Archive for category きく

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その10)

7月3日のaudio wednesdayから、カセットデッキのことが気にかかっていて、
ヤフオク!をほぼ毎日のように眺めていた。

いったい、どの程度のコンディションのカセットデッキが、
どのくらいで購入できるのだろうか。
ヤフオク!には、どんなカセットデッキが出品されているのか──、
そういったことが知りたくて、iPhoneにインストールしたヤフオク!のアプリを眺めていた。

結局、当り前のことなのだが、売れたカセットデッキは出品されているし、
あまり売れなかったであろう、たとえばラックスのカセットデッキはみかけなかった。

なんとしてでも、あのカセットデッキが欲しい、手に入れる、
という強い気持を持っているわけではない。

これまで挙げたいくつかのカセットデッキのなかで、
程度が良くて、価格もほどほどといった虫のよいことが前提としてあった。

完動品といえるコンディションであれば、それなりの価格になるのもわからないわけではないが、
動作品ぐらいのレベルのモノに応札合戦する気はまったくなかった。

上限も決めていた。
その範囲内で落札できるモノ──、
そんなモノが見つかるのか、と思われるだろうが、
結果をいえば、見つかった。

ヤマハのK1dである。
ブラックパネルのK1dだった。

説明文には動作品とあった。
写真では、小さいな傷がないわけではないが、状態は良さそうである。
上限は12,000円と決めていた。

9,500円で落札できた。
送料を含めても、予算の12,000円以内でおさまった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その9)

ヤマハのカセットデッキといえば、私にとってはTC800GLである。
マリオ・ベリーニのデザインのカセットデッキは、
中学生の私でも、
他のカセットデッキとははっきりと違うデザインということはわかった。

マリオ・ベリーニはMario Belliniである。
ずいぶん後になって気づくのだが、
作曲家ヴィンチェンツォ・ベルリーニはVincenzo Belliniであり、
カタカナ表記は少し違うものの、二人ともBelliniである。
遠縁だったりするのだろうか。

TC800GLは、類型的になりがちなカセットデッキにおいて、
とにかく光っていた。
似た形態のナカミチのデッキも存在していたけれど、TC800GLは光っていた。

このころのヤマハのカセットデッキの型番はTCから始まっていた。
それがKから始まる型番に変った。

その一号機がK1だったはずだ。
TC800GLからは様変りした。
類型的になったわけだが、それでもヤマハのオーディオ機器らしいパネルである。

目立つことはないし、地味な印象を持っていた。
それにヤマハのカセットデッキの最上級機であるのに、
十万円を切る価格は、優れた製品がほどほどの価格で買えるのはありがたいことなのに、
なんとなく中級機どまりの印象もあったりした。

ヤマハのセパレートアンプ、プリメインアンプはもっと価格帯が上であった。
メカニズム、録音アンプ、再生アンプなどから構成されるカセットデッキが、
これだけの価格ということは、どこかでうまくコストダウンしているに違いない──、
そんなことを思ったりもした。

そんな印象を勝手にもっていただけに、瀬川先生のリスニングルームにも、
菅野先生のリスニングルームにも、K1aかK1dがあることは、ちょっとした驚きだった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その8)

ステレオサウンド 50号で、
瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて 私とリスニングルーム」の連載が始まった。

瀬川先生の新しいリスニングルームは、ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌でも、
それからしばらくしてから誌面に登場するようになった。

FM fanのカラーグラビアもそのう一つだった。
穴が開くほど見た。

そこにヤマハのK1、カセットデッキがあった。
時期からすればK1aだったかもしれない。

K1かK1aなのか、写真だけでは判断できなかった。
ステレオサウンド 55号、ベストバイの特集で、
カセットデッキのMy Best3として、
テクニクス RS-M88(145,000円)、サンスイ SC-77(73,800円)、
ヤマハ K1a(98,000円)の三機種を挙げられていた。

ステレオサウンド 60号で、
「プロが明かす音づくりの秘訣」が始まった。
一回目は菅野先生で、菅野先生のリスニングルームのアンプ棚にも、
ヤマハのカセットデッキがある。K1dである。

K1aにdbxのノイズリダクションを搭載したモデルである。
60号、270ページに、K1dの写真があり、その下の説明文にはこう書いてある。
《このデッキで初めて録再した時は、ほんとにびっくりしたよ。(カセットとしては)とにかくノイズが少なかった》

菅野先生もヤマハのK1なのか、と思ったことを、いまも憶えている。
K1aもK1dも十万円をぎりぎり超えない。
この時代のカセットデッキとしては中級機ということになろうが、
いいデッキなんだろうなぁ、買うとしたらK1dだな、と思ったのは、
いまから三十八年前である。

