Archive for category 日本のオーディオ

Date: 12月 3rd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ・余談)

ラックスのこととは関係ないが、
電源周波数の違いは、アナログプレーヤーで、シンクロナスモーターの場合、
メーカーはどう対応しているのか。

シンクロナスモーターであれば50Hz用と60Hz用と、
電源周波数が違えばモーターごと交換するのが本来である。

EMTの930st、927Dstなどはそうである。
けれどすべてのシンクロナスモーター使用のモノがそうではない。

モーターを交換せずに、プーリーと進相コンデンサーを交換で対処するモノ、
プーリーだけを交換するモノがある。

はっきりいってプーリーだけの交換ですませてしまうアナログプレーヤーは、
論外といっていい。
どんなに高音質を謳っているモノであっても、
世評が高いモノであっても、
そのメーカーが50Hz、60Hz、どちらの国なのか、
そしてどちらの電源周波数の地区で使うかによっては、問題が生じることがある。

進相コンデンサーも交換するモノであればまだましだが、
それでもお茶を濁している対処法でしかない。

まして高額なプレーヤーで、モーターを交換しないモノは、私は信用していない。

もちろん発振器とアンプによるモーター駆動回路を搭載しているのであれば、
その限りではない。

Date: 12月 1st, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(続ラックスのアンプ)

同じことをウエスギ・アンプにもおもう。
ここでいうウエスギ・アンプとは現在のそれではなく上杉先生の時代のアンプのことだ。

上杉先生自身がいわれていたように、刺戟的な音は絶対に出さないアンプだった。
そのかわりとでもいおうか、音の力感ということに関しては控えめな表現にとどまっていた──、
そう感じる面をもちあわせていた。

けれど、このことは電源周波数の違いと無関係とは思えない。
上杉先生は兵庫県にお住まいだった。
当然、ウエスギ・アンプはそこでつくられていた。
音決めも60Hz地区である兵庫県で行われていた。

しかもU·BROS3のトランス類はすべてラックス製である。
電源トランスもだ。

この時代のウエスギ・アンプを60Hz地区で聴いたことはない。
なのではっきりしたことはいえないのだが、
U·BROS1とU·BROS3のペアを、60Hz地区で聴いたら、
力感の表現に関しての印象は違ってくるように思われる。

電源周波数の違いで、そのアンプの本質までが180度変ってしまうということはない。
けれど、特質においては意外と変ってしまう面もある。

いまになってU·BROS3を、60Hzで聴いてみたかった、と思っている。

Date: 12月 1st, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ)

いまラックスの本社は横浜市にある。
1984年に本社を大田区に移転後、関東にある。

それ以前は大阪に本社はあった。
大阪と関東では電源の周波数が違う。
60Hzと50Hzの違いがある。

大阪本社時代は、製品開発は大阪で行っていたはず。
つまり60Hzの電源の元で行われていたわけだ。

私がはじめて聴いたラックスのアンプはLX38だった。
大阪本社時代のアンプである。
熊本のオーディオ店で聴いているから、60Hzである。

オーディオ雑誌の出版社はすべて東京にある。
50Hzである。
大阪本社時代のラックスのアンプは、50Hzで試聴されていた。
オーディオ評論家によっては、大阪本社に行って試聴している人もいようが、
大阪と東京、どちらで聴く機会が多かったかといえば、東京のはずだ。

50Hzと60Hzによる音の違いは大きい。
アメリカ製アンプで、まだ日本仕様(100V対応)になっていないアンプの場合、
昇圧トランスを使った方がいいのか、とときどききかれる。

どういう昇圧トランスを使うかにもよるし、
アンプにもよって結果は違ってくる。

ここでもオリジナル至上主義者は、アメリカと同じ電圧でなければ、という。
ならば、そういうオリジナル至上主義者は、60Hzで聴いているのだろうか。

厳密な試聴をしての印象ではないが、
60Hzのアメリカ製アンプは、電源電圧よりも電源周波数のほうが影響が大きいように感じている。

大阪本社時代のラックスのアンプも、そうだったのではないだろうか。

Date: 10月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その4)

