベーターホールのところで、どこかのブースの人が、別のブースの人に対して愚痴を言っているのが聞こえた。
ひどい音だ、耳が痛くなる。
そんなことをけっこう大きな声で、ほとんど一人で話しているが聞こえてきた。
私はそれほど近いところにいたわけではなかった。
それでもはっきりと聞こえてきていた。
どこのブースの人なんだろう……、こんなところで話すことではないだろう、と思っていた。
あるブースに入った。
オーディオ・ホームシアター展でも、ハイエンドオーディオショウと同じようなやり方のブースがあった。
ひとつの広めのブースを複数の出展社で使う、というものである。
そのブースは、ピストニックモーションではないスピーカーシステムが鳴っていた。
そのスピーカーの、製品としての完成度はお世辞にも高い、とはいえなかった。
それでも、面白い音だと感じていた。
いい悪いは、ほんの短い時間しか聴けなかった。
二分ほどだったろうか。
同じブースの、別の出展社の人が、腕時計を指さして、「あと一分」とにらんでいた。
この「あと一分」と言っていた人が、さきほどエレベーターホールで愚痴を言っていた人だった。
このスピーカーのことを貶していたのか、この音のことを言っていたのか、とわかった。
人の評価基準はさまざまだったりする。
だから、ある種の音を認めない人がいるのも知っている。
けれど、愚痴を言っていた人も、オーディオのプロフェッショナルであるべきだ。
嫌いな音だからといって拒絶するのではなく
そこで鳴っていた音から良さを聴き出そうとする姿勢をもってこそ、プロフェッショナルである。
そこまで求めてはいけない時代が来ているのかもしれない、と感じた。
それにしても、アマチュアのように、一般来場者に聞こえるように愚痴をいうのはやめるべきだ。
プロフェッショナルとしての最低限のマナーのはずだ。
誰もが最初はアマチュアである。
いまは著名なメーカーの代表者でも、創業する前はアマチュアといえよう。
けれど、生き残っている、そういった会社の代表者は、もうアマチュアではない。
プロフェッショナルになったからこそ、生き残れたのではないのか。
今日聴いた、非常に高価な国産スピーカーの代表者は、あれこれ言い訳を口にしていたが、
こういうショウで、いい環境などあまり期待できないことは、もう常識ともいえる。
それでも、インターナショナルオーディオショウでも、ハイエンドオーディオショウでも、
プロフェッショナルならば、与えられた環境でなんとかしようとするし、言い訳に終始したりしない。
それにあえて書くが、このメーカーのセッティングを裏にまわり混んでみたわけではなく、
あくまでも座ったところから見える範囲内でも、
これだけ高価なスピーカーシステムにふさわしいとはいえないセッティングであった。
むしろひどいセッティングといえた。
言い訳を口にする前に、彼はやること(やれること)が数多くあった、と私は見ている。
それをほとんどやらずに、言い訳だけでは、残念ながら彼はプロフェッショナルではない。
インターナショナルオーディオショウもハイエンドオーディオショウも、
オーディオのアマチュアの発表の場ではない。
高価なスピーカーシステムのほんとうの実力はよくわからない。
それに、これだけのモノを、よく作ったものだと感心する(それがいいモノかどうかはわからないけれど)。
それだけに、これだけのモノを扱っていくのに、彼はアマチュアすぎないか、と思った次第だ。
彼はオーディオのプロフェッショナルになれるのだろうか。
ハイエンドオーディオショウにも行ってきた。
あるブースにはいって、このスピーカーも出ていたのか、と気づいた。
そのスピーカーシステムとは、国産で、けれど非常に高価である。
よく桁が違う、というけれど、文字通り桁の違う価格である。
ハイエンドオーディオショウは、これまでの交通会館から、今回の会場に変更になった。
デモのやり方は基本的に同じで、ひとつのブースを複数の出展社が使うため、
デモの時間割が決っている。
その高価なスピーカーシステムが置かれていたブースは三社が使っていた。
しかも決して広くはない。
条件的にはよくないことは、音を聴かずともわかる。
とはいえ、非常に高価なスピーカーシステムのメーカーの代表者は、言い訳ばかりだった。
正直、音は到底その価格とは思えないレベルであった。
代表者は、これまで聴いた、このスピーカーのいちばんひどい音です、といっていた。
そうなのかもしれない。
だから、このスピーカーシステムの型番もメーカーも書かない。
でも、とそれでもいいたい。
少なくともオーディオ機器をつくって、誰かに売るのであれば、
その人はプロフェッショナルであるべきだ。
にも関わらず彼の言い訳は、彼がいまもアマチュアのままでいることを、
そのブースにいた人たちに白状しているのと同じである。
ステレオサウンドのオーディオフェアの別冊に「オーディオフェア/会場こぼればなし……」という記事がある。
それによると、施工期間は三日間しかない、とある。
あれだけのブースを三日間で、となると、業者の人たちの雰囲気がやや殺気立っていたのもわかる。
工事関係者は約二千五百人とある。しかも徹夜で行なわれるそうだ。
撤去は一日で行なわれる、とのこと。
