日本のオーディオ、これまで(ラックスと広告・その2)
1997年にステレオサウンドから「ラックスマンのすべて」というムックが出ている。
この本の後半に「私とラックスマン」というページがある。
ステレオサウンド執筆者のラックス観といえる記事である。
朝沼予史宏氏が書かれている。
*
大学を卒業後、私はマイナーなジャズ専門誌の編集者になった。そこで、長年ファンだったオーディオ評論家の岩崎千明氏を担当したことが、私の現在に至るオーディオ人生の発端となったといえるだろう。
が、これから岩崎さんと親しくお付き合い願えると喜んだのも束の間、会社が廃業することになった。失業した半編集者4人で、新しいジャズ専門誌を創刊しようという話がまとまり、企画書を作り、方々をあたった結果、ある小さな出版社が面倒を見てくれることになった。
私はどうしても岩崎さんの原稿を取りたいと思ったが、何しろ貧乏な出版社で大物筆者に原稿を依頼する予算が無い。それを応援してくれたのがラックスだった。「2ページ分の広告料で、ウチは縦3分の1ページの広告を入れるから、残りは岩崎さんに自由に書いてもらいなさい」という嘘のような話がまとまった。私は会社側に説明して、原稿料を奮発してもらい、岩崎さんの連載エッセイをスタートすることができた。
当時のラックスにはオーディオ文化の向上に役立つことなら、人肌脱いでやろうという、よい意味のパトロン感覚があったような気がする。
私はお陰で岩崎さんの原稿を取るという作業を通じ、氏のオーディオに対する精神に間近に触れることができた。それは何ものにも替え難い体験であり、自分のオーディオ観を形成する上での大きな力になった。
*
これがジャズランドである。
ジャズランドは一時二万部を超える刷り部数だったが、
出版社が不渡りを出したため印刷の段階でストップがかかり、発行日が10日ほど遅れる。
このことで部数は激減し、廃刊になっていく。
朝沼予史宏は続けて、こう書かれている。
*
廃刊決定が目前に迫った時、これ以上はスポンサー筋に迷惑はかけられないと思い、私は辞表を提出した。翌年、岩崎さんが亡くなられた。
*
朝沼予史宏氏が最初に勤務された会社が倒産しなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
面倒を見てくれる会社がなかったら、ジャズランドは創刊されなかった。
ラックスの応援がなかったら、岩崎先生の、これらの短編はなかった。