パイオニアの創立者である松本望氏は、1988年7月15日に逝去されている。
ステレオサウンド 88号に、菅野先生が「松本 望氏を悼む」を書かれている。

ここにステレオフォンSH100のことが出てくる。
     *
 ステレオフォンという、たしか、昭和三十四年頃だったと思うが、ステレオレコードをサウンドボックスで再生する機械には、まだ強い執着をもっておられたようだ。アンプなしのアクースティック・ステレオレコード再生装置であったが、確かにダイレクトでピュアーな音がしたものだった。
     *
モノーラルのころからオーディオマニアだった人ほど、
モノーラルからステレオへの移行は遅かった──、という話を見たり聞いたりしている。

凝りに凝った再生装置をもうひとつ一組用意するのが大変だったのが、その理由である。
当時はメーカー製を買ってシステムを組むのではなく、
自作して、というのが主流であったからこその理由といえよう。

SH100はそういう人たちに、
ステレオレコードの良さを手軽に体験してもらおう、という売り方を行ったらしい。
それからオーディオマニアでない人たちにも、ステレオレコードという新しい体験をしてもらおう、
という意図もあったそうだ。

そのためもあってだろうか、それにアンプを必要としない、
というのが子供だましのように受け取られたのかもしれない。

SH100は決してそういうモノではないと感じていた。
松本望氏が、まだ強い執着をもっておられたということは、その証しといえるし、
菅野先生の《ダイレクトでピュアーな音がした》は、そのことを裏付けている、と受けとめている。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その3)

点音源から発せられた音は球面波で拡がっていくため、
音源と距離が増すごとに音圧は低下していく。

伝声管が、数百m離れていても音を明瞭に伝えられるのは、
伝声管の中では、球面波ではなく平面波の状態に近いためだ。

そのため伝声管の径は音の波長よりも十分に小さい径でなければならない。
径が十分に小さければ拡がっていくことができないからであり、
平面波の伝搬と言え、遠くまで、文字通り声(音)を伝えることができる。

音速を340m/secとして、340Hzで波長は1m、3.4kHzで10cm、6.8kHzで5cm……となっていく。
十分に小さい径がどの程度なのか勉強不足なのではっきりといえないが、
伝声管の径は小さいほど高域まで伝えられる。

そうなるとどこまで細くしていくのがいいのか。
耳の穴と同じ径あたりが最適値なのではないだろうか。
この状態が、音響インピーダンスがマッチングがとれている、といってもいいはずだ。

耳の穴よりも径が細すぎては、隙間が生じそこから音が逃げていく。
音響インピーダンスがマッチングしていない、ということになるし、
径が太くても、管の中を伝わってきた音すべてが耳の穴に入るわけでもなく、
これも音響インピーダンスがマッチングしていない、となる。

伝声管は、スピーカーと対極のところにある、といえる。
スピーカーから放出された音は、そのすべてが聞き手の耳の穴に入るわけではない。
その意味では音響インピーダンスのマッチングは著しく悪い、とも考えられる。

Date: 10月 8th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その2)

飛行機に初めて乗ったのは18のときだったから、いまから35年前。
びっくりしたというか、意外に感じたのは、音楽を聴くために用意されていたモノだった。

これも聴診器といえるモノだった。
いわゆるチューブで、ひじ掛けにある穴に挿し込むだけである。
イヤフォンやヘッドフォンではない。
振動板がチューブ内にあるわけではない。

最初はなんて原始的なモノ。
こんなのでまともに音が聴けるのか、と、
すでにいっぱしのオーディオマニアのつもりでいたこともあって、バカにしていた。

それでも機内では退屈なので使ってみると、
意外というか、原理を理解してみれば当然といえるのだが、
まともな音がしていた。

飛行機といえば、古い時代を描いている映画で爆撃機が登場すると、
操縦席と尾部とのやりとりは、電気をいっさい使わない伝声管による。
飛行機だけでなく、軍艦でも伝声管は登場する。