各ブースの費用は、何千万円もかかる、とも書いてある。そうだと思う。
晴海の国際見本市会場はもともとは保税倉庫として仮設されたものらしい。
そのためなのか、小さな換気用の天窓以外に窓はなく、
そのためオーディオフェア会期中は天井に500Wの水銀灯が一館あたり約三百個取り付けられている。
会場はL館、R館とあるため、これだけで30万W。
これに各ブースでの、オーディオ機器への給電、照明、クーラーなどの電力を加えると、
60万Wの消費電力になっていたらしい。
今週末(17、18、19日)、オーディオ・ホームシアター展が開催される。
日本オーディオ協会主催の、オーディオフェアの現在のかたちである。
私を含めて、インターナショナルオーディオショウには行くけれど、
こちら(以前は音展、AVフェスタだった)には行かない、という人は少なくないどころ、多いと思う。
インターナショナルオーディオショウには行った、という話は聞くけれど、
音展、AVフェスタに行った、という話は、十年以上に聞いたことがない。
今回インターナショナルオーディオショウに行き、
ヤマハのプレゼンテーションを見てきたことも、今回行こうと思ったきっかけになっている。
それに今年はテクニクスが復活した。
発売は来年(テクニクス誕生50周年にあたる)からだが、間違いなく展示されているだろうし、
音も聴けるはずだ。
オーディオフェアが盛況だったころと、どう違っていて、同じなのかも感じてきたいと思う。
それからハイエンドオーディオショウも、
同じ日程で近隣の会場で開催される。
インターナショナルオーディオショウの前身である輸入オーディオショウも第一回開催のとき、
前日の夕方に会場となる九段下のホテルに行っている。
輸入商社のスタッフの方たちが器材の搬入、開梱、設置など慌ただしくされているところへおじゃました。
ショウの前日搬入、しかもホテルという、搬入条件の決してよくないところへ、
いくつもの搬入が重なるわけだから、想像するよりも大変な作業であったはずだ。
それでも誰もが活き活きとされていたように記憶している。
オーディオフェアの会場に開催前に行った時に感じた雰囲気とはまるで違っていて、
ショウとしての規模は比較にならないほど小さくなっているけれど、いい感じがしていた。
オーディオフェアも先輩に連れられて取材に行っている。
けれど、あくまでも取材であり、そこへ参加しているというようなことは感じなかった。
けれど輸入オーディオショウは、もちろん初日に取材で行っているわけだが、
どこか参加していると感じさせてくれる雰囲気があったように記憶している。
輸入オーディオショウには、オーディオフェアのようなブースはない。
ホテルの部屋が、各出展社のブースであり試聴室である。
ようするに、こぢんまりとしている。
このこぢんまりとしているところから始まったことが、
輸入オーディオショウ(いまのインターナショナルオーディオショウ)のいいところでもあり、
ここ数年感じられるようになってきた悪い面にもなってきているのではないだろうか。
ステレオサウンドにいたころ一度だけ開催前の国際見本市会場に入ったことがある。
オーディオフェアのブースの準備期間中である。1982年のことだ。
前年が私にとってはじめてのオーディオフェアだった。
会場の、開催期間中の雰囲気は知っていたけれど、準備期間中の雰囲気には圧倒されてしまった。
そこにいる人たちは施工業者や出展社の人たちばかりである。
こういう場がはじめての者は、どうしたらいいのかわからなくなってしまうほど、
それまで見たことのない光景がそこにはあった。
当り前のことなのだが、オーディオフェアのような規模の展示会では、
準備期間もそれだけ必要となる。
いったい何日間だったのだろうか。
そして約1週間の開催。フェアが終了すれば撤去作業が始る。
撤去も一日で終っていたとは思えない。
オーディオフェアにはコンパニオンもいた。
彼女たちの服もメーカーが用意する。
カタログもかなりの量、用意する。
その他にもこまごまとしたものが必要となっていたはずだ。
あのころ大手のオーディオメーカーの出展費用の大きさ。
それだけかけているからこその、独特の熱気がオーディオフェアにはあった、といまになって感じている。
アキュフェーズ(当時はケンソニック)の創立者である春日二郎氏の著書「オーディオ 卓美のこころを求めて」に、
こんな記述がある。
*
オーディオ・フェアが10月24日から開かれるが当社は出品しない。これには数百万円の費用がかかり、それだけの効果が期待できないこともあるし、今の当社にはそれだけの経費は負担できない。「出さない話題性」も有効だし、アキュフェーズは別格だというイメージを作り出したい。
*
1975年に書かれている。
数百万円が、二百万円なのか五百万円なのか、それとももっと翁金額なのか、そこまではわからない。
それに1975年はいまから約40年前である。
当時の物価で考えれば、かなりの金額なのだろう。
ステレオサウンドの1980年のオーディオフェアの別冊をいま見ているが、
アキュフェーズ(ケンソニック)の名前はない。
1975年からオーディオフェアには出ていなかったか。
