Archive for category ステレオサウンド

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その57)

瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームだけのことに留まらず、さざまなことに関係してくる予感があるだけに、
ここではこれ以上書かない。

いずれ項を改めて欠くつもりだが、
どういうテーマにするのかも含めて、まだ何も決めていない。

ブログを書いていると、こんなふうにして書きたいことが次々に出てくる。
項を改めて……、と保留にしているテーマがもうすでにいくつかもある。

ステレオサウンド 51号の記事については、だから次にうつる。
「#4343研究」である。

副題は「JBL#4343のファイン・チューニング」である。
4343をチューニングするのはオーディオ評論家ではなく、
JBLプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリスとブルース・スクローガンのふたり。

1979年4月中旬に、
山水電気主催でJBLのプロフェッショナル・ユーザーを対象としたセミナーが開催され、
講師として、このふたりが来日している。

「JBL#4343のファイン・チューニング」は10ページの記事。

海外メーカーの人は、昔からよく来日している。
その度にステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌はインタヴュー記事を掲載する。
けれど、読者が読みたいのは、それら多くのインタヴューの先にあるものである。

51号の、この記事はそういえる初めての記事、
少なくとも私にとっては、ステレオサウンド以外にもオーディオ雑誌を読んでいたけれど、
こういう記事は初めてであった。

自社のスピーカーシステム(4343)をセッティングしていく様には、
ロジックがあるといえよう。
特にレベルコントロールの方法は、まさに目から鱗であった。

この時の4343の音は、心底聴いてみたかった。

ファイン・チューニングという言葉を、
数年前のステレオサウンドも記事のタイトル使っている。
ずいぶん51号とは意味合いが違っている。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その56)

51号掲載の「ひろがり溶け合う響きを求めて」の二回目は、
IEC(International Electrotechnical Commission)が1977年に各国に配布した
リスニングルーム原案について紹介されている。

この原案の要約が表になっている。
 ①部屋の容積:801(±30)㎥
 ②天井までの高さ:2.75(±0.25)m
 ③寸法比:L:B:H=2.4=1.6=1
 ④残響時間:100Hz 0.4s(Min), 1.0s(Max) 400Hz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 4kHz 0.4s(Min), 0.6s(Max) 
       8kHz 0.2s(Min), 0.6s(Max) 
 ⑤スピーカーの背面(半斜面)は吸音性でないこと。
 ⑥スピーカー直前の床面にカーペット等を用いないこと。
 ⑦リスナーの背面は吸音性の材料を含んでもかまわない。
 ⑧天井にはいかなる吸音材を用いてはならない。
 ⑨屋内でのフラッターエコーが感知できないこと。
 ⑩基本的にこの屋内は拡散音場であること。
 ⑪室温:15〜35℃ ただし20℃が好ましく、リスニングテストの際は25℃を限度とする。
 ⑫湿度:45〜75%
 ⑬気圧:860mbar〜1060mbar

瀬川先生は、日本流に直していえば、
やや天井の高い十八畳弱の、残響時間が長めのリスニングルーム、と表現されている。

そして、こう書かれている。
     *
 わたくし自身が(前号にも書いたように)長いあいだ数多くの愛好家のリスニングルームを訪問した体験によって、とても重要だと考えていた条件がひとつある。このことは、ふつう、こんにちの日本ではほとんど誰も取上げていない問題だが、それは表1の⑧の、「天井にはいかなる吸音材も用いないように……」という部分である。これは、新しいリスニングルームを作る計画を立てる以前から、ずっと固持してきたわたくしの考えと全く同じであった。
     *
瀬川先生の連載「ひろがり溶け合う響きを求めて」は、
単にリスニングルームの記事で終っているわけではない。

欧米のオーディオ機器の音とも深く関係してくる。

Date: 8月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その55)

ステレオサウンドを毎号買っている人でも、ベストバイの号だけは買わない人がいる。
43号のベストバイのやり方で、もっと良くしていっていれば、
そんな人は出てこなかったかもしれない。