伝声管とは金属の管である。
マイクロフォンもスピーカーも、アンプも必要としない。
それでも数百mの距離、かなりの明瞭度で声を伝えられる、とのこと。
いまでも軍艦では、電源が喪失した場合のバックアップとして伝声管を備えているともきく。

人の声をできるだけ遠くまで届ける技術として、
伝声管はローテクノロジーといえるわけだが、決してロストテクノロジーではない。

Date: 10月 7th, 2016
Cate: 日本のオーディオ
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日本のオーディオ、これまで(パイオニア SH100・その1)

SPならばアクースティック蓄音器によって、電気を通していない音を聴くことができる。
アクースティック蓄音器が成立していたのは、SPがモノーラルレコードであったから、ともいえる。

もしステレオSPが最初から登場していたら、
アクースティック蓄音器はどういう構造になっていただろうか。

ステレオSPは実験的に作られている。
その復刻盤が30年ほど前に発売され、日本でも市販されていたので、
ステレオサウンドで記事にしたことがある。
とはいえステレオSPは特殊なディスクで、SPはモノーラルと決っている。

SPはLPになり、1958年にモノーラルからステレオになった。
パイオニアは1961年に、SH100を発売している。
当時の価格は2,650円。

パイオニアのSH100ときいて、どんな製品なのか、さっぱりという人がいまでは多いはずだ。
私も実物は見たことがない。
でも、これだけはなんとか完動品を探して出して、その音を聴いてみたい。

SH100はカートリッジとトーンアームが一体になっていて、
出力ケーブルのかわりに、聴診器がついている。

つまりステレオLPをアクースティック再生するピックアップシステムである。
ターンテーブルを回転させるのに電気は必要になるが、
信号系には電気を必要としない。しかもステレオ再生である。

こんな製品は、日本だけでなく海外にも存在しない、と思う。

SH100の存在は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」パイオニア号で知っていた。
でも当時は、こんなモノをつくっていたんだ……、ぐらいの関心しか持てなかった。

PIM16KTに関することを確認するためにパイオニア号を読んでいて、
SH100の存在に改めて気づいた。
こんな面白いモノに、いままで興味をもたなかったことを少し恥じている。

パイオニア号には、こう書いてある。
     *
 この年、世のカートリッジ屋さんに衝撃を与えるものがパイオニアから出て来た。それはステレオホンSH−100という、全くアコースティカルなメカだけでステレオLPレコードを再生しようとする、いわばサウンドボックスの現代ステレオ版であった。45/45の音溝から拾い上げられた振動は二枚のダイアフラム──それが巧妙なバランサーで位相を合せられ、聴診器のようなビニールパイプで耳穴に導かれるシクミであった。
 左右のバランスや音量は水道のコックのようなネジで調整するという、なんとも原始的というかシンプルというか、あきれたメカニズムなのである。ところがこの電気とか電子のお世話にならない珍兵器が、信じられないくらいよい音であった。いわばダイレクトヒアリングだから当然なのだが、当時技術部におられた西谷某氏のアイディアを松本会長が周年で製品化したと伝えられるが、あるピックアップメーカーの社長は、自分たちは何をしてきたか、自問して2〜3日ぼう然としてしまったと当時述懐していた。
     *
SH100の音は、音響インピーダンスのマッチングがとれている音といえるはずだ。

Date: 10月 6th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスと広告・その2)

