Archive for category 五味康祐

Date: 9月 16th, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その2)

マッキントッシュのMC3500について書かれていることを、また引用しておこう。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプ〝MC三五〇〇〟が発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
     *
こういう五味先生だから、930stと927Dstに関してもそう思われていたのかも……、と思ってもいた。
マッキントッシュのMC275とMC3500の比較、
EMTの930stと927Dstの比較は、どこか共通するものがあるといえるからだ。

けれどステレオサウンド 50号の「続・五味オーディオ巡礼」で、
スチューダーのC37を手に入れられたことを書かれているのう読んで、
ならばアナログプレーヤーも927Dstではないのか……、と思ってしまう。
     *
最近プロ機のスチューダーC37を入手して、欣喜雀躍、こころを躍らせ継いでみたら、まったく高域にのびのない、鼻づまりの弦音で呆っ気にとられたことがある。理由は、C37は業務用だからマイクロホンの接続コードをどれ程長くしてもINPUTの音質に支障のないよう、インピーダンスをかなり低くとってあるため、ホームユースの拙宅のマランツ♯7とではマッチしないと知ったのだ。かんじんなことなので言っておきたいが、プリアンプとのインピーダンスが合わないと、単にテープの再生音がわるいのではなく、C37に接続したというだけでレコードやFMの音まで鼻づまりの歪んだ感じになってしまった。愕いてC37を譲られた録音スタジオから技術者にきてもらい、ようやくルボックスA700やテレフンケン28Aで到底味わえぬC37の美音に聴き惚れている。
     *
スチューダーのC37のことは、「五味オーディオ教室」もほんのわずかだが書かれていた。
     *
 いい音で聴くために、ずいぶん私は苦労した。回り道をした。もうやめた。現在でもスチューダーC37はほしい。ここまで来たのだから、いつか手に入れてみたい。しかし一時のように出版社に借金してでもという燃えるようなものは、消えた。齢相応に分別がついたのか。まあ、Aのアンプがいい、Bのスピーカーがいいと騒いだところで、ナマに比べればどんぐりの背比べで、市販されるあらゆる機種を聴いて私は言うのだが、しょせんは五十歩百歩。よほどたちの悪いメーカーのものでない限り、最低限のトーン・クォリティは今日では保証されている。SP時代には夢にも考えられなかった音質を保っている。
 家庭で名曲を楽しむのをレコード音楽本来のあり方とわきまえるなら、音キチになるほど愚の骨頂はない、と今では思っている。
     *
「五味オーディオ教室」は私が読んだ最初のオーディオの本であるから、
スチューダーのC37がどういうモノなのかは、まったく知らなかった。

でもステレオサウンド 50号のころは知っていた。

Date: 9月 15th, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その1)

五味先生のスピーカーは、いうまでもなくタンノイのオートグラフ。
アンプは最初はQUADの管球式で鳴らされた。
その後、いろいろなアンプを使われている。

最終的にはマッキントッシュのC22とMC275の組合せである。
MC275は、岩竹義人氏の手によって内部配線を銀線に交換されたモノなのかもしれない。

アンプはC22、MC275の他にカンノ製作所の300Bシングルを晩年は使われていた。
コントロールアンプはマークレビンソンのJC2も使われていた。

アナログプレーヤーはEMTの930stを長いこと愛用されていた。
私はてっきり930stの専用インシュレーター930-900も使われていると思っていた。

ステレオサウンド 55号に載った五味先生のリスニングルームの写真。
930stは930-900なしの状態だった。
意外だった。

ステレオサウンドの原田勲氏との仲からいって、
930-900の評判を知らずにいたとは思えない。
だから930-900を使われているものだと思いこんでいた。

アナログプレーヤーに関しては、927Dstの導入を考えられなかったのか、とも思う。
927Dstの音は聴かれている。
930stと直接比較をされたのかどうかははっきりしないが、
されていないくとも930stとの実力の差がどれだけのものかは掴んでおられたはずだ。