でも現実には51号のベストバイのやり方は55号にも踏襲されている。
51号のベストバイをどう思ったかについては、
55号の時にまとめて書く。

私は51号と55号のベストバイのやり方に愛想を尽かした人がいた、と思う。
その人たちが、ベストバイの号だけは買わない、になっていたようにも思うのだ。

50号都州の座談会での、
瀬川先生の「熱っぽく読ませるためには……」はどこに行ってしまった。
50号の次がこうであることに、ひどく裏切られた感じがした。

50号のベストバイについて書き始めると止らなくなるから、このへんにしておこう。
では51号は全体としてはつまらなかったか、といえば、そうでもなかった。

50号から始まった瀬川先生の連載の二回目が載っている。
それから「#4343研究」が始まった。
そして見落している人が少なくないようだが、
51号が手元にある人は、ぜひ464ページを見てほしい。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その54)

ステレオサウンド 51号「評論家の選ぶ’79ベストバイ・コンポーネント」の扉には、
編集部原稿で、次のように書いてある(105ページ)。
     *
 本誌31号(’74年)にはじめた「ベストバイコンポーネント特集」は、35号、43号、47号とつづき、今回で5回目を迎えた。ただし31号は読者投票の結果のみだったので、評論家の選ぶベストバイは、今回で4回目ということになる。
 ベストバイ特集も、回を重ねることによって、おのずと別な視点がでてくる。そのひとつはベストバイに選定された製品の年次的な推移見ることができる点で、今号では本年度のベストバイ製品のリストに過去3回(35号=’75年、43号=’77年、47号=’78年)の実績を提示した。
 また、今回のベストバイ選定は過去3回よりもさらにシビアな選考方法をとったことをご報告しておこう。
 前回までは、評論家の推選が一人であってもベストバイ製品として掲載してきたが、今回からは二人以上の推せんがあった製品のみ取り上げている。さらにその製品について、八人の評論家にそれぞれ3点以内のランクづけをしてもらっている。したがって、満票は24点、最少得票は2点ということになる。
 今回はさらに各ジャンルに価格帯を設けそれぞれの価格帯の中での評価を導入しているのも従来とちがう点である。
     *
前回、前々回よりもシビアな選定方法をとった、とある。
そうかもしれない。
けれど、そのことが誌面に反映されているとは思えなかった。

ベストバイに価格帯を設けたことは新しい試みであるが、
価格帯を設けるということは、どこかで線引きをすることであり、
この線引きが、実に微妙な問題を内包していることは、
この時点(1979年)では気づかなかったが、後に気づく。

それに51号の掲載方法だと、誰がどの製品に票を入れたのかがまったくわからない。
しかも解説は、それまでは票を入れた人がそれぞれ担当していた。

だが51号では、スピーカーシステムとレシーバーは菅野沖彦、アンプは上杉佳郎、チューナーは長島達夫、
アナログプレーヤー関連は柳沢功力、テープデッキは井上卓也が、それぞれを担当して一括しての文章である。

読み手としての私が知りたいことが、ばっさりと削られている。
そう感じて、がっかりしていた。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その53)

ステレオサウンド 51号の表紙は、アルテックの604-8Hである。
604-8Gまでのマルチセルラホーンから、マンタレーホーンに置き換った。

外観の変更はホーンだけであるが、
全体のイメージはずいぶん違って見える。

マンタレーホーンの604-8Hの方が新しいと感じるといえばそうなのだが、
それまでのマルチセルラホーンと比較すると開口部がフラットということ、
当然ホーン開口部にもスリットがないため、平面的な印象を受ける。

しかもユニットの前面のみで磁気回路を含めた後側が写っていないから、
よけいに平面的と、いまも見えるのは特集の内容も関係してのことである。

51号の特集はベストバイ。
私にとっては43号、47号に次ぐ三回目のベストバイの号である。

51号を手に取って最初のページからめくっていく。
広告をのあとに最初に登場するのは、「続・五味オーディオ巡礼」である。
51号では、H氏(東京)とある。

このときはH氏が誰なのかはわからなかった。
「五味オーディオ教室」にもH氏のことを書かれている。
ヴァイタヴォックスのCN191を鳴らされている人だとは、だから知ってはいた。

そのH氏のリスニングルームに、五味先生が訪ねられている。
わくわくしながら読んだことを、いまも憶えている。
     *
〝諸君、脱帽だ〟
 ショパンを聴いてシューマンが叫んだという言葉を私は思い出していた。
     *
他にもここに書き写したいところはいっぱいあるが、これだけでいいだろう。

五味先生のオートグラフは、タンノイではもう製造されなくなっていた。
輸入元であるティアックのカタログに載っているオートグラフは、
タンノイの承認を得た国産エンクロージュアである。