1997年にステレオサウンドから「ラックスマンのすべて」というムックが出ている。
この本の後半に「私とラックスマン」というページがある。

ステレオサウンド執筆者のラックス観といえる記事である。
朝沼予史宏氏が書かれている。
     *
 大学を卒業後、私はマイナーなジャズ専門誌の編集者になった。そこで、長年ファンだったオーディオ評論家の岩崎千明氏を担当したことが、私の現在に至るオーディオ人生の発端となったといえるだろう。
 が、これから岩崎さんと親しくお付き合い願えると喜んだのも束の間、会社が廃業することになった。失業した半編集者4人で、新しいジャズ専門誌を創刊しようという話がまとまり、企画書を作り、方々をあたった結果、ある小さな出版社が面倒を見てくれることになった。
 私はどうしても岩崎さんの原稿を取りたいと思ったが、何しろ貧乏な出版社で大物筆者に原稿を依頼する予算が無い。それを応援してくれたのがラックスだった。「2ページ分の広告料で、ウチは縦3分の1ページの広告を入れるから、残りは岩崎さんに自由に書いてもらいなさい」という嘘のような話がまとまった。私は会社側に説明して、原稿料を奮発してもらい、岩崎さんの連載エッセイをスタートすることができた。
 当時のラックスにはオーディオ文化の向上に役立つことなら、人肌脱いでやろうという、よい意味のパトロン感覚があったような気がする。
 私はお陰で岩崎さんの原稿を取るという作業を通じ、氏のオーディオに対する精神に間近に触れることができた。それは何ものにも替え難い体験であり、自分のオーディオ観を形成する上での大きな力になった。
     *
これがジャズランドである。
ジャズランドは一時二万部を超える刷り部数だったが、
出版社が不渡りを出したため印刷の段階でストップがかかり、発行日が10日ほど遅れる。
このことで部数は激減し、廃刊になっていく。

朝沼予史宏は続けて、こう書かれている。
     *
廃刊決定が目前に迫った時、これ以上はスポンサー筋に迷惑はかけられないと思い、私は辞表を提出した。翌年、岩崎さんが亡くなられた。
     *
朝沼予史宏氏が最初に勤務された会社が倒産しなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
面倒を見てくれる会社がなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
ラックスの応援がなかったら、岩崎先生の、これらの短編はなかった。

Date: 10月 6th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスと広告・その1)

岩崎先生の「オーディオ彷徨」の後半に、
それまで読んできたものとは、少し趣の異る、しかも少し短い文章が続く。
オーディオ評論というよりも、エッセイともいえるし、
どこか短編小説的でもある。

モンローのなだらかなカーブにオーディオを感じた
ゴムゼンマイの鳥の翼は人間の夢をのせる
暗闇の中で蒼白く輝くガラス球
ぶつけられたルージュの傷
雪幻話
のろのろと伸ばした指先がアンプのスイッチに触れたとき
ロスから東京へ機上でふくれあがった欲望
20年前僕はやたらゆっくり廻るレコードを見つめていた
不意に彼女は唄をやめてじっと僕を見つめていた
トニー・ベッネットが大好きなあいつは重たい真空管アンプを古机の上に置いた
さわやかな朝にはソリッドステート・アンプがよく似合う
薄明かりのなか、鳩のふっくらした白い胸元が輝いていた
音楽に対峙する一瞬その四次元的感覚

タイトルだけを並べてみた。
すべて月刊誌ジャズランドに掲載されたものである。
でも、当時の私はジャズランドという雑誌のことはまったく知らなかった。
すでに休刊になっていた雑誌だった。

けっこう後になって知るのだが、これらはすべてラックスの広告であった。
自由な時代といったらいいのか、おおらかな時代といったほうがいいのか。
少なくとも、ここに窮屈さは微塵も感じない。

このラックスの広告に朝沼予史宏氏が関わっていることは知るのは、
もっと後のこと、1997年になってからだった。

Date: 9月 25th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その6)

