近頃思うこと(五味康祐氏のこと)
五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。
もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。
「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。
マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。
七年前、別項「五味康祐氏のこと」の(その5)で書いたことを再掲した。
五味先生の洞察力の凄さはに関しては、いまもそう感じている
その五味先生がこんなことを書かれている。
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人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない。
(「妓夫の娘」──或るホステスの自殺 より)
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近頃、この一節を何度も頭のなかでくり返している。