エンクロージュアはオリジナルに限る。
五味先生の書かれたものを読んできた私にとって、
ヴァイタヴォックスのCN191はオリジナルのエンクロージュアのままの現行製品だった。

CN191を、いつか鳴らしてみたい、と思った日でもあった。

Date: 8月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その52)

ステレオサウンド 50号の表紙はマッキントッシュのMC275だ。
50号は1979年春号だから、この時点でMC275は製造中止のモデルである。

それまでのステレオサウンドの表紙は、現行製品が飾ってきた。
製造中止になったMC275なのは、やはり50号だからと、
特集の内容からいっても、納得できる。

50号の巻末にはステレオサウンド創刊号から49号まで総目次がついている。
さらに49号までのテストリポート掲載機種総索引もついている。

この巻末附録は、読みはじめて三年に満たない読み手にとってはありがたいものだった。
それまでのステレオサウンドがどういう特集を組んできたのか、
どういう連載を続けてきたのか、
どういう書き手がいたのかがわかる。

50号という区切りにぴったりの附録といえた。

それにしても私が読みはじめる前のステレオサウンドに書いていた人が、
そのころになるともう書かれていないことにも気づく。
古いステレオサウンドを読むことができなかったから、
どういう理由でそのころの書き手に絞られていったのかはわからなかった。

50号で熱心に読んだ記事(といってもいいのだろうか)のひとつである。
50号には、平面バッフルの記事もあった。
1190mm×1190mmの、さほど大きくないサイズの平面バッフルの記事である。
平面バッフルは大きい方がいいのはわかっていても、
目の前にあって圧迫感のないサイズといといえば、このくらいであろう。

それでどの程度の低音が出せるのか。
そのことにある程度答えてくれる記事であった。

そして50号では瀬川先生の連載が始まった。
「ひろがり溶け合う響きを求めて」である。
副題として「私とリスニングルーム」とあることからわかるように、
瀬川先生が世田谷にリスニングルームを建てられる記事である。

最初の見出しは、こうだった。
「発端── 生来の衝動買いでリスニングルームを」

50号を、私は熱っぽく読んでいた。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その51)

読みはじめた41号からのことを順を追って書いている。
50号まで来た。
こうやって書いていると、三つ子の魂百まで、を感じる。

本来の意味とは外れてくるのはわかっているが、
私にとってのステレオサウンドの最初の三年は41号から52号までとなる。
この三年間の12冊と年末に出ていた「コンポーネントステレオの世界」、
それ以外の別冊(こちらはそうそう買えなかった)によって、
私にとっての「ステレオサウンド」は形成されていて、
それが「三つ子の魂百まで」的になっていることを、この項を書きながら確認している。

私が現在のステレオサウンドに否定的なことを書いているのを面白く思っていない人はいる。
中には、トンチンカンなことを書いていると思っている人もいても不思議ではない。

そういう人にとっての最初のステレオサウンドは何号だったのだろうか。
「三つ子の魂」にあたる読み始めからの三年間は、どの時期なのだろうか。

Date: 8月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その50)

ステレオサウンドは、1990年代後半になって新雑誌をいくつか創刊している。
オーディオ関係では管球王国、
料理関係でワイン王国、料理王国である。

誌名に王国がついている。
王国がついているのを見て、
私はステレオサウンド 50号の原田勲氏の編集後記を思い出していた。
     *
 一人の熱心なオーディオ愛好家としての私が、読みたくて渇望したオーディオ誌。その夢を「ステレオサウンド」に托して、自ら本誌を創刊したのは十三年前だった。輝けるオーディオの国に王子を誕生させる心意気で私は創刊号に取組んだ。連日の徹夜で夢中になって造ったのを、つい昨日のように思い出す。
     *
王子のところには傍点がふってある。

ステレオサウンドの創刊から約三十年後に、王国とつく雑誌を複数創刊している。
原田勲氏自身、50号の編集後記に王子と書いたことは忘れてしまって、
管球王国とかワイン王国とつけたのかもしれない。
それともはっきりと憶えていたうえでの「王国」なのか。

