カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その7)
この項の(その4)に、
audio wednesday常連のHさん(愛知のHさんと違う)から、facebookにコメントがあった。
グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生は、
これまで経験のない音楽表現を聴くことができた、とあった。
これだけ、当日の音を聴いていない人の中には、
ノスタルジーに浸った音は思う人もいよう。
でもHさんは、決してノスタルジアといったことではなく、
一つの音楽表現(ピリオド奏法と同じようなもの?)としての経験、とされていた。
ピリオド奏法と同じ、とはいえないにしても、
確かにHさんがいわれるように、
ピリオド奏法と同じようなもの? と感じるのにつながっていく性質の音とはいえる。
ステレオ録音をモノーラルで聴いているわけだから、
録音されている情報量すべてが再生されている──、
そういう感じの音からは遠い鳴り方である。
しかも今回は歌ばかりを聴いていた。
聴く音楽がかわれば、印象もまた違ってこようが、
どの歌も、ここでの表現を逸脱するような表現を求めてくるわけではなかった。
そのこともHさんの印象に、いい方向に働いていたのかもしれない。
それでも(その5)の最後に書いた細工による音の変化は、
しなやかできっちりと表現してくれた。
それまではどこかナロウな感じがどこかしらつきまっていたが、
もうほとんど気にならなくなった。
この部分は、やっぱり、これだけの悪さをしていたのか──、
そのことを実感していた。