Date: 7月 20th, 2016
Cate: 五味康祐
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続・無題(その4)

《いっそ無心であるに如かない》、
だからこそグレン・グールドはコンサート・ドロップアウトをしたのではないか。
そうも思えてくる。

そういうグレン・グールドのモーツァルトである。

CBSソニーから、グレン・グールドのCDが出はじめたときのことだ。
モーツァルトのピアノソナタ全集もCDになったのを機に、
一枚目から一気に聴き通したことがある。
20代前半のころだった。
聴きはじめて、そうとうにしんどいことだと感じていた。

そのしんどさがどこからくるのか、その時はまったくわからなかった。
しんどさに耐えながら聴き続けるものではないかもしれない──、
そう思いつつも聴き続けていた。

その日から30数年経ったころ、
フリードリヒ・グルダthe GULDA MOZART tapes のI集が出た。続けてII集も出た。
録音状態はよいとはいえないCDだったけれど、これは夢中になって聴いていた。

I集とII集、五枚のCDを続けて聴いても、
グレン・グールドのモーツァルトを続けて聴いたときのしんどさはみじんもなかった。
このことは以前書いている

いろんなことが変化している。
そのうえで、五味先生の文章を読み返したわけだ。

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