それでも927Dstにはされなかった。
でも一方でオープンリールデッキは、スチューダーのC37を導入されている。

それまで使われていたオープンリールデッキが930stクラスだとすれば、
C37ははっきりと927Dstクラスのモノである。

なぜだろう、と昔から思っていた。
いまも思っている。

Date: 8月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(雑器の美)

五味先生の「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」と柳宗悦氏の「雑器の美」。
どちらも読んでほしい、と思う。

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読んでいる人は、一度「雜器の美」を読んで、
もういちど「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」を読んでほしい。

そう思った理由は書かない。
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」と「雜器の美」を読めば、わかってもらえると思うからだ。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: 五味康祐

近頃思うこと(続・五味康祐氏のこと)

自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。
(ゲーテ格言集より)

これだけだから、ゲーテのいうところの一生の初めが、どこなのか定かではないが、
五味先生の
《人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない》
と、ゲーテも同じに捉えていたようにも思えてくる。

そうおもえてくるだけなのだが……

Date: 8月 8th, 2016
Cate: 五味康祐

近頃思うこと(五味康祐氏のこと)

五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。

もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。

「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。

マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。

七年前、別項「五味康祐氏のこと」の(その5)で書いたことを再掲した。
五味先生の洞察力の凄さはに関しては、いまもそう感じている
その五味先生がこんなことを書かれている。
     *
人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない。
(「妓夫の娘」──或るホステスの自殺 より)
     *
近頃、この一節を何度も頭のなかでくり返している。

Date: 7月 23rd, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その7)

迷走していくかもしれないとわかっていても、
パブロ・カザルスのことが頭に浮んでくるし、追い払えないでいる。

ここでのカザルスの演奏とは、チェリストとしての演奏ではなく、
指揮者としてのカザルスの演奏のことである。

ベートーヴェン、シューベルト、ハイドン、バッハ、モーツァルトなどの録音が、
CBSに残されている。
いずれもライヴ録音である。

ベートーヴェンの交響曲第七番で、指揮者カザルスを知った。
驚いた。
フルトヴェングラーの演奏はすでに聴いていた。
カルロス・クライバー、カラヤン(ベルリンフィルハーモニーとフィルハーモニー)、
その他にも聴いていた。
そのころ、ベートーヴェンの交響曲の中で、頻繁に聴いていたのが七番だっただけに、
よく聴いていた方だと思う。

そこにカザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団の七番だった。
こういう演奏が聴けるとは思っていなかったという驚きだけでなく、
その演奏の凄さに心底驚いていた。

A面、B面を聴いたあと、もう一度レコードを裏返してA面に針を降ろしていた。
こういう聴き方は、あまりすすめられたものではないことはわかっていても、
そうせざるをえなかった──、そんな衝動があってのものだった。

立て続けの二回目であっても、いささかも感動は損なわれたり、薄くなったりはしなかった。
むしろ驚きは増していた。

そこで聴いたのはCBSソニーから出ていた国内盤のLPだった。
解説は宇野功芳氏だった。

こんなことが書かれていたと記憶している。
カザルスは作曲家によってスタイルを変えることはない。
そのためバッハではカザルスの演奏スタイルは行き過ぎのように感じられることもあるし、
ベートーヴェンではもの足りなさにつながる。
バッハとベートーヴェンの中間にいるモーツァルトには、
カザルスの変らぬスタイルがぴったりくる、と。

その時点ではベートーヴェンの第七番しか聴いていないのだから、
書かれてあったことに賛同はすることはできなかったものの、
カザルス指揮のモーツァルトは聴かねば……、と思っていた。

そのカザルスのモーツァルトの交響曲が、頭から離れないのだ。

Date: 7月 21st, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その6)

こうやって書いている今も迷っていることがある。
フリードリヒ・グルダのモーツァルトのピアノソナタを、
グレン・グールドのモーツァルトと同じように《幼児の無心さ》といっていいのだろうかと。