王国ということは、王様ということか。
王子が王様になったということなのか。

1966年当時、王子はステレオサウンドというオーディオの本そのものだったはずだ。
それが時が流れ、王様になったということなのか。
それとも別の何かが王様なのか。

王様は城に住む。
どういう城を築きあげたのか。
その城の元、国はどういう繁栄を遂げたのだろうか。

争心あれば壮心なし、という言葉がある。
五十年前の王子には壮心があった、と私は思っている。

会社を大きくし、他の出版社と競争していくことで壮心を失ってしまった……のか。
だとしたら、壮心を失った王子は、どんな王様になったのだろうか。
その王様が治める国は……。

Date: 8月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その49)

岩崎先生は、なぜそこまで……、私などはおもってしまうのだが、
私とまったく別の人ならば、オーディオ評論家といえば自由業、
いわば虚業であるわけだから、以来のあった仕事は何でも受けるだけだろう、
依頼をことわったり、キャンセルしたりすればお金にはならない、
理由はなんて、そんなところにあるだろうに……、と。

でも、それだけで、ここまでされるだろうか、と思う。
少し長い目で見ればきちんと治療・療養したあとに精を出せばいい、ということになるだろうが、
そんなことは百も承知での、座談会への出席だったはずだ。

長島先生は、
《後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない》
と書かれている。
そうだったのだと思う。

こういう岩崎千明が、瀬川冬樹をライバルとしていたわけだ。
以前も書いているが、このふたりは互いに認めあった真のライバル同士である。

そのことに気づいて、もう一度ステレオサウンド 50号、巻頭座談会の瀬川先生の発言を読む。
《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》
ここには、岩崎千明という存在がなくなってしまったことを、暗に語られているようにも思えてくる。

50号の巻頭座談会には,岩崎先生はいないのだ。

瀬川先生の発言には、まだ理由があると考える。
ステレオサウンドは季刊誌だから年に四冊しか出ない。
50号の前の49号はSTATE OF THE ART賞、
50号は創刊50号記念の特集、その次に出る51号はベストバイが予定されていた。

つまり49、50、51号と試聴を行わない特集が続いている(続く)わけだ。
一年に四冊しかでないステレオサウンドなのに。
このことに対する危惧も、「熱っぽく読んでもらうためには」に込められている、と私は読む。

Date: 8月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その48)

岩崎先生の、
「オーディオはもう駄目だね。救いようがないよ。ボクにも責任はあるんだけどさ、誰かがちょっとぐらいがんばったってどうなるもんでもないぐらい駄目だ」
が私にとって、すごく意外に感じられたのには、いくつか理由があって、
そのひとつがステレオサウンド 43号に載った瀬川先生の文章だ。
     *
 亡くなられる数ヵ月まえ、スイングジャーナル社の主催で、新宿のサンスイのショールームで、菅野氏と三人で、公開座談会に出席したのが、岩崎さんとオーディオについて語り合った最後だった。すでに闘病生活中で、そのときさえ病院から抜け出してこられたのだった。そのときの内容はSJ誌にすでに載っているが、活字にならなかったことで深い感銘を受けた言葉がいくつもあった。岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さな音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」
 岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
     *
「亡くなられる数ヵ月まえ」は、
おそらく池上比沙之氏に六本木でばったり岩崎先生と会われた日よりも後ではないだろうか。

オーディオはもう駄目、救いようがない、と言っていた人が、
入院先の病院から抜けだして公開座談会に出席されている。

同じページに長島先生が書かれている。
     *
 岩崎千明さんについて忘れることができない思い出がある。岩崎さんが最後の入院をされる直前のこと、今から考えると岩崎さんの病状は悪化の一途をたどっておられたのだが、それをひた隠しに隠してある雑誌のふたつの座談会に出席されたことがある。ところが最初の座談会の進行と共に岩崎さんの病状もどんどん悪化し、終りごろには動くことさえできない状態になってしまっていた。もちろん出席者一同も心配し、入院するよう説得するのだが、岩崎さんは頑としてきかない。そして、次の座談会にも出席すると言ってきかない。結局は一同の説得に負けて入院なさったのだが、その時の様子は正に鬼気せまるものがあった。後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない。生命を賭ける、とは良く言われる言葉だが、岩崎さんの場合、文字通り本当に生命と引替えに音楽とオーディオを愛したのだ。惜しい人を亡くしてしまった。
     *
岩崎先生が、オーディオはもう駄目、救いようがない、といわれていたことが、
だからすぐには結びつかなかった。

Date: 8月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その47)