Date: 7月 15th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その7)

(その6)へのコメントが、facebookであった。
そこには、80年代末に、憧れのナカミチを手に入れることができた、とあった。

1980年代末、そのころカセットデッキが販売店でどういう扱いをされていたのか、
自分の目で確かめているわけではないが、
おそらく定価からかなり割引いて売られていたのであろう。

だからこそ、(その6)へのコメントであったはずだ。

コメントを読んでいて、私にとっての憧れのカセットデッキは? としばらく考えていた。
なかったなぁ、というのが正直なところである。

アナログプレーヤーであれば、EMTの930st、927Dst、トーレンスのReferenceがそうだった。
アンプにも、同じくらい憧れていたモノがいくつかあった。

学生だったころ、いつかはEMT、いつかはマークレビンソン、
そんなふうに憧れていた時代だった。

けれどカセットデッキとなると、
そういう強い憧れを持たずに、ここまできてしまった。

ルボックスのB710はいいなぁ、と思ったけれど、
930stに感じていた憧れと同じとはいえない。

カセットデッキに夢中になれなかったことを、改めて感じている。

ナカミチのデッキといえば、友人のAさんは、
ハタチ前後のころ、秋葉原にあった光陽電気でアルバイトをしていた。

彼は、ナカミチのDragonを、店でいちばん売った男である。
光陽電気内だけというよりも、全国的にみても、そうとうな数を売っていたみたいだ。

Aさんが商売上手だったからなわけではない、と思っている。
Aさん自身が、ナカミチのDragonに強い憧れを抱いていたからこその売上げだ、と思っている。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その6)

井上先生が、ステレオサウンド 73号のベストバイにおいて、
カセットデッキの現状について、こんなことを書かれている。
     *
 カセットデッキの高性能化、機能の多様化は、すでに完成期を迎え、オーディオ製品というよりは、プログラムソースのベースとしての必需品的な性格が強くなり、ステレオサウンド的オーディオとは関係のない商品へと進んでいる様子である。
 価格的にも、すでに10万円前半が高級機の上限的な傾向が定着し、カセットテープの高性能化によるクォリティアップという好材料もあって、最下限の音質が向上したため、一段とオートリバース、Wカセットへの方向が促進されるだろう。
     *
73号は1984年冬号である。
ナカミチの1000ZXLは、この時点でも現行製品だったが、
カセットデッキのベストバイではなくなっている。
二十万円以上のカセットデッキのベストバイとして、
B&OのBeocord 9000には岡先生が二点をいれられているが、
これのみ、岡先生だけである。

1000ZXLが登場したころとは、ずいぶんな様変りである。
こういうふうになることは、メーカーならばある程度は予測できたことなのか──、
とも思う。

予測していたメーカー、そうでないメーカー、どちらもあったと思う。
井上先生は、77号のベストバイでは、
《あれほどまでに、全盛を誇っていたカセットデッキが、急激に衰退を示したことは、日の出の勢いを謳歌するCDプレーヤーにとっても、何れは己れの身かな、という一種の警鐘であるのかもしれない》
と書かれている。

77号は1985年、三十四年前のステレオサウンドである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その5)

アキュフェーズが、カセットデッキを出していたら、
どんなモノになっていただろうか、と想像するのはけっこう楽しいし、
その音についても、勝手に想像するのもさらに楽しい。

けれどアキュフェーズからはカセットデッキは出なかった。
ナカミチのカセットデッキと肩を並べるモノを出してきたかもしれない。
なぜ、アキュフェーズはカセットデッキを出さなかったのか。

結局は、アンプと同じレベルのアフターサービスの維持が困難だったからではないのか。
アキュフェーズのアフターサービスについては、
ユーザーであればご存知のはず。

ユーザーでなくてとも、アキュフェーズのアフターサービスについて、
悪い話は聞いたことがない。
アキュフェーズはしっかりしている、という話ばかりを聞く。

カセットデッキで、これだけのアフターサービスは無理ではないだろうが、
その分会社への負担は大きくなるだろう。

オーディオの業界では、修理を専門とするところ(人たち)がいる。
そういう人でも、カセットデッキの修理だけはやりたくない、という。
そうでない人もいるだろうが、
カセットデッキの修理はやりたくない、という人の気持はよくわかる。

修理というのは、モノにもよるが大変な作業である。
自分で作ったモノを修理するのではない、
誰かが作ったモノを修理するのは、
修理の対象となる製品を理解していなければ、できないことである。