五味先生は書かれている。
《凡百のピアニストのモーツァルトが如何にきたなくきこえることか》と。
グルダのモーツァルトは、そんなふうには決してひびかない。
凡百のピアニストとははっきりと違う。

the GULDA MOZART tapes のI集とII集に聴き惚れていながらも、
迷っているのが正直なところだ。

グールドもグルダも幼児の無心さをひびかせてくれている、としたら、
どうして、ふたりのモーツァルトはこうも違うのか。

ここでまた五味先生の書かれたものに戻っていく──
     *
 よく私は、レコードをききながら小説の構想を練るといわれるが、これは嘘だ。文学は音楽に影響されるものではない。逆もそうだろう。ただ、作家として世に出る機縁となった芥川賞受賞作『喪神』の結構を、ドビュッシーの〝西風の見たもの〟からヒントを得てまとめたのは事実なので、そのことにふれておきたい。
『喪神』のモチーフになったのは、西田幾太郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験ということになるだろうか。ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に早いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
 ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験というのは、意志が働く以前のところで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは戦場で考えつづけていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
(「オーディオと人生」より)
     *
ここでの「純粋経験」が、幼児の無心さということなのか。
グールドにとっても、グルダにとってもモーツァルトのピアノソナタは暗譜していても不思議ではない。
テクニックとしても負担のある曲ではないはず。
そういうモーツァルトのピアノソナタだから、グールドとグルダの違いは、
演奏の違いとして(音楽の違いとして)、これほどはっきりと表出してくるのか。

幼児の無心さとは、意志が働く以前のところで処理されているはずのものなのか。

これで納得しようと思えば納得できるけれど、
感情の自由ということが、ひっかかっているのに気づく。

Date: 7月 21st, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その5)

フリードリヒ・グルダのモーツァルトは、ピアノ協奏曲第20番が、私にとっては最初だった。
アバド指揮のウィーン・フィルハーモニーとの1974年の録音だから、
私が「五味オーディオ教室」と出あったときには、すでにあったレコードだ。

そのころピアノ協奏曲第20番で世評の高いものは、
このグルダ/アバドの他に、
ハスキル/マルケヴィチ指揮コンセール・ラムルー(1960年)、
カーゾン/ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団(1970年)があった。

まずハスキル盤を買った。
次にカーゾン盤、グルダ盤はその次だった。
そのころはポンポンと聴きたいレコードを次々に買えたわけではなかったから、
ハスキル盤からグルダ盤までは、わりと離れていた。

グルダ盤を聴いたのは、19か20ぐらいだったか。
そのころは私は、ハスキル盤のほうがよく思えた。
グルダ盤もよかったけれど、世評ほどではないと感じてしまったのを憶えている。

私はあまりグルダの積極的な聴き手ではなかった。
グルダを積極的に聴くようになったのは、もう30をこえていた。
そのころになってやっと、グルダ盤のよさが感じとれるようになっていた。

the GULDA MOZART tapes のころになると、もう聴いた途端に「ああ、グルダ!」と思えた。
「ああ、グルダ!」については、以前書いている

「ああ、グルダ!」と感じさせる感情の自由が、
the GULDA MOZART tapes のいたるところにあると感じた。
そのうえで考える。
グールドがひびかせた幼児の無心さとの違いについて、である。

Date: 7月 20th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その4)

《いっそ無心であるに如かない》、
だからこそグレン・グールドはコンサート・ドロップアウトをしたのではないか。
そうも思えてくる。

そういうグレン・グールドのモーツァルトである。

CBSソニーから、グレン・グールドのCDが出はじめたときのことだ。
モーツァルトのピアノソナタ全集もCDになったのを機に、
一枚目から一気に聴き通したことがある。
20代前半のころだった。
聴きはじめて、そうとうにしんどいことだと感じていた。

