メーカーとしての旬(その2)
それぞれのメーカーに旬といえる時期があることは、
私だけでなく、オーディオを長くやってきた人ならば感じていることのはず。
メーカーとしての旬についてだけ書くつもりは、特になかった。
別のテーマで書いているうちに、旬について触れようとは考えていた。
それなのにこうやって「メーカーとしての旬」というタイトルをつけて書き出したのは、
iPhoneは終った、といったことをここ数年目にしたり耳にしたりすることが増えてきたからだ。
前月、iPhone 7が発表され発売になった。
秋になる数ヶ月前から、新しいiPhoneの予想記事が増える。
断片的に流れてくる情報から、新しいiPhoneの全体像を探っていく。
けっこう当っている。
そのためiPhoneの発表そのもので、驚くような発表はなくなりつつある。
今回のiPhone 7に搭載されたFeliCa機能についても、
少し前から予想記事が出ていた。
ヘッドフォンジャックがなくなるのも、前からわかっていたこと。
ホームボタンに関してもそうである。
断片的な情報に馴らされてしまっている感もある。
同時に、新しいiPhoneにケチをつける人も増えてきたように感じている。
スティーヴ・ジョブスがいないからAppleは終った。
ティム・クックではiPhoneを革新的にするのは無理だ、とか。
iPhoneも、Androidスマートフォンと変らない、とか。
こんなことを嬉しそうに(そう見える)話したり書いたりする人にとって、
Appleの旬は過ぎ去ってしまった、iPhoneの旬は終った、と映っているのだろう。
facebook、twiterなどのSNSをやっていると、
どうしてもこんな書き込みを目にする。うんざりした気分になってくる。
そして、こういう人たちは、進歩・進化をどう捉えているのだろうか、とも思う。
だからあえて「メーカーとしての旬」とタイトルにつけて書くことにした。