カセットデッキの修理は、故障の程度にもよるが、
アンプの修理よりも手間も時間も神経も使う作業である。

アキュフェーズがカセットデッキを開発しなかった理由はわからないが、
アフターサービスのことを抜きにしての理由はないはずだ。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その4)

ラックスは、アンプ専門メーカーと、当時はそういえた。
PD121、131といった魅力的なターンテーブルも出していたし、
ブックシェルフ型のスピーカーも出していたけれど、
ラックスはアンプ専門メーカーの色合いが濃かった。

アキュフェーズも、同じくアンプ専門メーカーである。
アキュフェーズはMC型カートリッジAC1を出していたけれど、
CDプレーヤーのDP80+DC81を出すまでは、
チューナー以外の音の入口にあたる機器をてがけていない。

こんなふうにカセットデッキのことを考えたり書いてたりすると、
アキュフェーズは、なぜカセットデッキに手を出さなかったのか、と思う。

ラックスは出した。
アキュフェーズは出していない。

アキュフェーズにも、カセットデッキを開発する技術力はあった、と思う。
アキュフェーズは、ラックスと同じころにカセットデッキを手がけていたら──、
とつい夢想してしまう。

アキュフェーズのアンプを使っていた人の何割かは、
チューナーもアキュフェーズだったのではないだろうか。

メタルテープが登場したころは、FM放送はブームだったし、
エアチェックも流行っていた。

ライヴ放送も、いまよりも多かったように記憶している。
オープンリールデッキで録音する人もいれば、
カセットデッキで、という人もいるわけで、
1970年代後半はカセットデッキで、という人のほうが多かったのではないのか。

この時代、アキュフェーズに、
ユーザーからカセットデッキを出してほしい、という要望は届かなかったのか。

アキュフェーズのチューナーで受信して、アキュフェーズのカセットデッキで録音し、
アキュフェーズのカセットデッキで再生し、
アキュフェーズのアンプで増幅して鳴らす(聴く)──、
そういうことを望んでいたアキュフェーズの使い手は、きっといたはずだ。

Date: 7月 10th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その3)

高校生のころ欲しかったカセットデッキの一つに、
ラックスのK12、5K50がある。

K12が、ラックスにとって最初のカセットデッキだったか。
メタルテープの登場にあわせるかのように、K12が出てきた。

他社のカセットデッキとはちょっと違う趣のアピアランスに、
高校生の私はなんとなく惹かれた。

K12は、128,000円だった。1978年ごろである。
ラックスのカセットデッキのラインナップは、その後充実していく。
5K50は280,000円という、当時としては最高級機といえるモデルだった。

ここまでの製品を開発して出してくるということは、
ラックスのカセットデッキは売れていたんだろうな、と思う。

同時期にナカミチは680ZXを出した。
自動アジマス調整、半速録音・再生機能をもったモデルは、
高校生の私には、フラッグシップモデルの1000IIよりも魅力的にうつった。

1000IIはメタルテープに対応していなかった。
680ZXは当然対応していた。

比較試聴したことはないけれど、メタルテープと680ZXの音は、
1000IIを肩を並べるか、部分的には上廻っていたのではないだろうか。

680ZXは238,000円だった。
ラックスの5K50が高いとはいえ、同価格帯のカセットデッキであり、
どちらも、当時欲しかったカセットデッキだったが、
どちらか一台となると、5K50に魅力を感じた。

音は680ZXのほうが優れていたであろう。
でも、680ZXのイジェクト用のレバーと、
全体的な武骨な感じが、あと一歩、欲しいという気持にまで達していなかった。

でも音を聴いたら680ZXがいい、といっていたかもしれない。

Date: 7月 9th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その2)

実をいうと、二十数年前、カセットデッキを買おう、と思ったことがある。
フィリップスのDCC900が投売りといえる状態で店頭に並んでいたからだった。

DCCとはデジタルコンパクトカセット(Digital Compact Cassette)のことである。
DCCの特徴は、アナログのコンパクトカセットもデジタルのコンパクトカセットも使えたことにあった。

しかもアナログのカセットの再生のクォリティが高い、ということも話題になっていた。
といっても実際に聴いたわけではないので、どのレベルなのかはわからない。

それでもあまりの安さに、この値段だったら、
デジタルもアナログも使えて、一台あると便利かもしれない、と思い手を出しそうになった。

なのに買わなかったのは、DCC900のアピアランスがあまりにも安っぽいというか、
品がないというか、
なぜ、このアピアランスで、フィリップス・ブランドで出すのだろうか──、
と思うほど、目の前に置きたいとは絶対に思わせないモノだった。

DCCそのものも普及しなかったように記憶している。
けれどフィリップスということもあって、
ミュージックテープは意外にも充実していた。
フィリップスだけでなく、ドイツグラモフォンやデッカからも出ていた。