ステレオサウンド 50号巻頭座談会のでの瀬川先生の発言に感じた同種のものを、
ずっと後になって感じたことがある。

2011年だったか、ある人から古いオーディオ雑誌をまとめて譲ってもらった。
その中に、ステレオ誌(1979年5月号)があった。
池上比沙之氏による「音に生き、音に死んだ男の伝説 岩崎千明考」が載っていた。
     *
 とりわけ、2人の仕事を注目し、尊敬していたぼくにとっては、奇妙にも2人とも死の一週間前に会って、逆にはげましの言葉をかけられていただけに、冷静に彼らの世界を語ることすら難しいのである。だが、中野宏昭の仕事に関する考察は別の機会に行うとしても、岩崎千明の、あの大音量再生に秘められた生き様は明らかにしていかねばなるまい。
 昭和51年の秋頃だったろうか。

ぼくは東京・六本木の交差点で
偶然、岩崎千明に声をかけられた。
 同じ雑誌に原稿を書いていたこともあって、世間話は幾度となく交わしている間柄であったが、それまで膝をかかえて〝生き方〟を語るといったことはなかった。何回かその機会もあったのだが、互いのシャイな部分が向いあうことになり、他愛のない話に終始した。ところが、この日の岩崎千明は違っていた。いきなり、
「お茶でも飲もうよ」
といって、先にスタスタ歩き出した。常に他人に対して気を使う岩崎千明にしては珍らしいストレートな行動だったので、いまだに一部始終を鮮明に記憶している。入った店は、交差点際の古ぼけたコーヒー・ショップ「エリゼ」。2Fの一番奥の窓際のボックスに坐るなり、
「オーディオはもう駄目だね。救いようがないよ。ボクにも責任はあるんだけどさ、誰かがちょっとぐらいがんばったってどうなるもんでもないぐらい駄目だ」
といって深くため息をつくのである。その時の、岩崎千明の目は実に悲しげであった。その日、彼になにがあったかは知る由もない。そして、この唐突な告白が突発的な感情の吐露ではなく、彼の晩年を支配していた絶望感であったことをぼくが知るのは、死の直前になってからだった。「音楽のオの字もなくって、オーディオ製品が語られたりさ、アンプが目方で判断されたりしてたら、そのうちツケがまわってくるよ。もうオーディオ評論家なんて先が見えてるね。ね、ジャズの話をしよう、ジャズの話を。なんかいいレコード見つけた?」それから、ぼくらの会話はジャズに移った。その時、ぼくが彼に示したレコードは、ビル・エバンスの「ポートレイト・イン・ジャズ」とか、ウェス・モンゴメリーのリバーサイド盤「インクレディブル・ジャズ・ギター」などの、50年代後半から60年代前半に録音された秀作群であった。ぼくが、クロスオーバー系音楽を中心とする新しいジャズに肩入れしていることを知っている彼は、ニヤリと笑って、「な、そうだろ。あんただってあのへんのジャズを聴けばいいと思うよな。あの時代の音がね、20何年も経ってるいま、オレの部屋で鳴ってるのかと思うと、ゾクゾクする時があるんだよ。長い年月が過ぎても残っているっていうのは、いいから残るんだよな」と、一気にたたみかけてきた。

この日、岩崎千明はジャズのことばかり、
なにかに憑かれたように話し続けた。
 一体、彼が半生を費して愛し続けたオーディオの世界はどこに行ってしまったのだろう。
     *
1976年秋の六本木の出来事が書かれている。
ちょうど同じころ、私は「五味オーディオ教室」と出逢っている。

そのとき岩崎先生は、
「オーディオはもう駄目だね。救いようがないよ。ボクにも責任はあるんだけどさ、誰かがちょっとぐらいがんばったってどうなるもんでもないぐらい駄目だ」
といってため息をつかれている。

1976年でもそうだったのか……、と。
オーディオの世界だけの話ではない。
およそすべてがそうであるはずだが、趣味として楽しんでいる人たちと、
それを仕事としている人たちの間には、こういうことが生じてくる。

仕事として、その業界に属しているといろいろなことが見えてくる。
それは趣味として楽しんでいる人たちは、
まったくといっていいほと見えないようになっていることまでが見えてくる。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その46)