ラックスのCL32について、いつか書こうと以前から決めていた。
CL34のことは触れないか、さらっと触れるぐらいにするつもりだった。

けれど今回のような書き方にしたのは、少し前にラックスからLX380という、
プリメインアンプの新製品が登場したからである。

LX380の型番からわかるように、SQ38シリーズの最新モデルにあたる。
LX380の前にはSQ38uというモデルがあった。

SQ38uを見た時も、ラックス、ほんとうにどうしたんだろうか……、と思ってしまった。
LX380でも、またそう思ってしまう。

正確にはラックスマンとしなければならないのだが、
以前はラックスだったし、
「どうしたんだろうか……」には、
ラックス時代の製品を知っているからこそのおもいが入っているから、ラックスとしておく。

まず型番について書いておきたい。
私はこのブログでは基本的には「−(ハイフン)」は省略している。

以前のラックスの型番のつけ方にはひとつのルールがあった。
最初のアルファベットが二文字のときは数字との間にハイフンは入らない。
SQ38、CL35、MQ36など、当時のラックスの広告を見てもらえば、確認できる。

一文字の場合は数字との間にハイフンがはいる。
L-390V、C-1000、M-6000というようにだ。

それがいつの間にか変更になっている。
ラックスマンのウェブサイトで製品情報のページをみてもらえれば、
アルファベットが二文字だろうと一文字だろうと、数字との間にハイフンが入る。

今回の新製品LX380も、正確にはLX-380である。
SQ38uもSQ-38uである。

日本のオーディオ機器はハイフンを使う機種がほとんどだ。
その中にあって、ラックスは少し違っていた。
それがラックスらしさでもあったのに、いまは違う。

型番のハイフンなど、ほんとうに細かなことである。
そんなことを取り上げたところで、音とは関係のないことじゃないか──、
そう思う人の方がいまでは多いのかもしれないが、
そのこまかなことの変更が、いまのラックスのデザインに深く関係しているとも感じられる。

Date: 9月 25th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その5)

SQ38FD/IIが1978年にモデルチェンジし、SQではなくLX38になり、
ウッドケースを脱ぎ捨てた。

SQ38FD/IIとLX38のどちらに魅力を感じるかといえば、
私はLX38である。
ウッドケースがないということも理由として大きいけれど、
それ以上に私にとってLX38には、別の想い出があるからだ。
そのことは以前書いているので、ここではあえてくり返さない。

その時の音が、まだ耳に残っている、と感じるときがある。
まったく別の音を聴いている時に、その時の音がふっと甦ってくるような感覚があるからだ。

CL32が1976年、このころのラックスはラボラトリーシリーズを出していた。
コントロールアンプの5C50、パワーアンプの5M21(メーターなしは5M20)、
プリメインアンプの5L15、チューナーの5T10、5T50、
トーンコントロールユニットの5F70、ピークインジケーターの5E24があった。

それまでのラックスのソリッドステートアンプもウッドケースが標準だったがが、
ラボラトリーシリーズはさっぱりと脱ぎ捨てている。

真空管コントロールアンプのCL35IIIもモデルチェンジして、
1978年にCL36になったと同時にウッドケースから抜け出している。

ウッドケースなしのラックスの製品がすべて優れていて、
ウッドケースつきの製品がそうではない、といったレベルの話ではなく、
このころのラックスは何かから脱却しようとしていた印象があるのだ。

CL36の音は聴いていないのでなんともいえないが、LX38はよかった。
ラボラトリーシリーズはすべてを聴いているわけではないが、
いいアンプという印象がいまも残っている。
CL32も、ここに含まれる。

CL34は、ここには含まれない。

Date: 9月 24th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その4)

ラックスのCL32をデザインしたのは、木村準二氏である。
ターンテーブルPD121も、木村準二氏のデザインである。

ラックス PD121で検索すると、
瀬川先生のデザインとしている人(サイト)が複数あるが、
瀬川先生ではなく、くり返すが木村準二氏のデザインであり、
PD121のデザインを見た瀬川先生は、非常に悔しがられた、という話も聞いている。