DCC900もヤフオク!に出ている。
とはいえ、DCC900に手を出そうとはまったく思わない。

いくら安くても、DCC900を修理できるところはあるのだろうか、と考えるからだ。
でも、DCC900を、新品で買わなかったことは後悔ではない。

いま新品に近いコンディションのDCC900が、安価で購入できたとしても、
そしてアナログのカセットテープの音がなかなか良くても、
やっぱりの、あのアピアランスだけは我慢できないからだ。

Date: 7月 9th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その1)

カセットテープをテーマとした今回のaudio wednesdayでの音、
そして、それについて書いていると、
カセットテープ再生にどこか冷淡なところのある私でも、
カセットデッキが一台、欲しいなぁ、という気持になってくる。

現行製品のカセットデッキとなると、ティアックぐらいしかないのか。
悪い製品ではないと思うのだが、
全盛時代のカセットデッキを見てきた目には、どうしてもものたりなさがつきまとう。

価格帯も違うのだから、しかたないことだとわかっていても、
これならば中古のカセットデッキから選ぼうかな、と思うわけだが、
実際にヤフオク!で、カセットデッキの出品をながめてみると、
予想できていたこととはいえ、厳しい状況ではある。

ジャンクとして出品されているモノが少なくない。
ジャンクとことわっていながらも、スタート価格が意外にも強気なモノもある。

そうでない出品も多いが、
動作品と書かれていても、いったいどの程度の動作品なのかまだははっきりしない。
完動品といえるモノはどれだけあるのだろうか。

落札して現品が手元に届いてからでないと、はっきりしたことはわからない。
それに出品者のところでは動作していても、
輸送途中でダメになってしまうことだって十分考えられる。
丁半ばくちにちかいといえば、そうかもしれない。

メーカーに修理に出せればいいが、
ほぼすべてのカセットデッキは、メーカーも修理を受け付けてくれないだろう。
中古のカセットデッキを、この時代に買うというのは、そういうことなのだろう。

それでも、一台、欲しい、という気持は消えない。
新品同様と思えるコンディションのカセットデッキを、
高い値段で落札しようとはまったく思っていない。

当時中級クラスだったカセットデッキで、
とりあえず動作していて、こんな値段で落札できるの? と思えるくらいでいい。

自分で録音して何かを聴くためのモノではない。
いまのところ六本あるグラシェラ・スサーナのミュージックテープを、
思い出した時に聴きたいだけなのだから。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(菅野沖彦氏のこと)

ステレオサウンドでの試聴のあいまに、菅野先生が話されたことを思い出している。

それがいつなのか正確には話されなかったが、
音というものがよくわからなくなった時期が、菅野先生にもあった、とのこと。

その時、菅野先生はラジカセを買いに行かれたそうである。
さすがにオーディオ店、電器店だと、
オーディオ評論家がラジカセを買いに来た──、
そんなウワサが流れることもあろうから、わざわざデパートで購入された、とのこと。

ラジカセで音楽を聴かれたはずだ。
どんなふうに聴かれたのか、
そこで何を感じられたのか、何を学ばれたのか、
いまになって強く知りたい。

あの時、きちんときいておけばよかった、と後悔している。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その7)

この項の(その4)に、
audio wednesday常連のHさん(愛知のHさんと違う)から、facebookにコメントがあった。

グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生は、
これまで経験のない音楽表現を聴くことができた、とあった。

これだけ、当日の音を聴いていない人の中には、
ノスタルジーに浸った音は思う人もいよう。

でもHさんは、決してノスタルジアといったことではなく、
一つの音楽表現(ピリオド奏法と同じようなもの?)としての経験、とされていた。

ピリオド奏法と同じ、とはいえないにしても、
確かにHさんがいわれるように、
ピリオド奏法と同じようなもの? と感じるのにつながっていく性質の音とはいえる。

ステレオ録音をモノーラルで聴いているわけだから、
録音されている情報量すべてが再生されている──、
そういう感じの音からは遠い鳴り方である。

しかも今回は歌ばかりを聴いていた。
聴く音楽がかわれば、印象もまた違ってこようが、
どの歌も、ここでの表現を逸脱するような表現を求めてくるわけではなかった。

そのこともHさんの印象に、いい方向に働いていたのかもしれない。

それでも(その5)の最後に書いた細工による音の変化は、
しなやかできっちりと表現してくれた。

それまではどこかナロウな感じがどこかしらつきまっていたが、
もうほとんど気にならなくなった。

この部分は、やっぱり、これだけの悪さをしていたのか──、
そのことを実感していた。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その6)

