続・無題(その7)
迷走していくかもしれないとわかっていても、
パブロ・カザルスのことが頭に浮んでくるし、追い払えないでいる。
ここでのカザルスの演奏とは、チェリストとしての演奏ではなく、
指揮者としてのカザルスの演奏のことである。
ベートーヴェン、シューベルト、ハイドン、バッハ、モーツァルトなどの録音が、
CBSに残されている。
いずれもライヴ録音である。
ベートーヴェンの交響曲第七番で、指揮者カザルスを知った。
驚いた。
フルトヴェングラーの演奏はすでに聴いていた。
カルロス・クライバー、カラヤン(ベルリンフィルハーモニーとフィルハーモニー)、
その他にも聴いていた。
そのころ、ベートーヴェンの交響曲の中で、頻繁に聴いていたのが七番だっただけに、
よく聴いていた方だと思う。
そこにカザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団の七番だった。
こういう演奏が聴けるとは思っていなかったという驚きだけでなく、
その演奏の凄さに心底驚いていた。
A面、B面を聴いたあと、もう一度レコードを裏返してA面に針を降ろしていた。
こういう聴き方は、あまりすすめられたものではないことはわかっていても、
そうせざるをえなかった──、そんな衝動があってのものだった。
立て続けの二回目であっても、いささかも感動は損なわれたり、薄くなったりはしなかった。
むしろ驚きは増していた。
そこで聴いたのはCBSソニーから出ていた国内盤のLPだった。
解説は宇野功芳氏だった。
こんなことが書かれていたと記憶している。
カザルスは作曲家によってスタイルを変えることはない。
そのためバッハではカザルスの演奏スタイルは行き過ぎのように感じられることもあるし、
ベートーヴェンではもの足りなさにつながる。
バッハとベートーヴェンの中間にいるモーツァルトには、
カザルスの変らぬスタイルがぴったりくる、と。
その時点ではベートーヴェンの第七番しか聴いていないのだから、
書かれてあったことに賛同はすることはできなかったものの、
カザルス指揮のモーツァルトは聴かねば……、と思っていた。
そのカザルスのモーツァルトの交響曲が、頭から離れないのだ。