ステレオサウンド 50号の巻頭座談会、
この最後に出てくる瀬川先生の発言は、当時の私には完全には理解できなかった、
というか、同意できなかったところがあった。
     *
瀬川 「ステレオサウンド」のこの十三年の歩みの、いわば評価ということで、プラス面ではいまお二方がおっしゃったことに、ぼくはほとんどつけたすことはないと思うんです。ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
 それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
 オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
41号から読みはじめた私にとって、50号はちょうど10冊目のステレオサウンドにあたる。
二年半読んできて、熱っぽく読んでいた時期でもある。

だから瀬川先生の《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》に、
完全に同意できなかったことを憶えている。

でも、ずっとオーディオを趣味としても仕事としてもやってこられた瀬川先生と、
オーディオに興味を持ちはじめてそれほど経っていない私とでは、
さまざまな捉え方、考え方が違ってあたりまえなのは頭でわかっていても、
このことは、心のどこかにひっかかったままになっていた。

Date: 7月 31st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その45)

ステレオサウンド 49号には、附録がついていた。
表紙写真傑作集としての1979年のカレンダーだった。
附録がついていて、1600円の定価はそのままだった。

カレンダーのコストがどれだけかかっていたのかはわからないが、
49号の誌面にカラーページが少ない理由のひとつには、このカレンダーがあるはずだ。

ただ、それでも……、と思う。
カレンダーは197号にも附録としてついていた。
197号にカラーページが少なかったということはない。
特集にはカラーページがたっぷりと使われている。
内容はステレオサウンド・グランプリ(つまり賞)である。

49号と197号。
定価も含めて比較してみると面白い。

49号の原田勲氏の編集後記には、賞という文字は登場しない。
     *
 もしもオーディオコンポーネントの高級品がこの世から全く消え去ったら……オーディオファイルにとってそれこそ闇だ。これはオーディオに限らない。どんな趣味であれ、優れた道具の持味はその趣味の感興を高める。そのことから〝趣味は道具につれ、道具は趣味につれ〟と言えなくもない。
 今回選定した〝ステート・オブ・ジ・アート〟の狙いは、オーディオコンポーネントにおける道具の理想のあり方を、実際の製品を通して語ろう、というところにある。無論、現実の製品が理想を実現しているというわけでは決してないが、少なくとも、「ステレオサウンド」誌の考えている、望ましいコンポーネントのありようは提示されているとおもう。
     *
STATE OF THE ARTという日本語には訳しにくい言葉をあえて選んで使ったのは、
当時編集長であった原田勲氏のはずだ。

何度でも書くが、STATE OF THE ART賞が現在のステレオサウンド・グランプリの始まりであり、
名称だけでなく、ずいぶんと変質してしまった、と思ってしまう。

Date: 7月 31st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その44)

ステレオサウンド 49号だけを見ているぶんには気づかなかったことが、
50号を手にして、49号の特集にはカラーページがなかった、と気づいた。

50号は創刊50号記念特集を謳っていた。
五味先生の「続・五味オーディオ巡礼」で始まり、特集のページに続く。
巻頭座談会として、井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏による
『「ステレオサウンド」誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる』があり、
岡俊雄、黒田恭一、両氏による『「ステレオサウンド」誌に登場したクラシック名盤を語る』、
「オーディオ一世紀──昨日・今日・明日」(岡俊雄)、
「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」、
「オーディオ・ファンタジー 2016年オーディオの旅」(長島達夫)があった。

巻頭座談会、「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」にはカラーページがある。
50号のあとに49号にもどると、
49号には「続・五味オーディオ巡礼」はなく、特集から始まる。
しかもカラーページはない。

カラーページなしの特集は、ステレオサウンドにしては珍しい。
しかも49号の特集は、《第一回STATE OF THE ART賞》と、
これから先も続けていくことをはっきりと示している。

ステレオサウンドにとって初めての「賞」の特集であり、
今後も続けていくことを考えているのだから、
一回目は華々しくカラーページを使い……、と思いがちなのに、
カラーページが巻頭からまったく登場しない。

49号でカラーページがあるのは、「サウンドスペースへの招待」だけという、
記事の内容ではなく、パラパラと手にしたときの印象は、49号はどうしても地味になる。

想像してみてほしい。
いまのステレオサウンド編集部が、それまで賞をやってこなくて、
初めて賞のつく企画を開始するとしたら、大々的にカラーページを使って、
華々しい印象の誌面にするはずである。賞ということを全面的に押しだす。
49号は、なぜか地味な印象を与えるかのような誌面になっている。
つまり賞の企画であることが、STATE OF THE ARTの後にいるかのようにも感じさせる。