カセットテープの音に、どこかふわふわしたところを感じ、
それが安定感のなさにつながっているように感じもする私は、
熱心にカセットテープの音に取り組んできたとはいえない。

メタルテープが出れば、関心をもった。
もったけれど、メタルテープ対応のカセットデッキを買うにはいたらなかった。

ナカミチが1000ZXL、さらに1000ZXL Limitedを出したときも、
すごいモノだなぁ、と思いながらも、そのおもいに憧れは含まれていなかった。

なので1000ZXLを持っている人をうらやましく思うことはなかったし、
1000ZXLを買えるだけの余裕があるのならば、
ルボックスかスチューダーのカセットデッキが欲しい、と思っていた。

カセットデッキの性能として、1000ZXL以上は求められないであろう。
1000ZXLの音をきいたことがないわけではない。
700ZXLの音も聴いているし、
そのころNHK-FMで放送されたシルヴィア・シャシュのライヴを録音したとき、
ステレオサウンド試聴室にあったケンウッドのL02Tと700ZXLを使った。

カセットテープでも、これだけの音で録れるのか、と感心もした。
それでも、その録音したテープを聴くのには、ソニーのウォークマンWM2だった。

カセットテープと私とのつきあいは、その程度だった。
夢中になることはなかった。

7月のaudio wednesdayのテーマをカセットテープにしてからも、
だからといって、準備になにかやっていたわけでもない。

そんな私でも、いざ、ひさしぶりにカセットテープでの音楽をまじめに聴いていると、
こういう聴き方を忘れていたような感覚があった。

Date: 7月 5th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その5)

AXIOM 150を鳴らすアンプ、MA7900には、5バンドのトーンコントロールがついている。
ふだんアルテックのスピーカーを鳴らす際には、パスしている。
まったく使わないというわけでもないが、ほとんどは使わずに鳴らしている。

でも今回はついている機能は、使わなければもったいないという感覚で、
慎重にいじる帯域もあれば、
かなり大胆にいじった帯域もある。

とはいってもトーンコントロールをいじっていた時間は一分ほどである。
もっと時間をかけてこまかくやっていけば、もっといい感触が得られたかもしれないが、
わりといい感じにまとまってくれたと思う。

どの帯域をどの程度動かしたかについて書いたところで、
条件が変れば、何の参考にもならないから省かせていただく。

大事なことは、どういう音にしたいのかという心象をしっかりと持った上でいじる、ということ。
ここでの心象とは、鳴らす音楽に対する「想像と解釈」からなる。

このあたりで、スピーカーもカセットデッキも調子を取り戻しつつある感じの音になってきた。
もうみんな黙って聴いている。

60代が一人、50代も一人、ぎりぎり20代が二人、
四人が黙って聴いていた。

音も変ってきたこともあるし、
耳のピントが合ってきた(なれてきた)ということもあろう。

ここまで来て、ひとつだけ細工をした。
TC-K555ESXでは片手がすぐにやれることである。
元に戻すのも片手でできることである。

それでも、このちょっとした細工による音の変化は、みなびっくりしていた。
TC-K555ESXは簡単にできるが、ほかのメーカーのデッキ、
ソニーのデッキでも時期の違うモデルになると、そうはいかないかもしれない。

けれど、どこのデッキであっても、ここでやったことは応用できるし、
そこでの音の変化は、今回の音の変化と同じ傾向をもつはず。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その4)

中学生だったころ、
ラジカセとの距離は近かった。
どのくらいかといえば、手を伸ばせばラジカセがそうさできるところに置いて鳴らしていた。
1mも離れていない。

そんな至近距離で聴いていた。
これは音量の問題というよりも、
少しでも多くの音を聴き取りたい──、
そう思っての、この距離の近さである。

音量をあげて、少し距離をとればいいじゃないか、といわれそうだが、
私が持っていたラジカセで、ほどよく鳴ってくれる音量と兼合いも関係してのことだ。

そのことを思いだしたから、
来られた方に、AXIOM 150の正面1mくらい床に直接坐ってもらって聴いてもらった。

AXIOM 150は中型くらいのフロアー型エンクロージュアにおさめられていて、
ユニットの位置(高さ)は、
ちょうど床に坐ったくらいが、耳の位置とユニットの位置とが合ってくる。

こうやって聴いていると、
中学時代のラジカセで聴いていたころの感覚がよみがえってくるような気さえする。

私が持っていたラジカセはフルレンジ一発だった。
トゥイーターはなかった。

喫茶茶会記の店主、福地さんにも、こうやって聴いてもらった。
喫茶茶会記の「店主日記」に、昨晩のことを書かれている。