CL34のデザインが誰なのかは知らない。
木村準二氏ではないはずだ。
CL32をベースに、誰か他の人のデザイン(というか手直し)であろう。

手直しと書いてしまったが、
手直しとは到底いえない変更である。
手直しならば、CL32よりもCL34の方が優れていなければならないのだが、
実際にはそうではないことは、CL32とCL34の写真を較べれば誰の目にも明らかだ。

DTPが普及し始めた1990年代後半、
こんなことがいわれていた。

雑誌編集部が連載記事のデザインを、デザイナー(デザイン事務所)に依頼する。
DTPだからデータで入稿される。
その後は、最初のデータをフォーマットとして、
編集部で連載記事のレイアウトをしていく。

連載記事であればそちらの方が経費がかからずに済むし、
何もデザイナーに毎回発注する必要はないだろう、という判断のもとで、だ。

毎回まったく同じパターンで連載記事をつくっていくのであれば、
デザイナーに対しては失礼なことであっても、うまくいくのかもしれない。
でも実際の編集作業は、細かな変更が必要になることもある。

そういうときに編集者がMacとそれ用のアプリケーションを使って、
細かな変更を加える。
問題が発生するのは、こういう時からである。

編集者がデザインの意図を100%理解しているのであればまだいいが、
表面的な理解に留まっている場合、
連載が続けば続くほど、少しずつ元のデザインから離れていってしまう──、
こういう問題が指摘されたことがある。

CL32とCL34のデザインの違いについて書いていて、そのことを思い出してしまった。
木村準二氏がCL34のデザインを手がけられたら、結果は違っていたはず。

CL32のデザインをきちんと理解している人がCL34を手がけていれば、
また違っていたはずだ。

ところがリニアイコライザーからトーンコントロールへの変更、
それに伴うツマミがひとつ増えることを、
あまりにも安易に処理してしまった例がCL34のように思ってしまう。

Date: 9月 24th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その5)

日本唯一のレコードプレスメーカー東洋化成のエンジニアにレコードの疑問について聞いてみた」という記事が、
今年5月に公開された。

記事が公開されたsoundropeというサイトは、このとき知った。
facebookで、この記事をシェアしている人がいたから知ることができた。

タイトルに「疑問」とある。
ということは、あの疑問について東洋化成にストレートに訊ねるのかと期待した。
結果は期待外れだった。

といってはsoundropeのスタッフの方たちに失礼だろうが、
それでも期待外れであり、タイトルに「疑問」とつけたのだから、
疑問についてきいてみるべきであろう。

東洋化成にアナログのマスターレコーダーがないことは、
オーディオ関係の人ならば、かなり多くの人が知っている。
オーディオ業界で働いていない私でも、けっこう前から知っていたことである。

soundropeの人たちがどういう人なのかは知らないが、
少なくともサイトを運営して、東洋化成を訪問して記事をつくるぐらいだから、
オーディオの素人であろうはずがない。

ならばsoundropeの人たちも、東洋化成にマスターレコーダーがないことは知っていたであろう。
仮に知らなかったとしても、アナログディスクの製作過程を知る人ならば、
取材の段階でマスターレコーダーがないことにすぐに気づくはずだ。

知らなかった、気づかなかった……、はお粗末すぎる。
東洋化成にアナログのマスターレコーダーがないことは、
soundropeの人たちは知っていた、気づいていたはずだ。

そのうえでタイトルに「疑問」という言葉をいれたのだろうか。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その3)

CL32が登場したころ、ラックスの真空管のコントロールアンプは、
CL35IIIとCL30が現役だった。

CL35IIIは型番末尾の「III」が示すように二回の改良を受けたロングセラーモデルだった。
プリメインアンプのSQ38FD/IIも四回の改良を受けている。

ラックスは、このころ国内の他メーカーよりも息の長い製品をいくつか出していた。
そういう背景があったから、私は勝手にCL32もCL32II、さらにはCL32IIIまで出て、
SQ38FD/IIに次ぐロングセラーモデルになってくれるでは……、と期待していた。