オーディオフェアの、このころの規模は大きかった。
1981年は招待日を含めて六日間(ただこれは会場の都合で前年より二日短くなってのことだ)。
つまり一週間ほど開催されていた。
各社、晴海の国際見本市会場にブースを設置する。
メーカーによってブースの広さは違う。
アキュフェーズが1975年以前はどのくらいの広さのブースだったか知らないが、
おそらくそう大きくはなかったと思われる。
それでも1975年の時点で数百万円である。
1981年ごろ、国内メーカーの大手は、この一週間のために、どれだけの費用を用意していたのだろうか。
私が勤めていたころのステレオサウンドは社員の数は20名くらいだったか。
社員の数だけで判断すれば、小さな会社ということになる。
輸入商社もそんなに大きな会社ではなかった。
同じくらいだろうか。
国内メーカーは、ほとんどが大きな会社といえる。
資本金、社員数からして、桁が違う。
そんな大きな会社の中でも、さらに大きな会社というのは存在する。
さらに大きな会社は、大きな会社よりも桁が違う。
私がステレオサウンドにつとめていた七年間で、
「やはり大会社の人たちは違う」と感じたことが、二回あった。
キヤノンの人たちとテクニクス(松下電器産業)の人たちである。
私はこれまで大きな会社で働いた経験はない。
誰もが会社名を知っている一部上場企業で働くということが、
どういうものなのかは勝手に想像することしかできない。
キヤノンや松下電器産業といった規模の会社で働くということが、
20人くらいの規模の会社で働くということと、何が同じで何が決定的に違うのか。
それについて、はっきりしたことは何も書けなくとも、はっきりと違うものを感じていた。
最近、このことを思い出させることに出会すことが増えてきている──、そんな気がしているし、
今年のインターナショナルオーディオショウでも、そんなふうに感じてしまうことがあった。
以前はオーディオ評論家に依頼していたところも、昨年あたりから、
自社スタッフによるデモ(プレゼンテーション)を行うところが増えてきている。
それをもの足りなく感じる人もいれば、むしろ好ましいと感じる人もいる。
どちらか一方になってしまうよりも、いろいろあったほうがいいと思う。
ただひとつ気になるのは、自社スタッフの場合、試聴ディスクをかけかえる。
その時に、いったい、この人は誰に向って話しているんだろうか、といいたくなる人が何人かいた。
限られた時間内でできるだけ試聴ディスクを多くかけたい、という気持からなのかもしれないが、
CDをジャケットにおさめながら(取り出しながら)、次にかけるディスクの紹介をする。
これは何も問題ではない。
その時に、椅子に坐っている来場者と同じ方向を見ながら話している。
なぜ、来場者の方に顔を向けて話さないのだろうか。
なにか不思議な光景でもあった。
顔を来場者に向けて話すだけでいいのに、
そういう意識がまったくないのか、ディスクのかけかえの度に、顔の向きは違っていた。
インターナショナルオーディオショウはもともとは輸入オーディオショウから始まっている。
オーディオフェアとは、だから違う側面がある。
輸入オーディオショウ以前のオーディオフェアにも輸入商社は出展していたが、
やはりオーディオフェアの主役といえるのは国内オーディオメーカーといえた。
今年のインターナショナルオーディオショウで、
三つのブースでソニー・ロリンズのSaxophone Colossusが鳴っていた。
たまたま入ったブースで鳴っていたわけで、こういう偶然はおもしろい。
これまでインターナショナルオーディオショウでSaxophone Colossusがかかっていたのに出会したことはなかった。
あったのかもしれない。
けれど、Saxophone Colossusが鳴っているときに、そのブースに私が立ち寄らなかっただけなのかもしれない。
そうだとしても、今年はたまたま立ち寄ったブースの三つで鳴っていたのだから、
これは何かの啓示だ、とまでは思わないまでも、何かを考えさせるきっかけにはなる。
どのブースのSaxophone Colossusがどう鳴っていたかを、ことこまかに書こうとは思っていない。
書きたいのは、前々から感じていたことを、Saxophone Colossusのおかげで確信できた、ということである。
どこといってケチをつけるところはない音なのに、なにかが違うと感じるスピーカーがある。
スピーカーだけに限らない。アンプにもそういうのがあるし、カートリッジにも、他のにもある。
ただスピーカーに特に顕著であるから、こういうショウでいくつものスピーカーシステムを聴いていると、
そして今回のように同じ音楽(Saxophone Colossus)を三つのブースで聴く機会があれば、
そんな違和感的なものを感じてしまうことがある。
なんなんだろう、とときおり思い出しては考えていた。
インターナショナルオーディオショウという場なので、こまかな不備による音についてあげつらう気はない。
もっと、そのスピーカーがもつ本質的なところで感じるものの正体は、
音楽のアクセントの表現であることに気づいたのが、二年ほど前である。
明らかに音楽のアクセントがスタティックなスピーカーがある。