そのしんどさがどこからくるのか、その時はまったくわからなかった。
しんどさに耐えながら聴き続けるものではないかもしれない──、
そう思いつつも聴き続けていた。

その日から30数年経ったころ、
フリードリヒ・グルダthe GULDA MOZART tapes のI集が出た。続けてII集も出た。
録音状態はよいとはいえないCDだったけれど、これは夢中になって聴いていた。

I集とII集、五枚のCDを続けて聴いても、
グレン・グールドのモーツァルトを続けて聴いたときのしんどさはみじんもなかった。
このことは以前書いている

いろんなことが変化している。
そのうえで、五味先生の文章を読み返したわけだ。

Date: 7月 19th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その3)

五味先生は音楽評論家ではない、
オーディオ評論家でもない。

中にはオーディオ評論家と思いこんでいる読み手がいるが、
どうしてそう思えるかが不思議に思う。

五味先生は小説家であり、オーディオ、音楽について書かれているのは、
小説ではないから(そこには小説的要素が含まれていようとも)、物書きであるわけだが、
けれどグレン・グールドのモーツァルトについて書かれたものを読んでいると、
これに匹敵する音楽評論を読んだ記憶が私にはない。

グレン・グールドに関するものはかなりの数読んできた。
レコード評を含めて読んできた。

モーツァルトのピアノソナタに関しても、そうやって読んできたが、
五味先生によって書かれたもの以上には、いまのところ出合っていない。
あるのかもしれない、私が単に読んでいないだけ、という可能性はあるけれど、
それでもなお、これ以上のものが今後読めるだろうか……、と思ってしまう。

冒頭に、五味先生は評論家ではない、と書いておきながら、
これこそが評論だ、と思うわけだ。
いわゆる職業評論家による評論(表論)ではない「評論」が、ここにある。

Date: 7月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その2)

昔だったら──、
つまりインターネットがなかったころだったら、
昨晩,書き写した五味先生の文章は、私だけしか見れない。

親しい友人に電話して、読み聞かせる──。
やらないタイプの人間である。
やったとしても、ひとりだけである。

インターネットが、だからこれだけ普及しているから、
昨晩は書き写したともいえる。

公開したのは非公開のfacebookグループだから、
それほど多くの人の目に留るわけではないが、
電話でひとりひとりに読み聞かせるのとは比較にならないほど、多くの人が読めるようになる。

書き写す。
読むだけでは終らずに書き写したことで、拡がりがうまれる。

Date: 7月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その1)

暴言を敢て吐けば、ヒューマニストにモーツァルトはわかるまい。無心な幼児がヒューマニズムなど知ったことではないのと同じだ。ピアニストで、近頃、そんな幼児の無心さをひびかせてくれたのはグレン・グールドだけである。(凡百のピアニストのモーツァルトが如何にきたなくきこえることか。)哀しみがわからぬなら、いっそ無心であるに如かない、グレン・グールドはそう言って弾いている。すばらしいモーツァルトだ。
(五味康祐「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」より)
     *
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」は新潮社の「人間の死にざま」に収められている。
比較的ながい文章である。
引用したところは、終りのところに出てくる。

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」はあと少し続く。
そのあと少しが、ずしっと重いのだが、
あえて、ここだけを引用した(というよりも書き写した、といいたい)。

何も感じないのか、何かを感じるのか。
どれだけのことを感じ考えるのか。

昨晩、facebookにも、書き写していた。
書き写したい衝動にかられてのことだった。

昨晩は寝苦しかった。
そのためか、夢で何度か反芻しては目を覚ましていた。

これから何を書こうと思っているのか、自分でもよくわからない。
それでも、これだけは書き写しておきたい、とおもいながら、また眠りについていた。

なのでタイトルも無題とした。
五年前の夏に、一度「無題」は使っているから「続・無題」とした。

Date: 5月 27th, 2016
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その3)

美に同化する、ということ。

音楽をオーディオで聴くということとは、そういうことである。
「五味オーディオ教室」と出逢って40年の結論である。

美を享受する聴き方もある。
どちらが高次な聴き方とか、そんなことをいう気はさらさらない。

「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオ(音楽の聴き方)は、
ここを目指している。
やっとそう思えるようになってきた。