キット版のA3032(88,000円)でも、すぐに買えるわけではない。
買えるのがいつになるのかは学生だったから、わからない。
ただ先のことだ、というのははっきりしていて、
そのころにはCL32もモデルチェンジしているだろうなぁ……、ぐらいに思っていた。

1980年、CL32はCL34となった。
CL32IIではなかった。

CL32にはトーンコントロールがついていなかった。
かわりにラックス独自のシーソー式に高低のバランスを変化させるリニアイコライザーだった。

瀬川先生はステレオサウンド 43号に、
《旧録音を含めて数多くのレコードを楽しみたいとき、ラックス得意のリニアイコライザーだけでは、音のバランスを補正しきれない。簡単なものでもトーンコントロールが欲しい。》
と書かれている。

こういう注文をつけられるということは、CL32を認められていたのでもあろう。
CL34にはリニアイコライザーがなくなりトーンコントロールがついた。
それにともないツマミが増えた。
デザインの変更点はそれだけでなく、電源ONを示す部分が、
CL32の小さな点から、大きめの四角になっている。
言葉で掻けば些細な変更点のように思えるだろうが、
実際の製品を見ると、大きな変更点である。

それからCL32にはウッドケースはなかった。
なかったからこそすっきりした装いで、
真空管アンプであることをことさら意識させないアピアランスに仕上がっていた、ともいえる。

CL34にはウッドケースが用意されていた。
別売ではあったけれど、広告やカタログにはウッドケースを装着した写真がメインだった。

薄型のCL34に、けっこうな厚みのあるウッドケースは、
重いコートを羽織ったようで、熱苦しい、野暮ったい、とも感じられる。

ラックス、どうしたんだろう……、と思っていた。

Date: 9月 22nd, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その2)

ラックスのCL32は、当時中学生だった私にとって、
マークレビンソンが憧れではあったけれど、
高価すぎてすぐには手が届くモノではなかったから、現実的な憧れ的モノだった。

CL32は当時128,000円。
マークレビンソンのJC2は630,000円、LNP2が1,180,000円していた。
しかもCL32にはキット版のA3032が用意されていた。
こちらは88,000円で買える。

ステレオサウンド 41号特集「世界の一流品」では、岩崎先生がCL32について書かれている。
     *
 この外観に接して、これが管球式とは誰も思うまい。さらにこの音に触れれば、その思いは一層だろう。今様の、この薄型プリアンプはいかにも現代的な技術とデザインとによってすべてが作られているといえる。クリアーな引きしまった音の粒立ちの中にずばぬけた透明感を感じさせて、その力強さにのみ管球アンプのみのもつ量感が今までのソリッドステートアンプとの差となってにじみ出ている。高級アンプを今も作り続けている伝統的メーカー、ラックスの生まれ変りともいえる、音に対する新体制の実力をはっきりと示してくれるのが、このCL32だ。管球アンプを今も作るとはいえ、もはやソリッドステートが主流となる今日、あまりにも管球アンプのイメージを深くもったラックスの新しい第一歩はこのCL32によって大きく開かれたといってよいだろう。おそらくソリッドステートを含むすべてのアンプの基礎ともなり得る新路線が、CL32に花を咲かしたと思うのである。
     *
《あまりにも管球アンプのイメージを深くもったラックスの新しい第一歩はこのCL32によって大きく開かれたといってよいだろう。》
ここに惹かれた。

43号のベストバイの特集でも、CL32は高く評価されていた。
岡先生以外の全員が、CL32をベストバイとしていた。

真空管というノスタルジーは、そこにないことは、
井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏の文章が語っていた。
それでいて真空管アンプの特質は、持っているのもわかる。

このころの私は女性ヴォーカルをしっとりと鳴らしたいことを、最優先していたから、
CL32(A3032)には注目していた。