続・無題(その4)
《いっそ無心であるに如かない》、
だからこそグレン・グールドはコンサート・ドロップアウトをしたのではないか。
そうも思えてくる。
そういうグレン・グールドのモーツァルトである。
CBSソニーから、グレン・グールドのCDが出はじめたときのことだ。
モーツァルトのピアノソナタ全集もCDになったのを機に、
一枚目から一気に聴き通したことがある。
20代前半のころだった。
聴きはじめて、そうとうにしんどいことだと感じていた。
そのしんどさがどこからくるのか、その時はまったくわからなかった。
しんどさに耐えながら聴き続けるものではないかもしれない──、
そう思いつつも聴き続けていた。
その日から30数年経ったころ、
フリードリヒ・グルダthe GULDA MOZART tapes のI集が出た。続けてII集も出た。
録音状態はよいとはいえないCDだったけれど、これは夢中になって聴いていた。
I集とII集、五枚のCDを続けて聴いても、
グレン・グールドのモーツァルトを続けて聴いたときのしんどさはみじんもなかった。
このことは以前書いている。
いろんなことが変化している。
そのうえで、五味先生の文章を読み返したわけだ。