Date: 5月 26th, 2016
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その2)

その1)で書いたことを読み返して、思ったことがある。

事実と真実の違いである。
同じといえばそういえなくもないし、違うといえば違う。
はっきりとその違いについて説明できないにも関わらず、使い分けている。

でも改めて、事実と真実の違いについて考える。
少なくともオーディオ(音)においては、どうなのか、と範囲を狭めて考える。

(その1)で五味先生の文章を引用した。
もう一度引用しておく。
     *
沢庵とつくだ煮だけの貧しい食膳に妻とふたり、小説は書けず、交通費節約のため出社には池袋から新宿矢来町までいつも歩いた……そんな二年間で、やっとこれだけのレコードを私は持つことが出来た。
 白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうと迷ったことがある。牌さえいじらせれば、私にはレコード代を稼ぐくらいは困難ではなかったし、ある三国人がしきりに私に挑戦した。毛布を質に入れる状態で、マージャンの元手があるわけはないが、三国人は当時の金で十万円を先ず、黙って私に渡す。その上でゲームを挑む。ギャンブルならこんな馬鹿な話はない。つまり彼は私とマージャンが打ちたかったのだろう。いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか……男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。──三国人の邸からの帰途、こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。
     *
結局、事実には倫理は関係・関与しない。
真実はそうではない。
人の感情も倫理も関係・関与してくる。

五味先生の文章を読んで、いまやっとそう思えた。

Date: 5月 17th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その3)

奇妙な夢、無気味な夢、不思議な夢……、
どんな夢でもいい、夢をみて、それを憶えておきたいがために、
長い昼寝をとり浅い眠りにつくことをあえてすることがある。

先日もそんなふうにして、ある夢を見ていた。
なぜか、私のところにさまざまなスピーカーシステムが届く、そんな夢だった。
しかも、どのスピーカーも大型のモノばかりで、JBLの4550をベースにしたシステム。
4550は15インチ・ウーファーを二発おさめるフロントロードホーン・エンクロージュア。

夢に出てきたのは、15インチ・ウーファーを四発おさめるもので、
その上に2350ホーンが三段スタックで置かれていた。
ドライバーは2440(2441)だった。

このスピーカーの他にもヴァイタヴォックスの劇場用であるBASS BIN、
アルテックの劇場用のA2、こういう大型のモノを筆頭に、
20組くらいのスピーカーシステムが届く。

これらのスピーカーを置くだけのスペースでも、どれだけの広さがいるのか。
そんな、絶対にありえなそうな夢だった。

そのひとつにタンノイのKingdomがあった。
現在のKingdom Royalではなく、以前の堂々としていたKingdomである。

最初のKingdom(18インチ・ウーファー搭載)があった。
その下の15インチ・ウーファーのKingdomもあった。12インチ・ウーファーのもあった。

まさに選り取り見取りである。
その中で、私はKingdomの前に立っていた。

他のスピーカーは、またどこかに行ってしまおうとも、
Kingdomだけは絶対に確保しておきたい、と思って、その前に立ったわけだ。

目覚めているときに、欲しい、と思ったことのあるスピーカーのいくつかは、
その夢の中にも登場していた。
なのに、夢の中の私は、Kingdomを選んでいた。

不思議な夢だった、と思いながら、
     *
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
この五味先生の文章を思い出していた。

タンノイのスピーカーは、そこそこの数聴いてきている。
けれど、自分のモノとしてきたことはない。

オートグラフが2000年にミレニアム・モデルとして復刻されたときは、欲しい、と思った。
けれど、手が出せなかった。

タンノイへの憧憬(これは私の場合、オートグラフへの憧憬である)を持ちながら、
タンノイを鳴らしてこなかったわけだ。

私はまだ《タンノイのほんとうの音を聴き出す》までに到っていないことを、
夢で再確認していたのかもしれない。