Date: 6月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その43)

●瀬川冬樹
 ステート・オブ・ジ・アートという英語は、その道の専門家でも日本語にうまく訳せないということだから、私のように語学に弱い人間には、その意味するニュアンスが本当に正しく掴めているかどうか……。
 ただ、わりあいにはっきりしていることは、それぞれの分野での頂点に立つ最高クラスの製品であるということ。その意味では、すでに本誌41号(77年冬号)で特集した《世界の一流品》という意味あいに、かなり共通の部分がありそうだ。少なくとも、43号や47号での《ベストバイ》とは内容を異にする筈だ。
 そしてまた、それ以前の同種の製品にはみられなかった何らかの革新的あるいは斬新的な面のあること。とくにそれが全く新しい確信であれば、「それ以前の同種製品」などというものはありえない理くつにさえなる。またもしも、確信あるいは嶄新でなくとも、そこまでに発展してきた各社の技術を見事に融合させてひとつの有機的な統一体に仕上げることに成功した製品……。

●長島達夫
 ステート・オブ・ジ・アートという言葉が一般に知られるようになったのは、マーク・レビンソンが自作のアンプにこの言葉を冠したのがきっかけになっていたように思う。この言葉を字義どおりに直訳してみると、「芸術の領域に達した」ということになるように思う。しかし、これは機械相手の場合、何か大仰すぎる表現であまりふさわしくない印象を受けてしまう。なぜ大仰でふさわしくない印象をもつのだろうか。それは多分、この言葉を冠する対象が道具としての器械だからだろう。これがもし「人」を対象にする場合なら、そのようには感じないのかもしれない。

●柳沢功力
“STATE OF THE ART”という言葉にこだわった、いいわけがましいことを書くのはやめよう。そう決めていたのだが、いざ書きはじめてみると、やはりこだわってしまう。選定のための票を投じ終えたいま、まだ、その言葉にこだわっているというのも、考えてみれば責任を問われそうな態度だが、どうも、その本来の意味が、ほくには理解できたようでもあり、できないようでもある言葉なのだ。
 たとえばこれがBEST BUY”ならこんなことはないだろう。それには〝お買い得〟というぴったりの日本語があるから、ところが”STATE OF THE ART”の方には、どうもぴったりの日本語が見当らない。

●山中敬三
 ステート・オブ・ジ・アートという言葉は、わが国でこそ耳慣れないが、以前からアメリカを中心によく使われていた。私は、ステート・オブ・ジ・アートという言葉の本来の意味合いは、意訳かもしれないが、その時代において技術的に最高を極めた製品、というのが適当な訳だろうと思っている。元来、この言葉の持つ意味合いはかなり難しいもので、この言葉が使われ始めた頃には、よほどの製品でない限り、そのようには表現されなかったのであるが、最近、特にアメリカのオーディオ製品のランクを表わす言葉として、新しい着想で作られた技術の最先端をいくものに対して頻繁に使われるようになったために、最近ではさほど値打ちがなくなって、さらにエッジ・オブ・ジ・アートなどという言葉が作られるほど、一般化してしまった感がある。
 私は、今回ステート・オブ・ジ・アートを選出するに当って、やはりその言葉の原点に帰るべきだという気がする。そうでなければこの言葉の意義はまったく失われてしまうし、これだけ製品数の多い現状では選考基準をちょっとでも落すと非常に広範囲になってしまって、いわゆる〝ベストバイ〟というものと何ら違いはなくなってしまうという心配さえある。

書き出しだけだが、みな”State of the Art”をどう解釈するについて書かれている。
よく似た企画の41号の「世界の一流品」ならば、こうはならなかった。

もっといえば、最初からステレオサウンド・グランプリという名称であったなら、
「ステレオサウンド・グランプリ選定にあたって」の書き出しは、まったく違うものになっていたはずだ。

もしかすると名称の候補にステレオサウンド・グランプリは最初からあったのかもしれない。
けれど、これではラジオ技術のコンポグランプリの後追い・二番煎じと思われかねない。
ステレオサウンドの性格からして、それは最も避けたいことである。

“State of the Art”は、その役目を見事に果している。